没後20年 尾崎豊が語ったこと

安井俊樹記者

尾崎豊さんが「15の夜」や「卒業」、「I LOVE YOU」など多くのヒット曲を生み出し、若者から圧倒的な支持を受けたのは、各地で校内暴力が問題になり、日本経済がバブル景気に向かっていた1980年代前半でした。
26歳という早すぎた死から、ことしで20年を迎えます。
今回、尾崎さんが創作メモや日々の思いをつづっていたノートが、大量に保管されていたことが新たに分かりました。
「尾崎豊」はどのような思いで曲を生み続けたのか。
科学文化部の安井俊樹記者が解説します。

あなたにとって「尾崎」とは

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「尾崎豊」と聞いて、私が思い出すのは、学生時代に繰り返し読んだヘルマン・ヘッセの厳しい自己探求の物語「デミアン」の冒頭の文章です。
「私は、自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを生きてみようと欲したに過ぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか」(新潮文庫・高橋健二訳)
「僕が僕であるために」と歌い、最後まで自分とは何かを追い求め続けた尾崎の困難な人生を思うと、自然にこの文章が思い出されます。
今回の取材でも、そんな不器用で誠実で内省的な尾崎豊の姿が浮かんできました。

残された膨大な創作ノート

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尾崎が残した創作ノートは全部でおよそ60冊に上ります。
デビュー前の15~6歳の頃から、亡くなる直前までのおよそ10年間、日々の思いや詩、後の代表曲の原詩などが鉛筆で書かれ、中には有名な歌のフレーズに似た文章も見受けられます。
ノートを保管していたのは遺族と、著名な音楽プロデューサーの須藤晃さん。
尾崎の才能を見いだし、アーティストとして育てた人物です。

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ノートを公開しようと思ったきっかけは、須藤さんが大手出版社の新潮社の編集者から、没後20年に合わせた特集について相談を受けたことでした。
今回の取材で須藤さんはノートを読んだ印象について、「何でこの人って、生きるということに関して、こんなに苦しむんだろうと思った」「尾崎はまるで、自分の存在そのものにナイフを突きつけるように考えを突き詰めていく」と私に語りました。
そうしたことも「尾崎」と「デミアン」が、深いところでつながっているという私の思いを強くさせたのでした。

“絶望的青春”とは

ノートの内容の大半は、自分の思いを吐き出すような尾崎の独白が占めています。
象徴的なのがデビュー前に書かれた「絶望的青春」という文章です。

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「正直に生きたい。そう思う。けどこの世の中、やりたいことだけやって、生きてゆくことはどうもできないようだ。」「この世の中、どんな場合でも学歴で人を見る」「ぼくらも社会の一部にくみこまれてネジか何かの様に働くことを考えねばならないのかもしれません」まだ15,6歳の少年が、学校や社会への反発や、将来への不安などを3ページにわたってびっしりとつづっていました。

名曲はどのように生まれたか

海外のアーティストにもカバーされているバラードの代表作「I LOVE YOU」。
ノートには、その原詩が書かれていました。
特に注目したのは「I LOVE YOU~」という有名な歌い出しの前にあった次の文章です。
「ここでは人があらそうのを見ることもなければ悲しみになく(泣く)人を見ることもない。町では不確かな愛って言葉をたやすく口にできる。それからまた目をとじて、おたがいの愛をたしかめあうんだ。だけどそんな言葉も白っちゃけてしまうんだ」。

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未発表の詩の一部とも読めますが、プロデューサーの須藤さんは、これは詩ではなく曲のコンセプトを書いたものではないかと見ています。
尾崎は曲づくりにあたってこのように歌の世界や情景を浮かんだままに書いていき、それが突然、歌詞に変わっていくということをよく繰り返していたといいます。
感受性が豊かで、感じたことを突き詰めずにはいられなかった尾崎を間近で見てきた須藤さんは、「生きるスピード感のようなものについて行けなかった。一生懸命ついて行くのが精一杯で、やっぱり最後は引き離されて、消えてしまったという感じです」と、寂しそうに語っていました。

尾崎は何を示したか

さらに内省的な傾向を強めていった尾崎が亡くなる1年前に書いたと見られるノートには、「歌いたい事」と題して、テーマが箇条書きに書かれていました。
「社会的な疎外」「超自然」などの観念的な言葉が並ぶノートを見て須藤さんは、歌のテーマを見つけようと苦しんでいたと話します。
尾崎が最後までこだわっていた曲のタイトルは、最晩年のノートに書かれた「僕を知らない僕」でした。
尾崎のラスト・アルバムに収録された「太陽の瞳」の原詩です。

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ファーストアルバムで「僕が僕であるために」と歌い、自分とは何かを追い求めてきた尾崎でしたが、答えを出すことはできなかったのでしょうか。
須藤さんは「尾崎は答えは出していないが、その過程、つまり答えを求めて苦しんでいる自分をさらした。今の若い人たちもその姿をみてきっと何かを共有できると思う」と話します。
3月にノートの掲載準備を進めている小説新潮の新井久幸編集長は「尾崎が何かを書いていた。内省的に対話をしていたことがこのノートから想像することができる。尾崎の肉筆から肉声が聞こえてくるような感じすらする。それを伝えたい」と語りました。
尾崎豊が残した多くの曲と同様、「尾崎ノート」も繰り返し読み継がれるものになるのかもしれません。

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(2月20日 13:20更新)

WEB特集 2月20日(月)

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