2006年04月13日

アンダマン・ニコバル両諸島における日本軍の加害事実(虐殺事件を中心に)

壊滅的...アンダマンニコバル
http://am.tea-nifty.com/ep/2004/12/dairyandamanese.htmlより
 
うちのじいちゃんはアンダマンに派兵されてた。
戦犯で処刑されるところを、アンダマンの現地の人々による申し立てで命を救われたという。
じいちゃんは故人。
大戦を知る古老も、日本語や日本の唱歌を覚えているアンダマン人も、大半はすでに故人であったろう。
このたびの津波災害で震源地直近であるアンダマンニコバルの情報がみごとに欠けているのが非常に気になっていた。
(略)  

大戦当時。
食糧が涸渇し、ゾウをも殺す日本兵と現地民との確執が深刻だったという。
スパイ容疑での民間人処刑も行われたという。
記録の少ないアンダマン戦。

 
ゾウをも殺すことができる残虐非道な心をもつ日本兵と現地民の確執が深刻になるのは当然だろう。第二次世界大戦中、最前線であり連合軍の工作の中心となり、大海の中で孤立し、疑心暗鬼になり日本軍が凶暴性を高める中で虐殺や民間人の処刑が行われた。


インド領アンダマン諸島にも韓国人の日本軍「慰安婦」

発見された新しい関連資料

http://www.jrcl.net/web/frame04a6.html
 
 日本軍の慰安婦として引っぱられていったハルモニ(おばあさん)たちの苦難に満ちた旅路はどこまで続いていたのか。
 「満州」からインドネシアまで東アジアの全域にわたっている慰安所の跡ごとに朝鮮の乙女たちのハン(恨)は涙でにじんでいる。ここに、さらにもう一つインド領アンダマン諸島にも韓国人の軍慰安婦がいたという事実が最近、文献から明らかになった。アンダマン諸島は太平洋戦争において日本が占領した地域のうち、最も西方に位置している。当時、日本軍の最前方だったのだ。  
軍属や商社員までもが利用

 「日本軍の慰安婦として連れてきた一団の韓国人女性たち(a batch of Korean women)が居住できるように彼の事務所を貸すことを要求した」。
 インドのドキュメンタリー作家であるイクバル・シンが書いた『アンダマン・ストーリー』(1978)の245ページに出てくる一文章だ。「彼」とは当時アンダマン諸島でインド独立運動をしていたティワン・シンを指している。1942年2月23日、アンダマン島の中心地であるポートブレアに進駐した日本軍は、彼を排除するために反対派が作りあげた話に乗せられて、彼をスパイ容疑で投獄しようとし、そのきっかけをつかむ方便として彼にこのような無理な要求をしたのだという。
 脈絡はともあれ、このひとことの言及はアンダマン島に韓国人の軍慰安婦がいたという事実を証言している。この本は、83年にヘチョのインド巡礼の道を調査中にアンダマン諸島に立ち寄ったコ・ビョンイク元ソウル大総長が、この諸島の歴史に関心を持ち購入、所蔵してきたものだ。コ元総長から、この本についての話を聞いた在米の史学者パン・ソンジュ氏が韓国挺身隊研究所に連絡し、この新たな事実が陽の目を見ることになった。
 アンダマン諸島に日本軍の慰安所があったということは日本の戦争資料センターが発行している季刊誌『戦争責任研究』95年冬号に紹介されたことがある。アンダマン諸島を管轄していた日本海軍第35独立混成旅団所属の第12特別根拠地隊司令部が定めた「海軍慰安所利用内規」を通じてだった。軍慰安婦問題研究家である木村コウイチロウは日本の防衛庁防衛研究所に所蔵されていた資料を引用して記録した。この論文において内規の詳細な事項を、こう紹介している。
 「海軍慰安所の管理と経営は海軍司令部が一括してこれを定める。家屋は業者が無償貸与するものとし、家具調度品などは最小限必要なものを一時貸与する。業者は貸与された物件の保管に責任をとる。軍慰安所の使用券は司令部が発行し、それを各隊が定めた標準によって配布する」。
 このような各条項を通してみるとき、この慰安所は軍が強力な影響力をもって管理、経営の責任者として業者に慰安所の経営を委託していたことが分かる。この資料によれば司令部傘下の慰安所は五カ所で、軍人だけではなく、軍属、司令部の許可を得た商社員もが利用でき、階級、身分を基準に利用時間や料金を定めた。
 今日までビルマ(現ミャンマー)、タイ、インドネシアなど東南アジアに散在した日本軍慰安所に、わが国のハルモニたちが引っ張られて行った事実は証言や文献を通じて明らかになったが、インド領のアンダマン諸島にまで韓国人慰安婦がいたことが確認されたのは今回が初めてだ。インド洋のコバルト色の海と風変わりな植生がぐっと異国的だとして最近の韓国人観光客を誘惑しているが、大洋のまっただ中でその凄絶な生を終えたハルモニたちがいたという事実は、また違う思いにわれわれを誘う。

だれがいたのかは分からない

 アンダマン諸島は19世紀中葉、英国の植民地支配に立ち向かったインドの政治犯たちが幽閉されていた「セルラー」という監獄で有名だ。その監獄のそばで、死ぬまで同じ夜を送らなければならなかった一群の朝鮮の乙女たちは、独立という言葉を口にのぼせることさえもできたのだろうか。
 韓国挺身隊研究所カン・ジョンスク研究員は今回、明らかになった事実について「日本軍が行った所なら韓国人慰安婦も必ず行ったと言える」と言い切った。アンダマン諸島は日本の敗戦後、連合軍が管理したのだから軍慰安所についての記録は英国などに残っているだろう、というのがカン研究員の主張だ。だがいまのところ、ここにどんな顔の、どこ出身の、だれが生きていたのか、われわれは知ることができない。(「ハンギョレ21」第268号、99年7月29日付、パク・ヨンヒョン記者)

 
 アンダマン・ニコバル島の最前線にまで韓国人女性が連れてこられました。誰がいたのかは分かりません。恐らく敗戦後帰国できずにアンダマン・ニコバルの地ではるか祖国へ帰ることを夢みて朽ち果てていかれたのか、あるいは日本軍によって虐殺されたのか分かりませんが、余すところなく真相究明を行い、事実の公表し、遺族への謝罪および補償、連れてこられた慰安婦女性が生存しているならば、一刻も早く帰国させなければなりません。そのための調査が全く日本政府によってなされていません。  アンダマン・ニコバル諸島はインドの独立闘志チャンドラ・ボースのゆかりの深い島々として知られ、自由インド仮政府が置かれていた。インドの独立を目指す有志たちがアンダマン・ニコバルを拠点に日本軍とともに存在した。また、英国の植民地であるインドの政治犯の流刑所としても知られており、皮肉なことに日本の植民地体制の下で苦しんでいた韓国人女性が日本軍性奴隷として連れてこられたのである。
 
東南アジアの日本軍慰安所
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper22.htm
 
インド領だったニコバル諸島にも日本軍の慰安所が開設され、ここには日本人やインドネシア人の慰安婦が連れてこられていたという(26)。
 
 (26)河東三郎『ある軍属の物語』思想の科学社、1989年
アンダマン・ニコバルには日本人やインド時ネシア人の慰安婦も連れてこられていたようだ。
 
  東南アジアで日本は何をしたのか  
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper01.htm
 
 日本との戦争が始まると、インド領であるベンガル湾のアンダマン・ニコバル諸島が一九四二年三月日本軍に占領された。最前線のこの島々は連合軍の工作の対象となり、そのため住民がスパイを働いているという疑いをもった日本軍による住民への拷問、虐殺がおこなわれた。


最近読んだ本(お勧めしたい本)やビデオのページ
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/16review.htm

