「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
皆さま方のご支援のおかげで、本日、2012年2月26日に、「白バラ通信パンドラの箱」の開設一周年を迎えることができました。心より厚く御礼申し上げます。
さて、私は、現在、最大の危機に直面しています。実は、2012年2月21日に、高松高等裁判所で行われた離婚裁判の控訴審が、即日結審してしまったのです。
控訴審は、即日結審するのが普通のようです。しかし、今回は、何とか裁判が継続するようにと努力しました。
ところが、裁判官達は合議の結果、即日結審してしまいました。このままでは創価学会の問題に全く触れることなく、相手方の訴状を丸写しにした一審と同じような判断がなされる可能性が高いようです。
生田先生のお話では、高松高裁の裁判官達は、創価学会の問題と関わることを避けたいようです。
即日結審との知らせに、私はショックを受けました。このままでは、4月27日に、離婚判決が下されてしまうかもしれません。
どうすれば、このような事態を回避できるかについては、生田先生からは、現在、文書提出命令(2012年2月1日掲載の「創価学会池田カルト一派との裁判シリーズその47」をご参照下さい。)を申し立てている東京の裁判で、創価学会本部が文書を提出すれば、高松高裁の裁判官達も弁論の再開に応じるかもしれないと言われました。
そこで、皆様にお願いがあります。創価学会本部(〒160-8070東京都新宿区信濃町18番地)に、葉書で結構ですから、文書を提出するようにとの働きかけをして頂けないでしょうか。
文章は「創価学会本部は、原告訴訟代理人生田暉雄弁護士が要求している文書を速やかに提出せよ。」というような簡単な内容で充分です。匿名かペンネームで、かつ、お一人で何通出されても結構です。
加えて、高松高裁の裁判官達に対しても、公正な裁判を行うようにとの葉書か手紙を出して頂けないでしょうか。
また、もし高松高裁の担当裁判官の中に創価学会員と思われる人物がおられたら、裁判官の忌避を申し立てます。情報があれば、お知らせ下さい。
生田先生からは、高松高裁の裁判官達に対する働きかけは効果がないと言われています。しかし、私は「溺れる者は藁をもつかむ」という心境です。もし可能であれば、何卒ご協力の程、衷心よりお願い申し上げます。
なお、高松高等裁判所の裁判官の氏名は、裁判調書が完成次第、このブログに掲載します。
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さて、私は、現在、最大の危機に直面しています。実は、2012年2月21日に、高松高等裁判所で行われた離婚裁判の控訴審が、即日結審してしまったのです。
控訴審は、即日結審するのが普通のようです。しかし、今回は、何とか裁判が継続するようにと努力しました。
ところが、裁判官達は合議の結果、即日結審してしまいました。このままでは創価学会の問題に全く触れることなく、相手方の訴状を丸写しにした一審と同じような判断がなされる可能性が高いようです。
生田先生のお話では、高松高裁の裁判官達は、創価学会の問題と関わることを避けたいようです。
即日結審との知らせに、私はショックを受けました。このままでは、4月27日に、離婚判決が下されてしまうかもしれません。
どうすれば、このような事態を回避できるかについては、生田先生からは、現在、文書提出命令(2012年2月1日掲載の「創価学会池田カルト一派との裁判シリーズその47」をご参照下さい。)を申し立てている東京の裁判で、創価学会本部が文書を提出すれば、高松高裁の裁判官達も弁論の再開に応じるかもしれないと言われました。
そこで、皆様にお願いがあります。創価学会本部(〒160-8070東京都新宿区信濃町18番地)に、葉書で結構ですから、文書を提出するようにとの働きかけをして頂けないでしょうか。
文章は「創価学会本部は、原告訴訟代理人生田暉雄弁護士が要求している文書を速やかに提出せよ。」というような簡単な内容で充分です。匿名かペンネームで、かつ、お一人で何通出されても結構です。
加えて、高松高裁の裁判官達に対しても、公正な裁判を行うようにとの葉書か手紙を出して頂けないでしょうか。
また、もし高松高裁の担当裁判官の中に創価学会員と思われる人物がおられたら、裁判官の忌避を申し立てます。情報があれば、お知らせ下さい。
生田先生からは、高松高裁の裁判官達に対する働きかけは効果がないと言われています。しかし、私は「溺れる者は藁をもつかむ」という心境です。もし可能であれば、何卒ご協力の程、衷心よりお願い申し上げます。
なお、高松高等裁判所の裁判官の氏名は、裁判調書が完成次第、このブログに掲載します。
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» 一周年 おめでとうございます
高倉さま ブログ開設一周年 おめでとうございます。益々健康にご留意下さい。
スイコさんの紹介の「正邪曲直」(俵氏の公演録)を早速読んでみました。
俵氏が云うには、「公明党は創価学会の自家用政党」であるとのこと、公明党の委員長も突然の命令で決まってしまいます。
トップ・組織に都合が悪くなれば、罵詈雑言で攻撃し排除しています。これが、「宗教団体」のすることでしょうか、隠すことのできない真実です。
昭和45年、「言論弾圧事件」で「国会」、マスコミ等で総攻撃され謝罪声明を出した後も、「政治と宗教の分離」は全くしていません。最近でも選挙があると走り回る会員の姿から、国民はそのことをよく知っています。全国の票総数が伸びないのも当然なことでしょう。
