満州事変の発端となった柳条湖事件(1931年9月18日)からまもなく80年。アジア全域を巻き込んだ太平洋戦争での日本の加害と被害は、日中両国で映画のテーマとなり続けている。今夏注目を集めたのは、南京事件とシベリア抑留を取り上げた作品。8月21日に国内で初めて一般上映された中国映画「南京!南京!」の陸川、公開中のドキュメンタリー「帰還証言 ラーゲリから帰ったオールドボーイたち」のいしとびたまの両監督に話を聞いた。
◆中国映画「南京!南京!」
1937年12月、日本軍による南京占領に際し、抵抗を続ける国民党兵士との戦闘シーンから始まる。捕虜となった兵士の大量虐殺。住民保護のために外国人が設置した安全区内にも残党兵の掃討が及ぶ中で、女性への暴行事件が相次ぐ。武力を背景に日本軍は慰安所開設のため中国人女性を強制的に募る。一方、ある日本軍兵士は次第に疑問を抱き始め、中国人の捕虜を解放した後に拳銃自殺を図る。モノクロ、133分。
この映画は09年4月に中国で封切られた。最初の10日間で1億元(約12億円)を売り上げるほどの反響があった。評価してくれる声がある一方で、漢奸(かんかん)映画(「敵の手先」の意)だという激しい反対意見もあり、「殺す」と脅すメールも来た。あまりにも反響が大きかったため、上映は20日間で中止になった。
その後、米国でも上映され、好意的な反応が中国でも報じられるようになると、批判的だった人たちの中からももう一回見てみようという変化が出てきた。ただ、南京事件は中国人にとってあまりに大きく、深い傷として残っている。被害者の遺族、家族は生きており、私の映画を受け入れ難いことは理解できる。
そもそもこの映画は、南京事件をめぐる日本人と中国人の関係を取り上げてはいるが、人間と戦争の関係を描くことが狙いだった。映画の製作にあたり旧日本軍の兵士が中国に残した日記や手紙をたくさん読んだが、そこに書かれていたのは、昼間は残虐な行為をする兵士であっても、夜になって日記や手紙を書くときは良き夫、父親としての姿だった。戦争がなかったら普通の家庭の一員だったかもしれない。大きなショックを受けた。私が受けた教育や知識の中の日本軍の兵士は残虐であり、人間ではなかったからだ。戦争で変えられたのだと気づいた。
戦争にはそういう普通の人々をおかしくしてしまう恐ろしさが潜んでいるように思う。南京事件から70年以上が過ぎた今なお、中国人の心の中には日本に対する恨みはある。だが、長い人類の歴史を見ればいずれの国家も戦争を起こす可能性はある。恨みとは違った形の、戦争に対する反省が必要なのだ。
いろいろな史料にあたって史実に基づいて作ってきた。中国現代史では南京戦で国民党軍は日本軍に抵抗していないことになっているが、史実としては抵抗はあった。いろいろな角度から人間を描いたつもりだ。この映画は生まれた後、世界のいろいろな所を旅したが、その終点は日本だ。多くの日本人に見てほしいと願っている。【臺宏士】
◆「帰還証言 ラーゲリから帰ったオールドボーイたち」
前編(70分)と後編(90分)に分かれ、前編では抑留経験を持つ70~90代の男性31人が終戦後、旧ソ連領内に連れて行かれた経緯について語っている。証言者は元軍人だけではなく民間人もいて、連行当時にいた場所はさまざまだ。1945年8月に武装解除され、翌9月に入って「日本に帰れる」という話で貨車や船に乗り込んだり、歩いて移動したケースが多い。後編は過酷を極めた抑留生活についてまとめられた。
数年前、京都市内の神社で、満州(現中国東北部)からの逃避行をうたった女性の歌碑と、シベリア抑留生活を詠んだ男性の歌碑が並んでいるのを見つけた。以前、学徒動員で満州に連れ出された女学生たちを取り上げた作品を製作したことがあり、歌碑を見て満州とシベリアが結びつき、シベリア抑留についても考えるようになった。20代のころ、シベリア地方を旅して抑留者の墓地などを訪れた経験があって、少しながら土地勘もあった。
「満州という広大な土地で、大の大人が何十万人も、いくら軍隊にいたとはいえ、なぜ抵抗できずに抑留されたのだろう」。そんな疑問が浮かんだ。戦後65年以上経ても、まだ解明され切れていない謎である。
「今ならばまだ存命で、お話しいただける方もいらっしゃるのではないか」。そう思って元抑留者による証言を集め始めたのが08年4月。翌年4月までに取材した元抑留者は31人に上った。北は旧ソ連のマガダン、南は黒海近くなど、別々のラーゲリ(収容所)にいた人たちに、主に終戦時の動きを聞いた。しかし、作品ができあがったいまも、「謎」の答えは明らかにならなかった。
ただ、取材する中で、抑留は当時の国際情勢や国家間の関係などが大きく作用して起きており、個人の意思を超えた何かがあるのではないかと感じるようになった。疑問はさらに深まったが、それだけに背景の大きさを感じる。
この映画には、初めて聞くような話が多く出てくると思う。長い年月を経て、「今だからこそ話せる」時期なのだ。だからこそ、できるだけ多くの人から証言を今後も集め、浮かび上がる事実を見極めたい。映画に登場した31人のうち、すでに7人が亡くなった。元抑留者の高齢化が進んでいる。「今聞いておかないと」と強く感じている。
元抑留者の中には帰国後、「アカ(共産主義者)」などといわれのないレッテルを貼られ、就職難に陥るなどの差別を受けた人も少なくない。長年、家族に抑留の実態を話せなかった人もいる。この映画が多くの人の目にとまり、シベリア抑留という歴史の事実を身近な問題として考えるきっかけになればうれしい。【吉永磨美】
毎日新聞 2011年9月3日 東京朝刊
岩手県・宮城県に残る災害廃棄物の現状とそこで暮らす人々のいまを伝える写真展を開催中。