2012年 02月 26日
愛の対極にあるもの
ホメオパシーの仕事をするようになって、身に着いたことが一つあります。
人の言葉の逆を考えるようになったことです。 それは「真意」を測る、というのとは少し違います。 クライアントさんの言葉を文字通り真逆に考えるのです。その言葉はクライアントさん自身も気づいていない感情の発露であることが多いので、隠された「真意」とはちょっと違うのです。 たとえば、ある人が自分の母親について「憎んでいる。殺してやりたいくらいだ」と言った場合、それをどう受け取るか? この場合、「愛している。どうしようもないほど大好きだ」と思っているのだと言葉を真逆にして受け止めるのです。 ”愛憎表裏一体”という言葉がありますが、まさにそれですね。 「憎しみ」は相手に強い関心がなければ生じません。強い関心を持っている相手に自分の感情をストレートに伝えられない、または伝えても受け入れられなかった場合に生じる感情です。 愛も憎しみも相手に強い関心があるからこそ起きるもの。その意味では、ベクトルの方向が違うだけで同一線上にある感情と言えるかもしれません。 このように一見相反するように見えても、実は同じものが反対の方向を向いていることをポラリティと呼びます。 このポラリティは至るところに見られます。たとえば、美しいと醜い、強いと弱い、小さいと大きい・・・世の中はすべてポラリティで成り立っていると言っても過言ではありません。 このように物事を二分して考えるのは左脳の働きによるそうです。左脳は論理性を司るため、すべてを二分化して見る傾向を生じさせるのですね。 ****** ******* ****** ******* さて、話しは変わりますが、以前、半分に切ったジャガイモをグラスに入れて発芽の様子を見る実験をしたことがあります。 グラスを3つ用意して、その内の2つに「愛」「憎しみ」と書いたラベルをそれぞれ貼り、残り一つには何も貼りませんでした。 そして、ジャガイモの発芽の様子を観察したところ、一番早く発芽し、勢いのあったのが「憎しみ」のジャガイモでした。でも、葉も茎も細く、全体の色も冴えませんでした。 それに対して「愛」のジャガイモは、発芽のスピードはゆっくりでしたが、葉も茎もしっかりしていて緑も濃く、”よく育った“感がありました。 最後のジャガイモはラベルを貼らなかっただけでなく、目の届かないところに置き、実際に目をかけることもしませんでした。このジャガイモは、一番発芽が遅く、葉も茎もヒョロヒョロと貧弱で、すぐに萎れてしまいました。 この実験を通じて、人間だけでなく生物にとって一番辛いのは、存在を”無視される”ことなのだと知りました。 愛の対極にあるものは、結局、憎しみではなく、”無視すること”なのでしょう。 クライアントさんが誰かのことを「憎い」「殺してやりたい」と話すのを聞くと、その表現の強さに一瞬怯みますが、それも一種の愛情表現と思えば、何のことはありません。クライアントさんとその方が関係を修復する可能性は十分にあるからです。 そして、実際にホメオパシーによって関係が修復されていった例は枚挙にいとまがありません。 Commented by むむむ at 2012-02-27 09:00 x 「嫌い嫌いも好きのうち」、人間の感情は不思議ですよね。可愛さ余って憎さ100倍というのもあるし。。。自分でも持て余す強い感情、少し離れたところから眺める余裕をレメディーがもたらしてくれた経験があります。
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