20120224
■[しごと]「ゴミだな」が出現するとき
http://blogs.itmedia.co.jp/magic/2012/02/post-fef7.html
読みました。
ブコメでなんか書こうかと思ったんだけど、入りきらないので。
これねー、けっこうおもしろいですね。いい極論だと思います。まあなんつーか極論なんですけども。
原理的にはこのとおりだと思います。原理的にってのは、現実的運用には注意してねって話でもあります。
まずはあれですね。今日のシフト中の話から始めますか。
いまちょうどシフトの休憩中で、なんとなくはてなのトップページ見たら、上記リンク先の記事を見かけたんで、その勢いでこのテキスト書いてるわけですが、その前は、一緒に入っている女の子のバイトにフェースアップっつー仕事を教えておりました。フェースアップってのは「売れてへこんだ商品を前に出す」という仕事ですな。基礎的なことはすでに教えてあるわけですが、今日は発展編、というわけで、ちょいとややこしい説明をしておりました。
フェースアップっつー仕事は、基本的な部分ならだれでもできます。よんさいになったばかりのひなだってできるお。そっかーひなはえらいなーおいたん興奮してきたよ……。つまり、へこんだら前に出すだけです。とはいえ実際はそれだけでは済まないわけで、へこんだものを引っ張り出して「美しく」しなければならない。その美しくする方法ってのは、たとえば商品の角度をあわせるですとか、縦の列がずれないようにする、袋ものだったら袋のしわを伸ばす、なんてのがあるわけですが、その袋のしわの伸ばしかたにせよ決められたやりかたがあるわけです。定式化できる。
しかし、商品ってのは、売れたらかならず在庫が残っているというわけじゃないです。なかには売り切れてしまう商品だってある。デザートなんかがそうですな。欠品皆無なんて発注してたら、毎日かご2杯くらいの廃棄の山を前にしてレイプ目パーティーを開かなきゃいけないところです。
さて、以前俺が勤めていた会社の社長はよく言っていました。
「棚を見せるな。空気を売ってどうする。棚は商品を置く場所だ。隙間を作るな」
ごもっともです。フェースを拡大すれば、たとえコンマ以下の可能性とはいえ、それだけその商品が目につく可能性が増える。しかしですね、どの商品で埋めりゃいいのよと。隣の商品を2列にすればいい? いやいやそんな単純なことじゃないでしょう。上の段を見てくださいよ。なんか1列でぎっしり奥まで詰まってる商品あるじゃないすか。あれを2列にすれば、多少は売れる可能性上がるんじゃないすか? しかしそうは言いますが店長、下の段にも同様にぎっしり1列で奥まで詰まった商品があるわけですよ、こいつはどうしたらいいんですかね。
つまりですな、空いたたった1列分のフェースを巡って、うーん、んじゃパンの話にしましょうか。パン売場全体の構成を変えられる可能性があるかもしれない。パズルですな。箱入り娘を枠から出す木のパズルみたいなのがあったと思うんですけども、あんな具合に商品をあちこち入れ替えたりして「新しい」売場を作ることだってできるかもしれない。
これが定式化できるかっていうと、できないです。なぜって、毎日同じパンが残ってるとは限らないから。昨日と今日で売場を構成する商品がぜんぜん違うかもしれない。俺みたいに新商品ゴリ押しの売りかたする人が発注やってると、なおのことその傾向が強くなります。じゃあ2列にできる商品のうち、売上の高いものを最優先で増やせばいい? いやー見た目の問題もあるよね。パン売場全体の見栄えが上がれば、パン売場そのものに注目してもらえる度合いが上がる。そしたら、稼げるかもしんないじゃん?
