埼玉県は、森林を売却する際、売却先・目的・面積などを事前に県に届け出ることを所有者に義務づける条例を2月、議会に提出する。埼玉県ではまだ事例はないが、数年前から日本の水源地の山林を外国資本が取得する例が増えているためだ。埼玉県は、首都圏の水道水となる荒川の源流を有しているほか、秩父地方でミネラルウォーター事業をおこなっており、先手を打って予防策を講じたもの。ちなみに同様の条例を設けた市町村はあるが、県レベルでは初めて。
地球上にある水のほとんどは海水で、人間が実際に使用できる水は0.01%にすぎない。さらに近年の気候変動による干ばつや環境汚染の影響で、世界はここ10年ほど、深刻な水戦争の様相を呈している。ところが日本人の関心は低い。水源が豊富な国ということもあるが、それ以上に、消費する農畜産物の大部分を輸入に頼っていることが大きい。農畜産物を生産するには大量の水が必要で、生産国は水の確保に必死になっているという実情に疎いのである。
いっぽう日本では、林業の衰退にともなって、山林の所有者も間伐などの森林整備ができず、山林の荒廃は進むばかりだ。外国資本はこれを、日本の山林を底値で手に入れるチャンスと見ているのである。
最初に問題になったのは北海道だった。林野庁の調査によれば、2006年から2010年にかけて、倶知安(くっちゃん)町で13件、ニセコ町で11件など、計36件604ヘクタールの土地が外国の法人や個人に買収された。他県の事例をあわせれば、620ヘクタールにおよぶ。購入者の国籍でもっとも多いのが中国で、ほかにシンガポール、マレーシア、英領バージン諸島などがある。
買収の動機は明らかではないが、北海道に集中するのはリゾート開発による値上がりを期待してのことではないか、と林野庁は見る。問題は、買われた土地のなかに、地元にとって重要な水源が含まれていることだ。ニセコ町の場合、15ある町内の水源のうち、2カ所がマレーシア資本だった。事態を重く見たニセコ町は、将来的にすべての水源地を町の公有地とする方針を立て、昨年5月、開発を規制する「保護区域」を設ける条例と、地下水の汲み上げを許可制にする条例を施行した。
国土利用計画法では、1ヘクタール以上の土地の売買は、都道府県への届出が義務づけられている。今年4月に施行される改正森林法では、1ヘクタール未満の土地についても市町村への届出が義務づけられることになった。しかしいずれの届出も売買契約が成立したあとである。
そこで、さまざまな自治体が土地取引を規制する条例の創設を模索している。今回、埼玉県が制定をめざしている条例は森林売買の「事前届出制」で、不適切な売買の場合には、業者に勧告をおこない、業者名を公表するというものだ。売買を阻止する強制力はないが、どんな企業が買おうとしているかを明らかにすることで、地元に注意を喚起する効果は期待できる。同様の条例は、北海道や長野県でも導入が進められている。
なぜこれらの条例が「許可制」でなく「事前届出制」という一段“ゆるい”規制なのかというと、国の法律上、日本の国土は自由な売買が認められていて、誰が買ってもかまわないことになっているからだ。これに対して海外では、近年、外国資本(とりわけ中国)に広大な農地を買われるのを防ぐため、規制を設ける国が増えている。
アメリカでは1978年に農業外国投資開示法が制定され、外国人による土地の取得・移転について連邦政府への報告義務を定めている。さらに、外国人への土地売却に制限を設けている州もある。今年1月、東京財団の「国土資源保全」プロジェクトは、こうした海外の事例の調査を踏まえて、「日本でも、国として守るべき『重要国土』(国境離島や重要港湾、重要水源地など)については、売買規制や国公有化の措置を規定する『国家安全保障土地法』の制定が必要である」と提言している。
近年、水源地の権利を買わないかと持ちかけて大金を騙し取る「水資源投資詐欺」が横行しているのも、外国資本による土地買収と無関係ではない。昨年9月に23人の逮捕者を出した「大雪山グループ」事件では、「年6%の配当がつく」「あとで3倍の値段で買い取る」などの甘い文句とともに、「大雪山をみんなで買って中国資本の買収を食い止めよう」といった環境保全のスローガンを掲げて勧誘していた。なかには2000万円以上騙し取られた高齢者もいた。
日本の自治体レベルで土地取引の規制強化が進んでいる事実は、当然ながら、最大の買い手である中国にも伝わっている。昨年末、人民日報の日本版「日本月刊」は、谷垣禎一自民党総裁にインタビューし、
「中国企業の日本への投資や、中国人が日本の不動産を購入することについて、日本の一部メディアは否定的に報道していますが、この点についてどう思われますか」
という質問をぶつけている。これに対する谷垣総裁の答えは、
「中国の投資家が日本で不動産を購入することに関して、資本主義の経済市場では、不動産に関わらず売買は原則自由です。今日の中国のように、経済が飛躍的に発展し、海外で不動産を購入することは、日本でも、かつてありました」(ネット版「日本月刊」2011年12月29日付)
というものだった。じつは、この部分は当初、
「以前、黒字が続いていた頃、日本企業はアメリカのロックフェラーセンターを購入しました。その時もアメリカ人は日本に反感を抱き、抗議しました。忘れてはいけないことは、日本の市場では売買は自由です。中国の投資家が日本で不動産の取引をしても決して違法行為ではないのです」
となっていて、谷垣総裁側が訂正を申し入れ、ネット版では上記のように直されたという経緯があった(産経新聞2月3日付)。しかし最初の原稿を読む限り、日本がロックフェラーセンターを買ったように、中国も遠慮なく日本の土地を買えばいい、というニュアンスを読み取られてもいたし方ない。海外に優良な投資先を求めている中国にとって、土地売買規制のない日本はまさに宝の山なのである。中国としては、時の有力な政治家から規制強化は望ましくないという言質を取りたかったのであろう。
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