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殺人の責任「まだ取り切れず」 連合赤軍元メンバーらが追悼の会 02月26日(日)

連合赤軍事件の犠牲者らを追悼する会で、当時の状況を振り返る「残す会」の雪野さん=25日、東京

 仲間12人をリンチ殺害の上、1972(昭和47)年2月に北佐久郡軽井沢町の「あさま山荘」に立てこもり警察官ら3人を射殺した一連の連合赤軍事件から40年となるのを機に、元連合赤軍メンバーらが25日、東京都内で犠牲者らを悼む「殉難者追悼の会」を開いた。

 70人余りの出席者で黙とう。リンチ事件に関わり懲役20年の刑を終えて出所した元メンバーの植垣康博さん(63)は「私自身が殺してしまった仲間のためにも、少しでも恥ずかしくない生き方をしたい。当時の問題をしっかり捉え直し、今、日本が苦しい状況にいる中でその問題を生かすことを何らかの形でやっていきたい」と述べた。

 元京浜安保共闘のメンバーで会を主催した「連合赤軍事件の全体像を残す会」の雪野建作さん(64)は個人的な見解とした上で、あさま山荘事件の銃撃戦で3人の犠牲者が出たことを「非常に残念なこと。われわれは戦争のつもりでいた。仲間がその前に警官から射殺され、憎しみの連鎖が事件につながった」と振り返った。

 事件当時は獄中にいた元赤軍派議長の塩見孝也さん(70)は「まだ責任を取り切れていないと思う。殺さざるを得ない羽目に陥った人にも思いをはせながら生きていきたい」と述べた。

 会では、連合赤軍統合前の京浜安保共闘によるリンチ殺害事件の犠牲者の一人で上伊那郡辰野町出身の向山茂徳さんらも追悼。向山さんは諏訪清陵高校卒業後に上京、闘争に加わった末に、都内で20歳の時に殺された。連合赤軍事件に関する著作もある編集者の大泉康雄さん(63)は取材に「向山さんは繊細な文学青年だった」と話した。


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