Kanさんのコメント、いつもながら分かり易いです。頭がすっきりとします。
< 創価学会のエサは、功徳、幸せ、宿命転換、これらが勧誘のエサです>
< 凄い功徳があります、福運がつきます、将来は幸せの花が満開、という言葉で、会員さんは無理を続けてタダ働きです>
<脱会しようとすれば、「地獄に落ちる」「福運を消してしまう」と脅します>
<池田氏が叫んでいた「幸せの日々」、私の周りには一人もいません>
☆私の近所に生活保護を受けている男性がおられます。寒い中、自転車でスーパーに行き、パック物を買ってきて食べられています。60歳位ですが、仕事はしていません。聖教新聞はとっています。
50歳前の女性が、配達をしていましたが、とても「功徳」だ、「福運」だ、といった輝いたお顔ではなく、顔色も悪く、「幸せの日々」という風には見えませんでした。
生活の苦しそうなお家ほど、「公明党」のポスターがしっかりと貼られています。
本部官僚、地方幹部等の人はこうした方の財務や様々な販売益で生活しているのでしょうか。痛々しく感じ、複雑な気持ちになり考え込んでしまいます。
★外部の私が、「創価学会」の今後のあるべき「姿」をどう考えるか、ということは大変難しく感じています。予測がつかないからです。有るべき「姿」ではなく、「・・・・・であって欲しい」ということであれば、いくらかはあります。
☆私の願いは、「創価学会」「公明党」ともに直ぐにでも「解体」してもらいたいというものです。その理由は、多過ぎて簡単にはまとめようがありません。
現実的には、「完全解体」の可能性はないと思われます。私の住んでいる地方都市(人口約5万人)の市民が、「創価・公明」問題で望むところを、誤りを恐れず大胆に想定すると、次のようになるかも知れないかな?・・・・と。
(あくまで、多数の友達の意見を参考にしての感想・予想ですが。)
◇約20%のものは、創価学会が何を考え、何をやろうとしているかをよく知っていて、「創価・公明」はすぐにでも解体して欲しい、というもの。
◇約20%は、公明党はどんなものかをかなり知っているが、創価学会は何を考えどんなことをやっているか、深くは知らない、「公明党」は直ぐにでも解体させたいが、「創価学会」は世間に被害が及ばないなら、お好きにどうぞ、・・・といったもの。
◇約30%は、公明党も創価学会も余りよく分からないが、宗教団体が政治に介入するのはいいことではない、「創価・公明」について関心は余りないし、仕事上でのつきあいはそこそこするが、投票をする気にはなれない、・・・というもの。
◇約10%程度は、「創価・公明」に少しは期待できるのではないか、・・・といったもの。
こんな感触が、他都市の市民にそっくり当てはまるかどうか大変疑問ですが、都内や府内の大都市では相当強い反応が出てくるでしょう。恐らく、「創価」「公明」ともに「即刻解体論」は70%位は越えるでしょうか?
大都市になるほど、そういうことになると思われます。小選挙区で「冬柴氏」が落選したのもこういったことの表れで、今後の選挙は厳しいものになるでしょう。
地方都市への情報の拡散は、これから5年後には、現時点とは比べ物にならないほど情報が広がるでしょう。
特に40歳未満の者には、パソコンなどの普及によって様々な情報が広がり、又、口コミによる拡散も大きいでしょう。
創価学会は宗教団体ではなく、会員を増やして「お金」を集める集団、選挙を信仰にして政治力を行使する集団で、「創価学会政治部」のようなものである、ということは地方都市の市民でも常識的になっています。
従って、地方都市でも、創価学会・公明党の真実を知れば、「解体論」は急激に増えるでしょう。5年後どころか3年後でさえ予測はつきません。
農山村地方では、真実の拡散は厳しいものがありますが、元々学会の占める割合は3%程度、しかも伝統仏教の家庭の人たちのアレルギーも酷く、監視も厳しいのでこれ以上の教勢拡大は望めないでしょう。
★「池田大作氏」の死後、「創価学会の再建」は、大きな混乱を招くと思われます。次には、そのあたりについて考えてみたいものです。
スイコさんの紹介の「正邪曲直」(俵氏の公演録)を早速読んでみました。
俵氏が云うには、「公明党は創価学会の自家用政党」であるとのこと、公明党の委員長も突然の命令で決まってしまいます。
トップ・組織に都合が悪くなれば、罵詈雑言で攻撃し排除しています。これが、「宗教団体」のすることでしょうか、隠すことのできない真実です。
昭和45年、「言論弾圧事件」で「国会」、マスコミ等で総攻撃され謝罪声明を出した後も、「政治と宗教の分離」は全くしていません。最近でも選挙があると走り回る会員の姿から、国民はそのことをよく知っています。全国の票総数が伸びないのも当然なことでしょう。
Kanさんのコメント、いつもながら分かり易いです。頭がすっきりとします。
< 創価学会のエサは、功徳、幸せ、宿命転換、これらが勧誘のエサです>
< 凄い功徳があります、福運がつきます、将来は幸せの花が満開、という言葉で、会員さんは無理を続けてタダ働きです>
<脱会しようとすれば、「地獄に落ちる」「福運を消してしまう」と脅します>
<池田氏が叫んでいた「幸せの日々」、私の周りには一人もいません>
☆私の近所に生活保護を受けている男性がおられます。寒い中、自転車でスーパーに行き、パック物を買ってきて食べられています。60歳位ですが、仕事はしていません。聖教新聞はとっています。
50歳前の女性が、配達をしていましたが、とても「功徳」だ、「福運」だ、といった輝いたお顔ではなく、顔色も悪く、「幸せの日々」という風には見えませんでした。