木村宏一郎『忘れられた戦争責任―カーニコバル島事件と台湾人軍属』  

 連合国が日本に対しておこなった、いわゆるBC級戦犯裁判についてはこれまで多くのことが語られてきた。しかしその圧倒的多数は日本側の被告に身を寄せてその語りだけに耳を傾け、日本人の被告がいかに虐待され報復裁判で根拠もなしに罰せられたのか、ということをことさらに強調してきた。もちろんそうした側面を否定するものではないが、日本軍の残虐行為の対象とされて殺され苦しめられた人々(被害者)、裁いた連合軍の裁判関係者、裁かれた日本人戦犯や日本人弁護士(ここには当時、日本国民にさせられていた韓国・朝鮮人や台湾人も含まれる)のそれぞれに耳を傾け、冷静に戦犯裁判について議論しようとする姿勢がほとんど見られなかった。評者はさきにイギリス裁判についての研究をまとめた(『裁かれた戦争犯罪―イギリスの対日戦犯裁判』岩波書店、一九九八年)が、連合国のいずれかを取り上げ、その政策意図や裁判の実施過程について裁判国の資料を使ってまとめたものは残念ながらそれまでなかった。同書のなかでシンガポールやマレー半島でのいくつかのケースを取り上げて検討したが、個々のケースについて被害者、連合軍、日本の三者の資料をあわせて検討する作業が必要であると痛感していた。本書はカーニコバル島事件について見事にその真相を抉り出し、イギリスがおこなった戦犯裁判の意義と限界を明らかにしている。
 本書はカーニコバル島事件に関わって、シンガポールでイギリス軍によっておこなわれた戦犯裁判で死刑に処せられた台湾人軍属安田宗治(本名頼恩勤)の跡をたどり、その事件の真相に迫ろうとするものである。インド洋にあるアンダマン・ニコバル諸島(インド領)のなかの一つの島カーニコバル島には日本の陸海軍が配備されていたが、連合軍の反攻の前に孤立し、英機動部隊による三度にわたる空襲を受け緊迫した状況下におかれた。そうしたなか一九四五年七月から八月にかけて島民八〇数名をスパイ容疑で逮捕し処刑するという事件がおきた。安田軍属は通訳として島に駐留し、逮捕した島民の取り調べにあたった。日本側の資料によれば島民がスパイ活動をおこなったので彼らを逮捕し軍律会議にかけて銃殺したというものだった。論者によっては(茶園義男氏)、対日協力者が戦後、自分の身を守るために事実無根の事件をでっち上げ、イギリスは報復のために利用したという議論さえある。
 この事件について筆者は日本側の文献や関係者の証言を集めるとともに、イギリスがおこなった裁判の記録(速記録や証拠書類など関係書類一式がまとめて綴じられている)を入手し、さらにインド人の研究も参照しながら事実を読み解いていく。日本軍は、島民のスパイ組織があり、信号ロケットやランプで英軍の潜水艦や飛行機に連絡を取っていたと主張したが、筆者はロケットもランプも根拠のないものであること、スパイ組織なるものが存在しなかったことなどを諸資料と照らし合わせて結論づけていく。裁判長の訴訟指揮が検察に有利に導いたということはなかったこと、証人数や尋問時間においても弁護側が検察の二倍以上の機会が与えられていたことなど裁判の運営が「公正」であったと評価している。
 裁判では一六名が起訴され、齋俊男少将(第三六独立混成旅団長)以外に安田宗治軍属を含む五名、計六名が死刑となった。全体の責任者である旅団長とともに島民の取り調べにあたり、拷問をおこなってニセの自白をひきだしたと見られた下級の五名にも死刑というものだった。この五名のなかには取調べをおこなった木村久夫上等兵も含まれていた(なお齋俊男少将について筆者は「総司令官」としているが旅団長をこのように呼称するのは適切ではないだろう)。
 筆者は裁判記録のなかから、判決後木村が、弁護士と共謀して真相を伏せていたと訴えている嘆願書を見つけた。残念ながらその真相を書いたものは残っていなかったが、ほかの日本側関係者の証言から、軍律会議は開かれておらず裁判なしで島民を処刑したこと、しかも銃殺というものではなく、銃撃、銃剣刺殺、首の試し切り、軍医による肝臓摘出などきわめて残虐な虐殺であったことを明らかにした。裁判では拷問によるウソの自白が事件の重要なポイントであると考えられ、取調べにあたった五名を旅団長とともに死刑にしたが、それは真相からは外れていた。軽い刑に終わった、あるいは免罪された参謀や大隊長ら駐屯部隊の上層部こそが厳しく裁かれるべきであることを主張している。 この裁判がイギリスによる報復だとか、でっち上げだというような、これまで日本側から言われてきた議論が完全に否定されると同時に、イギリス裁判が一定の「公正」さを持ち、事実をそれなりに追求していたことを承認しつつ、事件の真相を捉えそこない、責任をとるべき者を免罪し、そうではない下級の者に極刑を与えたという裁判の欠陥を見事に抉り出した。筆者の、それぞれの資料を読み解きながら真実に迫る、資料批判の確かさと執念にあらためて敬服させられた。
 戦犯として処刑された安田宗治の妻頼黄甘さん、娘の暎暎さんと筆者との交流が氏を動かした大きな要因だろう。台湾人軍人軍属の遺族にはようやく一九八九年になって二百万円の弔慰金が支払われたにすぎなかった。軍事郵便貯金は九五年に一二〇倍の計算で支払われただけだった。日本が引き起こした戦争が頼黄甘さんをはじめ台湾の人々に深い傷を残している。本書のタイトル「忘れられた戦争責任」とは、日本軍の犠牲となったカーニコバルの人々に対するものであると同時に、日本軍の一員として駆り立てられた台湾など植民地の人々に対するものでもある、その二重の意味が本書には込められていると読める。
 本書は今後、BC級戦犯裁判を研究するうえでの一つのモデルとなる、すぐれた著作である。氏の努力に敬意を表するとともにこうした作業の積み重ねこそがいま必要であると感じる。(青木書店、2001年12月刊、3400円)   <『歴史評論』2002年9月号、に掲載したものです> 
 

 木村宏一郎『忘れられた戦争責任-カーニコバル島事件と台湾人軍属』という本については私は読んだことはありません。しかし、林博史の書評とこれまでの情報からは想像はできます。日本軍のアンダマン・ニコバル島の島民に対する残虐行為、そして免罪された日本軍の上層部と下級兵士に責任を押し付けられた裁判の問題点ととりわけ台湾人軍属安田宗治氏が極刑にされたことだった。アンダマン・ニコバル諸島という小さな最果ての島々に大日本帝国・日本軍の戦争加害の問題、戦後の戦犯裁判、日本人の逸れに対する有り方など重要な問題点がたっぷりと詰まっているのである。日本人の被告がいかに虐待され報復裁判で根拠もなしに罰せられたのか、この裁判がイギリスによる報復だとか、でっち上げだというような側面はこの本によればすべて否定されている。イギリス側はむしろ一定の公正さを保ち、見方によっては証人数や尋問時間においても弁護側が検察の二倍以上の機会が与えられてたなど、むしろイギリス側の検察にとって不公正であり、より力のある日本軍の上層部が弁護士を雇い、自分たちが免罪、あるいは軽い刑で済んで、本来なら裁かれるべきではない、あるいはより軽い刑で済むはずの下級兵士に大罪をなすりつけることにつながったような気がする。ネットの右翼的妄言にはイギリスの報復裁判であり、でっち上げだった、著しく不公正で根拠はないものとして、アンダマン・ニコバル島での虐殺事件を否定しようとするような典型的な思考停止型歴史修正主義言論がありました。紹介します。
東方見聞録 アンダマン島
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19440630matukawa/2501matukawa-andaman.htmより
●アンダマン島の戦略的価値 


(略)

地理上のアンダマンはイギリスとオーストラリアの連絡ルートを断つために重要だったのであり、そのことは南太平洋の島々にも言えることでした.
政治的に見るならば,日本政府がアンダマン諸島を,インド独立を目指すネタジ・スバス・チャンドラ・ボースの自由インド仮政府に割譲したこと,この事実は現在殆ど顧みられることはありませんが,もっと注目されるべき事だと思うのです.
戦後になってイギリスは,自由インド仮政府の首脳だったインドの人々を英国王に対する反逆罪で告訴しますが,弁護側はアンダマンという領土を保有した自由インド仮政府は交戦権を持つれっきとした独立国と認められるという反論を行います.民衆もまた被告を熱狂的に支持し,結局イギリスによる復讐裁判は被告たちを極刑に処することに失敗するのです.詳しい経緯は紙面を改めて書きます.
マルコ・ポーロから650年後のアンダマン諸島は,西洋と東洋が熾烈な鍔迫り合いをせめぎあう文明衝突の最前線となっていたのです.そして犬頭人が住んでいた島々は,飢えと戦闘と病に薨れた数多の日本軍将兵の骨に埋め尽くされたのでした.(この項おわり)


この記述は嘘をついています。どこだか分かりますか?太字にした部分です。民衆側が被告を熱狂的に支持するわけはありません。日本軍占領下は連合軍の封鎖もともない食糧の枯渇、飢餓(日本兵も多数餓死している)、強制労働、そして戦争末期にかけて起きた住民処刑および虐殺です。それに被告たちを極刑にするのは失敗してません。ただ、本来裁かれるべき上層部が免罪されたり、軽い刑で済まされたということです。日本軍上層部はいろいろ事実を隠蔽して、でっち上げたりして下級兵士に罪を押し付けました。この記述は事実無根であり、歪曲甚だしい右翼的妄言の典型的例です。

