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なわ・ふみひとの読書遍歴

1月  2月  3月   4月   5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月
01 日本の一大事 02 溶けゆく日本人
03 日本、崩壊の危機 04 第四の国難
05 凛の国 06 知っておくべき日本人の底力
07 歴史から消された日本人の美徳 08 日本、そして日本人の「夢」と矜持
09 日本よ 10 乱れた日本の国語
11 スパイ“ベラスコ”が見た広島原爆の正体 12 日本国民に告ぐ
13 大東亜戦争の正体 14 国際銀行家たちの地球支配/管理のしくみ
15 「大恐慌」以後の世界 16〜31 はこちらをどうぞ → 3月A
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「大恐慌」以後の世界
浜田和幸・著  光文社
地球規模で広がりつつある食糧不足
  近年、世界の穀物生産量は減少傾向を見せている。
  これは、異常気象、農薬・化学肥料の大量投与、土壌汚染、病原菌等の複合的原因で各国の穀物生産量が低下した結果である。アメリカですら穀物の戦略的備蓄は、1999年から2000年の時点において115日分あったが、いまでは半分の53日分しかないとされる。これは過去47年間の最低水準。穀物需要に対する供給が追いつかないという需給ギャップが、2007年から8年も連続するという由々しい状態に陥っているわけだ。
  そんななかで、金融危機が進行していけばどうなるだろうか?
  バブルを引き起こしたマネーが、実質的にもっとも価値がある食糧に向かうのは間違いないだろう。とすれば今後、世界規模で食糧の争奪戦が起こる可能性がある。
  アメリカ農務省によれば、世界各国の穀物供給能力は今後も減少を続け、記録的な食糧不足の状況が想定されるという。過去100年以上にわたって、戦争以外の理由でこれほど穀物の供給が低下したことはなかった。
  要するに、世界の人口が増え続け、食糧に対する需要が増大し続けているにもかかわらず、穀物生産能力が追いつかない状況が生じているのである。
 言うまでもなく、食糧に対する需要は、人口爆発が続く中国、インドを筆頭に急激な増大傾向を見せている。現在、世界の人口は67億人だが、今世紀末には100億人を突破するのは確実と予測される。言い換えれば、4〜5年ごとにアメリカと同じだけの人口が加わるということである。
 このような膨張を続ける人口を養っていくには、食糧は言うに及ばず、エネルギー源の確保も欠かせない。
 日本は食糧の60%以上を海外からの輸入に依存しているが、その半分はアメリカである。とくにトウモロコシはほぼ全面的にアメリカに頼っている。そのトウモロコシを、アメリカは外国に輸出しないようにする可能性も出てきた。バイオエタノール燃料の原料として使うようになったからである。
  今後、わが国は、かつてない不況に見舞われるとともに、食糧とエネルギー不足にも陥る可能性が高いのだ。
  金融危機により内向きになったアメリカが、最後の戦略物資として食糧とエネルギーを囲い込めば、世界はよりいっそうの混乱を迎えるのは間違いないだろう。

食糧高騰による危機的時代は10年続く
  中でも顕在化してきたのは、世界的な米不足である。現在、世界の米の備蓄量は、1980年代以降最低水準にまで落ち込んでいる。
  そこで懸念されるのが、発展途上国の社会不安である。世界銀行の調査によれば、メキシコからイエメンまで世界33カ国で、食糧やエネルギー価格の高騰を引き金とする社会不安が発生している。
  中国の農村部におけるデモや騒乱事件はいまも相次いでいる。中国の治安は日ごとに悪化している。日本は、そのような中国から国内需要の20%近い食糧を輸入している「食糧輸入国」であることを、もっと認識する必要がある。
  はたして私たちのこの世界はどこに向かっているのだろうか?
  このままいけば、ウォール街崩壊による金融危機が実体経済にも及び、誰もが口にしたくない世界恐慌に陥るのは時間の問題である。
  となれば、景気後退の波はアメリカからヨーロッパ、中国、日本、インド、ロシアにまで及び、世界中で失業者があふれるだろう。各国政府は国民の不安を鎮めるため、保護主義を強め、自由貿易は後退してしまう。世界は食糧やエネルギーをめぐって対立を深めていくことになる。食糧暴動は日常化し、世界中で紛争が起こるだろう。

日本は「食糧パニック」にもっとも無防備
  こうした食糧とエネルギー危機にもっとも弱いのが、わが国である。実際現在のわが国は1950年代以降、もっとも深刻な食糧危機に直面している。
  にもかかわらず、大方の日本人は日々の食生活で、そのような危機感を味わうことなく大量の食料をムダにしている。そのノーテンキぶりに世界があきれているようだ。
  国民が生きていくために欠かせない食料の60%以上を外国に頼っている日本。万が一、海外の産地が天候不順に見舞われたり、紛争や戦争に巻き込まれた場合の対応はできているのか。輸入が止まれば、日本人は間違いなく飢えに直面する。
  世界人口の2%に過ぎない日本が、世界の農産物の11%を輸入し、水産物に至っては23%を買い漁ってきた。この食糧市場に、中国やインドという巨大な胃袋を持つ龍や象が参戦してきた衝撃がどの程度のものになるのか。けっして安穏としていられないはずである。
  迫りくる大恐慌の次に世界を襲うのは「食糧パニック」とみて間違いない。

ひとくちコメント ―― わが国がこれから間違いなく体験することになると思われるのが食糧危機です。国内の食糧生産量では国民の胃袋を半分も満たすことができない状態にあるわけですから、それは避けられません。そのことがわかっていても、日本の農業の衰退にブレーキをかけることさえできないのが実情です。この本の著者・浜田氏は、深刻な食糧危機が「大恐慌」以後に訪れると予測していますが、私も全く同感です。
  「では、大恐慌はいつ訪れるのか」と思っておられる方も多いでしょう。そのヒントは、1989年に日本経済のバブルが崩壊したあと2〜3年目から始まったデフレ不況を思い出していただけばわかると思います。世界の実体経済に2008年の「リーマンショック」の影響が出るのはこれからなのです。しかしながら、そのような深刻な危機が訪れることがわかったとしても、もはやこの国の政府が国民のために対策を講じてくれることは考えられません。国民は自衛するしかないというのが現実です。そういう意味では「美食」「飽食」の習慣を改め、「米のひと粒でも大切にする」という日本人本来の生き方に立ち返ることが大切です。食糧危機は、私たちに食べ物に対する感謝の気持ちを取り戻させる機会になることでしょう。(なわ・ふみひと)
 
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国際銀行家たちの地球支配/管理のしくみ
安部芳裕・著  徳間書店
民主党政権の政策は亡国への道
  2009年8月30日の衆議院選挙で民主党が308議席を獲得し、歴史的な政権交代を成し遂げました。国民の中には小泉・竹中の推進した新自由主義への構造改革路線が生活を圧迫したことに嫌気が差し、自民党へのお仕置きのつもりで民主党へ投票した人も多いのではないでしょうか? しかし、民主党の推進しようとしている政策の意味を理解して支持した人が、果たしてどれだけいるのか非常に疑問です。
  民主党の選挙を取り仕切る小沢一郎前代表の戦略は、「国民の生活が第一」とのキャッチフレーズを掲げ、急増した困窮者層を票田として取り込むことだと思いますが、不用意に美味しそうなエサに飛びつくと、ネズミ捕りのように、罠に嵌(は)まって檻から出られなくなる危険性があります。これからその論拠を挙げていきますが、このままでは近い将来、私たちは日本人というアイデンティティを失うかもしれません。

日本人は人民元ブロックの一員になってしまう!?
  1995年、当時の中国の李鵬首相は、オーストラリアの自由党党首で後に首相も務めたジョン・ハワードとの会談で「今の日本の繁栄は一時的なもので、あだ花です。その繁栄をつくってきた日本人がもうすぐこの世からいなくなりますから。20年もしたら国として存在していないのではないでしょうか。中国かあるいは韓国ないしは朝鮮の属国にでもなっているかもしれません」と発言しました。
  1997年のビルダーバーグ会議では、クリントン政権時の国家安全保障問題担当補佐官であり、左派ユダヤ・ロビーの統帥者でもあるサミュエル・バーガーが「中国を強大な軍事国として新世界秩序に組み込むことは可能である。中国の軍事力が強くなれば、世界政府を構成する主要三地域の1つとして、欧州連合と北米連合と並んで成立する要件を満たし得る。中国への貿易最恵国待遇の目的は、軍事的に強大な中国の存在である。これにより、太平洋地域における米国の軍事的プレゼンスを正当化することができ、国際金融機関は米国と中国双方の軍備増強から利益を得ることができる」と語りました。そして実際、米国は2000年に中国へ最恵国待遇を恒久的に供与しました。
  2008年1月5日、経済分野ではトップクラスのジャパン・ハンドラーであり、クリントン元大統領の有カブレーンとして日米包括協議のシナリオを書いた国際経済研究所の所長フレッド・バーグステンが日経新聞で「将来の世界の通貨体制はドル・ユーロ・元の三極通貨システムだ。日本は人民元ブロックの一員となる」と語っています。
  2009年1月には、オバマ大統領のブレーン、ズビグニュー・ブレジンスキーが「米中が協力して国際金融危機、地球温暖化問題に対処し、大量破壊兵器の拡散を制限する」、いわゆる米中(G2)による世界統治構想を中国に呼びかけました。
  私が警戒感を強めているのは、中国による東アジア統治が、決して中国だけの意向ではなく、米国の意向でもあり、世界を動かすエスタブリッシュメントたちの意向でもあるという点です。
  そして、2009年9月16日、政権を奪取した鳩山由紀夫総理大臣は「東アジア共同体」の実現を打ち出し、国連総会、日中韓首脳会議、ASEAN(東南アジア諸国連合)+3サミット、東アジア・サミット、国会所信表明演説など機会あるごとにその構想を訴えています。