生活の苦しそうなお家ほど、「公明党」のポスターがしっかりと貼られています。
本部官僚、地方幹部等の人はこうした方の財務や様々な販売益で生活しているのでしょうか。痛々しく感じ、複雑な気持ちになり考え込んでしまいます。
★外部の私が、「創価学会」の今後のあるべき「姿」をどう考えるか、ということは大変難しく感じています。予測がつかないからです。有るべき「姿」ではなく、「・・・・・であって欲しい」ということであれば、いくらかはあります。
☆私の願いは、「創価学会」「公明党」ともに直ぐにでも「解体」してもらいたいというものです。その理由は、多過ぎて簡単にはまとめようがありません。
現実的には、「完全解体」の可能性はないと思われます。私の住んでいる地方都市(人口約5万人)の市民が、「創価・公明」問題で望むところを、誤りを恐れず大胆に想定すると、次のようになるかも知れないかな?・・・・と。
(あくまで、多数の友達の意見を参考にしての感想・予想ですが。)
◇約20%のものは、創価学会が何を考え、何をやろうとしているかをよく知っていて、「創価・公明」はすぐにでも解体して欲しい、というもの。
◇約20%は、公明党はどんなものかをかなり知っているが、創価学会は何を考えどんなことをやっているか、深くは知らない、「公明党」は直ぐにでも解体させたいが、「創価学会」は世間に被害が及ばないなら、お好きにどうぞ、・・・といったもの。
◇約30%は、公明党も創価学会も余りよく分からないが、宗教団体が政治に介入するのはいいことではない、「創価・公明」について関心は余りないし、仕事上でのつきあいはそこそこするが、投票をする気にはなれない、・・・というもの。
◇約10%程度は、「創価・公明」に少しは期待できるのではないか、・・・といったもの。
こんな感触が、他都市の市民にそっくり当てはまるかどうか大変疑問ですが、都内や府内の大都市では相当強い反応が出てくるでしょう。恐らく、「創価」「公明」ともに「即刻解体論」は70%位は越えるでしょうか?
大都市になるほど、そういうことになると思われます。小選挙区で「冬柴氏」が落選したのもこういったことの表れで、今後の選挙は厳しいものになるでしょう。
地方都市への情報の拡散は、これから5年後には、現時点とは比べ物にならないほど情報が広がるでしょう。
特に40歳未満の者には、パソコンなどの普及によって様々な情報が広がり、又、口コミによる拡散も大きいでしょう。
創価学会は宗教団体ではなく、会員を増やして「お金」を集める集団、選挙を信仰にして政治力を行使する集団で、「創価学会政治部」のようなものである、ということは地方都市の市民でも常識的になっています。
従って、地方都市でも、創価学会・公明党の真実を知れば、「解体論」は急激に増えるでしょう。5年後どころか3年後でさえ予測はつきません。
農山村地方では、真実の拡散は厳しいものがありますが、元々学会の占める割合は3%程度、しかも伝統仏教の家庭の人たちのアレルギーも酷く、監視も厳しいのでこれ以上の教勢拡大は望めないでしょう。
★「池田大作氏」の死後、「創価学会の再建」は、大きな混乱を招くと思われます。次には、そのあたりについて考えてみたいものです。
» そうなんです。
皆様、今晩わ
桃太郎さんの仰られる→「創価学会」の今後のあるべき「姿」をどう考えるか、ということは大変難しく感じています。予測がつかないからです。有るべき「姿」ではなく、「・・・・・であって欲しい」ということであれば、いくらかはあります。
そうなんです。
予測が出来ないのでなんとも言えないと言うのが正直なところです。
本来、日蓮正宗の宗門から破門された段階で、創価学会を解体するのが本来の筋なんです。
それをあやふやにしているからこそ、余計に難しいと思います。
学会員も色々なタイプの人が居てますから、消滅するなら自然消滅していきますし、そうではないのならなんからの形を変えながら残るかも知れません。
未来の事は分かりませんから、流れに任せる方が自然で無理がない様な気もしますが、・・・・。
桃太郎さんの仰られる→「創価学会」の今後のあるべき「姿」をどう考えるか、ということは大変難しく感じています。予測がつかないからです。有るべき「姿」ではなく、「・・・・・であって欲しい」ということであれば、いくらかはあります。
そうなんです。
予測が出来ないのでなんとも言えないと言うのが正直なところです。
本来、日蓮正宗の宗門から破門された段階で、創価学会を解体するのが本来の筋なんです。
それをあやふやにしているからこそ、余計に難しいと思います。
学会員も色々なタイプの人が居てますから、消滅するなら自然消滅していきますし、そうではないのならなんからの形を変えながら残るかも知れません。
未来の事は分かりませんから、流れに任せる方が自然で無理がない様な気もしますが、・・・・。
» 恐縮です^^
髙倉様
一周年、おめでとうございます。
過ぎてみれば一年も早いものですね。
時の流れの早さを特に感じるこの頃です。
いや、時間は一日24時間と常識化してますが、時間や空間は我々の教えられてきた物理上の見方が全てでしょうか?
今まで教えられてきた数学や物理など・・・今わかってる最高峰のモノを教育で・世間で学んできていました。
しかし人類の最高峰の知識でも、それらのわかってる事柄は不可思議な万物の全てから見れば、「牛の毛の一本」と言われるくらい極わずかです。
そう教えられ・自分でもそう認識してるから、時間と空間は自分が認識した「あり方」で目の前に展開してる。
時空間は人それぞれの認識で、それぞれ異なるのではないか!?
