上唇と上あごがくっつかないまま「口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)」の状態で生まれた岐阜県各務原市の稲葉啓太さん(20)は、2歳までに、主なすき間を閉じる手術を受けた。
手術のあとも、啓太さんの上唇には傷あとがあり、鼻も変形していた。上あごの前方の骨がある硬い部分には、形成不全によるすき間が、生まれたときのまま開いており、樹脂製のプレートでふさいでいた。
「一人でも多くの人に、啓太のことや口唇口蓋裂のことを知ってもらいたい」と、母のなつるさん(51)は考えた。小さい頃から啓太さんを連れて、友人や近所の人と自然に話をしてきた。口唇口蓋裂のことを中傷されたことはなかった。
2歳のとき、啓太さんは保育所に入った。保育所側は当初、「集団の中で特別に手をかけられない」と、入所に難色を示した。しかし、申込書に「特別な配慮はいらない」と書くことで、やっと入所が認められた。以来、給食やおやつの後にプレートをはずし、自分で洗うのが啓太さんの日課になった。
小学校に上がると、プレートを見たことがない新しい同級生たちは「それ何?」と、何度も聞いてきた。そこで毎年春、みんなの前でこう話した。
「ぼくは口唇口蓋裂なので、口にプレートを入れています。給食の後に洗います。時々、病院にいくので早退します」
嫌なことをいう子は同学年にはいなかった。街で出会った人や違う学年の子に、顔の外見のことをあげつらって言われたことはある。しかし「何か言ってるな」と聞き流してきた。
なつるさんは「きゃしゃで消極的で優しすぎ。いつも友だちの後ろにいる子」だった啓太さんが心配だった。しかし5年生のときに卒業式のピアノ伴奏者に選ばれて以来、啓太さんは少し積極的になり、自分の主張もできるようになっていった。
啓太さん自身は「マラソンが得意で、勉強も負けていない」と思っていた。口唇口蓋裂を気にすることなく、学校生活を楽しんでいた。
小学校の高学年に差しかかると、歯列矯正をどう進めるかが次の課題になった。啓太さんは歯の成長が遅く、乳歯が中学生になっても残っていた。
※ 「患者を生きる」は、2006年春から朝日新聞生活面で連載している好評企画です。病気の患者さんやご家族の思いを描き、多くの共感を集めてきました。
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