「東アジア共同体」幻想に騙されるな
  「東アジア共同体」の具体的な内容はいまだ不明ですか、通常、共同体をつくるということは、人・モノ・金の流れを自由にするということです。2008年IMFのデータでは、日本の一人当たりのGDPは3万8559ドルで世界23位。韓国は1万9504ドルで世界36位。中国は3315ドルで世界104位。ASEANは平均すると2635ドル。中国と日本では約1111倍、ASEANと日本では約15倍違うのです。
  当然、中国や東南アジアの人々は日本に稼ぎに来たいと思うでしょう。中国人や東南アジアの人々は日本人よりも安い賃金でも喜んで働きます。日本人なら20万円の仕事を、彼らなら15万円でも十分雇えるでしょう。同じ仕事をしてくれるなら、企業は当然、安い賃金の方を選択します。そうなると、賃金は低い方で固定化されてしまうので、これまでのように雇ってもらいたければ、日本人も20万円ではなく15万円で我慢しなければならなくなるでしょう。そのうち中国や東南アジアの人々の失業率はゼロで、日本人の失業率は20%なんてことになりかねません。これは移民を受け入れている欧米では実際に起きていることです。
  東アジア共同体と移民の大量受け入れは、産業界の意向を受けた政策ではありますが、その結果は日本人労働者を窮地に追い込みます。
  また、逆に日本の企業が移転する可能性も高まります。移転するだけで人件費のコストは10分の1以下にできるのですから、経営者であればより安い労働力を求めての海外移転は当然の選択となるでしょう。そうなれば日本の製造業は激減し、失業率は激増します。
  さらに、民主党は日米の自由貿易協定(FTA)の推進をマニフェストに掲げていますが、このFTAを締結した場合、日本の自給率は12%に低下するに農水省が試算しています。それに加えて東アジア共同体ができ、共同体内では関税ゼロとなった場合、安い食糧が大量に入ってきて、日本の農業は壊滅状態になるでしょう。食糧自給は国家の安全保障の要でもあります。将来は世界的な食糧不足が懸念されていますし、実際、2008年からロシア、ウクライナ、ベトナム、アルゼンチン、中国、インド、カザフスタンなど大生産国で穀物の輸出規制が相次いでいる状況です。自国の食糧が不足した時に、自国民を犠牲にしてまで日本に食糧を輸出してくれる国があるのでしょうか? 日本の農業が壊滅した後に禁輸措置を取られたらどうにもならないのです。

ひとくちコメント ――
この本の著者・安部氏は世界支配層を「国際銀行家たち」と呼んで、彼らがこれから世界を三極に分割して統治しようとしている構想を紹介しています。その分析は私が多くの書籍を通じて得ている知識とほぼ一致しています。特に、世界支配層の手先となっている小沢一郎氏に操られた民主党の鳩山由紀夫前首相についての分析は、まったく同感です。
  しかしながら、自民党が完全崩壊した今となっては、この悪質な民主党政権に代わる政治勢力はもはやこの国には存在しません。政治の混乱は延々と続き、この国の主権は外国の勢力によって次々と奪われていくことでしょう。
  私の見るところ、民主党の鳩山前首相は、沖縄の基地問題を利用して巧妙に「日米離間」の火種をつくり、日本を中国の支配下に移すための地ならしをさせられたのです。ここにご紹介したのはほんのさわりの部分だけですので、日本や世界の将来に不安を感じておられる方には購読をお勧めします。(なわ・ふみひと)
 
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大東亜戦争の正体
清水馨八郎・著  祥伝社
「大東亜戦争」史観と「太平洋戦争」史観
  『笑いと忘却の道』を著したチェコの作家ミラン・クンデラは、登場人物に次のような言葉を語らせている。
  「一国の人々を抹殺するための最後の段階は、その記憶を失わせることである。さらにその歴史を消し去った上で、まったく新しい歴史を捏(ねつ)造して押しつければ、間もなくその国民、国の現状についても、その過去についても忘れ始めることになるだろう」と。
  一国を亡ぼすには、これが一番確かな方法で、刃物はいらないのである。
  西洋白人は、近世、アフリカ大陸や南米大陸の原住民を亡ぼすのにこの手を使った。アフリカは歴史のない暗黒大陸とされて、次々と簡単に滅亡させられていったのである。
  米国は今次の大東亜戦争後、占領政策でこの手を使って日本を亡ぼすのに完全に成功した。すなわち、占領軍が消し去った歴史が「大東亜戦争」史であり、発明し注入した歴史が「太平洋戦争」史である。
  大東亜戦争とは開戦直後、日本政府が正式に決めた名称であり、その中には、昭和天皇の開戦の詔(みことのり)のとおり、この戦争がアジアの安定と自国の平和と繁栄を願う自存自衛の聖なる戦いであることを明らかにし、開戦のやむなきにいたった日本側の正しい史観が込められているのであった。
  敵のマッカーサー司令官は、終戦直後の9月に進駐するや次々に占領指令を出し、昭和20年12月15日の「神道指令」の中で、この「大東亜戦争」という用語自体の使用をも禁止した。
  この指令に基づき、占領政策などに違反する出版物を厳重にチェックする検閲政策によって、「大東亜戦争」という固有の歴史観を持つことを否定し、「太平洋戦争」という新しい歴史観を持つことを強制したのであった。
  これ以後、日本では官も民も、日本古来の自国の歴史観を捨てて、この新しく発明された太平洋戦争史観を正しい歴史として植え付げられたのである。
  GHQのスミス准将は、勝者の立場で独断でデッチ上げた「太平洋戦争史」を強制的に、わざわざ開戦の日である12月8日を選んで全国紙に一斉に連載を開始させた。この虚構の太平洋戦争史は、日本が戦争を開始した罪、日本軍の残虐性、とりわけ南京とマニラでの残虐行為を事実として強調しており、何もかも日本が悪いという史観を日本人に植え付けるのに貢献した。続く東京裁判は、その筋書きどおりに進められたのである。
  この「太平洋戦争」史観の普及にはラジオも使われた。NHKでドラマ化されたラジオ番組「真相はこうだ」が10週連続で放送された。この放送と後の東京裁判を通して、日本人に初めて伝えられたデッチ上げの「南京虐殺30万人」の放送が、国民にとりわげ深刻な心情的打撃を与え、日本人の戦争犯罪堕罪意識の形成に決定的な影響をもたらしてしまった。
  一方GHQの指令は文部省にも及び、この歪められた侵略史観に沿って、教科書が書き改めさせられた。このため以後60年の現在まで、子供たちの教科書が、この押し付けられた侵略戦争史観一色に塗り潰され、今なおほとんど改定されずに現代にいたっているのは、恐ろしいことである。

NHK、朝日新聞、岩波書店が反日に走った理由
  このような「太平洋戦争」史観を押し付けるにあたり、GHQが最も活用したのは、情報発信の中枢であるNHKと朝日新聞、岩波書店などであった。これら重要な情報機関には検閲官が常駐し、厳重にチェックするばかりか、占領政策に都合のよい報道を積極的に流させた。
  GHQは占領政策に協力する「友好的な日本人、占領軍に利用できる人物」として数千の文化人をリストアップし、彼らを通して間接的に偏向情報を連日流させた。ここにNHK文化人、朝日文化人、岩波文化人といった反日的戦後民主主義者が生まれ、当時はさかんにもてはやされた。
  同じ日本の文化人の口から、日本の過去の戦争はすべて侵略戦争だ、南京虐殺30万人だ、と百万遍繰り返されれば、ウソでも真実と思わされてしまうものである。
  占領7年間に培(つちか)われたマスコミの反日偏向は「習い性」となって、それらの会社の社是となり、現在になお引き継がれている。たとえばNHKの朝の連続テレビ小説やNHKスペシャルで戦争関連のテーマを扱う時は、必ず日本だけを悪者とする東京裁判史観丸出しで、過去の日本を憎み侮蔑する偏向した内容になっている。当時GHQに育てられた局員の思想が、今もマスコミ界の中枢を占めているのは残念である。

★ひとくちコメント ―― 岩波書店や朝日新聞が偏向していることは、今日ではだいぶ知れ渡ってきましたが、NHKは中立的な放送をしていると思っている人はまだ多いと思います。私の見るところでは、NHKこそがもっとも大胆に「国民を洗脳するための道具」として使われているのです。NHKのテレビ番組は、この本の著者が指摘しているようにニュース報道からドラマに至るまで、日本人の退廃化を促進させるためのテクニックが巧妙にちりばめられています。
  ただし、地球や自然をテーマとしたドキュメンタリー番組(たとえば日曜朝の「さわやか自然百景」など)のなかには、さすがと言える番組もあります。問題があるのは歴史をテーマにしたドラマや報道番組で、大半は「百の真理(のなか)に猛毒一滴」といったものがほとんどです。それらは、日本人に間違った歴史観を植え付ける目的でつくられた番組であるということです。(なわ・ふみひと)

