2010年03月27日
■通訳人の居直りープロフェッショナリズム欠如
■こんな記事が見つかった。
asahi.com/MyTown新潟/2010年03月21日である。タイトルは「【裁判員法廷@新潟】1人通訳、負担重く」である。
新潟地裁のロシア人被告人の法廷における通訳の様子を取り上げている。富山栄子准教授・事業創造大学院大のコメントを交えながら、次のような運用状況と問題点を摘示し、大変興味深い。
以下、引用する。
*************
■被告人質問 ロシア語に
新潟地裁で開かれている県内初の裁判員裁判で、ロシア語の通訳を担当するのは1人の女性だ。被告や裁判員などの発言をズレなく伝えるため苦労を重ねている。連日朝から夕方まで審理が続くため、裁判長も休憩を多めに取るなど通訳人の負担を考慮しているが、裁判員裁判の通訳経験者からは「通訳は2人必要」との声も上がる。(大内奏、富田洸平)
◇
19日の被告人質問。検察官が「箱のテープを最後まであけませんでしたね」と質問すると、通訳人が「最後までというのは?」と質問の意図を聞き返した。検察官の「捕まるまでということです」との説明を聞いて、通訳人は被告に伝えた。
やりとりを傍聴した事業創造大学院大の富山栄子准教授は検察官の「最後」の意味を「箱の端から端の最後まで」と受け取った。「通訳人が確認したおかげで、『最後』の意味がわかった」という。
富山准教授によると、通訳人は難しい質問や発言があると、理解できない部分や意図を質問者や被告に聞き返していた。被告の話が長くなると、訳せるところまでで遮り、少しずつ訳していた。被告が「意味が分からない」というと、訳し方を変えていたという。
富山准教授は「法廷通訳は直訳だけでなく、発言者の意図をくんで補う必要がある。集中力が必要で、すごい負担になる。自分もかつて2、3時間やっただけでも意図がわからなくなることがあった」と話す。発言の流れをつかむため、通訳人は1人で担当した方が円滑にできるというが、「丸1日は可哀想」と負担の大きさに同情を寄せる。
18日の被告人質問では通訳人の疲労も見えた。午後3時ごろ、質問が長引く検察側に裁判長が「あとどれくらいかかるか」と聞いた。検察官は「10分」と答えたが、山田裁判長は「通訳人どうしましょう」と気遣い、通訳人の求めで15分の休憩が取られた。
***********
■ 以上の記事は、専門家の適切な摘示とともに、たいへん勉強になるものである。
ところで、私が疑問に思ったのは、これに付け加えられた、次の取材部分だ。
「昨年11月、大阪地裁で英語通訳を介して行われ、被告が実刑判決を受けた裁判員裁判では、被告が控訴し、弁護人が今年2月、通訳論の専門家に通訳内容の鑑定を依頼した。専門家は誤訳や訳し漏れを多数指摘。「裁判員の判断に影響を与えた可能性が大きい」と結論づけたという。
通訳を担当したのは2人。そのうちの一人の通訳人は「2人で誤訳を指摘しあって最善を尽くしたが、法廷で録音をじっくり聴き直して通訳するわけではない。色々な種類、程度の誤訳は起こりうる。通訳は常に、限界を抱えている」と話し、1人では負担も大きく、誤訳の可能性も高くなると懸念している」。
つまり、今、控訴審で問題を提起しているベニース事件の一審通訳人は、法廷通訳はもともと誤訳があることが前提だ、という居直りをしていることとなる。
また、お互い頻繁に誤訳を指摘しあうほどレベルが低かったことを自認していることとなる。
もっとも、私は、一方の通訳人の英語通訳に顕著な誤訳、省略、いいよどみがあったとは思っていない。
この通訳人は、自己の誤訳の正当化のために、「通訳は常に、限界を抱えている」と述べたようだ。
しかし、その通訳人は、実は、そんな高次元での誤訳、省略をしていたわけではない。もっと初歩的なレベルでの誤訳を繰り返していた。
こんなきれい事でかたずけられては困る。
また、自分の力量にこんな限界があると思っていたのなら、通訳人を下りるべきだった。他に力量のある英語通訳人は現にいる。
なにより、外国から来たアフリカ出身の女性、ドイツ国籍の外国人が、日本の裁判所で孤立無援で、裁判を受ける、その重要な橋渡しを通訳人がしているのだ。
その通訳人が、誤訳があってよいという意識では困る。
こんなプロフェッショナリズムに欠けた発言をもし本当に取材記者にしていたのだとしたら、それこそ通訳人失格である。
二度と、法廷通訳の場に立つべきではない。
asahi.com/MyTown新潟/2010年03月21日である。タイトルは「【裁判員法廷@新潟】1人通訳、負担重く」である。