「じゃあつまり、どうすればいいんですか」
バイトが聞きますな。
たったひとつのフェースの空きを巡って、選択肢はいくらだって出てくるわけです。そんで俺は答えます。
「ケースバイケース」
すげえ。なんの答えにもなってねえ。
コンビニの仕事は、業界最先端のシステムもあいまって、かなりの部分でマニュアル化されているわけですが、それにしたって、こういう「最後の最後は現場で判断するしかねえ」みたいな部分が多々あったりするわけです。
ここをどう教えていくか、という問題ですけども、実は正解なんかないんですな。正確には正解「らしき」ものはありますが、その「らしき」も、その日どういうお客さんが来るかとか、天候はとか、不確定要素があって断言はできない。俺はそこを長年の経験の積み重ねで「正解らしい」「不正解らしい」というようにバイトに伝えることができるんですけども、これ、言葉悪くするとつまりこうなるわけです。
「ゴミだな」
ここでようやくリンク先の話とつながりました。
ここまででなにが言いたいかというと「自由度が高いほど、最終的にはその場で仕事やってる人の判断に頼らざるを得ない場合が出てくる」ということです。ですから、もし「まったく定式化できない仕事」というのがあったとすれば、それはもう判断者が優れた鑑定眼を持っている、という前提において「ゴミだな」と言い渡すしか方法がない。おそらくはそれがクリエイティブとやらいう仕事ってことなんでしょう。
まあ文学なんか考えればわかりやすいですよね。おまえは今日から文学的な小説書けと。よくわかんないですけど、連れてきやすいところでしゅんたんをここに連れてきました。しゅんたん今日から文学とか書く作家な。俺先輩のちょうすげえ文学者だから。
ところが文学ってのはなんでもあり大会なわけです。およそ人間が認識しうるあらゆるものに関する暫定的な真実ですか、それに肉薄するための方法論ってのはいくらだってあるし、むしろその方法論の開発大会であるともいえます。
「じゃあえむけーつーさんなに教えてくれるんすか」
「えーと……漢字の書きかた?」
「はい。かんじれんしゅうちょう買ってきました」
「よし。じゃあ3ページ分を、乳っていう文字で埋めてみよう」
「えむけーつーさん、俺、そんなにおっぱい好きじゃないです」
「奇遇だな、俺もだ。つーか30越してから尻に移行するよね」
「しますね」
みたいな会話になるかどうかは知らないですが、素養みたいな部分を含めて、個人の資質に依拠する部分が極めて大きいため、方法論から手作りの状況では「作品に力があるかどうか」みたいな曖昧な部分でしか評価できなかったりする。あと判断する人の鑑賞眼の限界っていう問題もあります。
このような前提においては「ゴミだな」というのはアリだという判断になります。
もっとも俺自身は仕事を説明するにあたって、定式化できるならば限界までして、説明するタイプです。なにをどうやったって「隙間」っていうのは残るもので、そんなものは少ないに越したことはない。というのはまあ、俺がやってる商売が比較的それをしやすく、また24時間均質のサービスをあなたにお届け☆という業態だからなんだと思いますが。
しかし厄介なのは、この過剰なまでに親切な教育方針ってのが、絶対的に優れているとはいえないことです。というのは、説明して教育すれば、学習することが増えます。人によっては「わかりきったこと」がそこには大量に入ってくるわけで、これはまあ相手を見ててきとーに説明の速度を変えるわけなんですけども「ゼロから自分で考えたい」という人間は、かならず一定数います。業態上、それを許可するわけにはいかないんですけども、そういう人にとって、懇切丁寧であることはモチベーションを殺す結果になりかねない。
実は、俺が懇切丁寧な教えかたをする一方で、うちの奥さまは「ゴミだな」タイプの人です。
まず自分がやってみせる。それで「次からこのとおりによろしく」で終わる。
んで、次にやってもらって結果を確認。できていなければ「やりなおし」の一言で終わり。やりなおしてできていなければ「どうしてできないの?」と来る。
とことん教えるのに向いてない人なんで、基本的に教育はやってもらってないんですが、なぜこんなことになるかといえば、うちの奥さまみたいに極端にカンがいい人にとって、コンビニのバイト程度(とあえて言いますが)の仕事であれば「説明なんか受けなくても見てればわかる」程度のものでしかない。説明が必要な人の心理そのものが理解できない、ということになってしまう。さらにいえば、たとえばパンの納品が来て陳列しおえて、美しい売場を作るまでのプロセスは、うちの奥さまにとっては直結してるわけです。納品きたー、ならべたー、きれいになったー、終わり。それを実現するまでに技術や知識が必要なこと自体が理解できない。したがって実のところ説明すらできない、ということになります。教わる人がなにがわからないのかがわからないから。
あれなんですよね、俺「教える」ということは永遠に試行錯誤だと思ってるんです。変数が多すぎて定式化できない。教える側の問題、教えられる側の問題。まして仕事なんてことになると、まあ場合にもよりますけど「正解」すら曖昧な場合がある。となれば、決まった方法でやれると思うほうがおかしい、という話になります。白紙の状態の人間を一人前にする、ということであれば、唯一万能な方法は「ゴミだな」ということになります。判断者がまちがわない、という前提で。そして、ひょっとしたらただの一人もモノにならずに終わる、という結果を甘受する覚悟がある場合に限って。
どんな仕事にでもごく小さい「ゴミだな」はあると思うんです。各段階において教えられる人自身がいろんなケースに対応できる力を身につけるためにも。ただそれは万全を尽くしてそこまでの仕事を教えたうえでの話だし、手放しで「ゴミだな」が出るのは、教えられる人が本当に独力で仕事をしなければいけない場合のみなんじゃないかなーと。たとえば俺の場合なんかだと、二店目を開くとして、店長を任せる人材がいるとすれば「どこをどう改善するかは自分で考えろ」っていうことになる場合もあると思いますね。くどいようですけど、それが可能にする蓄積がなければこれは言っちゃだめです。
そう「こいつはこれよりいいものを提示してくれる」ということを信じられる状況でなければ、言えません。その信念の根拠になるものは、自分は教えられるだけ教えた、という自信と、あとは相手への理解。これだけでしょう。
そうそう言えるもんじゃねえと思うよ。