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社説

米NRC文書 日本政府の対応検証を(2月24日)

 米原子力規制委員会(NRC)が東京電力福島第1原発事故発生直後、どう対応するか話し合ったやりとりなどを記録した内部文書を公表した。

 東電や日本政府からの情報提供が不十分な中で、炉心溶融(メルトダウン)の可能性や日本にいる米国人の退避範囲を次々に判断している。

 当時の首相官邸や原子力安全・保安院などの対応を考えると、学ぶべき点が多いと言わざるを得ない。

 日米の最大の違いはこうした記録をきちんと残しているかどうかだ。

 日本政府は原子力災害対策本部をはじめ東日本大震災関連の10の対策会議で議事録を作成していなかった。これでは米国の対応と比較することさえできない。

 政府は未作成を反省し、出席者の記録を精査して議事録を早急に作るようあらためて求めたい。

 NRCが公開したのは震災発生から10日間の内部論議や電子メールのやりとりなどだ。録音から起こした文書もある。記録を残すための初歩的な対応を怠ってきた日本政府と対照的だ。

 議事録を読むとNRCはまず情報収集に全力を挙げている。その上で起こりうる事態を予見し、自国民保護を最優先すると決定した。

 さらに日本政府の原子炉復旧作業への支援、将来の参考に知見と教訓を集めることと優先順位が明確だ。

 具体的には首相官邸に専門家を常駐させたいと求め、日本政府に断られても集めた情報から炉心溶融の可能性を震災2日目に指摘している。

 6日目には「もはや日本の退避勧告に同調せず、第1原発から半径50マイル(80キロ)以内の米国市民に退避を勧告する」と決めた。一時は300キロ圏の避難も検討した。

 当時の日本政府の危機管理はどうだったか。

 炉心溶融しているかどうか保安院の説明は二転三転した。

 原子炉建屋が次々と爆発しても東電は原子炉格納容器は正常だと発表した。枝野幸男官房長官は記者会見で「放射性物質が大量に飛び散っている可能性は低い」と述べた。避難指示は半径20キロ圏までだった。

 国民の生命を最優先して最悪に備えることなく、事態を過小評価していたと言われても仕方あるまい。

 風向きなどから特に北西部に放射性物質が飛散することが文部科学省の緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)で分かっていたが、政府内の連携が悪く住民は知るすべがなかった。

 NRC文書には日本政府が支援申し出を当初断ったとの記述もある。

 なぜこうした対応だったのか検証しなくてはならない。

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