ワタミ株式会社 代表取締役社長・CEO 渡邉 美樹

※下記はベンチャー通信29号(2007年12月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。
【起業家の軌跡】


            ワタミファーム

<母の死、父の事業の失敗。少年期に失った「心」と「財産」>

 渡邉美樹は1959年に横浜市で生まれた。父親は中堅のテレビCM制作会社を経営していた。

 渡邉は野球が大好きなごく普通のスポーツ少年だった。そのごく普通の恵まれた生活が一変したのは、渡邉が小学校5年生の時。最愛の母が慢性腎炎で36歳の若さで急逝したのだ。

 母の死を境に渡邉は急に無口な少年に変わってしまった。またその不幸に追い討ちをかけるように、父の会社も清算する。原因はテレビのカラー化に遅れてしまったことだった。

 この2つの悲劇を同時に経験した渡邉は、その悔しさから小学校の卒業アルバムに『おとなになったら会社の社長になります』と書いたという。渡邉は、少年期に「心」と「財産」という2つの大きな柱を失ってしまった。

 また彼は「世の中の無常観」、「人間の命の儚さ」を痛感し、「自分は何のために生きるのか」ということを深く考えるようになった。渡邉は小学生ながらに、アイデンティティを失ってしまった己の存在意義を見出そうとしていたのだ。


<クリスチャンとして過ごした中学時代>

 中学校に入学した渡邉は、最愛の母親に会いたい一心でクリスチャンになり、人生でもっとも多感な時期を聖書とともに過ごす。父は借金返済で奔走し、ほとんど家に帰らない日々。そのため渡邉は祖母と二人で寂しい毎日を送る。それでも自分が道を踏み外さなかったのは、「亡くなった母が自分をクリスチャンへと導いてくれたおかげだった」と言う。

 その後、渡邉は将来キリスト教の宣教師として生きていくか、起業家として社会貢献を行うかを真剣に悩む。そして渡邉が入信していたそのキリスト教の宗派は、「イエス・キリストに従わないものは全てノー」という教えを持っていた。ただ一点、その教えに納得できなかった渡邉は、キリスト教の宣教師の道をあきらめ、起業家を志す決意をする。


<外食産業で事業を興すことを決めた大学時代>

 渡邉が大学時代に掲げた目標は2つ。1つ目は、何の業種で起業するかを決めること。2つ目は、社長としてのマネジメント能力を身に付けることだった。

 まず1つ目の何の業種で起業するかは、結局、外食産業で起業することに決めた。そのきっかけとなったのが大学2年生と4年生の間で日本1周旅行と北半球1周旅行をしたことだった。その旅の経験から外食産業は人々を幸せにすると確信したのだ。

 そして2つ目の目標であるマネジメント能力を身に付けるために、渡邉は横浜会という伝統ある県人会に入る。そこでマネジメント能力を身に付けた。伝統ある県人会なので、大勢のOBがいて、渡邉はその人脈を使って何か大きいことをしようと企む。渡邉はちょうど59代目の幹事長になり、そこで120人の学生を組織した。

 それまで明治大学の横浜会は毎年5000人のコンサートを定期的に開催し、その収益が110万円くらいだった。もちろん収益金は全て寄付金となる。しかし渡邉の代ではOBの人脈をフル活用して1万人コンサートを開催することにした。150人の学生を組織し、必死になって日夜頑張った。そして結局1万2千人を集め、寄付金も最大の870万円を集めることに成功。

 その後は明治大学の横浜会だけでなく、早稲田や立教などの横浜会にも呼びかけて、6大学合同の横浜会連盟を創設した。そして渡邉が初代の委員長になり、700人の学生を束ねた。そこでは彼らを一つにするイベントを開催したり、神奈川県中の施設の子供を集めて、遊びの祭典を開催したりした。


<起業資金調達のため、佐川急便で過酷な労働>

 大学卒業後は、会社経営に必要な経理の勉強をするために、ミロク経理という会社に入社する。ミロク経理は当時、急成長ベンチャーとして知られた会社だった。そこで半年間勤め、バランスシートの読み方を覚えると、次に起業資金を貯めるために佐川急便のSD(セールス・ドライバー)に転職する。

 佐川急便の仕事は、月収43万円という高給だったが、その労働環境は過酷なものだった。一日の労働時間は20時間近く。さらに大卒の渡邉に対する風当たりも強く、先輩SDからのイジメが絶えなかった。そんな状況下でも渡邉が決して逃げ出さなかったのは、「お金を貯めて会社を創る」という夢があったから。渡邉は1年間で、300万円という資本金を貯め、佐川急便を後にした。


<24歳で会社設立。40歳で東証一部に上場>

 1984年、24歳の若さでワタミ株式会社の前身となる有限会社渡美商事を設立。居酒屋チェーン『つぼ八』の店を買い取り、フランチャイズオーナーとしてのスタートを切った。そして渡邉が手がけた『つぼ八』は大成功。92年に『つぼ八』からのフランチャイズ契約を解除し、「豊かで楽しいもうひとつの家庭の食卓」をコンセプトとした自社ブランド『和民』を展開する。

 98年には38歳の若さで、会社を東証二部市場に上場させる。その後も快進撃は続き、2000年3月に晴れて東証一部上場を果たした。また、地球環境の問題にも積極的に取り組み、99年に外食企業としては世界初となる※ISO14001を取得した。


<地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう>

 現在、外食事業では香港、台湾、上海へも出店し、海外への積極的な事業展開を行っている。また一方で、外食事業以外でも、老人ホーム運営などを行う介護事業や有機野菜の栽培、酪農、畜産といった農業、そして環境事業など、その事業領域は多岐に渡る。

 2005年には社名を「ワタミ株式会社」に変更。「地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう」をワタミグループのスローガンに、100年以上存続できる企業を目指している。

 “夢に日付を入れる”ことで、たくさんの夢を叶え、そして人々に夢や笑顔を与え続けてきた情熱の人、渡邉美樹。彼のパワーの源は、ワタミに関わる人々からいただく“ありがとう”である。


※ISO14001:ISO(国際標準化機構)が定めた環境マネジメントシステムに関する国際規格。企業や自治体などが行う事業活動が環境に与える影響を、組織的かつ継続的に削減するための管理システムを定めている。

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プロフィール

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お名前
渡邉 美樹
お名前(ふりがな)
わたなべ みき
出身
神奈川県
生年月日
1959年 10月 5日
身長
182 cm
体重
68 kg
平均睡眠時間
4時間
平均起床時間
5時
趣味
屋久島登山
おススメ本
論語
購読雑誌
経済誌等
家族
4名
今までに訪れた国
約30ヶ国
好きな食べ物
有機野菜、納豆、ワタミの食事
嫌いな食べ物
特になし
座右の銘
夢に日付を
尊敬する人
マザー・テレサ