そんな気もしています。
もし時空間が我々の認識で存在するなら、過去も未来も認識次第で大きく影響し、「今」に変化をもたらします。
我々は「世間の常識」・「世の中の常識」の中に生きてて、全てはその中のルールを適用しています。
その枠に当て嵌めて、その枠で考えて・ある時は希望をある時は落胆や悲観を感じています。
法律にしろ何にしろ、全てそうですよね。
でも、その常識の枠から離れた「常識外の認定」にすれば、普通はあまりにバカバカしくて思わないような「認識」を自身に用いれば、「今」この時・従来の常識ではありえないその人だけの展開が必然的に拓く!
それって、当たらずも遠からず・・・かも^^。
全ての現実は「確定」なんてしてなくて、揺らいでる状態
現実って、案外不確かな要素があります。
確定し、そして凝固化するのは自分の「認識」!
そんなふうにも思ったりしています。
桃太郎さん
私の拙いコメントに共感戴き、ありがとうございます。
貴方は心が優しい方ですね^^。
>☆私の近所に生活保護を受けている男性がおられます。寒い中、自転車でスーパーに行き、パック物を買ってきて食べられています。60歳位ですが、仕事はしていません。聖教新聞はとっています。
50歳前の女性が、配達をしていましたが、とても「功徳」だ、「福運」だ、といった輝いたお顔ではなく、顔色も悪く、「幸せの日々」という風には見えませんでした。
>生活の苦しそうなお家ほど、「公明党」のポスターがしっかりと貼られています。
本部官僚、地方幹部等の人はこうした方の財務や様々な販売益で生活しているのでしょうか。痛々しく感じ、複雑な気持ちになり考え込んでしまいます。
桃太郎さんのコメント
まさしく仰るとうりです。
赤裸々に現実を述べておられますね。
本当に「生活の苦しそうなお家ほど、「公明党」のポスターがしっかりと貼られています」
言葉が直接的で何なのですが・・・見るからにお金持ち!というお家には「公明党」のポスターは貼られていません。
お金は世の中に同じように流れています。
でも流れてくるお家もあれば、流れてこないお家もある。
何故でしょう?
お金もエネルギーです。
大切に思い、愛しく思い、来て欲しいと賢明な知恵のあるお家には「お金というエネルギー」は喜んで来ると思うんです。
お金持ちは、ある意味ではお金を愛し・大切に思い・その大切なお金を愛するお金に来てもらう知恵を働かせます。
池田創価はお金より「福運」と叫びます。
なので蔵の財より身の財・身の財より心の財と叫ぶのです。
それは言葉上では間違っていません。
しかし、池田創価は拝金主義です。
財務という強制寄付を組織を上げて異常に推進し、物を義務のごとき強制で買わせます。
さらには海外からバカ安い石を大量に仕入れ、バカ高い額でお墓まで買わせます。
お金よりも福運だ!と叫びながら、お金を異常なまでに奪う!
狂ったように会員からお金を奪う!
何も考えず、ただ言われるままに大切なお金を差し出す会員。
それでお金が喜ぶでしょうか?
お金は悲しむばかりです。
お金持ちは大切なお金を、自分や家族が喜ぶことに使っています。
笑顔や笑い声や癒しの幸せに使っています。
さらに友人にも楽しんでもらったりもして、友人も喜ぶ。
なので、使われた「お金」も喜ぶ。
またこのお家に来たいな~♪と思う。
そうだ、今度は仲間を連れて来よう~♪と思う。
まあ、普通はそれが当たり前なのですが、池田創価に洗脳され活動家になると、熱心になると普通の感覚じゃなくなります。
生活費を切り詰めて、寄付と奉仕にお金を使います。
その時は自己満足してるようでも、生活費や学費は当然圧迫されます。
それゆえの苦痛がまた生まれます。
池田創価にいる限り、一生それが続きます。
これではたして、お金が喜ぶでしょうか?
喜ぶのは池田家族とその家来たちだけです。
福運とよく創価は言いますが、その「福運」の約80%はお金です。
お金があれば、ちゃんとした教育を子供たちにしてあげれるし・病気になっても心配いらない。
年老いた両親もちゃんと面倒見てあげれるし、家族の生活も困らない。
また悩んだり困ったりしてる友人には、美味しいものでも一緒に食べて、笑顔の時間を過ごしながら励ましてあげることもできる。
世界中の貧困の子供たちにも、少しでも美味しいものや教育費の足しにしてあげることもできます。
全て、お金さんたちが喜ぶ使い方です。
池田創価はそれら全てを奪います。
普通なら、普通の感覚なら気づきます。
それにすら気づかず、ただ大切なお金を奪われてる日々。
人生の大切な時間を奪われてる日々。
お金さんたちが喜んでくるお家ではありません。
お金さんたちは、そういうお家は避けます。
なので、池田創価に熱心な会員さんは可哀想ですが、一生お金持ちにはなれない。
それどころか、普通の生活もままならない・・・
ただ、愚かに騙されて・ただ奪われ続ける・・・
そんな人生の日々になってる人たちが多いのです。
一周年、おめでとうございます。
過ぎてみれば一年も早いものですね。
時の流れの早さを特に感じるこの頃です。
いや、時間は一日24時間と常識化してますが、時間や空間は我々の教えられてきた物理上の見方が全てでしょうか?
今まで教えられてきた数学や物理など・・・今わかってる最高峰のモノを教育で・世間で学んできていました。
しかし人類の最高峰の知識でも、それらのわかってる事柄は不可思議な万物の全てから見れば、「牛の毛の一本」と言われるくらい極わずかです。
そう教えられ・自分でもそう認識してるから、時間と空間は自分が認識した「あり方」で目の前に展開してる。
時空間は人それぞれの認識で、それぞれ異なるのではないか!?