 
側の海路三万キロ   ニューヨークの思い出 島崎生徒
http://www2u.biglobe.ne.jp/~navy77/page019.html
 
 彼の厳父は海兵50期出身の大佐であった。海軍大学出の参謀としてアンダマン諸島第12特別根拠地隊のあるポートブレアの副長兼先任参謀として、昭和19年4月、インド洋方面最前線基地である海軍部隊に赴任した。横須賀海軍砲術学校の教官研究部員からの転任であった。
 アンダマン・ニコバル諸島といえば、インド洋の一部ベンガル湾海域のマラッカ海峡の北海上にスマトラからビルマのヤンゴンの方に向けて連なる300以上の島嶼である。
 英国が管理している時代は、巨大な監獄が辺りを睥睨し、インド本国やビルマでの反英活動家や凶悪犯人を連行投獄していた。住民は殆どが流刑囚人とその子孫家族で、道路工事やジャングルでの材木の伐採などの雑用があてがわれ、食料はビルマやインドから米や小麦などを運び込んで配給しており、ここでの農耕による生産活動などは皆無であった。
 太平洋戦争時には日本軍は英軍と戦いこの島嶼に進駐した。このような背景の中での島民の統治、食料の供給は至難を極めたことは想像に難くない。英国統治時代は、何しろ労働は酷だが何とか心配なく食えていたのであるから。
 チャーチルは声を大にしてアンダマン奪回を叫んだと聞く。占拠していた日本軍にして見れば、英軍による海上封鎖と執拗な攻撃、スパイ・ゲリラの送りこみ、敵軍の来襲を避けての部落民移動、食糧の供給(日本軍の食料も覚束ない中)、その内一部住民の餓死事故の発生、どれをとっても何も分からない住民から見れば虐待と見えただろう。
軍政方針としては一定の自給自足の促進、日本語学校の創設、農耕指導など、日本軍側の親切心から出た配慮も虐めとしか受け取られなかったであろう。
 やがて敗戦、英軍は人道的責任を問い、戦犯者の認定摘発、報復的裁判、それに原住民による顔実験などにより被告96人を認定し、その内の43人がシンガポール チャンギー刑務所にて刑死されたのである。
 当然、その中の筆頭として島崎大佐がおられたのである。最善を尽くしたと自負できる島民に対する軍政のあり方、それも現地人にして見れば拉致・虐待となり、報復的裁判前後には言語に絶する侮辱と憎悪の暴行なども繰り返されたと聞く。
 こうしてアンダマン・ニコバル諸島の戦後処理として一方的そして報復的裁判により刑死者は無念の涙を飲んで憤死されたものと思う。本来試合が終われば英国流のノーサイド(ラグビー)として紳士的判断を下しそうなものの英国軍の、思わぬ残虐なる仕打ちには憾み骨髄に徹するものがあったろう。  

(略)


ああ!黄泉への道には味方も敵もなく、ただ死にいくだけであり、(踏むべき道を違えようが違えまいが拘泥することなく、片っ端から冥土に連れ込んでしまう)
 
戦局の悪化とともにアンダマンは、ポートブレアといい山中といい、友軍も住民〔放浪的、反抗的、また純朴な種族が混住していた〕も白骨の山と化し、露さえ降りていた。

住民政策では、一部住民のスパイ・ゲリラ活動とも相俟って、情を優先すれば敵の思う壺であったし、(当時のアンダマンは、英軍海軍の海上封鎖により兵料責めの状態であり、住民の食料生産などは元より不必要な政策下にあったため、食糧危機に瀕していた)
戦争遂行の必須政策を真面目に実施すれば、住民の生活は深刻度を増す結果となる。しかし
、住民は英国の統治下、労働奴隷的食料のあてがい扶持的政策の下にあり、その習慣は、幾ら指導しても、食料緊迫の状況下でも自給体制を自ら考え様とはしなかった。
時に我が方は決戦態勢下、その中での最適化を目指して島における軍政を推進し、住民に対する配慮も含めこれ以外に道はなかったし、正道に外れたとは決した思わない。
勝者が敗者を裁く、しかも住民の摘発的検索による認定を唯一の証拠として戦犯者の烙印を押すことが罷り通ってよいのであろうか。
報復の手段としての裁判などは、幾ら勝ち戦の後の異常な精神状態の下とはいえ、歴史の正義からしても全く愚者たちのやることである。
嘆かわしい次第である。
 

 前の『東方見聞録』の記述よりはるかにましである。前の『東方見聞録 アンダマン島』のページの記述を明確に否定する部分があるからだ。英軍の封鎖のためだけの理由だとしながらも、食糧の供給の外からの供給がなく、飢餓が蔓延していること。住民が食糧を自給できない制度に慣れており、日本軍がいくら指導しても自給体制を自ら考えようとしなかったとかいろいろ住民側を悪く罵り、日本軍は努力しており、何の非はないととんでもないことを書いているものの、日本軍の占領統治が結果的に住民の反発を招いていることを認めている。戦犯裁判の際、被告らに住民らが侮辱と憎悪の暴行を加えたことも認めている。これらの記述は民衆が日本兵戦犯の被告らを熱狂的に支持し,極刑を覆したなる妄言を木っ端微塵に否定するものだった(島民に慕われていたり、島民自身が被告は極刑に値することはやっていないことを知っており、島民からの嘆願で極刑が覆った日本軍戦犯裁判史上稀な事例がアンダマン・ニコバル諸島で起こった可能性も否定できないが、その場合も日本兵個人であり、日本軍や日本軍の占領統治が慕われていたからではない)。しかしこれもまた典型的な日本軍の戦争加害を減免しようとする記述に他ならない。 
太字を中心に反論しておこう。『軍政方針としては一定の自給自足の促進、日本語学校の創設、農耕指導など、日本軍側の親切心から出た配慮も虐めとしか受け取られなかったであろう』とあるが、自給自足の促進、日本語学校の創設、農業指導などを行ったのは事実かもしれないが、占領軍の自衛措置に他ならないものである。それに日本軍は親切心など一欠けらももたない。たとえば日本語学校を創設したことの意味を考えてみればわかる。大東亜共栄圏下に組み込んて大日本帝国の植民地下にして島民に皇民化教育を行ったことにほかならない。本当に馬鹿馬鹿しい限りの記述である。『アンダマン・ニコバル諸島の戦後処理として一方的そして報復的裁判により』しているが、前述の通り、一方的な報復的裁判ではないことは明らかである。『刑死者は無念の涙を飲んで憤死されたものと思う』とあるが、これはその通りだと思うが、その無念の涙というのは自身の冤罪、罪を上層部から被せられて、信じていた上官などから裏切られたという風な気持から来るものだ。決して裁判での日本軍加害事実が冤罪であるということを意味するものではない。『情を優先すれば敵の思う壺であったし』とあるが、本当にそうだろうか?敵のスパイ行為というのもたとえば、スパイ組織なるものがなかったことは木村宏一郎著『忘れられた戦争責任―カーニコバル島事件と台湾人軍属』によれば明らかだ。もちろん、日本軍は連日来る連合軍の空襲と窮乏と戦況の悪化が相まって、疑心暗鬼になっていたことは事実である。疑わしい島民を処刑するためにスパイ組織なるものをでっち上げたのが真相だろう。情を優先するどころが、日本軍は情など一欠けらもなく(もちろん日本兵個人個人のレベルでは例外もあるかもしれないが)、残酷・残忍に振る舞い、島民の反発を募らせていったことこそが、反日感情を高ぶらせ、連合軍(敵)の思う壺だったのではないのか?『住民は英国の統治下、労働奴隷的食料のあてがい扶持的政策の下にあり、その習慣は、幾ら指導しても、食料緊迫の状況下でも自給体制を自ら考え様とはしなかった。』という記述も何回も言うように住民を愚弄するものであり、日本軍を免罪しようとするものだ。そもそも、アンダマン・ニコバル諸島を侵略して、駐屯しているのはどこのどいつだと言いたい。日本軍である。日本軍の兵員数に関する資料は見当たらないが、少なくとも数万人はくだらないと思う。何万人もの日本兵が駐屯したのであれば、もともと非食糧自給地区であったアンダマン・ニコバル諸島で食糧危機に陥るのは必至である。長年身についた習慣を変えるのは並大抵のものではない。まず、きちんと前もって調査せずに、アンダマン・ニコバル諸島を侵略して、英国・インド領を攻略する基地にしようとしたのが悪い(そもそもアンダマン・ニコバル諸島を侵略したこと、アジア・太平洋地域への侵略戦争を発動したこと)が悪いのである。もう一つは戦術・戦略面の準備不足・欠如である。日本軍は「現地自活」「現地調達」の方針をとって、兵站を軽視し、現地から過酷な取立てすることを基本方針としていた。まして、アンダマン・ニコバル諸島のような食糧の生産土壌が根本から欠如している地区でこのような方針をとった場合、どういう惨事になるのか想像できるだろう。もう一つは物理的に兵站がのびきって、英軍の封鎖も合わさって補給(日本本土からも、他地域からも)が不可能になっていたことで、アジア・太平洋戦争を発動した際、明確な戦略がなく、海軍・陸軍間に留まらず、相互の各部隊間で連携が全く欠如しており、物理的・経済的・国力の面を無視して戦線を無秩序に底なしに広げていったのである。そういった失敗の数々を住民のせいにしてごまかそうとするのは甚だおかしいのだ。『勝者が敗者を裁く、しかも住民の摘発的検索による認定を唯一の証拠として戦犯者の烙印を押すことが罷り通ってよいのであろうか。報復の手段としての裁判などは、幾ら勝ち戦の後の異常な精神状態の下とはいえ、歴史の正義からしても全く愚者たちのやることである。』ということだが、これも完全に間違っている。アンダマン・ニコバルでの戦犯裁判をはじめ、英国の戦犯裁判に限っていえば、単純に勝者による敗者に対する報復裁判という観点でみるのは(個々の事例)にもよるだろうが、間違っているといえる。英国裁判の中心は日本軍による自国の捕虜や抑留者に対する日本軍の残虐行為を裁いたというよりは、日本軍による自国の植民地の住民への加害をより多く裁いたといえる。アンダマン・ニコバルでの戦犯裁判における被害者は島民なのだから。それに一部に報復の手段での裁判という観点を認めるとしても他にどうすればいいという代案はあるのか?アンダマン・ニコバルで日本軍の残虐行為の犠牲になった島民犠牲者・被害者を無視した横暴な言論である。日本人の手で裁きなおすべきだったというのであれば別だが。アンダマン・ニコバルでの戦犯裁判をはじめ、日本軍の残虐行為を裁いたということ自体に意義があるのである。裁かれなかったら被害者や犠牲者の人々は報われないだろう。英国自身、昔の大英帝国を復活させるために住民の支持を必要としていたのである。

