単身避難 得られぬ安心 一時ホームレスに

2011年9月11日 14時20分

 福島第1原子力発電所の事故から半年。放射性物質への不安が消えない中、県内には、公的支援を受けた避難者のほか、避難対象地ではなく公的支援が得られない関東地域からの自主避難者も多い。夫を地元に残して避難する母子は、夫からの仕送りなどで生活を支えることができる半面、単身者の中には、生活費が底を突き、ホームレス状態に陥った避難者もいる。仕事も見つからず「働いていないのは苦しい。早くホッとしたい」と今もさまよい続けている。(與那覇里子)

 「逃げるべき」「大丈夫」。ことしの3月12日、インターネット上の短文投稿サイトでは、危険か安全かで意見が割れていた。

 派遣社員の小川隆男さん(37)(仮名)=東京都=は「誰を信じたらいいのか」と迷っていたが、信頼を寄せる知人の「関東もやばい。早く逃げろ」の書き込みに「安全だったら笑って過ごせるけど、危険だったら逃げるしかない」と決断した。

 当初は、東京から1カ月離れれば、放射能被ばくの危険性は低下すると楽観視していた。だが、「国や東京電力の情報が錯綜(さくそう)する中で、安全か危険かを見極めなければならなかった。本当のことは結局、誰にも分からない。でも死にたくない」。4月上旬、派遣の仕事を辞め、アパートも解約。貯金約50万とパソコン、洋服4枚を手に、大阪へ向かった。

 大阪の生活は、周囲に自主避難を理解してくれる人も少なく、人の目も気になった。それでも「インターネットで原発の情報を得るたびに怖くて落ち着かなくて、落ち込んでいった。つらかった」。可能な限り、原発から離れた場所で心を落ち着かせたいと6月下旬、沖縄にたどり着いた。

 青い空と海風が小川さんを穏やかにし、「定住しよう」と希望も湧いた。那覇市内の簡易宿泊施設で寝泊まりし、仕事を求めハローワークに毎日通ったが、職にありつけない。

 7月13日、とうとうハローワークの前が寝床に変わった。3食100円の蒸しパン。ホームレスになった。「人生すべて失った。でも家がなくても、国や東電がしっかりしない中、死ぬのは嫌だ」。避難に悔いはないが、資格や実務経験の乏しい者への就職の壁を思い知らされた。

 小川さんは現在、社会福祉士事務所「いっぽいっぽ」の支援ホームで生活。「裏切り者って言われるかもしれない。でも、沖縄で生きたい。働いたら、避難したくてもできなかった人の援助をしていきたい」と自身に言い聞かせ、気持ちを保っている。

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