ここから飛び降りたんだ、という足跡を残したかったんだと思います。
要するに未練はあるがそれでも飛び降りなければ、死ななければならない理由がある、それだけを理解してほしいという意味で靴や免許証を置きます。
この話は自殺の名所である東尋坊で聞いた話です。
誰かに、止めて欲しいと、思っています。
今までの、足跡を分かって欲しい。
そんな気持ちで、靴を置きます。!!
追い詰められているから、ね。
その理由も、あるかな。!?
回答有難う御座います。
止めて欲しいとしたらもう手遅れではないでしょうか…?
そこまでして助けを求めれば怨念となって地縛霊になりかねない気もします。
足跡を強調させるために靴を置くのは良いですね。
追い詰められた先の逃げていく足跡は消したい物でしょうし。
意味はありません。これは、テレビのサスペンスで、飛び降り自殺をした、というのを強調させるためのものです。首吊りのシーンで、昔のドラマでは口から血が出ていましたが、それも死んでいるように見せるためのものです。
実際は、靴を脱いで飛び降りたりする人はいないそうです。と、コナンで説明していました。
靴をそろえているというのも、なくはないそうですが、大概は靴をそろえていないそうです。
樹海の遺品についてですが、『遺品のない死者はいません』よ。どれだけ貧乏で物持ってないんだよって話になりますよ。遺品は、『死者が、死後に残したもの』なので、靴だけとは限りません。もしかしたら、車のエンジンのキーの可能性だってあるのです。
>靴をそろえているというのも、なくはないそうですが、大概は靴をそろえていないそうです。
靴を揃える以前にあなたは靴を脱いで飛び降りたりする人はいないと言ってませんでしたっけ?
それはコナンで言っていただけで自分はそう思わないということでしょうか?
では靴を揃えないというのは誰が言ってることでしょうか?あなたでしょうか?コナンでしょうか?
>『遺品のない死者はいません』
これもコナンでしょうか?残念ですがこれもまったく違います。中には身元がわからないように本人の遺品を持ち込まないで自殺する人もいるんですよ。それは貧乏とかではないんです。
これは、前から気にはなっていました。
確かに、知人の婚約者は谷に飛び込みましたが靴を脱ぎ揃えてました。
多くの人は靴をぬぐのを家で靴を履かないからだとします。
http://ameblo.jp/cute-music07/entry-10055290969.html
でも、駅での人身では靴脱は少ないような気がします。
なので、もう少しだけ、日本的な感受性を考慮して追加してみます。
高いところからの身投げは覚悟の上の行為ではないでしょうか。
この覚悟の投身は、あの世を安らぎを与えてくれる終の住処と想念しながらの行為だと思えるのです。そうなると土足ではいけない。身なりを整えてからの覚悟の自裁というんでしょうか。思いつめてはいても、まだ人間的な処し方なのかもしれないと思えます。
ところが、鉄道での投身は、どうも、切羽詰まって行き場のない人たちの、この世からの逃亡行為なんじゃないかと。ほんとうに捨て鉢の行為というんでしょうか。
あるいは、フラフラと気がつかないうちに飛び込むなんてのもあるかもしれません。発作的なのではないでしょうか。
比較するのは何なのですが、前者のほうが、まだ情緒的なものが動いているような感がします。
以上は、自分の想像でありました。
他人にはよくわからない自殺者の心理をもっと理解できるような社会にならないと減らせないでしょうねえ。
靴を脱ぐ人は、自覚しているかどうかは別として、「あの世」へ歩を進めている気分があるかもしれません。
すでに逝った家族親戚と一緒になるんだ、みたいな。
なんとはなしの行為に日本人の「あの世」観が埋めこまれてる、そんな感じがいたします。
なので、それさえも奪われた駅での人身の方々は、気の毒ですね。
そういえば電車に飛び込むなら、人目だけでなくタイミングも気にする必要があって、
もう本当に決死の(って死にたいからあたりまえなんだけど)覚悟で
電車が入ってくる直前にエイヤッと飛び込まないとうまくひき殺してもらえなさそうです。
そう言う状況を考えると、高いところからの飛び折りや、海等への入水と同じ感覚ではないことは確かですね。