そんな気もしています。
もし時空間が我々の認識で存在するなら、過去も未来も認識次第で大きく影響し、「今」に変化をもたらします。
我々は「世間の常識」・「世の中の常識」の中に生きてて、全てはその中のルールを適用しています。
その枠に当て嵌めて、その枠で考えて・ある時は希望をある時は落胆や悲観を感じています。
法律にしろ何にしろ、全てそうですよね。
でも、その常識の枠から離れた「常識外の認定」にすれば、普通はあまりにバカバカしくて思わないような「認識」を自身に用いれば、「今」この時・従来の常識ではありえないその人だけの展開が必然的に拓く!
それって、当たらずも遠からず・・・かも^^。
全ての現実は「確定」なんてしてなくて、揺らいでる状態
現実って、案外不確かな要素があります。
確定し、そして凝固化するのは自分の「認識」!
そんなふうにも思ったりしています。
桃太郎さん
私の拙いコメントに共感戴き、ありがとうございます。
貴方は心が優しい方ですね^^。
>☆私の近所に生活保護を受けている男性がおられます。寒い中、自転車でスーパーに行き、パック物を買ってきて食べられています。60歳位ですが、仕事はしていません。聖教新聞はとっています。
50歳前の女性が、配達をしていましたが、とても「功徳」だ、「福運」だ、といった輝いたお顔ではなく、顔色も悪く、「幸せの日々」という風には見えませんでした。
>生活の苦しそうなお家ほど、「公明党」のポスターがしっかりと貼られています。
本部官僚、地方幹部等の人はこうした方の財務や様々な販売益で生活しているのでしょうか。痛々しく感じ、複雑な気持ちになり考え込んでしまいます。
桃太郎さんのコメント
まさしく仰るとうりです。
赤裸々に現実を述べておられますね。
本当に「生活の苦しそうなお家ほど、「公明党」のポスターがしっかりと貼られています」
言葉が直接的で何なのですが・・・見るからにお金持ち!というお家には「公明党」のポスターは貼られていません。
お金は世の中に同じように流れています。
でも流れてくるお家もあれば、流れてこないお家もある。
何故でしょう?
お金もエネルギーです。
大切に思い、愛しく思い、来て欲しいと賢明な知恵のあるお家には「お金というエネルギー」は喜んで来ると思うんです。
お金持ちは、ある意味ではお金を愛し・大切に思い・その大切なお金を愛するお金に来てもらう知恵を働かせます。
池田創価はお金より「福運」と叫びます。
なので蔵の財より身の財・身の財より心の財と叫ぶのです。
それは言葉上では間違っていません。
しかし、池田創価は拝金主義です。
財務という強制寄付を組織を上げて異常に推進し、物を義務のごとき強制で買わせます。
さらには海外からバカ安い石を大量に仕入れ、バカ高い額でお墓まで買わせます。
お金よりも福運だ!と叫びながら、お金を異常なまでに奪う!
狂ったように会員からお金を奪う!
何も考えず、ただ言われるままに大切なお金を差し出す会員。
それでお金が喜ぶでしょうか?
お金は悲しむばかりです。
お金持ちは大切なお金を、自分や家族が喜ぶことに使っています。
笑顔や笑い声や癒しの幸せに使っています。
さらに友人にも楽しんでもらったりもして、友人も喜ぶ。
なので、使われた「お金」も喜ぶ。
またこのお家に来たいな~♪と思う。
そうだ、今度は仲間を連れて来よう~♪と思う。
まあ、普通はそれが当たり前なのですが、池田創価に洗脳され活動家になると、熱心になると普通の感覚じゃなくなります。
生活費を切り詰めて、寄付と奉仕にお金を使います。
その時は自己満足してるようでも、生活費や学費は当然圧迫されます。
それゆえの苦痛がまた生まれます。
池田創価にいる限り、一生それが続きます。
これではたして、お金が喜ぶでしょうか?
