2010年03月23日

■裁判員裁判と司法通訳のレベルー弁護人とマスコミ(下)

■2:英語通訳の失敗ーふたり通訳配置の落とし穴

■弁護人とマスコミへの情報発信
 今回、誤訳問題を追及する弁護人の控訴趣意書とその疎明資料である鑑定書などの基本資料をマスコミに提供したのは、弁護人である。
 ところで、元来、弁護人は法律が定める手続の枠内でしか職責を果たせない。「プロ」性は、ここでしか発揮できない。
 法律のどこにも、弁護人がマスコミに情報発信をした場合、いかなる効果を生じるか、定めていない。被告人にいかなる悪影響があるか、予想もできない。
 だから、責任のとれない情報発信を、弁護人はしてはならない。
 ただ、被告人が情報発信を希望するとき、一番困る。
 確かに、広い意味での防御活動の一環だからだ。
 マスコミへの情報発信の効果・不効果、なによりも、弁護人としては、責任を負いきれなくなることを十分に説明しなければならない。
 しかし、「やらない」とか、「だめだ」とかいう押しつけはしない。
とくに本件被告人のように、勾留されて身柄を拘束されている場合、その意思を尊重せざるを得ない。
「自分でやれば」と放置することは弁護人の責務違反だ。

 なぜなら、弁護人は被疑者・被告人の”Hired Gun”だからだ。

■被疑者・被告人の「包括的防御権」と弁護人の「包括的代理権」
 被疑者・被告人は、いつでも、必要なときに、必要な場面で、必要な相手に対して、防御活動をする広い権限がある。憲法上「包括的防御権」が被疑者・被告人たる地位に内在している。
 そして、弁護人は、これに対応して、「包括的代理権」をもつ。弁護人の地位の本質は、この「包括的代理権」にある。固有権ではない。従属代理でもない。
 つまり、十分なコミュニケーション、情報提供と納得、議論と説得、、、そして、最後の選択は、被疑者・被告人がする。その選択にしたがって、最大限に防御の効果を挙げるのが弁護人の役割だ。
 被告人が、マスコミへの情報提供を弁護活動、防御活動の一部として求めるとき、弁護人はその意思にそって動く。

 今回、弁護人としてマスコミに情報を発信したのも、被告人との協議と同意に基づく。
 被告人が「もう十分!」と言えば、その瞬間に情報発信は止める。
 だが、逆に、被告人が求める限り、必要な時期に、必要な情報を、必要な報道機関に、提供する。

 その他の防御活動も行なう。

■ 被告人は、女性。アフリカ生まれ。英語はイギリス風。
 発音もきれいで、なまりの少ない聞き取りやすい英語だ。かつ、話す内容も明解である。弁護人としての接見には、通訳人を必要としない。ブログ編者も英語はできる。
 ただし、自分の専門領域について必要な情報をおおまかに聞き取る限度の会話力である。司法通訳などできるレベルではない。

 被告人は、結果として大量の覚せい剤を日本に運んだ。
 事情はいろいろある。 
 問題は、公判廷の通訳だ。その事情を説明する被告人の英語が的確に正確に日本語にされなかった。
 それどころか、ひどい。
 ふたりの通訳人が配置された。男性通訳人が、被告人の英語を日本語に変える通訳を担当した。女性通訳人が、他の関係者の日本語を英語にする役割を分担した。
 男性通訳人は、通訳技法をそもそも身につけたことがあるのか疑問が生じるような初歩的なミスが頻発している。
 聞き漏らし、訳し落とし、省略、並べ替えなどなど。
 さらに、プロの通訳人が禁止されること、「あのー、えー」など「言いよどみ」を勝手に加えること、これを連続している。
 このため、通訳人の日本語を介したとき、被告人の説明は、あいまいで、辻褄があわず、自分の犯罪をごまかそうとしていると受けとめられてもしかたがないものとなっている。

 女性通訳人のレベルの高い通訳と各段の差が歴然としているだけに、男性通訳人のレベルの低さは隠しようがない。

 
■ 裁判員裁判の場合、誤訳の介在は、致命的である。
 何故なら、審理の後、直ちに評議に入る。誤訳を訂正する手だてはない。現に、この裁判でも、男性通訳人の質の低さは、公判前整理手続でも、法律家の目に明らかであったはずなのに、誰も、その交代を求めていない。裁判所も放置した。
 その状態で、裁判員に審理に臨ませた。誤訳が事実認定、有罪・無罪の認定、量刑にどう影響したか、誰も測定できない。
 「影響がない」などと傲慢なことを、法律家が言える立場にもない。
 今までのように、プロの裁判官のみであれば、強引にごまかせた。
 「大勢に影響なし」と。
 しかし、市民良識を信頼し、尊敬し、尊重する新しいシステムの元で、質の低い通訳に基づく評議を強いた法律家の責任は重い。
 裁判員裁判の精神を冒涜し、市民の良心を踏みにじるものだ。
 許し難い。弁護人として徹底してこの問題を追及する予定だ。