お気に入り登録
|
ログイン
|
ブログを作る!(無料)
投稿内容
タグ
ブログタイトル
ウェブ全体
IE9ピン留め
トップ
世に倦む日日
critic5.exblog.jp
本と映画と政治の批評
by thessalonike5
アクセス数とメール
今日
昨日
since 2004.9.1
ご意見・ご感想
最新のコメント
右のtwitterご投稿..
by H.A. at 21:51
田原の仕切る番組だと誰が..
by 読者 at 20:33
仰る通りだと思います。日..
by liberalist at 21:56
論より証拠。 社会..
by シゲノフ at 18:07
〈私自身は、湯浅誠が言う..
by カプリコン at 22:07
予想どうり「ドロ船八策」..
by シゲノフ at 20:41
深く共感することの多いご..
by tajima at 00:05
本日初めて貴ブログに伺い..
by tomo at 22:54
2/4の朝、出張先に向..
by カプリコン at 00:10
最新のトラックバック
「時間」は箱より出て 踊..
from NY金魚
以前の記事
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
more...
since 2004.9.1
XML
|
ATOM
skin by
thessalonike5
光市母子殺害事件 - リーガルマインドの人格的理念型
本村洋の再婚問題がネットで話題になり、それへの賛否が論じられていた。無論、圧倒的多数派は、この報に接して安堵を感じ、本村洋が新しい家庭を持って後半生に向かうのを静かに応援しようという立場である。私もその一人だ。最初に言っておかなくてはならないのは、本村洋が再婚について会見の場で明確に発言していることである。ネットの中には、この件を本村洋が公には隠していて、マスコミが嗅ぎつけて漏れ出た情報だと錯覚し、本村洋の「不誠実」を糾弾している者がいるが、それは不注意による誤解である。思い込みに基づく無意味な勘違いなので指摘をしたい。産経の2/21の記事に、本村洋の会見の詳報が載っていて、その最後の部分で、記者の質問に応答する形式で、再婚の事実を正しく公表している。何となく、記者と事前に打ち合わせをして、この質問を最後に入れさせ、そこで世間に向けて報告をしたという気配が察せられる。私自身も、事実を確認したのは今回の会見だが、前回、4年前の差し戻し審高裁判決の際の発言の中に、それを示唆するような微妙なニュアンスがあり、今回の正式発表は意外に感じなかった。2008年の時点で、結婚(再婚)は固まっていたのだろう。以前、6年前のテレビ報道では、妻と娘の墓は光市の海を望む高台にあった。墓を北九州に移している。
墓標銘は「本村家」だが、北九州は妻の故郷で実家の地だ。2009年が籍を入れた時期だから、その前後に墓を移したのだろう。ということは、妻の実家との間で全てが了解されているという事情を意味する。おそらく、妻の両親の側は、本村洋の再婚と再出発を積極的に勧め、むしろ背中を押したに違いないのだ。そう推察できるのは、会見の中に次の言葉があるからである。「(死亡した妻の弥生さんの)お母さんに『長い間お疲れさまでした』と声をかけ、お母さんから『ありがとうございました』と言われた。(略)また裁判が始まる前、(弥生さんの)お父さんから手紙をもらった。普段あまりしゃべらない方だが、『今まで何も言わなかったけど、よくがんばってきたね』という直筆の手紙をいただき、それがすごくうれしかった。いつも会見の場に私しか出ないが、後ろから親族、家族に支えられていたということを改めて痛感した」。本村洋というのは、本当に、全ての発言を考えに考え抜いて配置しているところがある。見事だと舌を巻く。完璧な説得力を作る天才だ。記者会見の言葉でありながら、論文が構成され推敲されているような精度がある。こうして妻の両親による応援や慰労という事実の紹介を置いているから、最後の再婚の発表が無難に着地するのであり、聞く者に安心を与え、すなわち納得と共感へと至らせるのである。
このような説明は、すでにテレビのワイドショーが加えているのかもしれないが、私はワイドショーを見ておらず、ネットの中で本村洋を批判している者たちも、テレビを見ていない場合が多いと思われるので、敢えて指摘して注意を促したい。本村洋が立派なところは、そして戦略的に成功を得た要点でもあるけれど、マスコミの注目を自分一人に集中させ、決して他の遺族を前面に出さなかったことである。他の遺族をマスコミが商売で扱うキャラクターにしなかった。普通の事件なら、ここで何人も登場する顛末になるのだ。マスコミが主導権を握る。そして、そのことで、世論にマイナスの影響を及ぼしたりするのである。マスコミは何でも面白おかしく騒ぐだけだから。被害者の側の(神聖な)像が乱れ、評価が相対化される契機を作るのだ。われわれは妻の実家の両親を知らない。本村洋の両親も知らない。これだけ重大な事件であり、世間の関心を集め続けた事件でありながら、マスコミも、われわれも、被害者側の人物としては本村洋だけに釘づけになった。本村洋がそうさせたのであり、マスコミ対応を一手に引き受けたからだ。こうした事件の被害者家族なら、誰だってマスコミの取材など受けたくない。しかし、マスコミは商売でそれを晒し者にしようとする。マスコミの手が家族に及ぶのを本村洋は阻止したのであり、そこには駆け引きや取引があったに違いない。