ところで、『その中の筆頭として島崎大佐がおられたのである。最善を尽くしたと自負できる島民に対する軍政のあり方』と
いう部分があり、島崎大佐自身は島民のために最善を尽くした良心的な軍人だった可能性がある。そのような軍人がいた可能性にについては詳しくは<続きを読む>で 触れることにする。
もう一方の見方からの記述も紹介してみる。

◇◇◇◇トニー高橋の西方見聞録◇◇◇
忘れられたアンダマン戦跡
http://72.14.203.104/search?q=cache:bG14T0js4OwJ:backno.mag2.com/reader/BackBody%3Fid%3D200311111400000000075601000+%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%80%80%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%81%95%E3%82%93&hl=enより

インドのチェナイから空路2時間。マグロの大群と泳げたり、原住民がいまだそのままの生活を続けているインド領アンダマン諸島はボートで1時間も南下すればマレーシアの諸島に到達するほどの距離にある。
 
第二次世界大戦における日本軍の東南アジア駐留の話しや連合軍との戦闘などのはどこでも良く聞く話であるが、このような小さな島々で、しかもインド領での話しはあまり聞いたことがない。「もう、老いぼれたこの私が、子供のころになるが、日本人から剣道と数字を教わった。規律がしっかりしていて軍隊らしかった。」とヴィシャルさんは言った。当時、イギリスが統括していたこのアンダマン諸島は、植民地支配から独立を狙うレジスタンスの強制収容所になっており、インド中から反政府ゲリラなどが流刑されていた。その中、戦争から日本軍が上陸し、イギリス軍との激しく戦闘が展開されて、双方に大きな犠牲が発生した。当然、お互いを支えた地元の人もである。
 

ヴァシャルさんは当時、荷物運びを手伝ったり、イギリス人捕虜に果物を手渡していたりしていたらしい。剣道はいつも日課だったらしく、掛け声や点呼の数字は今も頭に残っている。戦跡を思い出させる光景は、今も街角や桟橋にはみられ、日本軍が建てて残したトーチカや機関銃の跡がさび付いて取り残されている。トーチカは今では、もはや機能を果たしておらず。それよりむしろ遊覧船の切符
売り場になったり、高波の避難小屋に変身してしまっているが、何か日本人に対して歴史を忘れないで欲しいと言うような訴えているようにも感じる。「町の丘には日本軍の慰霊碑や村での虐殺現場での慰霊塔などが残っているけれど、日本から訪ねてくる人は少ないね。でも私たちは、歴史を受け継ぐために、綺麗に掃除したり、供養したりする」ヴァシャルさんは語る。

戦争と言うものは善悪を語ったりするものではないが、たとえ敵と戦ったり、敵に殺されたとしても、供養したり、慰霊碑を掃除したりすることはこの島の人たちのこころの温かみを感じる。隔年に旧日本軍の兵士が、現地で亡くなった戦友を見舞うためにアンダマンをたずねるそうであるが、年齢が増していく中で、ここでの出来事を語り継いでいく人は果たしてどれだけいるのか疑問だ。「日本の人も、どうか忘れないで欲しいです」とヴァシャルさんは言った。


ヴァシャルさんの証言です。日本軍の虐殺現場があるそうです。ただし、ヴィシャルさんは「もう、老いぼれたこの私が、子供のころになるが、日本人から剣道と数字を教わった。規律がしっかりしていて軍隊らしかった。」とも語っており、孤島の日本軍の部隊の中にはこういう一面も見せていた部隊もあったのかもしれません。 日本ともにアジア・太平洋全域で戦争体験者が年々少なくなっています。アンダマン・ニコバル諸島はほとんど日本人の眼中になかった地域であり、スマトラ沖の大地震で津波の被害をモロに受けて大規模な被害に見舞われたことで注目を集めました。しかし、日本人はアジア・太平洋戦争でアンダマン・ニコバル諸島で島民を殺し、加害した事実を知りません。

 
今も各地に残る日本統治時代の痕跡(2)
http://k-mokuson.at.webry.info/200507/article_17.htmlより
 
SAPIO 2005年05月25日号 SIMULATION REPORT
怒濤の「反日包囲網」に惑わされるな!日本の歴史と文化を理解する「同志」はこんなにいる
「世界の親日派」大集合」 全調査 日本人が知らない「世界の親日国家・愛日民族」
 
4印領アンダマン・ニコバル

「大日本帝国」最先端にいまも生きる「日本語世代」
スマトラ沖津波に「呑み込まれた島」で「君が代」を歌う人々に出会った

<前略>

 アンダマン・ニコバル諸島の州都ポートブレアにある難民キャンプを取材中、突然、「メシクワナイ?」と日本語で声がする。ジェームス・クルヘート氏80歳。この難民キャンプ地で家族と暮らす。3人の息子と4人の娘のうち、一番下の娘とその夫が津波にのまれ行方不明となっている。

 ジェームス氏はなぜ日本語を話すことができるのか?

彼は、問いかける前に「君が代」や「さくら」を歌い始めた。そして、「私は生まれて直ぐに両親をなくした。1942年からアンダマン・ニコバル諸島に駐留していた旧日本軍に育てられた。学校に行かせてくれた。先生の名前はモリヤ先生とイトウ先生。国語や算数、音楽では日本の歌をたくさん習った。今でも覚えています。日本には感謝しているよ。とても日本は好きだね。私は今でも子供や孫にも日本語を教えている」と語った。

実際に彼の妻や子供たちも日本語で挨拶し「桃太郎」の歌を合唱していた。

<中略>

 取材の上で驚いたことはアンダマンの人々がかつての駐留日本軍に対して反日感情を抱いているかというとそうではなく、逆に親日家が大多数を占めていたことだ。ジェームス氏も話していたが、直接この地が火を噴く戦場ではなかったことで、駐留旧日本軍と現地政府、市民との間に一体感のようなものが生まれた。

 行政、教育の提供、例えば当時の孤児のための集団寄宿舎や学校の開設、南アンダマン島にある国際空港の建設、空港からポートブレアの町に繋がる道路、ロス島とポートブレアを結ぶ定期船便の設立といったものがある。こうした恩恵をこうむった人々が次世代に当時の状況を語り継いできている。もちろん日本のハイテク技術に対する知名度がこの地でも幅を利かせているが、世代を超えて語り継がれる日本軍との思い出が根強く浸透しているようだ。

<後略>
 
 右翼ブログEast Asia News Watchからのもので、しかもSAPIOからのものであります。かといって、嘘の証言とはかぎりません。対日協力者か、洗脳親日派などの背景が気になりますけどね。それに親日派が多数と言う記述もね。ジェームス氏にインタビューしたのは本当だろうが、親日派が多数というのはこの記事を書いたSAPIO記者のでっち上げだろう。
ちょっと話を戻して、木村宏一郎『忘れられた戦争責任-カーニコバル島事件と台湾人軍属』と関係するもので、アンダマン・ニコバル諸島における戦犯裁判関連に取り組んでいるジャーナリストがいます。その名前は有田 芳生氏です。カーニコバル島で起きた住民「スパイ事件」を追っているという。
 
