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ライフ
【宇宙からのメッセージ】小松左京と秘書のおかしな物語(2)
2012.2.23 08:17
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先生はシャイ!?
「だって怖そうだったもん」
小松左京さんのアシスタントとして一緒に仕事を始めたのは、1977(昭和52)年からだが、細かいことはよく覚えていない。
その年の3月、私が加藤秀俊さんの秘書をやめる際には、加藤教授は学習院大学東洋文化研究所の所長になっておられた。その時、加藤教授からハワイのイースト・ウェストセンターのように海外の日本文化研究者を広く受け入れるセンターにしたい。ついては大正文化研究をしたいといっている小松さんを客員研究員として迎えたい。そのアシスタントを探しているのであなたやりませんか? といわれたのだ。私はフルタイムでなければ、とお引き受けした。
当時私は27歳。5年間の社会経験でたっぷりとしごかれ、仕事の面白さも味わいながら、しかし、自分のライフワークを模索している時期でもあった。大学を卒業してから習い始めた長唄三味線や北欧絵織物などの世界にどっぷり浸(つ)かりたいという気持ちもあった。したがって、フルタイムではなくて、自分探しの時間も取りたい、という生意気でわがままな、しょうもない女の子ちゃんであった。
小松さんの年表を調べてみると、この年の5月は「宇宙塵二十周年イベント」、6月はクレタ、サントリーニに「アトランティス大陸の謎」というテレビ取材に行っており、実際に仕事を始めることができるようになったのは、9月以降だろう。それまでの間に、私は自動車の運転免許を取得し、弟と東京から北海道3分の1周の自動車旅行を敢行している。これでいざとなれば、タクシーの運転手をやって生きていけるぞ、という浅はかな考えを持ったことを、思い出す。
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