寅「川が流れております。岸辺の草花を洗いながら、たゆまず流れ続ける川を眺めますと、何やら私の心まで洗い流されるような気がしてまいります。そうしていつしか思い起こされるのが、私のガキの頃のことでこざいます。私は川のほとりで生まれ、川で遊び、川を眺めながら育ったのでございます。祭りから祭りへの、しがない旅の道すがら、綺麗な川の流れに出会いますと、ふと足を止め、柄にもなく物悲しい気分になって川を眺めてしまうのは、そのせいかもしれません。今頃、故郷に残した私の肉親たち、たった一人の妹さくら、その夫の博、息子の満男、おいちゃん、おばちゃんたちはどうしているのでございましょうか・・・そうです。私の故郷と申しますのは、東京は葛飾柴又、江戸川のほとりでございます」
第44作『男はつらいよ 寅次郎の告白』(1991年12月21日公開)より
「満男シリーズ」ともいうべき新展開の三作目となる、第44作『男はつらいよ 寅次郎の告白』が公開されたのは、平成3(1991)年の年末でした。この年の1月1日には、東京23区の電話番号が10桁になり、ビジネスマンだけでなく、若者たちがポケットベルや携帯電話を持つようになって、コミュニケーションのスタイルが大きく変わってきました。若者たちの恋愛も、それこそ第1作の博やさくらたちの頃と様変わりしていました。
ちなみにこの年の映画興行では、1位『ターミネーター2』、2位『ホーム・アローン』、3位『プリティ・ウーマン』といったハリウッド映画が上位を占めていますが、第8位には前作『男はつらいよ 寅次郎の休日』と『釣りバカ日誌3』の二本立てがランクインしています。つまり、バブル経済がはじけて、若者文化が大きく転換しても、オールドスタイルを固持し続けている、われらが「寅さん」が、アーノルド・シュワルツェネッガーや、マコーレ・カルキン、ジュリア・ロバーツと並んで、あらゆる世代の映画ファンを魅了していたことになります。
この頃の「男はつらいよ」の封切(もうロードショーと言ってましたが)初日には、有楽町の丸の内ピカデリーに、沢山のファンが駆けつけ、渥美清さんはじめ、キャストの舞台挨拶は、大変な盛況でした。ワイドショーでも「寅さんの初日」が大々的に放映されており、平成に入っての「満男シリーズ」は、若い観客層を巻き込んで、常に「旬の映画」であり続けていました。
さて、第44作『寅次郎の告白』は、及川泉(後藤久美子)が、高校の先生の紹介で銀座の楽器店に就職活動をするために上京してくるところから物語がはじまります。朝の諏訪家の描写、泉ちゃんが来るのでウキウキして愛想の良い満男。いつもは口喧嘩がたえない母と息子も、父・博も嬉しそうにしています。前作で柴又は泉にとって第二の故郷になったと書きましたが、さくらや博にとっても泉は、息子のガールフレンドというだけでなく、娘のような存在になっていることがわかります。ああ、泉ちゃんの居場所はここにあるんだな、ということが観客にも伝わり、微笑ましい場面となっています。
ならば、広い座敷で、みんなと食事をする方がいいだろうと、さくらの配慮で、くるまやで泉を歓待することになります。そこへ寅さんが帰ってくるのですが、そこまでのタコ社長やおいちゃん、おばちゃんの会話のテーマが「人手不足」。タコ社長は頼みの職人が辞めてしまって、ならばと三平ちゃん(北山雅康)を引き抜こうとして、おいちゃんに叱られます。ならば「寅ちゃんを雇って欲しい」とおばちゃんが提案。そこへ寅さんが帰ってきて、テキ屋も人材不足ということで、一日だけ「サクラ」になって欲しいと、三平ちゃんに白羽の矢を向けるのですが・・・
この冒頭のくるまやのシーンが、実に丁寧で、泉を囲んむ夕餉のひとときの「寅さんのアリア」から、タコ社長と寅さんの大喧嘩まで、ぼくらは「寅さんを観ている」という当たり前のことを実感できるのです。もちろんシリーズが始まって二十年以上も経ていますが、往時のような派手な動きはないにせよ、山田洋次監督の演出は、実にうまく、肝心のケンカは映さずに、声だけで、派手な印象を与えてくれるのです。みんなが元気でイキイキしている、そういう印象が、この冒頭の茶の間のシークエンスにあります。
寅さんも、くるま一家も、諏訪家も、みんなが暖かく泉を受け入れ、楽しいひとときが展開されます。別れ際、泉が寅さんに「今度はいつ会えるのかな」と聞くと、寅さんは「泉ちゃんがな、俺に会いてえなぁ、と思った時だよ」と優しく答えます。そうです。ぼくらも「寅さんに会いたいなぁ」と思った時に「男はつらいよ」を観ることで、心の屈託が晴れるような、悩みが解消されるような気分になるのです。こういうセリフを聞くと、車寅次郎というキャラクターが、時を重ね、作品を重ねてきて、まるで、守護天使のような存在になっているような気がします。