酔醒漫録
http://www.web-arita.com/sui059.html 
 9月9日(金)12時33分東京発の「のぞみ77号」で大阪へ。木村宏一郎さんの『忘れられた戦争責任』(青木書店)を読みはじめる。これは敗戦1か月前に起きたカーニコバル島(いまではインド領)で起きた住民虐待死に関わる歴史の謎に挑んだ研究書だ。戦犯裁判で死刑となった安田宗治は台湾人軍属だった。はたして死刑は妥当だったのか、木村さんの現地調査がはじまる。赤線を引きながら熟読していると50ページほど読んだところで新大阪に到着。

http://www.web-arita.com/sui0510b.html より

  10月21日(金)午前中は日本郵政公社の「ふるさと味倶楽部」の原稿を仕上げる。テーマは「京都」。高校時代の想い出を「自由の精神」との関わりで書く。あと2日間「寝かして」推敲するつもりだ。池袋から湘南新宿ラインで横浜。「次は横浜」との案内があったところで居眠り。気がつけばドアが開いていた。荷物をまとめて飛び降りる。電車を乗り継いで上永谷。86歳になった青木平松さんから話を伺う。60年前のインド洋はカーニコバル島で起きた住民「スパイ事件」。そこで悲劇は起きた。責任者が無罪で通訳たちが絞首刑という「謎」をどう解くか。ほぼ核心が見えてきた。すごいなと思うのは、ここ数か月、何人かの戦争経験者に話を聞いていて、記憶が確かなことだ。青木さんに聞いたところ、戦友会があると、つい昨日のように話がはずむという。あと10年もすればおそらく聞き取りはできないだろう。「きけわだつみのこえ」の、ある真相も、調べるならいましかない。私家版の単行本や、当時の師団副司令の自筆手記などの貴重な資料をいただいた。戦争の体験は、日本全国にあまねく存在していることだろう。誰に見せるでもなく、ともかく自分の経験したことを書き遺さざるを得なかった当時の若い世代。それがいまや80歳代になっている。みなさん背筋がぴしっと真っすぐだ。明治、大正、昭和。すでに遠い世界なのか。このまま戦争体験を風化させてはならないと痛感。
 有田 芳生の今夜もほろ酔い
http://www.web-arita.com/より

「たずねびと」のお願い
 いま「BC級戦犯」としてこの世を28歳で去った木村久夫さん(京大経済学部)の人生を追っています。1942年10月に大阪第4師団第8連隊に配属された勅使河原寛さんの消息を知っている方はいないでしょうか。戦後は滋賀県に移り農民組合の活動をしたようです。全国の電話帳に記載されている同姓同名は4人、そのうちの2人は別人とわかりました。あとのお2人は電話が鳴り続けるだけで、いまだ確認できていません。どなたかご本人あるいはご家族の情報をおもちの方がいらっしゃればご一報下さい。よろしくお願いいたします。

 
    ということです。戦犯裁判で死刑となった台湾人軍属である安田宗治氏が死刑になった問題、責任者が無罪で通訳たちが極刑という「謎」がある。右翼側の言う「英国による勝者による敗者による報復裁判劇である」という思考停止の言論ではこの「謎」を解決できず、無念の涙を飲んで憤死した末端の下級兵士たちの魂の尊厳を汚し、愚弄する言動でしかない。それとこのブログをごらんの皆様で木村久夫氏についてご存知の方がいりゃっしゃれば、有田氏に情報を提供してあげてください。
 
最後に『世界戦争犯罪事典』秦 郁彦, 佐瀬 昌盛, 常石 敬一監修、文藝春秋社のp233〜234よりアンダマン・ニコバル諸島の虐殺事件についての部分を引用する。
アンダマン、ニコバル両諸島の虐殺


 第二次世界大戦初期の1941年(昭和17)年3月、日本軍はベンガル湾上に浮かぶ英領インドのアンダマン、ニコバル両諸島に上陸し、45年8月の戦争終結まで3年半以上にわたって同島を占領した。
 そこで占領末期に日本軍による住民虐殺が相次いで行われたのである。なお47年8月、インドの独立後に両諸島はインド共和国の行政制度のなかで連邦直轄領の一つとなり、現在におよんでいる。
 日本軍は42年10月民政部を設置して「現地民を保護し、その福祉を増進する」旨を宣言していた。島内では新しい道路建設が進められ、飛行場や港湾の整備もなされた。実際にはこれら一連の政策は、占領軍の自衛措置にほかならなかった。
 しかし、シンガポールからの補給線が連合軍の反攻で切断され、戦争全体が日本側へ不利に転じ、アンダマンの行政都市ポート・ブレアへの連合国側の空爆が開始されるや、孤立した日本軍は疑心暗鬼の虜となった。

 占領当初から、両諸島の住民の間には日本軍への協力派とインド独立派のニ派があった。後者の長老格の人物は、後に日本軍の手で殺されるパンジャーブ出身でシク教徒の医師ディーワーン・シングだが、彼はディーワーン・シング・カーラーパーニーと自称していた。
 カーラーパーニーとは英領インド時代の用語だが、ヒンディー語で「黒い海」を意味しており、転じて英領時代のイギリス当局によるインド人政治犯の流刑、具体的にはベンガル湾上の両諸島への長期流刑を示す歴史用語でもある。
 彼は公開の場で、日本軍はインドの独立を支援するというが、独立は自ら闘いとるものだと発言していた。戦況悪化のもとで、軍当局はシングと彼のグループの活動に制限を加え、嫌がらせも行った。しかも日本軍は彼に対して日本兵向けの慰安婦として「輸入」された一群の朝鮮人・インドネシア人の女性たちの宿舎として、グルドワーラー(シクの礼拝堂)の明け渡しを要求した。
 もともとこの独立派は非協力派とみなされ、日本軍の目の敵にされていた。43年10月、シングはイギリス側のスパイ容疑で逮捕され、軍の拷問をうけ、「自白」を強要された。翌年1月、住民の深い尊敬を受けていた彼は、獄中で死を迎えた。
 兵力1万人以上に達した日本軍の占領支配は、その末期の段階で住民に深刻な事態をもたらした。海軍関係では住民・苦力の犠牲者を出すアンダマン島事件(43年3月、6人の拷問死と44年1月、44人の銃殺)、スチュワート・サウンド事件(45年8月初め、ビルマ人9人を銃殺)、ハヴェロック島事件(45年8月上旬、387人の餓死)などがある。
 陸軍関係ではタルムグリ事件(45年9月の62人銃殺)とニコバル事件(45年7月-8月初め、約80人の銃殺)が起きた。こうした虐殺事件の連鎖は、連合軍によってベンガル湾における日本軍の補給線が切断され、孤立した日本軍が刻んだ絶望的なクロニカルにほかならなかった。
 日本軍の一連の残虐行為に対する戦後の連合国による追及はBC級戦犯の裁判過程で苛烈な結果を招いた。戦犯件数はアンダマン、ニコバル両諸島に限っても34件を数え、被告の総数は95人(*1)に達した。
 そのうち3件は無罪とされたが、他は有罪判決が出され、死刑に処せられた者の総数は44人に達した。東南アジア地域全域を対象とするシンガポール裁判では、被告総数490人に対し、141人が死刑だったから、両諸島での諸事件における死刑判決の高さがめだつ。

(中村平治)


《参考文献》
木村宏一郎「日本占領期における東南アジア・太平洋地域-アンダマン・ニコバル諸島を例にして」(『歴史教育研究』第七八号 一九九八)
N. Iqbal Singh, The Andaman Story (Vikas Publishing House, News Delhi, 1978)

 

