「シロではない。灰色とも見えるがクロとは断言できない」。裁判長が判決言い渡し後に被告に語りかけた異例の一言が、この事件の性格を物語っているようだ。
広島市西区で二〇〇一年に起きた殺人放火事件で、広島地裁はきのう、死刑を求刑されていた中村国治被告(37)に無罪を言い渡した。「捜査段階の自白に問題点が認められる」という理由だった。自白に頼るしかなかった捜査への警鐘とみるべきだろう。
中村被告は、母親を殺して放火し、自分の娘二人も焼死させたとして、起訴されていた。
事件直後の初動捜査では、警察は保険金受け取りなどの事実をつかみ、中村被告への聴取もした。しかし物証がなく、逮捕に結び付く決め手にならなかった。
ところが五年後、別の詐欺容疑事件で拘置中に、被告が「何が何でも否認しようと思っていたが、心境が変わった」と殺人放火を認め、逮捕される。しかし初公判になると、一転して「調書は作文だった」と容疑を否認した。
裁判では自白の信用性と任意性が争われた。判決は任意性については認め、信用性についても「放火した状況を詳細に語っている」と一定に認めた。
しかし捜査段階でライターの準備についての供述がなかったことや、動機が当初の自殺願望から死刑願望に変わり、さらには保険金目的に変わっていった経緯などについては不可解、としている。
そうした点を考え合わせた上で「犯人しか知ることができない事実についての裏付けがない」「具体的な供述も、捜査官との共同で作成されたという疑いを排除できない」と結論づけた。
これまで警察には自白偏重の傾向があったとされる。その弊害は、先ごろ被告全員に無罪判決が言い渡された鹿児島県議選をめぐる「公選法違反」事件などに象徴的に表れている。
今回は強引な捜査とは言えないかもしれない。ただ、自白さえ得られればいいという判断の甘さが捜査当局になかっただろうか。
自白が本人の意思にそってなされているか。密室で強要や誘導がされていないか。法廷でそれを判断するために提案されているのが、取り調べを録画したり、録音したりする捜査の「可視化」だ。無理な取り調べを減らすという抑止効果も期待されている。判決によって可視化論議がさらに進むことも望みたい。
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