喜ぶのは池田家族とその家来たちだけです。
福運とよく創価は言いますが、その「福運」の約80%はお金です。
お金があれば、ちゃんとした教育を子供たちにしてあげれるし・病気になっても心配いらない。
年老いた両親もちゃんと面倒見てあげれるし、家族の生活も困らない。
また悩んだり困ったりしてる友人には、美味しいものでも一緒に食べて、笑顔の時間を過ごしながら励ましてあげることもできる。
世界中の貧困の子供たちにも、少しでも美味しいものや教育費の足しにしてあげることもできます。
全て、お金さんたちが喜ぶ使い方です。
池田創価はそれら全てを奪います。
普通なら、普通の感覚なら気づきます。
それにすら気づかず、ただ大切なお金を奪われてる日々。
人生の大切な時間を奪われてる日々。
お金さんたちが喜んでくるお家ではありません。
お金さんたちは、そういうお家は避けます。
なので、池田創価に熱心な会員さんは可哀想ですが、一生お金持ちにはなれない。
それどころか、普通の生活もままならない・・・
ただ、愚かに騙されて・ただ奪われ続ける・・・
そんな人生の日々になってる人たちが多いのです。
» 創価学会ノート
高倉様のブログにもリンクされている
「創価学会ノート」昨日2/27付けにおいて
いよいよ「秋谷氏」ら学会最高幹部の最新動向が
晒されました。
以前から囁かれていた憶測等が
逃げようのない真実だと確認されたからこその
コメントです。
私達「もも(ら)」のような立場にまで
「秋谷氏が大石寺に通っている」
「某裁判の傍聴に正木氏が来ていた」
「原田氏は孤立している」
「矢野氏は池田大作を捨てられない」
「最高幹部らが次々と池田氏逝去後の保身に走っている」「正宗寺院にこっそり通っている」等々の
話しが耳に入って来ます。脱会した古参幹部の下にも足蹴に通う地方の幹部職員が大勢いるとも聞いています。瓦解は避けられないでしょう。
このような状況下だからこそ、
、高倉様が示された「新創価学会(案)」が
脚光を浴びるのではないのでしょうか。
様々な意味が込められた「新創価学会(案)」を
再読すると、見えなった「もの」が見えてくるような気がします。(私(もも)は以前から霊感と言えば大袈裟ですが直感で何かが入ってくる瞬間がありそれらは全て真実でした)
この様な、最高幹部達の狼狽振りを知らずに
本日も、我々「もも(ら)」数人を待ち伏せし、尾行し、つきまとう、哀れな末端信者達・・・。
「やめろ」と云われるまで毎朝、毎晩やらせれるのでしょう・・・指示している幹部の1人は昨年末に
正宗寺院に突然訪れて、延々と学会組織の悪口を語っていったと聞いています。脱会するのか、しないのかもはっきり云わず、ただ延々と組織と池田氏の批判だけを繰り返していたとの事です。
この幹部信者の経営する会社は昨年に民事再生の適用がされ、勤務していた大勢の学会員が職を失いました。大変な功徳ですね・・・。
今後益々、高倉様の裁判の行く末が
注目されて行くのは間違いないです。
私達も可能な限りの協力をさせて頂きます。
2/27付けの「創価学会ノート」を
1人でも多くの学会員さんに見て頂きたいです。
文責「もも」
「創価学会ノート」昨日2/27付けにおいて
いよいよ「秋谷氏」ら学会最高幹部の最新動向が
晒されました。
以前から囁かれていた憶測等が
逃げようのない真実だと確認されたからこその
コメントです。
私達「もも(ら)」のような立場にまで
「秋谷氏が大石寺に通っている」
「某裁判の傍聴に正木氏が来ていた」
「原田氏は孤立している」
「矢野氏は池田大作を捨てられない」
「最高幹部らが次々と池田氏逝去後の保身に走っている」「正宗寺院にこっそり通っている」等々の
話しが耳に入って来ます。脱会した古参幹部の下にも足蹴に通う地方の幹部職員が大勢いるとも聞いています。瓦解は避けられないでしょう。
このような状況下だからこそ、
、高倉様が示された「新創価学会(案)」が
脚光を浴びるのではないのでしょうか。
様々な意味が込められた「新創価学会(案)」を
再読すると、見えなった「もの」が見えてくるような気がします。(私(もも)は以前から霊感と言えば大袈裟ですが直感で何かが入ってくる瞬間がありそれらは全て真実でした)
この様な、最高幹部達の狼狽振りを知らずに
本日も、我々「もも(ら)」数人を待ち伏せし、尾行し、つきまとう、哀れな末端信者達・・・。
「やめろ」と云われるまで毎朝、毎晩やらせれるのでしょう・・・指示している幹部の1人は昨年末に
正宗寺院に突然訪れて、延々と学会組織の悪口を語っていったと聞いています。脱会するのか、しないのかもはっきり云わず、ただ延々と組織と池田氏の批判だけを繰り返していたとの事です。
この幹部信者の経営する会社は昨年に民事再生の適用がされ、勤務していた大勢の学会員が職を失いました。大変な功徳ですね・・・。
今後益々、高倉様の裁判の行く末が
注目されて行くのは間違いないです。
私達も可能な限りの協力をさせて頂きます。
2/27付けの「創価学会ノート」を
1人でも多くの学会員さんに見て頂きたいです。
文責「もも」
» 無題
正宗寺院へ駆け込む大幹部たち
秋谷栄之助前会長が勧戒を受けたという情報が駆け巡っているが、信濃町では驚きとともに「さもありなん」と受け止められている。秋谷前会長は近年のガン手術の予後が思わしくなく、度々床で臥せっている。池田大作が倒れたことにより、選挙下手で頼りにならない事務屋の原田稔会長や、ただの威張りん坊の正木正明理事長に代わって、秋谷復権を期待するグループの動きもあったが、秋谷氏本人がこの体たらくなので、それも雲散霧消してしまった。
長年、池田に罵倒され、いじめ抜かれた秋谷氏の取った行動は、単なる脱会ではなく、結局、正宗寺院への帰伏だった。これにはどういう意味があるのだろうか。いずれにせよ、池田の命令とはいえ、宗門をボロクソに誹謗し、会員を煽った責任はどうするのだろうか。自分はさらさら信じていない偽造本尊を会員に売りつけておきながら、このままトンズラするつもりなのか。
秋谷氏は池田大作の正体を赤裸々に告白し、会員に真実を伝えるべきである。秋谷氏だけでなく、何人もの大幹部(本部職員)たちは、こっそり正宗寺院に通っているし、ちゃっかり大石寺にも参詣している。これは事実である。会員の前では池田礼賛を繰り返し、あるいは宗門攻撃を指令しておきながら、自分たちだけは救われようと思っているというこの大背信行為で、大聖人にどう顔向けするつもりなのか。学会幹部たちよ、お前たちの生き様は醜い。池田の弟子にふさわしく、ウソツキであり、下等な輩である。少しは本気で罪障消滅する気があるのなら、池田がどんな状態にあるかを全会員に報告し、偽造本尊のことも正直に告白しなさい。また、池田に面会した人間たちが、その堕地獄の相に恐れをなして、続々と脱会していることも証言しなさい。お前たちが救われたいなら、それくらいのことをしてみなさい。騙されている会員が可愛そうだ。秋谷、まずお前が手記でも何でも発表しろ!