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日本国民に告ぐ
小室直樹・著  ワック出版
日本破滅の予兆
  日本は何者かに呪われている。何か強い意志がそこに働いているとしか考えられない。日本人は、ハーメルンの笛吹き男の笛の音に導かれて怒濤の中へ突進していった鼠の大群のように、投身自殺しようとしているのだろうか。
  平成元年(1989年)は、歴史の転換点だった。昭和天皇崩御の年であり、ヒトラー生誕100年の年でもあった。
  6月4日に天安門事件。人民中国が人民を虐殺し、中国の赤い星は墜ちて微塵となった。
  11月9日にベルリンの壁撤去。共産主義による自由弾圧の代表例であったベルリンの壁が撤去されたことの意味は、限りなく大きい。
  世界史は目眩めくスピードで激動し、流転の時代に入った。
  ソ連は、苦悶して、のたうちまわる。諸民族の反乱。労働者の反抗。20世紀最後の大事件、ソビエト帝国の崩壊。マルクス・レーニン主義は没落へ向けて一直線。
  ある作家いわく、
  「大安門事件のニュースに接したとき、これはどの事件で、今年の大ニュースは打ち止めだと思ったのに、さらにずっと大きな事件の予兆にすぎなかった」
  この年、あたかも昭和天皇が神去りまつるを待ち構えていたかのように、日本破滅の予兆が兆したのであった。
  この年、忌まわしき「従軍慰安婦問題」が日本人から持ち出された。この年、「朝日ジャーナル」に、「日本国は朝鮮と朝鮮人に公式陳謝せよ」との意見広告が、半年間にわたって掲載された。はじめは、これほどの大事件に発展すると思った人は鮮(すくな)かったろう。しかし、ここに始まった「従軍慰安婦問題」は、渓流となり、川となり、河となり、ついに滔々たる大河となって全日本を呑みつくそうとしている。
  誰か狂瀾(荒れ狂う波)を既倒に廻らす(押し返す)者ぞ。
  ご存じのことと思うが、はじめに、ことの経緯を鳥瞰しておきたい。

中学校教科書、全社で「慰安婦」登場
  平成9年度から使用される中学校の社会科(歴史)の全教科書に、いわゆる「従軍慰安婦」問題が登場することになった。日本書籍、東京書籍、大阪書籍、教育出版、清水書院、帝国書院、日本文教出版の7冊ともに「従軍慰安婦」が登場する。
  たとえば、東京書籍の「歴史」教科書は「従軍慰安婦として強制的に戦場に送り出された若い女性も多数いた」と、最大の争点である「強制連行」を史実として記述している。
  「歴史」教科書だけではない。「地理」や「公民」の教科書も、「戦後補償」問題と絡めながら「従軍慰安婦」問題を採りあげている。
  問題なのは「従軍慰安婦」問題だけではない。いわゆる「南京大虐殺」の被害者数についても、ほとんどの教科書に「十数万」「二十万」「二十数万」三十万」といった捏造された厖大な数字が掲載されている。報道によれば、日中戦争の発端となった蘆溝橋事件についても、「日本車が起こした」とする誤った史実が文部省検定をパスしていた。
  また、日ソ中立条約を一方的に破棄し、千島列島や満州を侵略したうえ、57万5000人の日本人をシペリアに連れ去って酷使(うち5万5000人が抑留中に死亡)したソ連軍の対日参戦を、「進撃」といった肯定的な表現で記述している。
  わが国の教科書が。、いわゆる東京裁判史観の影響を色濃く受けた自虐的な暗黒史観によって書かれていることは、かねてから指摘されてきた。ところが、平成9年度から使用される教科書の記述は、右のように、従来よりもはるかに自虐的な記述となっている。まったくの嘘の記述、間違った表現も激増している。そのうえ、事実の歪曲、嘘の捏造も、格段に大規模かつ悪質になってきた。
  藤岡信勝東京大学教授(現在、拓殖大学日本文化研究所教授)らの努力によって、教科書の自虐的な記述を改正すべきとの声も上がっていたが、平成9年度の教科書の記述は改正されなかった。

誇りを失った国家・民族は必ず滅亡する
  このことがいかに恐ろしいことか、本気になって論じようとする者は、まだいないようである。
  日本滅亡の兆しは、今や確然たるものがある。
  滅亡の確実な予兆とは、まず第一に、財政破綻を目前にして批手傍観して惰眠を貪っている政治家、役人、マスコミ、そして有権者。
  財政危機は先進国共有の宿病(持病)である。欧米では、人びとは財政危機と対決し、七転八倒している。政治家も有権者も、早く何とかしなければならないというところまでは完全に一致し、そこから先をどうするかを模索して必死になって争っているのである。
  それに対し、はるかに重病の日本では、人びとは案外平気。財政破綻とはどこの国のことか、なんて顔をしている始末。
  日本滅亡のさらに確実な第二の予兆は、教育破綻である。
  その一つは、数学・物理教育の衰退枯死。このことがいかに致命的か。
  日本経済は技術革新なしには生き残ることはできない。しかし長期的には、日本の技術立国の基礎は確実に崩壊しつつある。工学部はじめ「理科系」へ進学する(あるいは進学を希望する)学生が急激に滅少している。まことに由々しきことである。
  技術立国のためだけではない。数学・物理は、社会科学を含めたすべての科学あるいは学問の基礎であるとまで断言しても、中(あた)らずと雖も遠からず。
  だが、さらにより確実な滅亡の予兆は、自国への誇りを失わせる歴史教育、これである。誇りを失った国家・民族は必ず滅亡する――これ、世界史の鉄則である。この鉄則を知るや知らずや。戦後日本の教育は、日本の歴史を汚辱の歴史であるとし、これに対する誇りを鏖殺(おうさつ)することに狂奔してきた。その狂乱が極限に達したのが、「従軍慰安婦」問題である。


★ひとくちコメント
―― いま日本は世界中からバッシングの嵐に遭いつつあるのが見て取れます。計画的に(陰謀に基づいて?)日本という国をこの地球上から抹殺してしまおうとする動きが加速しているのです。組織が崩壊するにはいくつかの主要な理由があります。まず、その構成員が組織の危機を認識できないこと、次に、構成員が組織に対して誇りを持っていないため組織防衛の気持ちを持ち得ないこと、そして、組織のリーダー層が外部勢力によってコントロールされていて、組織の崩壊に手を貸していること――などです。国家の場合も全く同じで、いまの日本がまさにその状態にあると言えるでしょう。
  さて、では国の崩壊の道連れにされつつある私たちに残された手段はあるのでしょうか。
  まずは現実を直視し、この国の破壊をもくろむ人間たち(世界支配層?)の片棒を担いでいるのは誰なのかを知ることです。かつてこの国を売る役目を引き受けた米内光政や山本五十六と同じ役割を担わされた人物が、今政界や宗教界の頂点に立って、この国に歴然とした影響力を持つに至っています。私たちにできることは、そのような人物を憎んだり、軽蔑したりすることではなく、先人が築いてきたこの国の正しい歴史を自ら学び、誇りを取り戻すとともに、それを未来を担う若い人たちに伝えていくことです。(なわ・みふひと)

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スパイ“ベラスコ”が見た広島原爆の正体
(は)められた日本と世界を支配する見えざる帝国
高橋五郎・著  学研
日本の運命は決まっていた
  原爆投下を命じたトルーマン大統領は、フリーメーソン第33階級の地位にあった人物だ。彼は太平洋戦争を勝利させた勲功として、結社からミドルネーム「S」を与えられている。Sは聖書に語られているソロモン王の頭文字Sだ。
  トルーマンは、かつてアメリカはミズリー州にあるメーソン・ロッジの統括責任者を務め、同州判事を経て議会に進出、物資防衛計画を調査する上院特別委員会の委員長から副大統領に当選。その直後、ルーズベルト大統領の急逝を受けて大統領に就任。広島、長崎への原爆投下を命じている。
  トルーマンは投下直後の大統領声明で、「米将兵の徒死をひとりでも減らすためだった」と原爆投下理由を正当化した。だが、広島長崎への原爆投下のタイミングは、先にも述べたように結社の戦争スケジュールに沿って決定されたものだ。スチムソン陸軍長官もトルーマンと同じ結社員同士である。
  ところで、トルーマンの結社員仲間デビッド・ナイルズにはふたりの娘がいた。この姉妹については、少々触れておいたほうがいいだろう。娘のひとりはイスラエル政界の有力者として活躍。もうひとりの娘も、クレムリンの政策決定に関与する重要人物としてそれぞれ活躍したことで知られる。姉妹は結社員として、後のクレムリンとワシントン、ならびにパレスティナとイスラエルのそれぞれの調整役を果たしつつ、結社の目的推進に貢献している。
  姉妹は「束の間の和平の和平時間」を挟みながら、日清、日露、満州、太平洋へと続く日本の戦争を、中国、ロシア側からお膳立てをしたメンバーである。彼女たちは日本を誘導して、結社の利益を連続させる闘争管理方式を行ないつづけた。朝鮮、中国、ソ進と連合軍とのさらなる対決の連鎖の陰には、ナイルズ姉妹の活躍があったといわれる。日本の財閥会社も、結社の国際戦略活動に便乗して経済利益を追った。
  結社の悲願(アジェンダ)実現のための方法論ともいうべき戦術は、世界中に向けられている。つまり、アメリカ大統領とイギリス首相に恭順の意を表す世界諸国の政治、経済、学術、軍事ほかの社会活動を結社が規範づけているのである。
  アメリカの大統領が原爆投下先を日本に決定した時期は、1943年5月5日。先述の公式資料にそう書かれていた。この日付は結社がナチス・ドイツに投下する意志など最初からなかったことを明かした日付でもある。ベラスコのいうナチス原爆が、ロンドンやリバプールに投下されることは絶対になかったのだ。
  そも、ドイツ(ロンドンも)は秘密結社の誕生の地であり、結社のメンバー企業の本拠地でもある。そこに死の灰をまき散らすわけにはいくまい。自宅に放火する人はいないからだ。ペラスコのいう原爆の投下先が、ロンドンでもリバプールでもないのは、こんな単純な理由からだ。
  投下目標を日本に決めたのは、秘密結社の決意を世界に明かすためだ。日本は開国以前から、自民族の運命を自身で決めたがっていたと結社は考えていた。だが、結社には日本に自らの運命を決めさせる気など毛頭なかったのである。
  にもかかわらず、日本は独自の道を歩こうとした。
  結社は、かつてイエズス会の宣教師フランシスコ・デ・ザビエルを派遣して、1549年に日本最南端の小島に首尾よく上陸させている。目的は日本を支配するためだ。だが、それから400年後の1945年にようやく日本を完全支配したつもりになる。武力に頼る必要はなかったが、原爆の力、つまり結社の凄みだけは見せつけておく必要があったから、原爆を投下した。ただし、一義的にはアメリカの納税者のために、原爆の製造責任を果たし、そしてソ達に対しては威力を示すためだったのだが……。

