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“お東紛争”の結末は?43年に及ぶ確執、最後の法廷闘争…28日に判決 

産経新聞 2月25日(土)21時13分配信

“お東紛争”の結末は?43年に及ぶ確執、最後の法廷闘争…28日に判決 
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東本願寺で昨年4月に行われた、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要。“お東紛争”に終止符は打たれるか=京都市下京区(写真:産経新聞)
【関西の議論】 日本有数の仏教教団である真宗大谷派(本山・東本願寺)と、宗祖親鸞の血筋を引く大谷家による“お東紛争”が、2月28日に言い渡される民事訴訟の京都地裁判決で、最終章を迎える公算となっている。現門首の兄が理事長を務める本願寺維持財団(本願寺文化興隆財団)に対し、同派が200億円の返還などを求めた訴訟で、法廷に持ち込まれた紛争の中では実質的に最後となるためだ。43年間にも及ぶ確執には、どんな背景があったのか−。

 ■43年前の火種

 真宗大谷派は、親鸞から数えて第24代のトップに当たる前門首、大谷光暢(こうちょう)師の時代に混乱を極めた。

 話は昭和44年にさかのぼる。宗門の最高権威である「法主(ほっす)」だった光暢師が、真宗大谷派の管長職だけを長男の光紹(こうしょう)師に譲る−と突然、表明したのだ。

 宗派関係者によると、当時、宗派の管長職と東本願寺の住職は、大谷家の当主である法主が兼ねるならわしだった。光暢師の表明は一方的でもあり、同派は「認められない」と反発した。

 なぜ、そうした事態になったのか。当時を知る関係者は少なくなったが、真宗大谷派の公式見解では「利権を狙う第三者の介入があった」となっている。

 ■地検が捜査

 実際、光暢師は福祉施設の建設などの大型事業を次々に計画し、約束手形の乱発や財産の売却を独断で進めていた。寛永18(1641)年に将軍、徳川家光から寄進され、池泉回遊式庭園として名高い飛地境内の「渉成園」(京都市下京区)も、宗派の手続きを経ないまま売却されていたという。

 真宗大谷派は背任罪で光暢師を告訴。昭和55年には、京都地検が関係先を家宅捜索する事態にまで発展した。当時の混乱を取材した毎日新聞記者、田原由紀雄氏は、著書「東本願寺三十年紛争」(白馬社)でこう記している。

 《「皇室と縁続きの大谷家に捜査のメスが入れられるはずはない」という世評を吹き飛ばすとともに、事件の真相解明にかける地検の断固たる決意を示した形であった》

 これが引き金となり、事態は急展開した。両者による「即決和解」だ。真宗大谷派が刑事告訴を取り下げ、光暢師らがつくった債務をすべて肩代わりする見返りに、光暢師側が、東本願寺住職の地位などを宗派に移す−などの内容だったという。

 即決和解に基づき、真宗大谷派は翌56年、最高権威だった「法主」を、僧侶と門徒を代表する「門首」という象徴的存在に改めるなど、抜本的な制度改革を行った。「渉成園」も後に買い戻し、現在は東本願寺の飛地境内に戻っている。

 ■4人の跡継ぎ

 いったん終わったかに見えた“お東紛争”が再燃した背景には、後継者争いという側面もあるようだ。

 光暢師には4人の男子がいた。本来、跡を継ぐべきだったのは長男の光紹師だが、宗派を離脱。次男の暢順(ちょうじゅん)師、四男の暢道(ちょうどう)師(後に光道と改名)も相次いでたもとを分かち、3人とも、別々の宗教法人を設立してしまった。

 紆余(うよ)曲折の末、兄弟の中でただ1人、宗派に残った三男の暢顕(ちょうけん)師が、平成8年に門首を継承している。

 真宗大谷派と光暢師との間で始まった“お東紛争”は、この門首継承と前後して、暢顕師の兄弟に相手が変わり、財産の所有権などをめぐって数々の訴訟合戦を繰り広げてきた。最後に残ったのが、今回の訴訟というわけだ。

 今回、当事者となっている本願寺維持財団は、次男の暢順師が理事長を務めており、真宗大谷派は「最後の教団問題」という独特の呼び方で、訴訟を“お東紛争”の最終局面と位置づけている。

 ■「200億円」の土地

 訴訟はどういった内容なのか。

 訴えによると、財団は真宗大谷派の財務基盤の確立を目的に設立されたが、平成4年3月、管理していたJR京都駅前の土地約9700平方メートルを、同派に無断で不動産会社に売却した。売却額は公表されていないが、同派は「200億円を下らない」として、200億円の返還を求めている。

 駅側の一等地とあって、現在はヨドバシカメラの店舗が建っているが、元々はこれも徳川幕府から寄進された土地で、明治期には蛤御門(禁門)の変(1864年)で焼失した東本願寺を再建するため作業場として使われた歴史があるという。

 所有権は大正9年に、第22代法主の光瑩師から、財団に移転登記されていた。真宗大谷派は「土地は門徒の共有財産で、財団に信託していた」などと主張。財団側は「土地は光瑩師個人から寄付された」などと真っ向から反論している。

 ■史上初の大事業

 提訴は土地売却から18年余りが経過した平成22年7月。“お東紛争”をめぐるほかの訴訟は、実はそれまでに終結しており、他宗派の関係者は「いまさらという感は否めない」と冷ややかだったが、真宗大谷派には抜き差しならない事情があった。

 23年に営まれた親鸞の七百五十回御遠忌法要に合わせ、真宗大谷派は現在、東本願寺の大規模修復を進めている。世界最大級の木造建築とされる御影堂と本堂の阿弥陀堂などを、再建後初めて全面修復するという大事業で、これにかかる費用が、総額200億円以上にのぼるというのだ。

 真宗大谷派にとっては、「財務基盤の確立」を目的とする財団側がこのタイミングで助成しなければ、いつ助成するのかという強硬論に傾くのは必然ともいえる。宗派関係者は「強硬に請求しなければ、僧侶や門徒に示しがつかなかった」とも明かしている。

 真宗大谷派は「最後に残った教団問題(お東紛争)に終止符を打つ覚悟で臨んでいる」。財団側は、産経新聞の取材申請に「しかるべき時点で、必要があれば対応する」としている。

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最終更新:2月25日(土)21時13分

産経新聞

 

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