以上、「創価学会ノート」の転写です。
秋谷栄之助前会長が勧戒を受けたという情報が駆け巡っているが、信濃町では驚きとともに「さもありなん」と受け止められている。秋谷前会長は近年のガン手術の予後が思わしくなく、度々床で臥せっている。池田大作が倒れたことにより、選挙下手で頼りにならない事務屋の原田稔会長や、ただの威張りん坊の正木正明理事長に代わって、秋谷復権を期待するグループの動きもあったが、秋谷氏本人がこの体たらくなので、それも雲散霧消してしまった。
長年、池田に罵倒され、いじめ抜かれた秋谷氏の取った行動は、単なる脱会ではなく、結局、正宗寺院への帰伏だった。これにはどういう意味があるのだろうか。いずれにせよ、池田の命令とはいえ、宗門をボロクソに誹謗し、会員を煽った責任はどうするのだろうか。自分はさらさら信じていない偽造本尊を会員に売りつけておきながら、このままトンズラするつもりなのか。
秋谷氏は池田大作の正体を赤裸々に告白し、会員に真実を伝えるべきである。秋谷氏だけでなく、何人もの大幹部(本部職員)たちは、こっそり正宗寺院に通っているし、ちゃっかり大石寺にも参詣している。これは事実である。会員の前では池田礼賛を繰り返し、あるいは宗門攻撃を指令しておきながら、自分たちだけは救われようと思っているというこの大背信行為で、大聖人にどう顔向けするつもりなのか。学会幹部たちよ、お前たちの生き様は醜い。池田の弟子にふさわしく、ウソツキであり、下等な輩である。少しは本気で罪障消滅する気があるのなら、池田がどんな状態にあるかを全会員に報告し、偽造本尊のことも正直に告白しなさい。また、池田に面会した人間たちが、その堕地獄の相に恐れをなして、続々と脱会していることも証言しなさい。お前たちが救われたいなら、それくらいのことをしてみなさい。騙されている会員が可愛そうだ。秋谷、まずお前が手記でも何でも発表しろ!
以上、「創価学会ノート」の転写です。
» 「心貧しい人たち」に思う
もも(ら)さん、非活会員さんから紹介された「創価学会ノート」の記事『正宗寺院へ駆け込む大幹部たち』(2月27日)を読んでの感想です。
単に驚いたなんてものではありませんでした。外部の私でさえ、怒りが湧いてきて、気持ちを鎮めることができませんでした。
その記事の中から、ポイントになるところを紹介させていただきます。詳しくはブログ「創価学会ノート」の記事をご覧下さい。
≪ 秋谷栄之助前会長が勧戒を受けたという情報が駆け巡っている、長年、池田に罵倒され、苛め抜かれた秋谷氏の取った行動は、単なる脱会ではなく、結局、正宗寺院への帰伏だった。
池田の命令とはいえ、宗門をボロクソに誹謗し、会員を煽った責任はどうなるのか、自分はさらさら信じてない「偽造本尊」を会員に売りつけておきながら、このままトンズラするつもりなのか。
秋谷氏だけでなく、本部職員たちはこっそり正宗寺院に通っているし、大石寺にも参詣している。会員の前では池田礼賛を繰り返し、或いは宗門攻撃を指令しておきながら、自分だけは救われようと思っている大背信行為で、大上人にどう顔向けするつもりなのか ≫
今から20年前頃、第二次宗創問題の時、組織・本部を信じ切って寺院から離れさせられた会員は、こんな情報を聞いてどう思い何を考えられるのだろうか?
その頃30~40歳の会員は現在50~60歳である。彼らのやったことは、金集めのため、選挙票集めのために、厳粛であるべき宗教・信仰を利用したということになりはしないか。素朴で真面目な会員の信仰を、一部のトップ・幹部・役員たちのために騙して利用したことになりはしないか。会員たちは、取り返しのつかない人生にされてしまったのではなかろうか。
その子供たちも既に20~30歳になっている。二世、三世の子供たちの中には、外部の若者との結婚問題で行き詰まっている若者も多いと聞いている。物心もつかない、判断力もない子供を入信させてしまったことの犠牲者である。
何の責任もないこれらの若者たちを責めることは誰もできないでしょう。悩み苦しんでいる若者に対して、更にその親も犠牲者であるということをも含めて、誰が一体責任を取るというのか、教えて欲しいものです。
更には、「ニセ本尊」まで与えられて信じさせられ、振込の「財務」を煽られ、新聞・書籍の購入を押し付けられ、果ては、選挙運動を信仰にされ、家族との大切な絆・触れ合いの時間を失わされ、家庭崩壊をものともせず戦うことが「真の幸せ・宿命転換への道」だ!!!・・と。
近年、会員さんも高齢化を迎え、長い長い戦いに疲れ果てた中、近親者の多くを見送り、いよいよ、自分の本番を迎えるようになってきたものの、ふと我に返ると家族の絆・ぬくもりは遠く霞んでしまい、それでも、心安らかに晩年を過ごしたいとは思うものの、落ち着かない自分に苛立ちを感じながら、これまでの信仰は何のための信仰であったのか、・・・・自分を戒め心豊かに生きるための信仰であった筈が・・・・?