高校を三度も変わって、母親が水商売をしている泉にとって、高卒での就職は、なかなか厳しく、楽器店に同行した満男は、またもや、どうすることもできない自分の非力さを感じます。そして、名古屋へ戻った泉の「寂しさ」が具体的に描かれていきます。母・礼子(夏木マリ)を恋人(津嘉山正種)が送ってきて、そのことを受け入れがたい泉と一悶着。孤独を抱えた泉は、家出をしてしまいます。泉から満男に届いた一枚の絵はがきは鳥取からのもので、そこには「日本海が見たくて、鳥取に来ました。寂しい海が、私の寂しさを吸い取ってくれるようです。」とだけ書かれていました。これを読んだ満男は、矢も盾もたまらずに、泉を探しに、鳥取へと向かいます。
またしても「青春よ」です。思い立ったら即行動です。映画はここから動きだし、孤独な一人旅を続ける泉を主軸に展開していきます。鳥取県の倉吉市の白壁土蔵群を歩く泉。後藤久美子さんの美しさが際立つショットが続きます。泉が駄菓子屋でアンパンを食べていると、店のおばあちゃん(杉山とく子)がお茶を入れてくれ、「おばちゃん一人暮らしだから、遠慮はいらない」と晩ご飯を作ってくれることになります。
ここでおばあちゃんを演じているのが、テレビ版「男はつらいよ」でおばちゃんを演じ、第5作『望郷篇』の"三七十屋豆腐店"のおかみさんや、第35作『寅次郎恋愛塾』のアパートの管理人など、シリーズにしばしば出演してきた、杉山とく子さんというのがイイです。駄菓子屋の前には川が流れていて、子供たちが遊んでいます。時折、駄菓子屋にも子供がやってきて、彼らの"居場所"がここにあることが伝わってきます。ここが居場所を見失っている泉にとっての"癒しの場所"となっていくわけですが、さらに寅さんが、偶然通りかかって、泉と感動の再会となります。
その夜、泉が寅さんに、自分の心の屈託を打ち明けます。
泉「良かったら、ママが再婚すればいいの。それがママの幸せなら、私は祝福しなきゃいけないって。頭では思うんだけどね。心はそうじゃないの。嫌なの、不潔なの、汚らしいの、ママを見ていると」
寅「少しも悪くねえじゃねえか。泉ちゃんがおふくろさんのことそう思うのは、当たり前なんじゃないか」
泉「ううん、そうじゃない、絶対違う、ママを一人の女性として見ることが出来ないのは、あたしの心に何か嫌な汚いものがあるからなのよ。だから、あたし間違っているの」
泉は自分の気持ちをこう伝えます。「頭で判っているけど、心はそうじゃない」。これは寅さんがしばしば恋愛について、さくらに嗜められた時に、言った言葉です。山田洋次監督作「けっこう毛だらけ」でも、寅さんは初恋の頃からそうだったと告白しています。泉の正直な告白を受け、寅さんは「泉ちゃんは偉いなぁ」と、自分の出生の秘密、母親・お菊についての話を始めます。私生児だったこと、産みぱなしで母親が逃げてしまったこと、一生恨んでやろうと思ったこと・・・ でも泉の話を聞いて「あんなババアでも、一人の人間として見てやらなきゃいけねえんだって」と反省の弁を述べます。
こうして泉の心は癒されていきます。頼もしい"おじちゃま"とのひとときで、泉は笑顔を取り戻します。寅さんの"幸福力"です。そして満男との再会。楽しい三人の旅は、思わぬ展開となっていきます。
今回、満男と泉のテーマとして劇中に流れる徳永英明さんの曲は「どうしょうもないくらい」です。寅さんと別れ、二人で汽車に乗り、大阪へ向かう列車のシーンです。美しい日本海の風景、満男はそっと泉の手に、自分の手をのせ、泉はそっともう一方の手を満男にのせる。寄り添う二人の心と、徳永さんの歌声が見事にリンクして感動的なショットが続きます。寅さんなら、これも「青春よ」と言うに違いありません。
満男「おじさん、世の中でいちばん美しいものは恋なのに、どうして恋をする人間は、こんなに無様なんだろう。今度の旅でぼくがわかったことは、ぼくにはもうおじさんのみっともない恋愛を、笑う資格なんかない、ということなんだ。いや、それどころか、今のぼくには、恋するおじさんの無様な姿が、まるで自分のことのように悲しく思えてならないんだ。だから、ぼくはもう、これからおじさんを笑わないことに決めた。だって、おじさんを笑うことは、ぼく自身を笑うことなんだからな」
最後に流れる満男のモノローグです。「満男シリーズ」の素晴らしさは、やはり、青年の成長を描きながら、ぼくらが愛してやまない、車寅次郎という人物をこういう言葉で、きちんと表現して、改めて「寅さん」という人間について、気づかせてくれることです。
佐藤利明(構成作家/娯楽映画研究家)
2月27日(月)から3月2日(金)にかけての「みんなの寅さん」では、吉田照美さんと佐藤利明さんの「寅さん四方山話 三崎千恵子さん追悼・おばちゃん特集」、「寅さんご意見箱」、山田洋次監督作、倍賞千恵子さん朗読「けっこう毛だらけ」第28話「復讐Ⅰ」前篇と、盛りだくさんの内容でお送りします。お楽しみに!