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福島第1原発事故後、自主避難を続ける國分清子さん(31)と長男重成君(2)、生後9カ月の長女珠恵ちゃんが那覇市内のアパートで暮らして半年が過ぎた。東京に残って働く夫一輝さん(34)と会えるのは数カ月に1度。4人水入らずの時間を楽しんだ年末年始を経て、再び二重生活が始まった。経済的負担や家族の団らん…。多くの犠牲を払いながら、親子は先が見えない日々に身を置く。東日本大震災から11日で10カ月。(新垣綾子)
震災の3日後、清子さんは珠恵ちゃんを出産。福島第1原発はこの日、3号機で水素爆発が発生し「この子を育てられるだろうか」との思いが込み上げた。東京の水道水から乳児の飲み水の国基準を超える放射性ヨウ素が検出され、さらに不安が募った。
チェルノブイリなどの先例から、放射能汚染の範囲を調べた一輝さんに促され、清子さんと2児は避難。近畿地方などで一時過ごした後、アパートの部屋提供を申し出る那覇市の家主をインターネットで見つけ昨年6月27日、沖縄へたどり着いた。国が指定した区域外からの自主避難者は、家賃などの公的支援の対象外で、一輝さんの収入で支える二重生活は負担が重い。それでも、理解ある家主から最大限の援助を受け「私たちは本当に幸せ」と清子さんは感謝する。
「わがまま」「原発事故に過剰反応しすぎ」。時折、注がれる周囲の視線に心を痛めることもある。が、一輝さんは「事故の影響がどう出るのか、正解が出るのは20年も30年も後。最悪の想定をして行動しなければ」と信じる。清子さんは「第一に子どもを守りたいと思った。救いだったのは、主人が同じ方向を見ていること」とかみ締めた。
この半年で、重成君はタコライスと黒糖が好物に。珠恵ちゃんは歯が2本生え、ハイハイできるようになった。メールや電話で連絡できても「ささやかな変化や喜びを主人と一緒に味わえないのが悔しい」と清子さん。原発と在沖米軍基地の問題を重ねて考えるようにもなった。「苦しむ当事者にとって、他人の無関心が一番残酷なんですね」
昨年末から、正月休みの一輝さんは沖縄に滞在。一家は首里城や福州園などで、久しぶりの散策を楽しんだ。
一輝さんが帰京する今月8日朝。重成君は「珠ちゃんが泣くから、帰らない方がいいよ」と投げ掛けた。「普段は『お兄ちゃんだから』と気を張っている重成も、主人には甘えるんです」と清子さんは言う。
那覇空港で、保安検査場へ向かう一輝さんを目で追いながら、重成君は「自分も飛行機に乗る」とぐずり始めた。「今日からは、また母子家庭。気合を入れて頑張らないと」。清子さんは珠恵ちゃんを胸に抱えたまま、右腕で重成君を抱き上げ、歩き出した。