昭和33年に、てんとう虫の愛称で知られる「スバル360」で軽自動車の市場を切り開いた「富士重工業」は、28日、54年に及んだ軽自動車の生産を終えました。
スバルのブランドで知られる「富士重工」は、昭和33年に、てんとう虫の愛称で知られる「スバル360」の生産を開始し、商用車「サンバー」など軽自動車によって自動車メーカーとしての基礎を築いてきました。
しかし、7年前のトヨタ自動車との資本提携で、「富士重工」は四輪駆動など得意な技術を生かした車種に集中する一方、軽自動車は、トヨタ傘下のダイハツ工業から供給を受けることになり、28日で54年に及んだ軽自動車の生産を終えました。
群馬県太田市の工場では、記念の式典が開かれ、軽自動車事業に携わってきた従業員やOBが最後の1台を拍手で迎えました。
この車種は、生産終了が近づくと、買い替えを前倒ししたユーザーなどの注文が集中し、28日までフル生産の態勢が続いたということです。
「富士重工」が生産した軽自動車は、54年間でおよそ800万台に上ります。
吉永泰之社長は、従業員を前に「最後の1台まで心を込めて作ってくれて、本当に感謝している。28日を軽自動車の生産終了とともに次へのスタートの日としたい」と述べました。
この工場の軽自動車のラインは、今後、トヨタと共同開発したスポーツカーの生産に切り替えられます。
富士重工業が自動車メーカーとしての基礎を築いたのは、軽自動車の生産を通じてです。
世界有数の航空機メーカーだった「中島飛行機」を前身とする富士重工は、戦後、自動車事業に進出します。
昭和33年に市場に送り出した「スバル360」は、航空機の開発に携わっていた技術者が総力を挙げて開発。
丸みを帯びたデザインから「てんとうむし」の愛称でも親しまれ、高度経済成長期のマイカーブームで、自動車の普及を後押しした車としてその名を刻んでいます。
昭和36年に「スバル360」をベースに、商用車として開発された「サンバー」は、現在に至るまでモデルチェンジが繰り返され、50年以上にわたるロングセラーとなりました。
その後、富士重工は、4輪駆動や世界でも製造メーカーが少ない「水平対向エンジン」など独創的な技術を生かして、「レガシー」や「インプレッサ」など普通乗用車の比重を高め、アメリカや中国でも販売台数を伸ばしていきます。
そして今後は、世界市場をにらんで、普通乗用車の開発・生産に集中するとして、28日、54年に渡る軽自動車生産の歴史に幕を閉じました。
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