ペ・ポンギさんについて語る金洙燮さん、賢玉さん夫妻=18日、那覇市の県男女共同参画センターてぃるる
沖縄戦中、旧日本軍の「慰安婦」にさせられ、戦後も沖縄で過ごした朝鮮半島出身のペ・ポンギさんをしのぶ「没後20年、ペ・ポンギさんを偲ぶ 戦時性奴隷『慰安婦』問題は今?」(NPO法人沖縄恨之碑の会主催)が18日、那覇市の県男女共同参画センターてぃるるであった。ペさんが亡くなるまで交流し支え続けた金洙燮(キムスソプ)さん、賢玉(ヒョクノ)さん夫妻が「人間的に尊敬できる人だった。平和のための闘いを続けてきた人だった」と思い出を語った。
ペさんは1944年にだまされて連れてこられ、渡嘉敷島の慰安所で1日20〜30人の日本兵の性の相手をさせられた。戦後も故郷には帰らず、県内で暮らし91年10月に那覇市内で死去した。
金夫妻がペさんと出会ったのは75年。当時のペさんは他人を拒否する状態。夫妻は行っては断られ、追い出され、心を開いてくれるまで3年近くかかったという。
夫妻との交流で、朝鮮戦争により故郷が分断されたことや、沖縄が朝鮮戦争の出撃基地だったこと、韓国に米軍基地があることを知ったペさん。賢玉さんは「沖縄県民が二度と戦争に加担したくないと基地や戦争に反対していることに感謝の気持ちを抱いていた」と話した。
洙燮さんは「ペさんは、分断され米軍基地があって支配されている故郷には行けないと大泣きしたことがあった」と語った。
賢玉さんは「70年代、80年代のペさんの踏ん張りが小さな火となり線となり本土の『慰安婦』に力を与え運動が広がっていった。ペさんは『統一した朝鮮に帰り、日本政府に賠償してほしい』と言っていたことを忘れないでほしい」と結んだ。
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