「男の子だあ。おしっこかけられた!」。妙にはしゃいだ助産師の声が分娩(ぶんべん)室に響いた。
岐阜県各務原(かかみがはら)市の小学校教諭稲葉(いなば)なつるさん(51)は1992年1月29日、第2子の啓太(けいた)さん(20)を、自宅近くの総合病院で出産した。
赤ちゃんと会う前に、なつるさんは医師らから「手術をしなければいけない」と聞いた。なぜか、育児書で読んでいた「口唇(こうしん)口蓋裂(こうがいれつ)」が頭に浮かんだ。
胎児の上唇や上あごは三つの部分が組み合わさってできるが、それらがくっつかないまま生まれることがある。3時間後に対面した啓太さんには、上唇の左右に2カ所と、口の中の上の部分(口蓋)に、形成不全によるすき間があった。重い口唇口蓋裂だった。
なつるさんにとって、口唇口蓋裂の子どもを産んだことはショックではなかった。
当時は知識が乏しく、「手術で閉じれば終わり」と思っていた。「『しょうがい』の有無は人間の価値と無関係だ。そう考える社会になればいいな」と、日頃から考えていたからかもしれない。
あまりにケロッとしているなつるさんの姿を見て、助産師や家族も不思議そうだった。
啓太さんは翌日、同県大垣市の市民病院に転院した。口唇口蓋裂の子どもは心臓など他の臓器の成長も不十分なことが多いためだ。精密検査の結果、合併症はなかった。上あごのすきまを覆う器具をつけ、2週間後に退院した。
最初の手術は生後7カ月。上唇のすきまを閉じた。愛知学院大歯学部(名古屋市)の河合幹(かわい・つよし)教授(当時)らが執刀した。
2歳になった直後、河合さんは、のどの奥にある軟らかい部分の粘膜だけを縫い合わせた。上あごの前方の骨がある硬い部分を手術すると、上あご全体の成長を邪魔するため、時間をおいてすき間を閉じることにした。「2回法」という手法だ。
最小限の閉鎖手術は終わった。しかし、口唇口蓋裂のことを本で調べたり、自助グループ「たんぽぽ会」で勉強したりしているうちに、なつるさんは、発音やかみ合わせの悪さなどの課題と根気強く、付き合っていかなければならないことがわかった。(斎藤義浩)
※ 「患者を生きる」は、2006年春から朝日新聞生活面で連載している好評企画です。病気の患者さんやご家族の思いを描き、多くの共感を集めてきました。
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