振り返りたくはない、・・・・なんと寂しい人生か。
誰の読経で送られてもいいのですが、一方で、こんな幹部の情報を聞かされた会員さんの心は穏かではないでしょう。
会員から集めたお金で、安い輸入材料でこしらえた墓地を再び会員へ売りつけるという、そんなお墓で成仏ができるのでしょうか?
私は、お墓には執着はないのですが、どこかの国の軍人墓地に見られるような、同じ形、同じ大きさ、同じ色、等々の企画品は望みません。
自分の身内のお墓は、小さくても、値段が安くてもいいのです。一番大切にしたいことは、家から近いところに、心の籠ったものにしてあげたいのです。
どこからともなく聞こえてくる、既成仏教の「戒名料」50~100万円のお話しは狂っています。
しかし、創価学会の財務3ケタ、並みでない購読料、家庭崩壊と子供の犠牲等々、のお話しも狂っています。一般常識では考えられません。
池田先生の先行きが見えず、座して職を食む人間ほど、局面において動揺と混乱が大きいのでしょうか?
みっともないというか、人間として汚いというか、人生の終末を迎えて慌てふためいても、人の道を外れたことをしてきていて、自分だけが救われようなんて、虫がよすぎることで、できる筈もないでしょう。
単に驚いたなんてものではありませんでした。外部の私でさえ、怒りが湧いてきて、気持ちを鎮めることができませんでした。
その記事の中から、ポイントになるところを紹介させていただきます。詳しくはブログ「創価学会ノート」の記事をご覧下さい。
≪ 秋谷栄之助前会長が勧戒を受けたという情報が駆け巡っている、長年、池田に罵倒され、苛め抜かれた秋谷氏の取った行動は、単なる脱会ではなく、結局、正宗寺院への帰伏だった。
池田の命令とはいえ、宗門をボロクソに誹謗し、会員を煽った責任はどうなるのか、自分はさらさら信じてない「偽造本尊」を会員に売りつけておきながら、このままトンズラするつもりなのか。
秋谷氏だけでなく、本部職員たちはこっそり正宗寺院に通っているし、大石寺にも参詣している。会員の前では池田礼賛を繰り返し、或いは宗門攻撃を指令しておきながら、自分だけは救われようと思っている大背信行為で、大上人にどう顔向けするつもりなのか ≫
今から20年前頃、第二次宗創問題の時、組織・本部を信じ切って寺院から離れさせられた会員は、こんな情報を聞いてどう思い何を考えられるのだろうか?
その頃30~40歳の会員は現在50~60歳である。彼らのやったことは、金集めのため、選挙票集めのために、厳粛であるべき宗教・信仰を利用したということになりはしないか。素朴で真面目な会員の信仰を、一部のトップ・幹部・役員たちのために騙して利用したことになりはしないか。会員たちは、取り返しのつかない人生にされてしまったのではなかろうか。
その子供たちも既に20~30歳になっている。二世、三世の子供たちの中には、外部の若者との結婚問題で行き詰まっている若者も多いと聞いている。物心もつかない、判断力もない子供を入信させてしまったことの犠牲者である。
何の責任もないこれらの若者たちを責めることは誰もできないでしょう。悩み苦しんでいる若者に対して、更にその親も犠牲者であるということをも含めて、誰が一体責任を取るというのか、教えて欲しいものです。
更には、「ニセ本尊」まで与えられて信じさせられ、振込の「財務」を煽られ、新聞・書籍の購入を押し付けられ、果ては、選挙運動を信仰にされ、家族との大切な絆・触れ合いの時間を失わされ、家庭崩壊をものともせず戦うことが「真の幸せ・宿命転換への道」だ!!!・・と。
近年、会員さんも高齢化を迎え、長い長い戦いに疲れ果てた中、近親者の多くを見送り、いよいよ、自分の本番を迎えるようになってきたものの、ふと我に返ると家族の絆・ぬくもりは遠く霞んでしまい、それでも、心安らかに晩年を過ごしたいとは思うものの、落ち着かない自分に苛立ちを感じながら、これまでの信仰は何のための信仰であったのか、・・・・自分を戒め心豊かに生きるための信仰であった筈が・・・・?
振り返りたくはない、・・・・なんと寂しい人生か。
誰の読経で送られてもいいのですが、一方で、こんな幹部の情報を聞かされた会員さんの心は穏かではないでしょう。
会員から集めたお金で、安い輸入材料でこしらえた墓地を再び会員へ売りつけるという、そんなお墓で成仏ができるのでしょうか?
私は、お墓には執着はないのですが、どこかの国の軍人墓地に見られるような、同じ形、同じ大きさ、同じ色、等々の企画品は望みません。
自分の身内のお墓は、小さくても、値段が安くてもいいのです。一番大切にしたいことは、家から近いところに、心の籠ったものにしてあげたいのです。
どこからともなく聞こえてくる、既成仏教の「戒名料」50~100万円のお話しは狂っています。
しかし、創価学会の財務3ケタ、並みでない購読料、家庭崩壊と子供の犠牲等々、のお話しも狂っています。一般常識では考えられません。
池田先生の先行きが見えず、座して職を食む人間ほど、局面において動揺と混乱が大きいのでしょうか?
みっともないというか、人間として汚いというか、人生の終末を迎えて慌てふためいても、人の道を外れたことをしてきていて、自分だけが救われようなんて、虫がよすぎることで、できる筈もないでしょう。
プロフィール
HN:
本名:髙倉良一(たかくらりょういち)
性別:
男性
職業:
大学教員
趣味:
思索と散歩と映画鑑賞
自己紹介:
HN:希望
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
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