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栄光と苦悩をへて、金村氏は評論家として新たな一歩を踏み出している(写真提供 産経新聞社)

プロから独立リーグへ…手取り12万円- 夕刊フジ(2012年2月28日17時06分)

【あの人あの話題】元日本ハム、阪神 金村曉さん

 日本ハムのエースとして88勝を挙げた金村曉氏(35)が昨年、BCリーグ・信濃で現役生活を終えた。2010年オフに阪神を戦力外となり、韓国プロ野球を目指したこともあったが最後の舞台は長野。引退を決意するまでの1年に、どんなドラマがあったのか聞いた。(聞き手・笹森倫)

 --阪神では3年間で1勝。思ったような成績が上げられなかった

 「移籍1年目(08年)のオープン戦で肉離れを起こして、開幕ローテーションから外れたのがすべて。6月にようやく1軍で投げたが、いい投球をしても勝てなかったり、試合を壊してしまったり。首脳陣に悪い印象が焼き付いてしまった」

 --前所属の日本ハムとは違った?

 「1試合ダメでも『大丈夫ですよ』といえば次も投げられた。でも阪神では実績がない。2軍で調子がよくてコーチが推薦してもなかなか上げてもらえず、3週間後に呼ばれたときは状態が落ちていたり。僕より、生え抜きの若手を優先するのは当然」

 --2010年に阪神を戦力外になった

 「まだ第一線でやれる自信はあった。ただ、国内は外様のベテランが1軍でやるには相当な成績を残さないといけない。韓国なら絶対使われるだろうし2、3年実績を残して最後に日本で終われれば、と考えたんです」

 --だが移籍は破談

 「三星と12月14日に契約したのに29日に電話一本で突然、なかったことにされた。理由はメディカルチェックの問題だったが、本当はオーナーと監督が替わり『門倉健(元巨人など)がほしい』となったみたい。1月に高知でキャンプをしていたSKのテストを受けたが、『今月から実戦で投げてくれ』と。2月からブルペンに入るよう調整していたので、最初『無理です』と断ったんだけど、投げないと契約してもらえない。寒い中で2試合投げたら肩を痛めてしまった」

 --所属先なしに

 「でも代理人が『韓国はシーズン序盤に外国人の入れ替えがあるから』というので、オファーが来るまでの練習場所を探そうと。日本ハムでお世話になった、三沢今朝治さんが社長を務める信濃にお願いし、長野でキャンプ中の3月に実家(気仙沼)が東日本大震災で被災した。1週間後にやっと連絡がとれて両親は無事だったけど、気仙沼港の近くで経営していた健康センターは閉じることに。右肩もよくならなかったけど、開幕直前に信濃から契約を打診されました」

 --プロ野球と独立リーグの環境に違いは?

 「手取り12万円で6カ月間だけですからね。でも若い子はみんな頑張っているんで、僕も休んでいられない。肩に合計23本も注射を打った。最後はどうしようもなくなって引退を決意しました。プロ野球で引退してセレモニーも-と思っていたけど、独立リーグで終わるのも自分らしいかなと。1年夢を追わせてもらって、もう家族にも迷惑をかけられないし」

 --今年から評論家、解説者に転身

 「去年は『教えてあげながら投げる』という初めての経験もした。今までは他の人を見る余裕はなかったが、三沢さんに『教えてやってくれ』と言われて。精神面とか、ちょっとした助言で若い子はどんどんよくなる。それで去年は投手成績がリーグナンバーワンになって、ずっと最下位だったのに残り5試合でマジック2までいった。最後は経験がないから、エラーを連発したりガチガチになって優勝を逃したけど。僕も最後の4年くらいはつらかったが、ムダじゃなくプラスの経験ができた。今度は外から野球を勉強して、コーチをやりたいですね」

 かねむら・さとる 1976年4月19日、宮城県気仙沼市生まれ。35歳。仙台育英高3年時の94年、夏の甲子園で8強。同年のドラフトで日本ハムに1位指名され、4年目には最優秀防御率のタイトルを獲得。08年に交換トレードで阪神移籍。10年オフに戦力外となり、昨年BCリーグ・信濃で現役引退。プロ野球通算89勝81敗2セーブ。187センチ、83キロ。右投右打。家族は妻と2男。

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