残念ながら、この解説にはアンダマン・ニコバル諸島の戦犯裁判では有罪判決がほとんどであり、かつ死刑判決が多く苛烈だったことには触れているが、死刑判決を出された戦犯の多くは末端の下級兵士であり、台湾人軍属も含むということ、本来の責任者の多くが免罪されているか、極めて軽い刑で済んでいることに触れていないのには少し納得がいかない。死刑判決の割合が高いところだけに着目し、イギリス植民地の政治犯流刑地であり、かつ自由インド仮政府がおかれ、インド独立闘志チャンドラ・ボースのゆかりの深い土地柄と言う条件を合わせて、なおさらイギリス側の敗者に対する熾烈な報復裁判であり、非人道的だという印象を受けざる負えないかもしれない。実際は一方的に敗者による勝者の裁き視点では見てはならず、公正な部分が多々あったのである。イギリスの戦犯裁判での戦犯被告総数が919人(重複もあるので実数883人)(*2)であり、95~100人ということで一割を占めている。シンガポール、タイ(泰緬鉄道を含む)(それぞれ123、104)に次ぐ多さである。なぜこんなに多いかといえば、アンダマン・ニコバル両諸島では日本軍の残虐行為は44〜45年の戦争後期から末期にかけて集中したこと、犯罪に関わった日本軍が終戦時点でそのまま島に残っており(絶海の孤島であり、陸続きのビルマ、マラヤなどと違って逃亡は不可能)、イギリス軍が進駐してきて容疑者をまとめて逮捕することができたことによるものである。それと、もう一つはアンダマン・ニコバル諸島において、住民が協力派と独立派に分かれていた。もちろん、住民は土地柄から考えて全員がほどんど独立派だろうから、日本軍によらない自力独立派と日本軍協力独立派と名づけたほうがよいだろう。その自力独立派に対して日本軍は敵意剥き出しにしたのである。それもそうである。仮にインド占領が成功したとしても、その自力独立派はやがて日本軍と対決することになるのだから。とはいえ、対立は日本軍が戦況悪化のもとで疑心暗鬼に陥り、もともと反日的傾向をもつ自力独立派を目の仇にするのは当然のことだった。先で紹介した親日的証言は日本軍協力派によるものであると考えられる。もしかしたら、日本軍協力派が一連の蛮行に協力しており、地域・部族対立の様相を呈していた可能性もある。ネット上でアンダマン・ニコバル諸島についての情報を探していたが、ものすごく少なかった。日本軍の占領時代となると極めて少なく、まだまだ研究されていない部分が多々あるのだろう。歴史の証言者が年々少なくなり、スマトラ沖の大災害がさらに追い討ちをかけた面もゆがめない。一刻も早く日本政府自身が過去の戦争加害問題を清算する上で、アンダマン・ニコバル諸島に調査団を送り、加害事実を余すところなく真相解明した上で、住民の犠牲者遺族や被害者に対する補償や謝罪措置を講じなければならないのは言うまでもない。
(*1)林博史著『裁かれた戦争犯罪 イギリスの対日戦犯裁判』岩波書店によれば、100人である。
(*2)上記と同じく

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:45 | Comment(31) | TrackBack(0) | 各国民衆の大日本帝国侵略・戦争被害情報コーナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
冒頭、象を殺す=残虐非道、はちょっと短絡すぎるような気も…
ものすごい飢えてましたんで…。
http://am.tea-nifty.com/ep/2004/07/donner.html#new

うちのじいちゃんも大阪の**隊の隊長だったらしいんですが(ご紹介の勅使河原寛さんの隊と同じものだったかどうかはわからない)、アンダマン派兵は大阪からが多かったんでしょうか。

アンダマンの資料はニューギニアなどに比べるとはるかに少ないようですね。
「戦記 アンダマン諸島」本間正次 昭和63年 朝日新聞東京本社出版サービス(自費出版ライブラリー http://www.mmjp.or.jp/jst/
というのも読んでみたことがあったんですが、拍子抜けするくらい内容はのどかでした。(新兵さんの回顧手記みたいな)
Posted by amasaki at 2006年04月13日 02:26
まあ、一方通行な知識の入力ですね
反証もしない辺り、中学生レベルの見解かと
捕虜虐待や住民の虐殺で裁かれたのは朝鮮人が多かった気がしますが、如何でしょうか
合法であり、殆どが志願だった慰安婦について賠償とは笑わせますね
もっと調べれば、強制的に連れて来られたとされる人の証言が
、殆ど信憑性に薄く、残りも朝鮮人のブローカーが率先してやっていたと出てきますよ
信じるか否かは別ですけどね
Posted by at 2006年04月13日 06:31
ああ、反証目的の書き込みに見えましたか
Posted by amasaki at 2006年04月13日 10:04
始めまして

amasakiさん、>うちのじいちゃんはアンダマンに派兵されてた。戦犯で処刑されるところを、アンダマンの現地の人々による申し立てで命を救われたという。の詳しい経緯は分かりますか?
Posted by A at 2006年04月13日 10:51
amasakiさんに対してのじゃなくて、
ここの一方的な馬鹿管理人へのコメントだよ
Posted by at 2006年04月13日 10:52
(画像)
http://kuki1.stoo.com/news/image/000/493/121/20060413e1.jpg

世界4大通信社のひとつ、ロイター通信が運営するロイター財団のニュース供給サイト
( www.alertnet.org )に、鬱陵島(ウルルンド)を日本領土と表記して顰蹙を買っている。

サイバー外交使節団VANK(バンク/ www.prkorea.com )は13日、「ここのサイトの
韓国紹介欄に行けば、鬱陵島が日本領土のような区分の黄色で表示されている」とし、
「地図を拡大して見れば鬱陵島に『japan』という文字がはっきりと見える」と明らかにした。

ロイター財団が去る1997年にオープンしたこのサイトは、人権問題が申し立てられている
国の情報をリアルタイムで配信し、毎週1万名の読者がこのサイトを通じてオンライン
ニュースの供給を受けていると知られている。

VANKのパク・キテ団長は、「ロイター通信の公的信用性の為に、多くの人々がこの
サイトのニュースを疑わずに信じる」としながら「このサイトのニュースが全世界で
300ヶ所以上の国際団体、政府機関、メディア等に配給されていて深刻な問題である」
と指摘した。

パク団長は、「海の名前に国の名前を併記しない事が国際的な慣例だが、日本政府は
日帝強占期以降に日本と韓国の間の海を『日本海』と広報して来た」とし、「我々が
確認しただけで百万件を超える」と語った。

VANKは去る6日に該当のサイトに是正メールを送ったが、まだ返事を貰っていない。

ソース:国民日報KUKIニュース(韓国語)
http://kuki1.stoo.com/news/html/000/493/121.html

(関連スレ)
【韓国】『VANK:韓国観光公社』〜韓国観光広報共同キャンペーン[04/12]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1144809154/l50
【韓国】VANK「海外主要観光ポータルサイト、東海1ヶ所、独島ゼロ」[0916]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1126927338/l50
(ほか)
Posted by at 2006年04月13日 14:19
以前NHKに電話取材した時、
 「何故我々日本人があれだけ抗議してるのに、NHKは放送で必ず『北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国』と繰り返し言い直しするのか?」
→NHK「日本国民に『北朝鮮の正式国名を知ってもらいたかった』からです!」
 
 「ならば何故『他国も』言い直ししないのかね?」
NHK「・・・(無視)」
 
 「では、何故、拉致が発覚した今になって突然言い直しを止めたのか?あまりに北朝鮮犯罪が多くなっていちいち言い直しが間に合わなくなったわけだ?」
→NHK「そんな事はありません」
 
 「なら何故北朝鮮の言い換えを止めた?」→これ、NHK正式回答「日本国民がもう『北朝鮮の正式国名を広く十分認識』したと判断し止めました」
ちなみに拉致発覚前に拉致報道を何故しないのか、NHKに抗議した時、
→NHK「NHKは十分『拉致報道してます』よ!すでに『600回は放送』しています!」と強い口調で言われた。
はぁ?フジTVすらたまに報道する頃の話。もちろん北朝鮮言い換え全開のNHKの時。 
数回しか見てねえんだが、夕方NHK教育の『天才テレビなんちゃら』のすぐ後「みんだんの歌」で『朝鮮語歌』放送しとるだろ?
時同じくアニメ「チャングムの誓い」も同時放送し始めた。
とうとうNHK、日本の子供達にまで手を伸ばし始めた。
朝鮮語や主体思想を『慣らさせ』、あらゆる手段番組使って洗脳放送をがんがん始めたねぇ。
で、NHK副会長女「NHKは信頼を回復した。受信料不払い者は強制的に裁判所へ突き出します!」
 
NHKはラジオでもこっそり、中国語と朝鮮語を一日三回に増やし強化した。
大人から子供まで、朝から晩まで、日本人を支那朝鮮への属国奴隷強化中のNHK。
Posted by at 2006年04月13日 14:44
すんません、早とちりして>名無しさん

詳細は不明です:もしくは無理に詳細を語ると素性公表になりかねないので、
この場に記すのはおっかないです。>Aさん
Posted by amasaki at 2006年04月13日 22:30
金日成放送大学 Kim Il-Sung Broadcasting University

