上杉隆「原子力国家・日本⑥」
『TBSは2度死んだ 「原子力国家」日本(6)』
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5月、ドイツのシュピーゲル誌に掲載された『原子力国家』について、いよい
よ最後の解説を加えようと思う。
12月26日、原発事故調査・検証委員会の中間報告書が出された。
事前に指摘した通り、12月23日に記者クラブへのレクを終え、摺り合わせ
の後、縛りをかけて26日の記者会見とともに500ページを超える報告書が
公表された。
この後に及んで、記者クラブメディアは相も変わらず、「談合」を続けている。
3.11以降、権力側からのスピンコントロールに対して、大手メディアはな
んと無抵抗なのだろう。いや、無抵抗というよりも、進んで従っているその従
順さはもはや喜劇的ですらある。
5月、ドイツの雑誌「シュピーゲル」誌は、コルドゥラ・マイヤー記者の取材
によって、こうしたことをすべて予見していた。
〈原発の大事故が起きてからもなお、東電はジャーナリストを煙に巻こうとし
ている。東電本社の一階には10週間前からテレビ放送局や大新聞社の報道関係
者たちが詰めている。記者会見で彼らに与えられるのは、いかにも精確そうな
生のデータの山だ。しかし、これらのレポーターたちに、何百という脈略のな
い測定値からなにをみつけろと言うのだろう。しかも、これらのデータは、後
になって間違っていたことがよく判明するのである。
データに関して東電の社員は能弁であるが、責任というテーマは避けて通る。
天下り?政治献金?研究費用の肩代わり?これらの複雑なテーマに関する質問
に対しては、東電のスポークスマンは同じ答えを繰り返す。「ノー・コメント」
〉(以上引用)
この記事は半年以上前に発売されたものである。いったいなぜ、日本の大手メ
ディアはこの記事の十分の一でもいいから報じることができないのか。やはり
読者よりも東電が大事なのか。それは換言すれば報道よりも金ということであ
る。
〈それでも印象のよくない報道がされると、いかに東電が神経質に反応するか
を語るのは、テレビジャーナリストの上杉隆氏である。彼は日本のテレビ・ラ
ジオで人気のあるニュースキャスターだ。彼の番組は政治色が濃いのにも関わ
らず、娯楽的要素がある。上杉氏はゴルフが好きな、43歳の明るい人物だ。彼
は福島で事故が起きるまで、あまり原子力には関心がなかったという。
ただし、名のある新聞で働く同業のジャーナリストたちに対しては、意見がた
くさんあった。彼等は、報道対象である省庁の宣伝係をしているだけではない
か、と彼は思ってきた。福島の災害発生後、上杉氏は東電のロビーに詰め、原
子炉で今なにが起きているか、知ろうとした。
3月15日、彼は午後1時にTBSの生放送に出演した。そこで彼は、どうやら放射
能が三号炉から出ている模様で、それが海外でも報道されている、と述べた。
「本当は自明なことだったのですが」と彼は語る。しかし放送終了後テレビ放
送局の上司から、番組を降ろされたことを伝えられたのだった。これ以降、上
杉氏はTBSの仕事はしていない。TBSの番組制作のスポークスマンは、「内部で
は上杉氏を降ろすことは以前から決まっていたのだ」と説明している。東電か
らの圧力に関しては否定した。
上杉氏はその釈明を信じてはいない。それからまもなく、別のテレビ番組でも
トラブルが生じたからである。「朝日ニュースター」でも、上杉氏が原子力に批
判的なゲストを自分の番組に招待しようとしたら、電事連が当番組のスポン
サー提供を終了した。放送局は、電事連のスポンサリングはもともと終了する
ことが決まっていた、という。東電スポークスマンは、東電が上杉さんのよう
なジャーナリストに圧力をかけるなど、考えられない、と語った〉
あの三月、私の身に降りかかったことはあたかも夢のような出来事だった。震
災の悪夢から覚めやらぬ中、今度は「言論の死」に直面するという悲劇に遭遇
したのだ。
それは驚くべき情報統制だった。しかも、「言論の自由」が奪われているのに
メディアは何もしない。いや、何もしないどころではない。TBSのように、
権力の横暴に加担した上で、さらに異論を唱える者を次々と排除しはじめたの
だ。
TBSはシュピーゲルの取材に対して、「内部では上杉氏を降ろすことは以前から
決まっていたのだ」と説明したという。
TBSは大丈夫だろうか。TBSはその後、密かに私を出入り禁止にしている。
建物の大きさの割には小さな会社である。
2週間前に突然、契約解除を知らせるという行為は、労働者の権利を著しく損