もっと読んでみたい方はこちらをどうぞ → スパイ“ベラスコ”が見た広島原爆の正体
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乱れた日本の国語
中條高徳  『致知』2008年11月号「巻頭の言葉」
恥の文化の崩壊
  我が国はその昔より「言霊の幸ふ国」と言われてきた。言葉の表現に細やかな優しい気配りをして磨いてきた国であった。
  大陸から学んだ漢字に平仮名や片仮名を創り出して表現を豊かにしてきた。千年前の『源氏物語』を読んでも、先人たちの言葉の見事な表現にうなる。
  673年前、戦敗れマッカーサーが厚木に上陸するや、「修身・歴史・地理」は教えてはならないと宣言。表看板は「ザ・ウォーギルト・インフォメーション計画」と掲げたものの、6年8か月の占領期間は、この国を民主化するとの名の下に、我が国の歴史の否定に終始した。国家を潰すに武力はいらない、その国の歴史を消せばいい、との説さえある近現代にあって、まさに実験台の趣があり、見事といってよいほどの徹底さであった。
  (中略)
 人類最初の原爆の洗礼、東京大空襲を始めとする諸都市の猛爆、沖縄戦など、我が国有史以来の数々の惨憺たる体験をした国民は虚脱状態だっただけに、巧妙を極めた占領政策は見事なほどに滲み込んでいった。そして他国に類を見ないほどの縦軸・横幅で織り成し、築いてきた「恥の文化」は音をたてて崩れていった。
  民族の誇りでもあった「絆」は切断され、極端をいえば戦前の全てが悪とさえ捉える輩が急増した。

言語の乱れは心の乱れにつながる
  文化庁が実施した平成十九年度「国語に関する世論調査」の結果が発表になった。
  「国語は乱れていると思うか」の質問に、8割近くの人が「乱れている」と答えている。
  動物の叫びかと感ずるような若者言葉や、敬語、謙譲語の乱れなど、国語力全体が著しく低下していると感ずる国民が極めて多いことがこの調査で窺える。
  国語の習得は古来、学ぶこと、習うことが基本とされている。しかしこの調査では、子供たちの学習のモデルは86%テレビという結果になっている。とりわけ大さわぎ娯楽番組の罪が大きい。それに国会議員や知事らが出演しているのはいかがなものか。
  言語は心の表象ともいわれる。逆もまた真なり。言語の乱れは心の乱れにつながる。
  世のりーダーでもある経営者たちの最近の言動に卑しい発言が多くなったのも、筆者にとって大きな気掛りである。最高学府に学んだホリエモンこと堀江貴文氏の「投資家にとって邪道かどうか関係ない。ずるいと言われようが合法だったら許される」「誤解を恐れずに言えば、人の心はお金で買える。女は金についてくる」との発言などはあまりに卑しい。この類の発言が昨今のリーダーたちに多く散見されるのは、由々しい問題である。
  「人間学」を疎かにし、知識の集積のみに走った、つまり「時務学」のみに走った哀れな結末に他ならない。

★ひとくちコメント―― 著者が嘆いているように、「言葉の乱れは心の乱れ」ということを痛感させられる昨今の日本の状況です。
「鶏が先か卵が先か」ということですが、「心」が五感ではつかみにくいものである以上、まずは「言葉」を正すことが身魂磨きのスタートとなるでしょう。私たちは今日の日本の哀れな現実を直視しつつも、ただ世を嘆いているのではなく、まず自ら正しい言葉を使っていくことから始めたいものです。そのことが、先人たちが長年にわたって大切に育ててきたこの国の遺産を守ることになると確信しています。(なわ・ふみひと)

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09
日本よ
石原慎太郎・著  産経新聞社
中国をどう扱うか
  一年ほど前今日の中国を表象する興味ある光景をテレビで目にした。広州から北京まで敷設された新しい鉄道の沿線にいろいろ開発が進み、ある町が新設の工場のお陰で発展してる。その工場の工場長は女の地区共産党の幹部でまだ20代の若さだが成績を上げるために極めて厳しい監督ぶりで、いつも工場内を歩いて監督し能率の上がらない労働者を叱りつける。
  コンベア・ベルトの前で仕事する職員は戦々恐々で、彼女が回ってくると身を縮め緊張している。彼女はそれぞれの職員の能率のデータを眺めては、駄目な労働者はその頭を後ろから殴るに近く激しく小突いてしごき上げる。彼女の前ではいい年の従業員も身をすくませながら懸命に働きつづける。その様子は奴隷とまではいかないが、かなり残酷に使役されている労働者という印象は否めない。聞くところこうした工場では作業の正確さを保持するために、眼鏡をかけた者は採用されず、視力を落として眼鏡をかけた者はクビになるそうな。
  これがもし日本や他の国々なら、そうした労働条件に関して社会党なり共産党といった政党がバックアップしてストライキも起ころうが、なにしろ共産党独裁の政治体制では、当の共産党が企業の生産態勢を管理しているのだから労働条件に関する問題はまず起こりようもない。中国の製品が世界的に強い競争力を保持するチープレイバーの所以はそこにあって、私がテレビで目にした光景はそれを如実に教えていた。だから他のアジアの国々でのチープレイバーも中国には太刀打ち出来ないで、必然中国の製品は無類の競争力を持つことになる。
  これは毛沢東が人民を解放したに次いでケ小平が経済を解放した政策が一応の成功を見せた証左ではあろうが、この類例のない経営形態が結果として国際競争の中で他国を蹴落としブラックホールのように周りを吸いこんでしまう状況が現出しつつあるということには注意する必要がある。こうした異形な国家が、他の先進国にはあり得ぬ労働条件だけではなしに、また片方では他国の知的所有権を無神経に踏みにじりそのコピーを氾濫させて顧みないでいるというのに、そのままWTOに参加する資格があるのかどうか疑わしい。
  聞くところ中国の人口は13億、内の4億人は都市戸籍を持ち残りの9億人は農村戸籍という。社会保障や医療保障を受けることのできるのは都市戸籍の所有者だけで、農村から都市に移って都市戸籍の利便を享受するためには大学を卒業しなくてはならぬそうな。それは貧困に喘ぐ農民にとって不可能なことだろう。
  そしてその農村には推定最高六千万といわれる、一家一児制の元でやむなく生んでしまい隠したまま育てられた無戸籍の子供たちがいて、その多くの者たちはすでに成長しさらにその子供を生んでもいる。
  彼等の生活水準は都市のそれに比べて著しい格差があり、東北郡の農村の農民の平均寿命はわずか45歳という。近年の気象異変で黄河の水は枯渇しかけていてその河口では水流が見られず、彼等が一月に使用出来る水の量は一人当たりわずか30リットル程度だそうな。
  こうした国家的な大きな歪みはどれほど隠しても隠しきれるものではなく、当然情報として全国に波及していこう。そしてそうした格差に押しひしがれている人民に都市、あるいは外国への出奔衝動をかもしだし、今日、日本に限らず多くの格差難民がヨーロッパ諸国にも溢れだし、従来あり得なかった犯罪を猖獗(しょうけつ)させ始めている。現実の格差の歪みに喘ぐ国民たちが、まして国籍も戸籍も持ち得ぬままに、犯罪という行為に躊躇する心理的な抑制力などありようもあるまい。
  日本もまたその被害を被っているものの一人で、中国に限らず富裕さを求めて日本に不法入国してくる外国人の数は日増しに増加してい、不法な入国滞在ゆえ必然その多くは犯罪要員となり、日本の暴力団が凶悪犯罪の担い手として一種のチープレイバーとして彼等を悪用するケースも増えている。
  特に暴力団同士の抗争の際の殺人などの担い手として彼等を雇う際の保証の費用は格安ゆえに珍重されるという。いずれにせよ日本における外国人による犯罪数は急増しており、その中での中国人の犯罪数は顕著に拡大している。前にも指摘したがこのまま抑制がきかぬままにいくと例の「蛇頭組織」などの存在はさらに強化され、それに日本の暴力組織が合体して犯罪そのものが凶悪複雑化する恐れがある。
  日本政府のこうした状況への認識把握は極めて甘いものでしかなく、その温床となりつつある大都会の居住者の方がはるかに危機感に満ちていて、先般の都民の意識調査でも外国人犯罪をふくめての治安への不安が急増している。
  それを裏書きするように最近極めて暗示的な犯罪事例がいくつも見られる。先日、警察が追いつめた中国人の犯罪者が、数メートルもある高い垂直な壁をいとも簡単に素手でよじ登って逃走してしまった。目撃した警察官の報告では、あれはその種の訓練を受けた特殊部隊のようなプロ以外に出来る技ではないと。こうした人間が何を目的に誰によって派遣されてくるのか、日本の政府はそれを確かめ防ぐための手立てを講じる責任があるはずであるが、今の外務省や法務省にその責任感なりその姿勢が果たしてあるのか極めて疑わしい。
  いずれにせよ我々の隣りの中国は軍事力を背景にした強引な拡張主義による脅威に加えて、彼等に内在している社会的な歪みのあまりの大きさのゆえに、私たちの生活にじかに関わる日本国内における治安の上でも極めて危険な要因となりつつあるという認識は国民市民として強く持たれるべきに違いない。                         (2001年9月3日)