ふと思ったのですが、
電車を使う場合でも、ホームではなく、駅から離れた線路に横たわって轢かれるケースだと、
ひょっとして靴をそろえて脱いでる可能性があるんじゃないでしょうか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1218360762
こんな質問をみつけました。
もしかしたら人によるかもしれませんね。
(回答という程の物ではないですすいません)
例えばドラマ等でよくある、
遺書を靴の上に置き、学校の屋上から飛び降りる学生。
「私はここで自殺した。ここで。」という
単なる意思表示かもしれませんし、
「今まで歩いてきた人生(道)はここで終わり。」
という意味で脱ぐのかもしれません。
個人的には、
「靴を履いたまま飛び降りて(又は首を吊って)しまうと、もう一度地に足をつくことができてしまう。
……地に足をつくことを許されてしまう。」
という理由で決心の固さを示す為かもとも思いました。
(※実際には自殺なんて辞めるべきですが)
実際には、実行しようとした方にお聞きするのが
一番かもしれませんが、思い出すのも辛いでしょうし。
やはり無意識に最期の一踏みをはっきり足跡として残したかっただけなのかもしれませんね。
内容の無い乱文失礼致しました。
回答有難う御座います。
地に足をつくことを許されるですか…!
これは考えた事がありませんでした。
確かに靴を履いてしまえば足の無い幽霊になれるのかなとか、何かそういう疑問が湧いてきますね…。
まだ短い間しか生きてこなかったのでそのような御方には御逢いした事がありませんが、いつか逢ってみたら尋ねてみたいです。
実際に飛び降り自殺をする前に靴を脱ぐ人がいないわけではありません。
http://shinagawa-lunch.blog.so-net.ne.jp/2008-04-21-6
じゃぁ何故靴を脱いだのかということについては、正直申し上げて自殺した人に直接お尋ねになるしかないというのが残念なところでしょう。
私がよく聞くのは船から海への投身自殺の場合で、死体が発見されないと困るといったケースですね。保険金がらみといったことです。
実際の犯罪史においても「カクタホテル殺人事件」の主犯和泉が逃走中に捜査の目を誤魔化すために船に靴を脱いでといったことを行っています。
これまでの回答の幾つかに反論を申し上げますと、コナンで言っていたってあれは漫画ですよ。それも子供向けの。実際には不可能な犯罪だって可能にしていますよ。特に毒殺なんかは。
自殺する人は止めて欲しいと願っているからというのも眉唾物です。靴を脱ぐという行為は後戻りしないという決意の表れの場合が多いんです。これは自殺ではありませんが強姦目的で山中に連れ込まれた女性が下着まで脱いだものの靴だけは履いたままにしておいて、犯人の隙を突いて逃げたというケースもあります。止めて貰うとして靴を履いていなければ、歩くことは出来ませんからね。生きたいと本音では願っているのなら別の行動に出るはずです。知り合いに予告の電話をする、目立つビルの屋上でしばらく躊躇しているフリをする。
犯罪者にしろ、自殺願望者にしろ行動は異常でも合理性はあるものです。
リンク先にもある通り、投身自殺の前に靴を脱ぐのは日本の場合、家に入る際には靴を脱ぐ習慣があり、天国という家に入るといった考えに基づくものと推測されます。
回答有難う御座います。
やはり天国は家なんでしょうか…。
昔ある漫画で、「自殺した人は、天国には行けない。地獄に堕ちるからさ。」という台詞を見たりしましたが、そういった発想が無いあたりが自殺志願者なのでしょうか。
脱線してしまいました、すみません。
海に飛び降りるというのも靴は良い証拠ですね。
しかし最近の若者には保険金の事を考える余裕のある自殺は出来なさそうな気もしますが、まあそれは私の偏見です。
回答有難う御座います。
2012/02/22 17:34:02靴に拘るのはただ最初にそうした人が靴を脱いで逝ったからでしょうか…?
免許証だったら個人情報が分かってしまいますが…。
自分を主張せずただ心の何処かに留めてほしいのなら靴が良いでしょうね。
何にせよ、無言で訴えてくる物は不思議な力を持っているような気がします。