なうものである。労働基準法でも解雇予告とその期間についてはきちんと定め
られている。ましてや相手はフリーランスの記者である。筆者はまだ恵まれて
いるが、立場の弱い他のフリーランスであったらどうなるのか。震災直後に、
路頭に迷うことさえ有り得る明白な人権侵害事案になってしまう……。
──というような批判も成り立つが、筆者はそうつもりはない。なぜなら、貴
重な人生の時間を、広報番組しか作らないような放送局のために費やすのはま
ったくもって時間の無駄だと考えるからだ。
〈日本政府はその間も、インターネットのプロバイダーに福島に関する「間違
った報道」はネットから外すよう、依頼し始めていた。国民にいたずらに不安
を与えてはいけないから、というのである。「まったくエジプトや中国よりひ
どい」と上杉氏は語る。「公共の秩序と倫理を脅かす」ものはすべて削除するよ
うに、という指示なのだ。
原子力産業がどのように反原発論者を扱ってきたかについて、原発批判を行っ
てきたロベルト・ユンク氏は自著の中で一章を割いている。この章のタイトル
はこうだ。「萎縮させられてきた者たち」。
萎縮させられてきたのは、東電の不正行為を告発した社員であり、そのような
都合の悪い話を報道した上杉隆氏のようなジャーナリストである〉
いったい日本は文明国といえるのか。3月の取材時にマイヤー記者に答えたよ
うに、これではエジプトや中国の方がずっとマシである。なぜなら、言論の自
由がわかるように制限されている国の方が、自由だと思わされて洗脳されてい
るよりもずっと正常化の可能性が高いからだ。
〈福島県前知事である佐藤栄佐久氏のような人物も、その犠牲者であると判断
できる理由がかなりある。佐藤氏は原子力村の権力に抵抗しようと試みたから
だ。彼は原発を抱えるほかの県の県知事と連帯し、原発を批判的に見る枢軸を
打ちたてようとしたのである。
力を持たぬ地方の政治家であった佐藤氏だが、世界中から原子力の専門家を福
島に招待し、日本の新しいエネルギー政策を考えようとした。もしかしたら、
彼はこれまで日本で一番影響力のあった原発批判論者であったのかもしれない。
しかし、彼の政治キャリアは2006年に突如幕を閉じた。
彼は収賄罪で逮捕されたのである。彼と彼の弟が福島県の建設会社から、市価
以上の価格で土地を売りつけた、という容疑だった。
裁判所は佐藤氏に有罪判決を言い渡した。二審の東京高裁では、減刑となった
ものの、有罪判決は変えられなかった。佐藤氏は現在、最高裁で無罪を求め、
闘争中である。
東京の元検事である人物が語るには、佐藤氏の弟は、土地の売買でなんら収益
を上げていない、ということである。それだけではない。当時の担当検事はそ
の後、懲役18ヶ月で有罪判決を受けている。ある高級官僚を取り調べる別の捜
査で、この検事が証拠物件を改竄していたことが判明したのだ〉
いま、佐藤氏の冤罪は確定的になっている。だが、その事実を報じるメディア
は皆無だ。佐藤氏によれば、原発事故以降、自分の元に取材に来たメディアは
外国メディアかフリーに限られるという。大手メディアはまるでその事件がな
かったかのように沈黙している。
その理由は簡単だ。面子だ。記者とマスコミのつまらぬ面子のための正直であ
ることを放棄しているのだ。
自らの誤報を訂正し、原発政策に否定的な人物の名誉を回復することは、アン
フェアな彼らにとっては死を意味するのだろう。
端的にいえば、日本のメディアは卑怯である。そこで働いている記者も卑怯者
である。卑怯の先には憎悪と敗北しかない。
ドイツの哲学者、カントがその著書『永遠平和のために』で喝破したように、
政治も、報道も、結局、正直に勝るそれはないのである。
〈しかし、佐藤氏のような批判者でなければ、いったいどこの誰がこれほどの
大事故の責任者を突き止められるだろう。菅首相が先週の水曜日に出した声明
は、まがりなりにも希望を持たせるものだった。彼は、監督官庁を解体し、日
本の電力会社の地方独占を破り、エネルギー政策を「根本から見直す」つもり
だと表明したのである。
グリーン・アクションの活動家、アイリーン・美緒子・スミス氏は、これらの
約束は信用しないようだ。あらゆる事故が起こるたびに、常々日本が対処して
きたのと同じことになるのではないかと彼女は危惧している。「事故を調査す
る目的で委員会がつくられるのですが、その委員会には、またいつもと同じ人
間が座っているのです」と〉(翻訳・梶川ゆう)
今頃になって検証をしているような政府(委員会)も、そしてメディア(TB
S)も、死んだも同然である。