今回、会見の中で初めて「両親」が登場し、その存在にわれわれの注意を向けた。死刑の是非や刑事裁判の弁護人のあり方を問い、その一点で構成されていたドラマが、カメラがパンするように、実はそこに生身の人間がいることを気づかせている。つまり、これはドラマのエンディングを教える演出の仕掛けなのだ。どの回でも、裁判所に入るときの本村洋は一人だった。一人で戦った。そうしなければ、「無期」が「死刑」になることはなかっただろう。裁判には勝ちと負けがある。遺族が求めたものは死刑であり、その目標に向けて戦い、戦略を組んだのだ。全体を見れば、6年前の最高裁が決戦場であり、差し戻し判決で勝負がついたと言える。本村洋の再婚について、これでよかったと思うのは、本村洋にも人生があり、老後の生活があるからである。もし、ここで再婚の決断をしなければ、本村洋の人生は「光市母子殺害事件」だけで埋められ、孤独な老後をそれだけに支配される時間を送らなければならなかっただろう。それは牢獄に縛られるのと同じだ。今回の会見を聞いていると、本村洋には次のプランがあり、「光市母子殺害事件」からは離れたところで再出発をしようとしているように見える。死刑論とか、刑事司法とか、そういう問題から離れたところで、自分の人生を再構築しようと考えている様子が窺われる。それを支え促しているのは、新しい妻の存在なのだろう。
死刑論についても、裁判の推移の中で、そして勝利を確定させたことで、本村洋の判断と主張は大きく変わった。今回は、「もう一度社会でやり直すチャンスを与えることが社会正義なのか。命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。どちらが正しいことなのかとても悩んだ。きっとこの答えはないのだと思う。絶対的な正義など誰も定義できないと思う」と言っている。この発言は、ニュースステーションに出演して、久米宏の前で応報主義の意義を崇高に述べたときとはまるで違っていて、本村洋の法哲学の原理主義が消えている。大人になっている。世間は、「大人になった」本村洋を支持する。また、「常に法は未完であり、完璧な判決はないと思っている。諸行無常の中で、世論の動きを敏感に感じて、そのときの価値観に合ったもの(判決)を出していくことがあっていいと思う」とも言っている。これも成熟した大人の発言で、過去の原理主義の本村洋を否定するものだ。これでいい。これでいいのだ。戦いに勝った後は、勝利を政治的に盤石に固めるためには、こう言わなくてはいけない。この「諸行無常」という言葉は、日本人の感情に常に心地よく響くのであり、ラストの再婚の発表を肯定的に受け止める伏線を成しているとも言える。死刑についての考え方が変わったのは、単に裁判の勝利だけでなく、新しい伴侶の出現や次の人生の構想が与えているのだろうと、そう理解する。
それは、国民の多くが本村洋に望んだことであり、こうなって欲しいと本村洋に願望したことである。そうなって、心で思っていた希望が叶って、国民は満足なのだ。本村洋は、国民が思い描いたとおりの物語のコースを辿っている。そうでなくては、この戦いの勝利の意味も薄れてしまう。本村洋の人生が不幸な最期になってはいけない。私は、安堵し祝福しながら、昔の吊り目が印象的な、少年の面影を残した本村洋を思い出す。こんな年少の若者が、しかも理工系なのに、これほどの法理論を立て板に水で説得できるのかと、素晴らしいと、ニュースステーションの画面の前で圧倒された記憶を忘れられない。リーガルマインドという言葉があり、大学1年の基礎法学の最初の講義のとき、教官がそれを新入生に説明し、「法学部生は何より論理的な能力を身につけなければならない」と語った。13年間、本村洋を見続けて思うのは、法学部の使命というのは、まさに、こういう人格を育成して社会に送り出すことだということだ。ここにリーガルマインドを担う人格の理念型がある。本村洋はヘラヘラしない。笑わない。官僚ではないのだ。サムライなのだ。戦いの場で孤独であり、群れることをしない。脱構築主義の支配と蔓延の中で、模範という言葉と概念が失われた。失われた模範という言葉を本村洋は復活させる。国が潰れようとしているのに、東大卒の脱構築主義の官僚どもは、ヘラヘラと笑い、お笑い番組の思想が社会の基準だと言い続ける。
官僚ではこの国を再生することはできない。官製や既製のエリートなど不要で、本村洋のような孤高のサムライのみが必要なのだ。
by
thessalonike5
|
2012-02-24 23:30
|
Trackback
|
Comments(
0
)
トラックバックURL :
http://critic5.exblog.jp/tb/17859862
トラックバックする(会員専用)
[
ヘルプ
]
名前 :
URL :
非公開コメント
※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。
削除用パスワード
昔のIndexに戻る
光市母子殺害事件 - この青年... >>
ブログパーツ