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あさま山荘事件:40年 坂口死刑囚、支援者に反省の手記

坂口弘死刑囚
坂口弘死刑囚
1972年2月28日、クレーン車につり下げられた鉄球で破壊される、あさま山荘の屋根と壁=長野県軽井沢町で、中村太郎撮影
1972年2月28日、クレーン車につり下げられた鉄球で破壊される、あさま山荘の屋根と壁=長野県軽井沢町で、中村太郎撮影

 「節目の年に事件を振り返り、もう一度きちんと総括しなければならない」。あさま山荘に立てこもった坂口弘死刑囚(65)は今月、東京拘置所から支援者の女性(61)に手記を送った。あさま山荘事件直前の71年12月~72年2月、山岳アジトで永田洋子元死刑囚(昨年2月に病死)らと仲間に暴行を加え、計12人を死亡させたことへの反省の念を便箋366枚につづっている。

 メンバーに「革命戦士」になることを求め、自己批判を迫り「総括」と称して繰り返された凄惨(せいさん)なリンチ。手記には「(最高幹部による仲間への)批判の深化、拡大化の危険に気づくこともなく、ずるずると総括の深みにはまっていきました」と記されている。

 坂口死刑囚は、差し入れられた雑誌に掲載された永田元死刑囚の葬儀の写真を目にしたといい、面会した女性に「きちんと送ってくれる人がいて、本当に良かった」と話したという。

 静岡市でスナックを経営する元メンバーの植垣康博さん(63)は今月、取材に応じ「単に異常な精神状態における異常な事件とするのではなく、なぜ人間が殺されたのか。生き残った者が考え伝えていくべきだ」と語った。植垣さんは銃撃戦の直前、軽井沢駅で逮捕された。「当時は起きている事態が何なのか、考える時間もなかった」。殺人罪などで懲役20年の判決を受けて服役。98年に出所後、公の場で事件を語り続けてきた。

 一方で「子供に事件のことを話していない」「話さないまま死んでいきたい」と傷痕を消せない関係者もいる。名前を変えられ、自分の親が元メンバーだと知らされていない子供もいるという。

 事件を「現代史として面白い」と考える人もいる。事件と当時の世相をモチーフにした漫画「レッド」を06年から青年誌に連載中の山本直樹さん(52)は「彼らは最初からしかめっ面した求道者だったわけではない。理想に向かって行動することを楽しんでいたと思うが、言葉の方が命より重くなってしまったと感じる」と話す。【武本光政、村上尊一】

毎日新聞 2012年2月28日 15時00分(最終更新 2月28日 15時35分)

 

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