★ひとくちコメント―― 石原氏はこの国を憂う気持ちが人一倍強く、正論と言える直截的な発言が多いため、中国から“働きかけ”を受けていると思われる朝日新聞や毎日新聞および系列のテレビ局や週刊誌など反日マスコミの格好の餌食にされている人物です。
私は、そういうマスコミの手の込んだ“石原叩き”に目をくらまされることなく、ここにご紹介したような氏の情勢認識はぜひ参考にしていくべきであると思っています。(なわ・ふみひと)

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08
日本、そして日本人の「夢」と矜持(ほこり)
渡部昇一・著  イースト・プレス
「有色人種は猿のごときもの」
  戦前の日本は、すでに有色人種の国の中で、唯一、先進国の仲間に入れてもらった国家であったが、その日本人と結婚することも白人社会の中ではタブーであった。
  イギリスの有名な詩人エドモンド・ブランデン(1896〜1974年)は、戦前の東大文学部で約3年間、英文学を講義した経験を持ち、また、戦後もイギリス政府の文化使節として来日して、大きな学問的刺激を与え、日本学士院名誉会員に推されている。私も大学の英文科で彼の講義集を教科書とした授業を受けたことがある。
  その彼には日本人妻がいて、献身的なまでに彼女は自分の人生を彼に棒げた。彼女は、自分の財産をブランデンに遺贈したりもしている。
  彼は、離婚した前妻が死んだら結婚しようと言っていたらしいが、結局、実行しなかった。だが、日本人と結婚しなかったからこそ、彼は桂冠詩人(英国において、詩人に与えられる最も栄誉ある称号)になれ、オクスフォード大学の詩学教授にもなれたというのは、否定できない事実である。
  優れた学者・詩人で、日本でも多くの弟子を育てたような優れた教育者であった彼でも、そうだったのである。彼の友人や弟子たちの書いた伝記は、この女性に触れていない。
  さらに遡れば、幕末において、最も知日的な外交官であったアーネスト・サトー(イギリス人。倒幕派を支援し、明治維新成立に貢献した。1843〜1929年)にも日本人妻がいた。サトーは、その妻や子を愛し、子どもにはイギリスで正式な教育を与え、財産まで残したが、入籍はしなかった。といって、白人女性の妻がいたわけでもなかった。第二次世界大戦が終わるまでのイギリス人社会においては、日本人妻がいても入籍さえしなければ問題にされなかった。だが、ひとたび入籍してしまうと、先のハーマン・ウォークの小説にあったように、白人社会から追放されたのである。
  サトーは、そういう現実を見て、正式な結婚を諦めたのであろう。彼がのちに国際会議の英国代表になり、サーの称号まで授与されたのも、彼が正式に結婚しなかったためだと言っていい(ちなみに、彼の公式の伝記は、この日本人妻のことには一行も触れておらず、「終生、娶(めと)らず」と記すのみである)。
  これとまったく逆の例が、小泉八雲、すなわちラフカディオン・ハーン(小説家、日本研究家。代表作に『怪談』など。1850〜1904年)のケースである。
  島根県出雲に滞在していたハーンは、小泉セツという女性に身の回りの世話をさせていたが、セツに子どもが生まれてしまった。
  当時の常識としては、その子を認知しなくても問題はなかったが、彼は息子を愛するあまり、日本国籍を取り、小泉家に入る決心をする。おそらく、彼自身、母親がイギリス人でなく、苦労した経験があったからではないかと思われる。
  しかし、ハーンは日本人と結婚したために、東大在籍中は同僚の白人たちから完全に孤立してしまうのである。
  その当時の白人の感覚としては、日本人と結婚するのは猿と結婚するのと似たようなものだと思われる。白色人種と有色人種とでは進化の度合が違うのだ、ということが真剣に議論されたくらいだから、これはけっして誇張ではない。
  ハーンを彼らの仲間に加えるとなると、ハーンの妻も自分たちの交際仲間になってしまう。猿を白人なみに扱えるものか、というのが彼らの感覚だった。
  ハーンが死の床にあったとき、ロシアのバルチック艦隊が日本に刻々と近づきつつあった。彼は連合艦隊司令長官・東郷平八郎大将の写真を枕元に置き、ときどきその写真にキスして「東郷さん、この戦争には勝ってくだされよ」と言っていたそうである。
  日本がロシアに敗れれば、日本人は猿扱いになる。ロシアのニコライニ世は、いつも日本人のことを“猿”と呼んでいた。だが、日本が勝てば、日本人は名誉白人扱いになるであろう、とハーンは考えたのである。
  ハーンを私は卒業論文のテーマにしたが、その記録を読んだときの悲痛感を40数年経った今でも、生々しく憶(おも)いだすことができる。

★ひとくちコメント―― 映画「猿の惑星」の猿は日本人をモデルにしたものだという話は有名ですが、今日でも、支配層に属している白人たちの心の奥底には、有色人種を蔑視する意識が潜んでいるのは事実でしょう。私たち日本人にとって、“名誉白人”という言葉ほど卑屈な言葉はないような気がします。(なわ・ふみひと) 
07
歴史から消された日本人の美徳
   いま蘇るこの国の“心の遺産”とは  
黄文雄・著  青春出版社  2004年刊
歴史に遺された日本人の知性と道徳
  大航海時代に日本を訪れた宣教師たちの記録に、日本人の知性や道徳は世界最高であると書かれている。当時は戦国時代、天下分け目の戦いを展開しているさなかであった。その乱世のなかでも、日本人の振る舞いが礼儀正しく、徳の高いものであることに驚嘆してイエズス会に報告の文書を書き送っている。
  1549年(天文十八)8月19日に鹿児島に上陸したスペイン人イエズス会宣教師、フランシスコ・ザビエルは、ゴアのサン・パウロにいたコレジョ修道士宛の書簡のなかでこう述べている。
  「此の国の人は礼儀を重んじ、一般に善良にして悪人を攘(ゆず)らず、何よりも名誉を大切にすることは驚くべきことなり」
  「俗人の間には罪悪少なく、また道理に従ふことは坊主と称するパードレ(神父)及び祭司に勝れり」
  また、ザビエルに同行したパードレ・コスメ・デ・ドレスが布教地の山口からスペインのバレンシアのイエズス会士に宛てた書簡にも同様の記述がある。「日本人はきわめて理知的であり、道理によって身を処することはスペイン人に劣らず、あるいはそれ以上である」と、褒め讃えている。当時の日本人の教養と徳性が、世界中を伝道していた西洋知識人を驚かせたのだ。
  日本では古代より質の高い社会を形成していた。16世紀のスペイン伝道師の記述を待つまでもなく、3世紀に書かれた『魏志倭人伝』(正確には『三国志』・「魏書」の東夷伝)には、「窃盗せず、訴訟少なし」という記述があり、穏健で徳性ある社会を営んでいたことがうかがわれる。
  中国は当時から強盗の国であった。山に山賊がいないところはなく、湖に匪(ひ)がいないところがない、という匪賊(ひぞく)がやり放題の「梁山泊(りょうざんぱく)」の国情があった。その国の人間が倭の国について「泥棒がいない」と、これまた驚いて記録に残したのである。
  道義、儀礼に厚い国として、西洋人伝道師が見た日本は、その後徳川幕府の下、三百年近くにわたる天下太平の時代を経て、さらに礼儀、道義の邦(くに)として成熟していった。
  1856年(安政三)、下田に来航したアメリカの初代駐日公使ハリスは『日本駐剳(ちゅうさつ)日記』に、永年鎖国下にあった日本の開国後の姿について、「日本の国民にその器用さと勤勉さを行使することを許しさえすれば、日本はやがて偉大な、強力な国家となるであろう」と予言した。
  アメリカ人が通商を求めて来航する少し前、1811年(文化八)に、ロシア軍人ゴローニンが部下とともに国後島において蝦夷松前奉行に捕らえられ、その後2年3カ月にわたり箱館で幽閉された。その際の抑留経験を綴った『日本幽囚記』で、日本人の心優しさを綴っている。このゴローニンの釈放に力を尽くしたのが海商の高田屋嘉兵衛である。
  『日本幽囚記』はその後ロシアをはじめヨーロッパ各地で出版され、日本人の高潔さがヨーロッパに知れわたることになった。この『日本幽囚記』に感動して、日本での伝道活動を決意したロシア人宣教師ニコライも、日本人について「上は武人から下は町人に至るまで礼儀正しく、弱いものを助ける美しい心をもっている。忠義と孝行が尊ばれ、これほど精神の美しさをもつ民族は見たことがない」と絶賛している。

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06
知っておくべき日本人の底力
渡部昇一・著  海竜社
日本のもの作り力は世界一
  日本は島国で刺激が少ないこともあり、オリジナリティーに乏しいといわれるが、これはいいものだとわかると、すぐにそれを超えるものを作ってしまう。そうした素晴らしい能力を持っているのである。
  鉄砲、時計、仏像鋳造、軍艦、こうもり傘など、ここに紹介したのはほんの一部であるが、数知れないほどの海外からの発明品を徹底的に分解し、研究し、そして改良し、最終的に日本は外国のものを超える素晴らしいもの作りをしているのだ。
  これは日本人が昔から持っている特長である。
  「真似」から「本物」を作らせたら世界一だ。そして、今度は日本が作った「本物」を外国が「真似」することができないという痛快な「底力」を日本は依然として持っている。