講座の内容

「偉大な首領金日成同志の革命歴史」
「偉大な領導者金正日同志の革命歴史」
「抗日の女性英雄金正淑同志の革命歴史」
「偉大な首領金日成同志の労作」
「偉大な領導者金正日同志の労作」
「抗日の女性英雄金正淑同志の労作」
「偉大な首領金日成同志の革命思想」
「金正日将軍の先軍政治」
「祖国統一に関する朝鮮労働党の政策」
「特講」

http://www.ournation-school.com/
Posted by at 2006年04月13日 22:50
・中国は絶対攻めてこないと妄信している
・アメリカの軍備や自衛隊の軍備は糾弾するのに中国や北朝鮮の軍備は完全スルー
・すぐ「東アジア共同体の早期実現を」と言う
・沖縄を海外だと思っている
・胡錦涛と盧武鉉は何でも正しい(反日?シラネーヨ)
・本気でアメリカと台湾は潰れればいいと思っている
・移民には理由はどうであれ賛成
・抗議メールは常にコピペでしかもサヨクメーリングリストが元
・「マイノリティを差別するな」と言いながら2chを「マイノリティ」と定義して差別対象にする
・ニート率が高いのでデモ(サヨ自称・パレード)などに積極的に参加できる
・中道のフリをしたがる
・スレタイに「イラク」「南京」とあると反射的に反日コピペしてしまう
・大きな政府と小さな政府の違いがわかったつもりになっている
・ピースボートを正義の団体と信じて疑わない
・在日またはリアル朝鮮人
・リアルで自分の主張が受け入れられないのは産経と小泉と安倍のせいだ
・下品なAAを多用する
・苦しくなると固有名詞を代える以外はコピペしかしなくなる
・気に食わない意見があるとバカの一つ覚え的にニート&ネトウヨ認定する
・親米は隷属的だと思いこんでいる
・反米が日本の多数派だと思いこんでいる
Posted by at 2006年04月13日 22:53
台湾政府僑務委員会傘下の中国語ネットワーク教育センター(www.ocac.gov.tw) が、韓国が
中国の植民地だったと再び主張して、韓国ネチズンたちの反発を買っている。

VANK(バンク)は2004年8月22日、この教育センターサイトに、「韓国は過去に中国の漢字を
使っていたので韓国は中国の植民地だった」と表記しているのを発見し、強力に抗議して
4日後に『中国の隣国である韓国』と訂正させた。

当時この機関は、「台湾政府は韓国史を歪曲しようとする意図はないし、該当のウェブサイトは
外注製作の為、コンテンツの製作過程で内容の伝達に手違いがあったようだ」と直ちに謝罪した。

だが教育センターは1年8ヶ月後の13日現在、『韓国は中国の植民地』という歪曲した内容を
再びサイトに記述した。

特にこの機関の英語表示部分には、『中国の隣国である韓国』と変更せずに、中国語の
部分だけを変更した。

VANKのパク・キテ団長は、「これは中国の東北工程と関連して、中国語を読める世界の
華僑たちへ歪曲した認識を教えると言う意図が隠されている」とし、「高句麗歴史を
奪おうとする東北工程プロジェクトが盛んな頃は、韓国人が気を損ねないように訂正して、
関心が薄れると再び態度を急変させた」と主張した。

パク団長は引き続き、「中国と外交的に対立している台湾政府も、中華思想と言う
大きな枠ではお互いに同意して、東北工程を間接的に支持する客観的な証拠だ」
と付け加えた。

一方、中国語ネットワーク教育センターは、全世界の台湾同胞学生に中国の歴史、
文化、言語を教育する為に設立された団体で、この団体の運営するサイトは中国語、
英語、スペイン語などで提供されている・

ソース:韓国日報/連合ニュース(韓国語)
http://news.hankooki.com/lpage/politics/200604/h2006041311081321040.htm

(関連スレ)
【VANK】「ロイターニュース、マジか?」〜鬱陵島を日本の領土で表記[04/12]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1144903349/l50
(ほか)
Posted by at 2006年04月13日 22:56

金日成放送大学 Kim Il-Sung Broadcasting University

講座の内容

「偉大な首領金日成同志の革命歴史」
「偉大な領導者金正日同志の革命歴史」
「抗日の女性英雄金正淑同志の革命歴史」
「偉大な首領金日成同志の労作」
「偉大な領導者金正日同志の労作」
「抗日の女性英雄金正淑同志の労作」
「偉大な首領金日成同志の革命思想」
「金正日将軍の先軍政治」
「祖国統一に関する朝鮮労働党の政策」
「特講」

http://www.ournation-school.com/
Posted by at 2006年04月14日 01:17


 極悪非道のマフィアといえば麻薬、偽札、誘拐の三点セットと決まっている。シチリアのマフ
ィアは、イタリアの独裁者ムソリーニに追い立てられて米国に渡った。以来、米司法当局は
この増殖したマフィアとの戦いに明け暮れる。

▼北朝鮮の主力産業も麻薬、偽札、拉致だから、こちらは「マフィア国家」と命名して何の
不都合もない。米政府は昨年秋、ついに偽札づくりの証拠をつかみ、マカオの銀行に制裁を
発動した。そのマフィア国家の幹部が、東京で開催の国際会議に参加した。

▼ここで北の幹部が、「制裁を解除しなければ六カ国協議に参加しない」などとうそぶいた。
米国のヒル国務次官補は「ヘッ」と無視した。当然だ。マフィアが組織犯罪の取り締まり側に
公然と取引を持ちかけたのだ。「逮捕しないだけありがたく思え」と、米国に代わって小欄が
言う。

▼ヒル次官補はもっと品よく、凍結された北朝鮮口座は23億7千万円だと暴露した。北の
財布は政府、軍、金正日一族の三つに分かれ、一族の財布が一番大きいらしい。マカオの
口座はこの一族の分だった。ここから盆暮れの“もち代”が高官に配られる。カネの切れ目
が縁の切れ目だから金総書記は焦った。

▼凶悪犯罪の「拉致」でも、日本政府は北に観念しろと迫った。横田めぐみさんの結婚相手
が、DNA鑑定で韓国の拉致被害者、金英男さんだったことを突き止めたのだ。北朝鮮生ま
れの工作員だとウソをついた北も困ったが、彼らに甘い韓国はもっと困った。

▼韓国には486人の被害者がいる。融和路線の盧武鉉政権は北に配慮はしても自国の
拉致被害者には目をつむってきた。日韓の国民が共闘すれば、盧政権も対北包囲に引き込
まれよう。

産経:http://www.sankei.co.jp/news/column.htm
関連スレ:
【米朝】米国の金融制裁で金正日体制崩壊の不安【2006/04/04】
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1144133223/
【北朝鮮】「米国の経済制裁が続けば、体制が崩壊する恐れ」…金総書記が胡錦濤主席に
★2[2/13]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1139810773/l50
Posted by at 2006年04月14日 01:19
清州地方法院刑事11部は21日、小学生にセクハラしようとしたが反抗されると鈍器で
殴って殺した容疑で拘束起訴されたソ某(18)君に対して懲役15年を宣告した。

裁判府はこの日、判決文を通じて「被告人はセクハラ事実がばれることを恐れて、
小学生であるハン某君を無惨に殺害し、これによって被害者の遺族たちは言葉に言い
表せないほどの苦痛を受けており、重刑宣告が不可避だ。」と明らかにした。

ソ君は2005年11月21日午後 8時頃、曽坪(チュンピョン)郡曽坪邑某空所で
テコンドー道場で知り合ったったハン君にセクハラしようとしたが、大声をあげながら
反抗されるとハン君の頭などを鈍器で殴って死ぬようにした疑いで拘束起訴されて
今月7日懲役 20年の求刑を受けていた。

ソース:ハンギョレ新聞(韓国語)<小学生セクハラ殺害犯懲役15年宣告>
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/110043.html

関連スレ:【韓国】児童性犯罪、10人中1人は性犯罪の前科者 [2/20]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1140419380/
【韓国】 女子小学生暴行・殺害で、性犯罪の罰則…就業制限やGPS腕輪での監視も検討 [02/27]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1141025150/
Posted by at 2006年04月14日 01:20
     日本はアジア諸国に多大な被害を与えて来た
     ∧_∧
    (-@∀@)     ∧_∧
    /     \   (    )何言ってんだこいつ 
.__| |    .| |_ /      ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄   / .|   | |
||\..∧_∧    (⌒\|__./ ./
||.  (    )     〜\_____ノ|   ∧_∧
  /   ヽ 氏ねよ      \|   (    ) 
  |     ヽ           \/     ヽ. オマエ馬鹿だろ
  |    |ヽ、二⌒)        / .|   | |
  .|    ヽ \∧_∧    (⌒\|__./ /
Posted by at 2006年04月13日 06:36
Posted by at 2006年04月14日 02:19
     日本はアジア諸国に多大な被害を与えて来た
     ∧_∧
    (-@∀@)     ∧_∧
    /     \   (    )何言ってんだこいつ 
.__| |    .| |_ /      ヽ
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  /   ヽ 氏ねよ      \|   (    ) 
  |     ヽ           \/     ヽ. オマエ馬鹿だろ
  |    |ヽ、二⌒)        / .|   | |
  .|    ヽ \∧_∧    (⌒\|__./ /
Posted by at 2006年04月13日 06:36
Posted by at 2006年04月14日 02:19
Posted by at 2006年04月14日 02:20
★★海外で人気のある日本食 16★★
http://food6.2ch.net/test/read.cgi/food/1136730901/802

