HISTORY
1971年
韓国南部の港町モッポ木浦で、両親ともにアナウンサーという家庭の次男として生まれる。
2つ年上の兄の影響で聴いたレッドツェッペリン『天国への階段』に衝撃を受け、ロックを自分の道として選ぶ。高校在学中、各種コンクール/歌謡祭にエントリー、受賞する。
1990年
大学進学を機会にソウルに上京。
大学生のみエントリーできる歌手の登竜門『MBC大学歌謡祭』にて銅賞受賞。
発声法などを専門的に学んだことはなく、洋楽をひたすら聴き、聴こえた通りに歌うという方法で、下宿で布団をかぶって練習した。デビュー後に音楽大学の声楽の教授から「彼は我々と同じ発声ができている」とほめられたのが嬉しかったという。
1995年
1集『最後の祈り』を発表するが(94年末)、ロックにこだわったため所属事務所に干される。
先輩ロッカーのコンサートでゲストとして細々と歌い続け、やがて、主役を食ってしまうほどの歌唱力がクチコミで知られていく。
1996年
(株)ライブクラブの招きにより、"LIVE1"にて初単独ライブ。その頃、80年代の人気歌手だったキム・ハンネ(当時イェダン音響理事)に見いだされ、事務所移籍が実現する。
1997年
2集発表、ロックバラード「ぼくを悲しませる人々」「禁じられた愛」が空前の大ヒットとなる。
KBS(韓国国営放送)歌謡ランキング番組で、放送コードに長髪がひっかかり、髪を切れと要求されるが、「なら出なきゃいい」と1位を目前に出演辞退する。
2度にわたる全国ツァーでは韓国の公演連続ソルドアウト記録を更新する。
1998年
3集発表、全国ツァー。「ロックの大衆化」を標榜し、ロッカーとして初めて格式ある世宗文化会館での公演を実現する。
その後、英国のHM/HR専門誌『HardroxX』(vol 41)ほか西欧メディアでも取り上げられ、バラードからハードロックまで歌いこなす歌唱力が、知る人ぞ知る存在となる。下山武徳、高谷学、Tommy Heartほか日本・欧米のミュージシャンが称賛の声を送るボーカリストでもある。
1999年
4集発表、二度の全国ツァー。人気歌手70名がノーギャラで参加・合唱した『NOW'N NEW』(チャリティアルバム)にて、高音ソロを担当する。長髪問題再燃...KBS音楽番組収録中、自分は放送コードのため髪を結ばされているのに共演オペラ歌手は長髪が認められているのを見て、ロックの社会的地位が低いことに憤慨。ステージで髪をほどいて歌い、収録中止となる。彼は「時間がかかってもロックの地位向上のために努力していきたい」とインターネットを通じて訴えた。
2000年
5集発表、全国ツァー。女性ジャズロックシンガーイウンミ李銀美とのジョイントコンサート中に足首の靱帯を伸ばす事故(全治4ヶ月)にあうが、痛みに耐えてそのまま1時間、予定通りコンサートを続行。入院治療のために事故翌々日の予定はキャンセルしたが、4日後からは「ファンとの約束は破れない」と松葉杖をついて地方のロックフェス・イベントをこなす。
KBSのライブ番組収録中に、局側がキム・ギョンホへの長髪規制措置を撤回する。
エンディングを飾ったアジアロック・フェス(昌原市)の模様が日本・NHK-BSで放送される。
2001年
6集『the LIFE』発表、全国ツァー。プロモーションビデオの主演に、人気俳優リュ・シウォン(ドラマ『美しき日々』出演、後に「韓流スター」)と、韓国デビューした日本の女優・久我陽子を起用し、話題となる。「BURRN!」「K-POPSTAR」(3号)にインタビュー記事掲載。故・李秀賢さん(JR新大久保駅事故)追悼・奨学金募金コンサート参加。ツァーではロックにこだわらず、一般歌謡・懐メロまで幅広い分野の音楽を積極的に歌い消化する試みを行う。
2002年
パーカッショングループ「トッケビ・ストーム」とジョイントコンサートを行ったほかは、1年間の休養・充電期間をとる。
2003年