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5月、ドイツのシュピーゲル誌に掲載された『原子力国家』について、いよい
よ最後の解説を加えようと思う。
12月26日、原発事故調査・検証委員会の中間報告書が出された。
事前に指摘した通り、12月23日に記者クラブへのレクを終え、摺り合わせ
の後、縛りをかけて26日の記者会見とともに500ページを超える報告書が
公表された。
この後に及んで、記者クラブメディアは相も変わらず、「談合」を続けている。
3.11以降、権力側からのスピンコントロールに対して、大手メディアはな
んと無抵抗なのだろう。いや、無抵抗というよりも、進んで従っているその従
順さはもはや喜劇的ですらある。
5月、ドイツの雑誌「シュピーゲル」誌は、コルドゥラ・マイヤー記者の取材
によって、こうしたことをすべて予見していた。
〈原発の大事故が起きてからもなお、東電はジャーナリストを煙に巻こうとし
ている。東電本社の一階には10週間前からテレビ放送局や大新聞社の報道関係
者たちが詰めている。記者会見で彼らに与えられるのは、いかにも精確そうな
生のデータの山だ。しかし、これらのレポーターたちに、何百という脈略のな
い測定値からなにをみつけろと言うのだろう。しかも、これらのデータは、後
になって間違っていたことがよく判明するのである。
データに関して東電の社員は能弁であるが、責任というテーマは避けて通る。
天下り?政治献金?研究費用の肩代わり?これらの複雑なテーマに関する質問
に対しては、東電のスポークスマンは同じ答えを繰り返す。「ノー・コメント」
〉(以上引用)
この記事は半年以上前に発売されたものである。いったいなぜ、日本の大手メ
ディアはこの記事の十分の一でもいいから報じることができないのか。やはり
読者よりも東電が大事なのか。それは換言すれば報道よりも金ということであ
る。
〈それでも印象のよくない報道がされると、いかに東電が神経質に反応するか
を語るのは、テレビジャーナリストの上杉隆氏である。彼は日本のテレビ・ラ
ジオで人気のあるニュースキャスターだ。彼の番組は政治色が濃いのにも関わ
らず、娯楽的要素がある。上杉氏はゴルフが好きな、43歳の明るい人物だ。彼
は福島で事故が起きるまで、あまり原子力には関心がなかったという。
ただし、名のある新聞で働く同業のジャーナリストたちに対しては、意見がた
くさんあった。彼等は、報道対象である省庁の宣伝係をしているだけではない
か、と彼は思ってきた。福島の災害発生後、上杉氏は東電のロビーに詰め、原
子炉で今なにが起きているか、知ろうとした。
3月15日、彼は午後1時にTBSの生放送に出演した。そこで彼は、どうやら放射
能が三号炉から出ている模様で、それが海外でも報道されている、と述べた。
「本当は自明なことだったのですが」と彼は語る。しかし放送終了後テレビ放
送局の上司から、番組を降ろされたことを伝えられたのだった。これ以降、上
杉氏はTBSの仕事はしていない。TBSの番組制作のスポークスマンは、「内部で
は上杉氏を降ろすことは以前から決まっていたのだ」と説明している。東電か
らの圧力に関しては否定した。
上杉氏はその釈明を信じてはいない。それからまもなく、別のテレビ番組でも
トラブルが生じたからである。「朝日ニュースター」でも、上杉氏が原子力に批
判的なゲストを自分の番組に招待しようとしたら、電事連が当番組のスポン
サー提供を終了した。放送局は、電事連のスポンサリングはもともと終了する
ことが決まっていた、という。東電スポークスマンは、東電が上杉さんのよう
なジャーナリストに圧力をかけるなど、考えられない、と語った〉
あの三月、私の身に降りかかったことはあたかも夢のような出来事だった。震
災の悪夢から覚めやらぬ中、今度は「言論の死」に直面するという悲劇に遭遇
したのだ。
それは驚くべき情報統制だった。しかも、「言論の自由」が奪われているのに
メディアは何もしない。いや、何もしないどころではない。TBSのように、
権力の横暴に加担した上で、さらに異論を唱える者を次々と排除しはじめたの
だ。
TBSはシュピーゲルの取材に対して、「内部では上杉氏を降ろすことは以前から
決まっていたのだ」と説明したという。
TBSは大丈夫だろうか。TBSはその後、密かに私を出入り禁止にしている。
建物の大きさの割には小さな会社である。
2週間前に突然、契約解除を知らせるという行為は、労働者の権利を著しく損
なうものである。労働基準法でも解雇予告とその期間についてはきちんと定め