西洋文明を超える力をアジア各国に示した日本
  日本人はすぐに真似をすると嘲弄(ちょうろう)されたが、戦艦まですぐに真似されて、しかも性能は真似した日本の戦艦のほうが優れているということになると、「日本人は真似する民族だ」と列強国は揶揄しながらも内心日本が脅威であったに違いない。
  20世紀で世界に貢献したものは、アメリカ以上に日本がいちばんではないかと経営・社会学者のピーター・ドラッカー(1909〜2005)も言っている。
  その貢献とはどういうことかと言えば、一つは、日本が明治維新で植民地にならず、日本独自の政府を作った事実だ。もう一つは、他国のものであっても優れた技術は入れたほうがいいということである。この二つを日本は世界に、とくにアジア諸国に手本として示したというのである。つまり、欧米列強に絶対に敵わないと思っていたアジア諸国に、自分たちにもできるかもしれないという希望を持たせることとなったのである。
  日本がやってみせるまでは、有色人種は西洋文明を消化するほうにベクトルを向けたという兆候さえなかった。日本が消化して見せて、自分たちにもできるかもしれないとドラマティックに示した手本の第一例が日露戦争であり、決定版がアメリカとの太平洋での戦争である。
  なぜなら、航空母艦を作ることができたのは、日本とアメリカとイギリスだけだったし、イギリスでも機動部隊までは作れなかった。ドイツやソ連も航空母艦は持っていなかった。
  どういうことかと言うと、航空母艦を何台も使ってさらに巡洋艦、駆逐艦で編成し、航空戦を主とする高速艦隊によって作戦を立てるという発想が、イギリスにもなかったのだ。
  そういった機動部隊を最初に創ったのは日本であり、その偉力を知って、さらに大規模なものを作ったのがアメリカである。作れたのは、日本とアメリカだけだったのである。
  日本は航空母艦を十数隻持っていた。イギリスの航空母艦ハーミスは、日本軍のインド洋攻撃の際、撃沈してしまった。これは世界初の艦上機による航空母艦撃沈であった。イギリスは規模の点で、飛行機も航空母艦も全然問題にならなかった。
  太平洋戦争で3年何カ月かの間、日本は必死になって戦っていた。それを、世界中が多大な関心を寄せて見ていた。日本は石油も鉄もなくなってきたから、負けて当然と思っていただろう。しかし、ドイツを破ったイギリス海軍でさえ、手も足も出せなかったという事実に、日本は驚異的な「底力」のある国だということを世界中が周知したのである。
  とくに、イギリス海軍が日本軍に歯が立たなかったということは、大いに注目すべきことだった。チャーチルの著書『第二次世界大戦回顧録』にもあるように、日本のインド洋作戦においてはハーミスばかりでなく、重巡洋艦ドーセットシャーやコンウォールが撃沈させられている。そのときの急降下爆撃の爆弾の命中率は、90パーセント前後だといわれている。この確率は練習でも出ない確率であり、そのドーセットシャーは、大西洋ではドイツのビスマルク号と戦ったこともある強剛の重巡洋艦であった。
  最新鋭の戦艦プリンス・オブ・ウェールズも、日本軍とのマレー沖海戦で沈没した。プリンス・オブ・ウェールズは、チャーチルのお気に入りの戦艦であり、撃沈の知らせを聞いたとき、チャーチルは絶句したという。のちに、「戦争全体を通してあのような衝撃を自分に与えたことはほかにない」と、著書『第二次世界大戦回顧録』で語っている。
  この日本の「底力」には、撃沈された国も、傍観していた国も驚いた。弱腰で傍観していた国々は、早速日本の真似をし始めた。
  戦後いち早く復興を遂げたのは日本であったが、次に早かったのは日本の植民地だと言われている韓国と台湾だった。日本からの資本、技術をもらえば、すぐにある程度の工業化ができて、見違えるようになった。
  それを見て中国は、毛沢東以来、中共政府が何も作れていないことに気づいた。同じ民族であるはずの台湾のほうが、近代工業国となってどんどん輸出を増やしているからだ。それに気付いて、ケ小平は結局日本式に切り替えた。資本も技術も外国から入れようと方向を転換した。これが今の中国である。
  インドも、シンガポールも、インドネシアもみな、満足ではないが独立して技術を外国から入れようとしている。すなわち、日本式に倣っているのである。
  明治以来戦争を通して日本が「底力」を示したことで、やればできるということを世界中に証明した。この日本の功績は非常に大きいと言えるだろう。

★ひとくちコメント―― インドや中国をほぼ植民地化することに成功していたイギリス(に巣くう世界支配層)は、アジアの中で日本だけは侮れないと見て、国の内部に植え付けておいた米内光政や山本五十六などのエージェント(代理人)を使って日本を巧妙に太平洋戦争へと誘い込み、その主戦力(戦艦、航空機、パイロット)を完膚無きまでに破壊・殺戮し尽くしたのです。
  日本は他のアジアの国々と違って、世界支配層をそこまで警戒させるだけの民族の力を持っていたということがわかります。結果的にそのことが、戦後あらゆる面において国家機能を徹底的に崩壊させられるという今日の不幸を招いたとも言えますが、先人が示したこの国の底力については誇りを持っておきたいと思います。(なわ・ふみひと)

05
凛の国
前野徹・著  青春出版社
フランシスコ・ザビエルが記した日本人の節度
  日本がアジアでは例外的に西欧の植民地とならなかったのも、私たちの先祖が立派だったからです。
  西欧人にとって、東方は、未開の地で野蛮な人々が住んでいる地域でしかありませんでした。文明の進んだ自分たちが行って、武器で脅かせばどうにでもなるというのが彼らの考え方でした。しかし、日本に来てみると、ほかの地域とは違って、非常に文化が発達していて、人々もしっかりした考え方を持っている。これは手強いぞとなって、武力での侵略を諦めたのです。
  例えば1549年に来日した、イエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルです。ザビエルは前に触れたようにポルトガルの東方侵略の手先でした。そのザビエルが本国に送った書簡にこう書き記しています。
  「日本人はこれまで遭遇した国民の中で、最も傑出している。名誉心が強烈で、彼らにとっては名誉がすべてだ。武士も平民も貧乏を屈辱とは思っていない。金銭より名誉を大切にし、侮辱や嘲笑には黙って忍ぶということはしない。武士が領主に服従するのは、それが名誉だからであって、罰を恐れているからではない。日本人の生活には節度がある。酒を飲み過ぎるきらいはあるが、多くの人たちが読み書きができ、知的水準が極めて高い。学ぶことを好み、知的な好奇心に溢れている」
  同じくイエズス会に所属し、織田信長を訪ねた巡察師にヴァリニャーノがいます。彼も、日本人の欠点を挙げる一方で、「ヨーロッパ人に見られる粗暴さや無能力がなく、忍耐強く清潔好きで、理解力に優れ、仕事に熟達している。礼儀正しさと理解力において日本人がわれわれを凌ぐほど優秀であることは否定できない」と日本人を高く評価しています。
  日本人の技術力も彼らを驚かせました。日本に鉄砲が伝来したのは、1543年。種子島に漂着したポルトガル人からたった2挺の鉄砲を手に入れた八坂金兵衛は、わずか1年で火縄銃「種子島」を20挺開発します。その後、火縄銃はさまざまな職人の手によって改良を重ねられ、本場ヨーロッパをしのぐ性能の銃になりました。そして、アッという間に日本中に広がり、鉄砲伝来からわずか32年後には織田信長が三千人の鉄砲隊を編成して、武田軍との長篠の戦いで勝利し、天下統一に向けて動き始めたのでした。
  元寇から数えて約六百年後、日本は元寇以上に大きな危機に見舞われます。黒船の来航です。
  しかし、日本はほかのアジアの国々のように武力で制圧されることはありませんでした。強靱な精神力と技術力、高い文明があったからです。
  徳川末期、日本に開国を迫った太平洋艦隊司令官のペリーは、その報告書で、歴訪した国々の中でも日本は極めて組織化された社会機能を備えており、彼らが開国してわれわれの文明に幅広く接するなら、驚くほど短時間に軍事国家、産業国家になるだろうと予測し、武力での開国を諦めました。
  このペリーの予言は見事に当たり、明治維新を経た後、日本は近代国家として発展、大東亜戦争に敗戦した後も、経済大国として甦りました。
  ペリーがもうひとつ驚いたのは日本の科学技術です。ペリーは日本を攻略するにあたって、江戸湾とその周辺を欧米の最新技術を使って測量しました。その測量結果を、すでに日本に西洋医学を伝えたオランダ人の医者、シーボルトによって持ち出されていた伊能忠敬の地図と照らし合わせたところ、まったく同じでした。以来、ペリーは日本は相当技術の進んだ国だと警戒したそうです。
  また幕末、ロシアの提督、プチャーチンが来航して、日本の海で難破しました。そのとき、伊豆の大工が少し小さかったものの、ロシア船とそっくりの船をつくり、驚かせたという話が残っています。
  技術的にも精神的にも優秀な日本人を武力でいうことをきかせるのは無理だと判断した諸外国は、話し合いによる開国に方針を転じたのでした。

