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ふんばる 3.11大震災
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町を鼓舞「俺はやる」/鮮魚店社長・三浦保志さん=宮城県南三陸町

ボランティア仲間と物資の仕分けをする三浦さん(中央)。「寄せられた善意に感謝です」=4月23日、宮城県南三陸町志津川

◎救援物資の配送を指揮

 段ボール箱に入った救援物資が次々と届く。みそ、洗剤、化粧水、胴長。どれも被災者から「足りない」「必要」と要望のあった品だ。
 「今日も届けに行こう」。ハンチング帽をかぶった三浦保志さん(56)がボランティア仲間に号令を掛けた。
 被災地の宮城県南三陸町で、全国から寄せられた物資を行政を介さずに配る活動の指揮を執る。
 活動は4月初めに動きだした。拠点は同町志津川の高台にある倉庫。「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の現地窓口だ。必要な物資を被災者から聞き取ってインターネットで発信し、全国の個人・団体から提供を受ける。県内外から訪れるボランティアが携えて来る品々も貴重だ。
 「50人の避難所に物資が40個しかないと、行政は『不公平になる』と配るのをためらう。だが、配れば40人は助かる。残る10人には『ごめんね、また今度』と謝ればいい」
 こうした手法は被災者から「助かる」と好評だ。支援者にも「被災者の需要に直接応える仕組みだ」と共感を広げる。

 志津川漁港近くで鮮魚店「さかなのみうら」を営んだ。祖父の代から続く。名物のタコやカキなど、地元海産物がずらり。鮮度と安さ、社長の人懐こい接客が評判で、観光客の人気を集めた。
 津波で全て流された。父と妻、2男1女の一家6人、従業員8人が無事だったのが救いだった。
 「南三陸は漁業あっての町。誰よりも早く店を再開して復興を引っ張りたい」。そんな思いで3月末、鉄骨だけが残る店の前に看板を掲げた。
 「ふんばれ 南三陸町」
 大文字で書かれ、がれきの山と化した町で異彩を放つ。現地調査に来た東京の大学講師が目を留めた。救援物資が被災者に行き渡っているかどうかを調べているという。
 「物資は届いていますか」と尋ねられた。「大避難所には大量の物資があるのに、小避難所には届いていない」と答え、現地を案内した。「物を送ってくれるなら俺が届ける」と申し出てプロジェクトの発足につなげた。
 軽トラックのハンドルを握って町の隅々まで回り、物資を届け続けている。
 1カ月近くたち、物資が行き渡り始めたせいか、被災者から「ありがとう」と言われることが減ったと感じる。物資を提供してくれる支援者の反応も鈍ってきた。被災者からの謝意が薄れ、支援者の熱気も冷め、気持ちはくじけそうになる。協力してくれたボランティアに足代も渡せず、心苦しい。

 店の一帯は地盤が70センチ近く沈んだ。高潮のたびに足首まで冠水する。町は再生できるのか。不安は尽きない。
 それでも地元の魚を届ける商いをいち早く再開する決意は揺るがない。
 「避難者に物資を渡すのも、お客さんに魚を届けるのも、人に喜んでもらうことでは同じ。誰かが立ち上がらないと始まらない。俺はやるよ」
 ふんばれの看板は町を鼓舞しようと掲げた。
 それが自分の背中を押している。
(大泉大介)


2011年05月01日日曜日

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