られている。ましてや相手はフリーランスの記者である。筆者はまだ恵まれて
いるが、立場の弱い他のフリーランスであったらどうなるのか。震災直後に、
路頭に迷うことさえ有り得る明白な人権侵害事案になってしまう……。
──というような批判も成り立つが、筆者はそうつもりはない。なぜなら、貴
重な人生の時間を、広報番組しか作らないような放送局のために費やすのはま
ったくもって時間の無駄だと考えるからだ。
〈日本政府はその間も、インターネットのプロバイダーに福島に関する「間違
った報道」はネットから外すよう、依頼し始めていた。国民にいたずらに不安
を与えてはいけないから、というのである。「まったくエジプトや中国よりひ
どい」と上杉氏は語る。「公共の秩序と倫理を脅かす」ものはすべて削除するよ
うに、という指示なのだ。
原子力産業がどのように反原発論者を扱ってきたかについて、原発批判を行っ
てきたロベルト・ユンク氏は自著の中で一章を割いている。この章のタイトル
はこうだ。「萎縮させられてきた者たち」。
萎縮させられてきたのは、東電の不正行為を告発した社員であり、そのような
都合の悪い話を報道した上杉隆氏のようなジャーナリストである〉
いったい日本は文明国といえるのか。3月の取材時にマイヤー記者に答えたよ
うに、これではエジプトや中国の方がずっとマシである。なぜなら、言論の自
由がわかるように制限されている国の方が、自由だと思わされて洗脳されてい
るよりもずっと正常化の可能性が高いからだ。
〈福島県前知事である佐藤栄佐久氏のような人物も、その犠牲者であると判断
できる理由がかなりある。佐藤氏は原子力村の権力に抵抗しようと試みたから
だ。彼は原発を抱えるほかの県の県知事と連帯し、原発を批判的に見る枢軸を
打ちたてようとしたのである。
力を持たぬ地方の政治家であった佐藤氏だが、世界中から原子力の専門家を福
島に招待し、日本の新しいエネルギー政策を考えようとした。もしかしたら、
彼はこれまで日本で一番影響力のあった原発批判論者であったのかもしれない。
しかし、彼の政治キャリアは2006年に突如幕を閉じた。
彼は収賄罪で逮捕されたのである。彼と彼の弟が福島県の建設会社から、市価
以上の価格で土地を売りつけた、という容疑だった。
裁判所は佐藤氏に有罪判決を言い渡した。二審の東京高裁では、減刑となった
ものの、有罪判決は変えられなかった。佐藤氏は現在、最高裁で無罪を求め、
闘争中である。
東京の元検事である人物が語るには、佐藤氏の弟は、土地の売買でなんら収益
を上げていない、ということである。それだけではない。当時の担当検事はそ
の後、懲役18ヶ月で有罪判決を受けている。ある高級官僚を取り調べる別の捜
査で、この検事が証拠物件を改竄していたことが判明したのだ〉
いま、佐藤氏の冤罪は確定的になっている。だが、その事実を報じるメディア
は皆無だ。佐藤氏によれば、原発事故以降、自分の元に取材に来たメディアは
外国メディアかフリーに限られるという。大手メディアはまるでその事件がな
かったかのように沈黙している。
その理由は簡単だ。面子だ。記者とマスコミのつまらぬ面子のための正直であ
ることを放棄しているのだ。
自らの誤報を訂正し、原発政策に否定的な人物の名誉を回復することは、アン
フェアな彼らにとっては死を意味するのだろう。
端的にいえば、日本のメディアは卑怯である。そこで働いている記者も卑怯者
である。卑怯の先には憎悪と敗北しかない。
ドイツの哲学者、カントがその著書『永遠平和のために』で喝破したように、
政治も、報道も、結局、正直に勝るそれはないのである。
〈しかし、佐藤氏のような批判者でなければ、いったいどこの誰がこれほどの
大事故の責任者を突き止められるだろう。菅首相が先週の水曜日に出した声明
は、まがりなりにも希望を持たせるものだった。彼は、監督官庁を解体し、日
本の電力会社の地方独占を破り、エネルギー政策を「根本から見直す」つもり
だと表明したのである。
グリーン・アクションの活動家、アイリーン・美緒子・スミス氏は、これらの
約束は信用しないようだ。あらゆる事故が起こるたびに、常々日本が対処して
きたのと同じことになるのではないかと彼女は危惧している。「事故を調査す
る目的で委員会がつくられるのですが、その委員会には、またいつもと同じ人
間が座っているのです」と〉(翻訳・梶川ゆう)
今頃になって検証をしているような政府(委員会)も、そしてメディア(TB
S)も、死んだも同然である。
2011-12-28 02:33
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