1970年前後に日米間で最大の経済摩擦となった、繊維問題を巡る外交文書が公開され、当時、政府が繊維業界に対し「アメリカの恫喝(どうかつ)に屈したわけではなく、沖縄返還とも全く関係ない」などと主張する答弁書を作成していたことが分かりました。
日米繊維交渉は、1969年から71年にかけて、日本製繊維のアメリカ向け輸出を自主規制するかどうかを巡って行われ、当時、日米間で最大の経済摩擦となっていました。
この問題を巡る外交文書が公開され、繊維関連の業界団体が輸出規制を行わないよう求めて起こした裁判で、1972年3月に政府が裁判所に提出した答弁書の内容が明らかになりました。
この中で、政府は「アメリカ政府と覚書を結ぶことを決意したのは、アメリカの脅迫を恐れたためでも、恫喝に屈したためでもない。これを行わなければ、アメリカで、より厳しい内容の輸入制限措置がとられることが確実だった」としています。
そのうえで、「沖縄返還に支障をきたすかどうかということは、全く関係がない。繊維がうまくいかなければ、沖縄を返してもらえなくなるだろうなどと考えたことは毛頭ない」と主張しています。
日米繊維交渉を巡っては、去年公開された外交文書で、アメリカ側が、沖縄返還を持ち出しながら、「今度は日本が譲歩する番だ」と強く迫っていたことが明らかになっており、当時も「糸で縄を買った」などと一部で指摘されました。
今回の答弁書からは、こうした指摘を打ち消そうとする政府の姿勢がうかがわれます。
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