ハード・ポップ・アルバム7集『OPEN YOUR EYES』を発表。「孤高のハイトーン・ロッカー」というイメージを薄め、親しみやすさにポイントを置いたアルバムを制作し、新たな一面を見せる。
2004年
「メロディアスなロックとバラード」という本来のスタイルに戻って、デビュー10周年記念アルバムとして7.5集『始作』を発表。
キョンホが10年来、兄と慕う名ギタリスト・イヒョンソク(Lee Hyun Suk)の全面協力のもと、新曲4曲、カバー4曲、ライブ4曲を含めた総17曲を収録した。
2005年
6月18日「ROCK TO THE FUTURE 2005 -日韓友好LIVE-」(クラブチッタ川崎)に、BOW WOWのゲストとして初来日し、「銀嶺の覇者」を歌って注目される。
この年からソウル総合芸術専門大学実用音楽芸術学部の兼任教授としてボーカルを教える。
(2008年には3大学に出講、2009年度からは2大学になる)
2006年
ハード・ポップ・アルバム8集『UNLIMITED』を発表し、LOVERBOY「Working For The Weekend」のほか、初めてJ-POPから杏里「Summer Candles」、TUBE「君となら」のカバーを収録する。
この時、難病・大腿骨頭壊死症が発見され、8集のプロモーション活動を中止する。物理治療に専念する中で、10月21日、LIVE EXPERIENCE2(高田馬場Club 1ne 2wo)に自身のバンドを引き連れて参加する。
2007年
1月12日日韓合作映画「あなたを忘れない」プレミアムコンサート(日本武道館)に自身のバンドと共に参加する。足の治療をしつつ、9集アルバム『INFINITY』を発表する。ROCKがますます難しくなってくる韓国市場において、韓国ではバラードからソフトロックをメインに発表し、ハードロックは日本に活動の場を求めるという戦略をとる。9月に中・韓・日放送プロデューサーフォーラム祝賀公演(中国天津)に参加、出演したMstar新星道という番組は天津TVで一ヶ月放送されたという。12月11日Mstar JAPAN LIVE(六本木 Morf-tokyo)に招待歌手として参加する。
2008年
2月より9集アルバムの全国ツァーを開始し、5月には、かつて無名時代に先輩のゲストとして歌っていたソウルのライブ街・大学路で、「キムギョンホ、故郷に錦を飾る」というタイトルの三日連続コンサートを成功させる。
5月3日東京・草月ホール、5月5日大阪AMホールに招待歌手としてMSTAR JAPANイベントに出演する。物理治療の合間に、法務省・保健省のキャンペーンソングを歌い、法務省の曲「君を守ってあげる」はデジタルシングルとして発売された。
日本のTVアニメーション『銀魂』の韓国版主題歌「疾走」をデジタルシングルとして発表したほか、作曲家パク・チョンシクのプロジェクトアルバム『Emp』(非売品)に「献身」(YANのカバー)を歌い、新人ラップグループThe Memberのアルバム(未発売)のため「天使よ」という曲で新人女性歌手ホン・チェリンとデュエットするなど、積極的に活動した。
しかし物理治療でも足の状態は好転せず、コンサート活動にも支障をきたすことから、とうとう8月に手術を決意する。2か月のリハビリを経て、完治を見ると10月から全国ツァーを再開し、12月恒例のロック・クリスマスを4年ぶりに実施する。
2009年
1月、KBS-TVアニメ『META JETS』主題歌「Fly Away」を歌う
3月14日より全国ツァーを再開。
4月、構想4年、ついに5曲入りミニアルバム『Chapter Zero』をbitレーベルよりリリース。
木下昭仁作曲の新曲「Too Hard Too Furious」「Still Wanting You」に、本人の代表曲「ぼくを悲しませる人たち」「ネゲロワ」をアレンジ、愛唱曲「Reach For The Sky」(FIREHOUSE)を加えた5曲で日本デビューする。
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