★ひとくちコメント――
戦後、主として戦勝国アメリカの手によって、「凜の国」を普通の国以下に貶めるためあの手この手の“手術”が施された結果、もはや今日では日本のどこにも“凜”の面影を見ることはできなくなってしまいました。拝金主義と自己中心主義が社会全体に蔓延し、先人の嘆きを誘うような哀れな国へと落ちぶれてしまったのです。しかし、かつてのこの国は世界が驚嘆するほどの優れた国民で構成されていたという歴史的な事実は、大和民族としての誇りを持って記憶にとどめておきたいと思います。(なわ・ふみひと)
04
第四の国難
前野徹・著  扶桑社
耳も目も覆い隠されて改造された日本
  戦後のアメリカの日本統治はリペラルだったと考えている人がいるとしたら大間違いである。GHQは、表向きは報道、言論の自由を掲げていたが、言論の自由などかけらもなかった。
  GHQの厳しい言論統制によってすべて検閲が行なわれ、アメリカに不都合な記述は一から書き直させられるか、発禁処分になった。例えば先に述べたようにルーズベルトを告発したチャールズ・ビアード博士の『ルーズベルト大統領と第二次世界大戦』はGHQによって発禁処分にあったし、GHQ労働局諮問委員会のメンバーとして来日した歴史学者、ヘレン・ミアーズがアメリカ占領政治の欺瞞を暴いた書、『アメリカの鏡・日本』も、執筆された昭和24(1949)年にGHQによって翻訳・発行を禁じられている。
  占領軍の情報操作・言論統制は、占領統治が始まると同時に実施された。昭和20年9月、GHQは日本の新聞や雑誌、書籍、放送などマスコミ関係者に向けて、「プレスコード」なるものを発表した。プレスコードは日本語では「新聞規約」となっているが、「連合国占領軍に対し、ネガティブな(マイナスになるような)批判を加えたり、占領軍に対し、不信もしくは怨恨を感じさせるような事項を掲載(もしくは放送)してはならない」とある。要するに情報の統制である。
  さらにGHQは10月になると、一切の報道内容について事前検閲を行なうことを決定、検閲要領の細則を各新聞社や出版社に通達し、検閲体制を整えた。これによって、反米的な情報、とりわけ東京裁判と原爆投下に関する批判は厳しく禁じられた。
  日本の無実を主張したパール判事の意見書ももちろん、その内容は一言も報道されなかったばかりか、その存在さえ伏せられた。
  戦時中の日本の言論統制は、まずい個所を墨で消すというものだった。しかし、前後の文章は残っているので、少し推察すれば何が書いてあったかおおよそ見当がついた。
  対してGHQが行なったのは完全な言論の統制である。検閲の第二条では、「検閲があった事実を言ってはならない」「検閲の痕跡を残してはならない」と定めている。この取り決めによると、一部だけを消すわけにはいかないので文章全体を書き直すというわけである。
  東京裁判に関しても、このルールが適用され、東京裁判に関する論文は、論理一貫するようすべて「正しい裁判だった」と結論づけられた。これを占領期間中の7年間もやり、徹底的に日本人の洗脳を行なったのである。
  日本のメディアもだらしなく、どの新聞もGHQの徹底した言論統制・検閲に反発せず、むしろ、手先となって国民の洗脳に手を貸した。マッカーサー総司令部が行なったこの一連の日本人の洗脳は、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」なる「戦争贖罪意識宣伝計画」に基づいていた。その派手な演出が東京裁判であり、占領軍憲法(現在の日本国憲法)の制定だった。
  こうして、日本人の精神改造を着々と進める一方で、GHQは憲法だけでなく、教育も作り替え、日本の解体を実現していったのだった。

★ひとくちコメント
―― いまもなおアメリカ(を裏から支配している勢力)によるこの国の言論統制は続いていると見られます。また、中国を初めとするアジアの国々からも、政治家と同じようにマスコミ人に対してさまざまな働きかけ(誘惑・脅迫)が行なわれ、自分の国の利益につながるような、つまり日本の国益に反するような報道をさせられているのです。「何が報道されたか(重視されているか)」ということとあわせて、「何が報道されないか(軽く扱われているか)」ということも、マスコミの偏向ぶりを見る上で大事なポイントとなります。(なわ・ふみひと)
03
日本、崩壊の危機
前野徹・著  致知出版社
公に奉仕する日本人の最高の道徳律を放棄
  日本人の心を一言で表現するなら「武士道(侍)精神」である。
  フランスの作家でもあり、ドゴール大統領時代の文化大臣でもあったアンドレ・マルローは来日した折り、日本と他のアジアの国々とが違うのは、日本に武士道があるからだと語った。欧米人は、日本は中国の分家だろうというぐらいにしか考えていない。だが、マルローは、それは世界中の誤解だ、中国と日本は違う、それは武士道があるからだと見抜いていた。
  武士道などというとキナ臭く感じられる方がいるだろうが、その本質は日本人の道徳律であり、人の道を照らす倫理体系の要石だ。武士道は決して好戦的な思想ではない。「武」は「戈(ほこ)」を止める。つまり、武力を収めて、平和的に解決しようという精神だ。武士道精神については、ここでは詳しく述べる紙幅はないが、簡単に言うと、武士道を貫いているのは、公に奉仕するという日本伝統の崇高な精神である。武家社会の誕生と共に、日本の風土から生まれた武士道は当初は武士だけの戒律だったが、江戸時代、他のために生きる奉仕の精神に拡張され、広く庶民にも浸透していった。
  この公の精神は、日本特有のもので世界のどこにも見られない。例えばお隣の中国や韓国には儒教精神があり、その昔、日本の精神形成に大きな影響を与えたが、日本は儒教を丸ごと移植したわけではない。
  儒教は仁義礼智信は教えても忠の考え方はない。儒教精神の軸は「孝」だ。親を尊び、親孝行に励めという教えである。儒教国家、韓国では何よりも親、年長者への敬意を優先するし、中国でも一族、ファミリーを最優先して考える。
  だが、日本では「孝」「家族」の範囲に留めることなく、「忠」の概念を加え、「忠孝」の精神に昇華した。忠は主君という一人の人間に殉ずる思想ではなく、「公」を大切にする心である。公とは世の道理、真理全般を指し、道理に適わぬ行ないならたとえ主人でも諫言(かんげん)し、それが受け入れられなければ、自害しても猛反省を促す。これが武士道に流れる強靭な精神だ。
  西欧にも、このような崇高な精神はない。西欧では個人の権利を中心に考える。社会と個人は契約関係で成り立っていて、国民は義務を果たすかわりに国から権利を与えられる。これが西欧の個人主義である。
  西欧で個を基軸にした思想しか生まれなかったのは、彼らが厳しい環境に置かれていたからである。多数の民族が領土を巡って戦いに明け暮れた。食うか食われるか。その中から排除、支配の思想が生まれた。清水馨八郎・千葉大名誉教授が指摘している。
  「外国に普通にあっても、日本にはないものを探し対比すれば、日本のユニークさが浮かび上がる。それらはまずバイキングの海賊精神、奴隷制度、民族根絶やし皆殺しのホロコースト、革命思想、共和制人権思想、一神教、異端審判、火あぶりの刑、宗教戦争、遊牧、畜牛生活、性悪説、ゲリラ・テロ、鍵生活(キー・ライフ)などである。これらは、西洋世界では日常のことで、日本人には想像できない現象ばかりである」(『「白人スタンダード」という新たな侵略』祥伝社)
  対して豊かな自然に囲まれ、外敵の侵略もなかった日本のベースにあるのは聖徳太子以来の「和」の精神であり、この風土が公を何よりも大切にする最高の道徳律を生み出した。
  忠の精神は日本人の心の底に生き、古代より脈々と受け継がれ、私たちの遺伝子に組み込まれてきた。
  しかし、戦後の教育により忠の遺伝子は破壊され、今や伝統の精神はどこにも見当たらない。国益をないがしろにして私腹を肥やそうとして、亡国活動に勤しむ政治家や官僚、自社の利益のためなら国民を欺く企業経営者、電車に乗れば、注意のアナウンスなどには耳を貸さず、携帯電話を使う人々、気に食わなければ見ず知らずの人間でもいきなり殴る若者に、それを見て見ぬふりをする大人たち。深夜の暴走族に、コンビニにたむろし奇声をあげる中高生。
  日本人のモラルはどこへ行ってしまったのだろうか。誤った個人の権利ばかりを教え、悪平等の社会を作り出した日教組の罪も重いが、それを律することなく放置している政府の責任も重い。