新潟地裁のロシア人被告人の法廷における通訳の様子を取り上げている。富山栄子准教授・事業創造大学院大のコメントを交えながら、次のような運用状況と問題点を摘示し、大変興味深い。
以下、引用する。
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■被告人質問 ロシア語に
新潟地裁で開かれている県内初の裁判員裁判で、ロシア語の通訳を担当するのは1人の女性だ。被告や裁判員などの発言をズレなく伝えるため苦労を重ねている。連日朝から夕方まで審理が続くため、裁判長も休憩を多めに取るなど通訳人の負担を考慮しているが、裁判員裁判の通訳経験者からは「通訳は2人必要」との声も上がる。(大内奏、富田洸平)
◇
19日の被告人質問。検察官が「箱のテープを最後まであけませんでしたね」と質問すると、通訳人が「最後までというのは?」と質問の意図を聞き返した。検察官の「捕まるまでということです」との説明を聞いて、通訳人は被告に伝えた。
やりとりを傍聴した事業創造大学院大の富山栄子准教授は検察官の「最後」の意味を「箱の端から端の最後まで」と受け取った。「通訳人が確認したおかげで、『最後』の意味がわかった」という。
富山准教授によると、通訳人は難しい質問や発言があると、理解できない部分や意図を質問者や被告に聞き返していた。被告の話が長くなると、訳せるところまでで遮り、少しずつ訳していた。被告が「意味が分からない」というと、訳し方を変えていたという。
富山准教授は「法廷通訳は直訳だけでなく、発言者の意図をくんで補う必要がある。集中力が必要で、すごい負担になる。自分もかつて2、3時間やっただけでも意図がわからなくなることがあった」と話す。発言の流れをつかむため、通訳人は1人で担当した方が円滑にできるというが、「丸1日は可哀想」と負担の大きさに同情を寄せる。
18日の被告人質問では通訳人の疲労も見えた。午後3時ごろ、質問が長引く検察側に裁判長が「あとどれくらいかかるか」と聞いた。検察官は「10分」と答えたが、山田裁判長は「通訳人どうしましょう」と気遣い、通訳人の求めで15分の休憩が取られた。
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■ 以上の記事は、専門家の適切な摘示とともに、たいへん勉強になるものである。
ところで、私が疑問に思ったのは、これに付け加えられた、次の取材部分だ。
「昨年11月、大阪地裁で英語通訳を介して行われ、被告が実刑判決を受けた裁判員裁判では、被告が控訴し、弁護人が今年2月、通訳論の専門家に通訳内容の鑑定を依頼した。専門家は誤訳や訳し漏れを多数指摘。「裁判員の判断に影響を与えた可能性が大きい」と結論づけたという。
通訳を担当したのは2人。そのうちの一人の通訳人は「2人で誤訳を指摘しあって最善を尽くしたが、法廷で録音をじっくり聴き直して通訳するわけではない。色々な種類、程度の誤訳は起こりうる。通訳は常に、限界を抱えている」と話し、1人では負担も大きく、誤訳の可能性も高くなると懸念している」。
つまり、今、控訴審で問題を提起しているベニース事件の一審通訳人は、法廷通訳はもともと誤訳があることが前提だ、という居直りをしていることとなる。
また、お互い頻繁に誤訳を指摘しあうほどレベルが低かったことを自認していることとなる。
もっとも、私は、一方の通訳人の英語通訳に顕著な誤訳、省略、いいよどみがあったとは思っていない。
この通訳人は、自己の誤訳の正当化のために、「通訳は常に、限界を抱えている」と述べたようだ。
しかし、その通訳人は、実は、そんな高次元での誤訳、省略をしていたわけではない。もっと初歩的なレベルでの誤訳を繰り返していた。
こんなきれい事でかたずけられては困る。
また、自分の力量にこんな限界があると思っていたのなら、通訳人を下りるべきだった。他に力量のある英語通訳人は現にいる。
なにより、外国から来たアフリカ出身の女性、ドイツ国籍の外国人が、日本の裁判所で孤立無援で、裁判を受ける、その重要な橋渡しを通訳人がしているのだ。
その通訳人が、誤訳があってよいという意識では困る。
こんなプロフェッショナリズムに欠けた発言をもし本当に取材記者にしていたのだとしたら、それこそ通訳人失格である。
二度と、法廷通訳の場に立つべきではない。
【◇ベニース事件と「誤訳」問題の最新記事】
Posted by justice_justice at 11:05
| ◇ベニース事件と「誤訳」問題
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