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02
溶けゆく日本人
産経新聞社取材班  扶桑社新書
街にあふれる家庭ごみ 自分の周りがきれいなら
  かつて海を渡って来日した宣教師たちが、声々に賛美したものがある。日本の「清潔さ」だ。そのうちの一人、イエズス会神父のロレンソ・メシアは同僚に宛てた書簡で「日本が清潔であることは想像もつかぬほど」と絶賛したうえで、「不潔はすべて大罪」とも綴った。
  それから四百年余。霊峰富士から公園、高速道路に至るまで、あり得ない場所にあふれかえるほどの家庭ごみがある。モラルなど犬に喰われろ、というばかりに……。
  東京都練馬区光が丘。団地が林立し、およそ三万人が生活を送る。そんな彼らの憩いの場となっているのが、光が丘公園。東京ドーム12個分の敷地面積を有する、都内屈指の広さを誇る都立公園だ。
  年も押し迫った平成18年12月28日。公園の一角に高さ2メートルを超えるごみの山ができあがった。タイヤ、ベビーカー、シュレッダー、ストーブ、バンド演奏のドラムセット……。昨年1年間で公園内から回収された不燃ごみの数々だ。重量はゆうに4トンを超えた。
  「引っ越しシーズンには、衣類、家具など生活用品一式が丸ごと見つかります。公園はごみ箱なのでしょうか……」。光が丘公園サービスセンター長の室星直史さんはそう語り、深いため息を漏らした。廃棄物は業者に依頼し引き取ってもらうが、処理費用は百万円を超えるという。むろん血税が注がれる。
  都立公園を管理する東京都公園協会によると、仏壇やペットの死骸など、かつては想像できなかった“ごみ”が園内に放置されることもある。いや、遠慮なしに廃棄されるのは、もはやごみだけではない。室星さんはある日、「池でカメを飼い始めたんですか?」という連絡を受けた。不思議に思って駆けつけたところ、仰天した。「危険動物」に指定されるカミツキガメが、園内をわが物顔に闊歩していたのだ。
  「やっかいなものを手放せたということで、捨てた人は安心かもしれませんが……」。室星さんの表情はさらに曇った。
  札幌市のベッドタウンとして発展する北海道江別市。ここでは、市内の公園でちょっとした“騒動”が持ち上がった。
  平成16年10月に家庭ごみ回収を有料化した途端に、公園に捨てられるごみが激増したのだ。生ごみをはじめ、大量の使用済みオムツなど、明らかに公園で出た物ではない廃棄物が、ごみ箱を中心に溢れかえった。収集が追いつかないことなどから、市では公園に設置していたごみ箱を501基から290基に減らして対応せざるをえなくなった。
  有料化による指定ごみ袋の値段は1枚20〜80円だが、それを惜しんでの“犯行”だ。「ごみの減量化を目指した有料化ですが、なんだか切ない話ですね」と、市都市建設課の今野伸吾さんは、ぽつりと語った。
  福岡県北九州市でも5年をかけ、バス停や市街地の路上に置いてあったごみ箱約千二百個をゼロにした。ペットの糞や生ごみなどモラルなきごみの数々が、ごみ箱から溢れ出るようになったこと、それが原因の一つだ。「収集所に捨てそびれた人が街のごみ箱に捨てていたのでしょうか」と同市業務課。その問いかけには、憂いとともに怒りが帯びる。
  今や注意するのも“命がけ”だ。ある自治体の清掃関係者は、“恐怖体験”を口にする。サラリーマン風の中年男性がヒモで縛った雑誌を街路樹の下に捨てていく様子を目撃し、たしなめたところ、「お前なに言ってるんだ殺すぞ」と“逆ギレ”されたという。「雑誌1冊で命を取られてはたまりません」。悪貨は良貨を駆逐し、ごみは街に溢れていく。

  四百年の時が流れ、「公共の場」に、家庭から出たごみを当たり前のように置いていく、そんな国に成り下がってしまった。異国の人々を驚嘆させた、あの「清潔さ」を愛おしむ精神は捨て去ってしまったのだろうか。
  「いや、きれい好きな国民性というのは、宣教師が訪れた時代から変わっていないように思うんです」。こう語ったのは京(みやこ)エコロジーセンター(京都市)館長で、石川県立大学教授の高月紘さん(環境倫理学)。では日本人の何が変容したのか。
  「モラルの低下です。それにより、『街の美』というものに関心が向かなくなったんですよ。いつのころからか、『自分の周辺だけきれいだったら、それでいい』そんな考え方になってしまった」


★ひとくちコメント―― いま日本を席巻しつつある「我善し(=自己中心主義)」の風潮こそ、この国が滅びつつある兆候です。この本ではその異常な実態の数々が浮き彫りにされています。これこそ、もはや押し返すことのできない“終末現象”と見るべきでしょう。ただし、そのことをもって落胆したり、悲憤慷慨する必要はありません。この現実を直視しつつ、まずは自らを正しく律する姿勢が大切なのです。(なわ・ふみひと)
01
日本の一大事
佐藤愛子・著  集英社文庫
親教育の必要
  この頃しみじみと思い出すことがあります。十年くらい前のことだけど、カンボジアでボランティア活動中に射殺された中田厚仁さんという青年の事件がありました。その時、中田厚仁さんのお父上がテレビでいわれた。
  「こういう事態が起こるかもしれないことは覚悟していました。希望していた国際貢献が全うできて本人も思い残すことはないでしょう」
  そう語る中田氏の口辺には微かな笑みさえ湛えられていたのです。
  その姿、言葉に対して私は、「ついに滅び去ったかと思っていたかつての『日本の父、日本の男子』がまだ存在していたという驚きと感動を覚えずにはいられなかった――」と当時のエッセイに書いています。
  ところがその夜、テレビでその記者会見のビデオフィルムが流された後、キャスターの久米宏が、こういったんです。
  「こういう時にあんなふうにニコニコ笑えるもんですかねえ」
  そういって、ちょっと小首をかしげる素ぶりをした――ということは、「こんな時にニコニコ笑えるなんて、たいした人物だ」と褒めているのではなく、さりげなく皮肉をいってみた、というイヤミな感じを出そうとしてるようで、私は思わずむっとした。
  その後、朝のワイドショウなどでも「少しカッコをつけすぎる」というような中田氏への疑問や批判があったということで、ビートたけしも「こういう立派なことをいわせる(いわねばならぬと思わせる)社会の方に問題がある」といっていたとか。不愉快というよりも、私はもうほとほとこの国がいやになりましたよ。
  日本人は変質した。価値観ばかりか、感受性が根こそぎなくなった。人の心の襞(ひだ)を汲みとるデリカシイをかつての日本人はみな持ってましたよ。しかし今は心の陰翳(いんえい)を感じ取る前に、自分勝手な独断的分析をし批評をする。
  人の言葉の蔭にあるものがわからない、わかろうとしない高慢な不感症になり果てた。
  確かにかつての日本には心にもない建前をいわねばならないという社会風潮がありました。
  「お国のため、天皇陛下のおん為に立派に死んできます」
  と戦地へ赴く兵士が挨拶したことなんかそうです。海軍では戦死者の遺族には涙を隠して、「お国のために役立って本人も本望でございましょう」
  と弔問客に挨拶しなければならなかった。
  それを国家権力に支配されていた哀れな人間の姿であると決めつけるのは簡単です。しかし、そういう言葉を口にすること――こういうのを痩我慢というのでしょうが――痩我慢をして歯をくいしばって悲しみを耐えることが、かつて我が国では美徳だったのです。日本人はそういう歴史の中を生きてきた。泣き崩れるよりも我慢している姿を美しいと、誰もが感じた。そして実際にそうすることで悲しみを越えたのです。泣き喚いて越える場合もあるが、耐えて微笑して越えるということもある。それは権力によるものというよりは、日本の国民性、文化だったと私は思うのね。
  少なくとも私などの年代までは悲歎を押し殺して、建前をいう姿に心打たれました。そうしてそこに「惻隠(そくいん)の情」というものが生れ、「口には出さないがわかり合っている」という、しみじみとした優しい人間関係が出来たのです。そういうデリカシイを日本人は愛したのです。それは陰翳を尊ぶ日本の文化の源です。
  テレビの若いタレントが中田氏にこう質問しました。
  「中田さんはずいぶんご立派なことをいっていらっしゃいますけど、本当の気持ちはどうなんですか?」
  開いたロが塞がらないとはこういうことをいう。もう「惻隠」なんてことはいわない。せめて礼儀を弁(わきまえ)えよといいたい。だがこういっても何が、どんなに礼儀に外れているかがこのバカにはわからないだろう。
  昔はバカは後ろに引っ込んでいたものだ。昔のバカはえらかった。自分がバカであることをちゃんと知っていた。お前はバカだから引っ込んでいろと教える人がいた。今はそれを教える人がいないばかりか、テレビメディアではバカを出せばそれなりに(面白がられて)反響が起きると浅はかに考えるものだから、バカはテレビに出られるのはエライからだとカン違いして平気でしたり顔してしゃべる。
  こういうことをいうと、バカバカとそういう差別語はやめなさい、などとしゃしゃり出てくる手合いがいるけれど、そんなことをいっているからバカが大手をふって減らずロを叩く。今に日本はバカ大国になるだろう――。
  つい興奮してしまいましたが、つまりそれほど(激昂するほど)中田さんは立派な人物だと崇敬しているのです。
  テレビタレントのバカアマッチョに、
  「本当の気持ちはどうなんですか?」
  としたり顔に訊かれた時、中田さんは怒らず慌てず騒がずこういわれた。
  「心の中では慟哭しています」
  ああ、何たる立派な返答か――そう感歎した折しも、アマッチョはこういった。
  「慟哭とはどういうことですか?」
  私はテレビ画面のアマッチョに向かってそばにあった土瓶を投げつけたくなったわよ!
  しかし中田氏は静かに、
  「心の中では泣いています」
  と説明なされたのです。


★ひとくちコメント―― 佐藤さんが憤っておられる気持ちは私にもよくわかりますが、日本人がここまで劣化したのは“バカたち”の責任ではないのです。過去、あまりにも骨太だったこの国の国民を、操作しやすい“家畜”とするための大がかりで息の長い策謀がなされた結果、世代が交代するなかでついに社会の中枢を“バカたち”が闊歩する国におとしめられてしまったということです。そういう意味では、国民の多くが劣化してしまった責任は“バカたち”にあるわけではなく、その裏で舌なめずりして笑っている(に違いない)世界支配層にあるのです。しかしながら、その彼らの力はあまりにも大きいため、かつて彼らの策謀に気づき、抵抗しようとした“まともな日本人たち”は、敗戦と同時に一網打尽にされてしまいました。
  これが私の言う「サタンのシナリオ」の筋書きなのです。いま、それに抵抗するために私たちに残されているささやかな手段としては、まずはテレビ付け人間にならないことでしょう。“バカたち”と呼ぶべきテレビのキャスターやコメンテーターに洗脳されることを避け、かといって彼らを憎んだり、哀れんだりして彼らに心の波長を合わせてしまうこともせず(それをしていると自分も“バカ”の仲間入りをしてしまう恐れがあります)、日々黙々と身魂磨きに専念するしかありません。

このテーマの参考文献はやはりこちらです。→ 混迷日本にとどめを刺せ