802 名前:もぐもぐ名無しさん[] 投稿日:2006/04/13(木) 18:29:16
>>800 >>801
お前らは一級韓流のおれの足元にも及ばない貧弱韓流人
その一般人どもが一級韓流のおれに対してナメタ言葉を使うことでおれの怒りが有頂天になった
この怒りはしばらくおさまる事を知らない

★★海外で人気のある日本食 16★★
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802 名前:もぐもぐ名無しさん[] 投稿日:2006/04/13(木) 18:29:16
>>800 >>801
お前らは一級韓流のおれの足元にも及ばない貧弱韓流人
その一般人どもが一級韓流のおれに対してナメタ言葉を使うことでおれの怒りが有頂天になった
この怒りはしばらくおさまる事を知らない

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802 名前:もぐもぐ名無しさん[] 投稿日:2006/04/13(木) 18:29:16
>>800 >>801
お前らは一級韓流のおれの足元にも及ばない貧弱韓流人
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802 名前:もぐもぐ名無しさん[] 投稿日:2006/04/13(木) 18:29:16
>>800 >>801
お前らは一級韓流のおれの足元にも及ばない貧弱韓流人
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802 名前:もぐもぐ名無しさん[] 投稿日:2006/04/13(木) 18:29:16
>>800 >>801
お前らは一級韓流のおれの足元にも及ばない貧弱韓流人
その一般人どもが一級韓流のおれに対してナメタ言葉を使うことでおれの怒りが有頂天になった
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802 名前:もぐもぐ名無しさん[] 投稿日:2006/04/13(木) 18:29:16
>>800 >>801
お前らは一級韓流のおれの足元にも及ばない貧弱韓流人
その一般人どもが一級韓流のおれに対してナメタ言葉を使うことでおれの怒りが有頂天になった
この怒りはしばらくおさまる事を知らない

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802 名前:もぐもぐ名無しさん[] 投稿日:2006/04/13(木) 18:29:16
>>800 >>801
お前らは一級韓流のおれの足元にも及ばない貧弱韓流人
その一般人どもが一級韓流のおれに対してナメタ言葉を使うことでおれの怒りが有頂天になった
この怒りはしばらくおさまる事を知らない
Posted by at 2006年04月14日 02:22
【社説】韓国政府は韓米FTAに堂々と臨め

李百万(イ・ベクマン)広報首席が最近、大統領府の政策広報サイトの「国政ブリーフィ
ング」に、与党寄りの陣営から浮上している韓米FTA(自由貿易協定)反対の主張に
対して反論する文を掲載した。

李首席は、「アジア市場で大きな人気を博している歌手のRAIN(ピ)が、あえて米国に
進出した理由は、アジアを守るため」とし、「同じく、韓国が米国とFTAを締結する理由
は、米国で競争力を確保しなければ、世界市場を守ることができなくなるため」と説明
した。

「FTAを締結すれば、韓国が米国の経済植民地になる」という主張に対して、「まったく
現実とかけ離れた1980年代の従属理論で韓米FTAを規定しようとするのは、時代錯誤
だ」と反論した。「日本と米国のFTAが実現していないのに、韓国にできるものか」とい
う主張に対しては、「日本が先を行く車線でそのまま追いかけていては、永遠に日本
に追いつくことはできないので、車線を換えようというものだ」とも書いた。

韓米FTAそのものに対して賛成か反対の主張とは関係なく、市場経済と開放化という
世界の潮流を認めた論理の展開が、久しぶりに共鳴できる。これが果たしてつい先日
まで目にした現政権の経済論理なのかと驚く限りだ。李首席が、「成長のない2極化の
解消は、下方的均衡」とし、「韓米FTAが、国富の創出を通じて(2極化解消の)転機を
提供するだろう」と強調した節は、さらに共鳴させられる内容だ。

これが政府の韓米FTAに関する真の観点だとすれば、残るはは実践だ。韓国は外国
との貿易割合が、全体経済規模の80%を超える対外依存型の経済構造を持っている。
貿易を拡大しない限り、経済に活気を与えることはもちろん、現状を保つことすらでき
ないということだ。しかも、韓国の輸出の30%を占める米国市場は、一昨年に比べて
5%も減少した。同じ期間に中国とインドは20%から30%ずつ市場を拡大している。

韓米FTAが、こうした流れを逆転させる突破口になるかどうかは、今後政府が米国と
の交渉において、何をどれほど獲得できるかにかかっている。

ソース:朝鮮日報
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/14/20060414000001.html
Posted by at 2006年04月14日 10:09
兵士1人が日本刀1本で100人以上斬り殺せるほどの戦闘能力と有り余る予備の日本刀を持ち、
銃剣と単発銃のみで80万人以上殺すなど、原爆以上の破壊力を持つ携行兵器を誇り、
各植民地で無駄に現地人を殺してまわるほど武器弾薬が余っていて、
国境地帯に計19ヶ所、4700kmにおよぶ要塞および1700kmもの地下要塞を作り、その工事で320万人もの労働者を運用するノウハウと物資があり、
さらに工事後1万人を生き埋めにしたのみで、60年間もこの超巨大要塞を隠蔽するほど情報管理が徹底しており、
揚子江の川幅を2m以下にしたり、するほどの高い土木技術を持ち、
沖縄で米軍上陸後も市民に玉砕命令が出せるほど命令系統がしっかりしていて、
当時オランダ領だったインドネシアにも開戦前から日本軍用の慰安婦を送り込むほど先見性があり、
日本兵の数を上回るほどの従軍慰安婦を一日に一人あたり何十人も暴行するほど体力と食料があって、
AVが無かった時代にも関わらず慰安婦に顔射するほど独創性に富み、
韓国で文化施設はもちろん一般家庭にある辞書から料理本に至るまで処分してまわるほど暇で、
保護するために植民地ではなく「併合」したにも関わらず、韓国の運気を捻じ曲げるために、山の頂上に鉄杭を埋め込むほど風水に明るく、
韓国の優れた建築施設・街・鉄道を全て接収することなく破壊し尽くした上、新たに日本のダメな建築物に建て替えるほど資材と資財が有り余っていて、
当時の朝鮮の人口のおよそ半数近くを日本へピストン輸送するほど燃料と船舶が豊富で、
中国で家々に火を放ちまくり無駄に虐殺した民間人の死体を一カ所に集めてたっぷりとガソリンをまいて燃やすほど石油資源に余裕があり、
人間の脂肪から、航空燃料を作れるほど錬金術に長け、
わずか70万人の関東軍で戦闘の合間に20万人もの中国人慰安婦を満足させるほど絶倫で、
広く険しい中国大陸を大軍勢で移動していたにも関わらず、各地区の兵士や民間人が逃げる暇も無い程のスピードで動き回るなど金メダル級の運動能力を誇り、
山東省で広島+長崎の核2発分の犠牲者数を超える42万人、中国全土で200万人を殺戮するほどの細菌兵器を保有し、
さらに細菌兵器開発のため20万人を生体実験出来るほど医療設備が充実しており、
田舎から都市部まで全ての街道を余す所無く隅々まで破壊し尽くし、さらに人気の無い山の奥深くでさえ草一本残さず毟り取る程の根気と几帳面さを兼ね揃え、
11歳が戦場で暴れ回るほど若い内から逞しく、
終戦後になぜか意味の無い強制連行を行いまくるほどの軍備と余裕があり、
圧倒的科学力を誇る朝鮮の反日勢力になぜか圧勝するほど運がよく、
朝鮮人を殺しまくりながら人口を2倍にし、なおかつ平均寿命を延ばす魔術を持ち、
敗戦国でありながらGHQを手玉にとって朝鮮戦争を起こすようコントロールするほど政治力と外交能力に長け、
中国での最初の慰安所「大一サロン」にはハイテクエアコンを完備させ、
半世紀以上放置されても使用出来る毒ガスを作れるほどの科学力を誇り、
金の掛かる化学兵器砲弾を200万発も生産して中国全土に埋め、もともと無い記憶を奪えるという摩訶不思議な技術を持っていた
大日本帝国が敗戦したことは、人類史上最大のミステリー。

これ、細菌戦関連と、平均寿命について言及されてます。

御身の
「人口20万人の南京で30万人を虐殺し、20万人を生還させるクローン技術を持ち」
「そして現代、禿を手足のように操り韓国経済を崩壊に導く」
は、入ってませんでした。
Posted by at 2006年04月14日 10:14
>この記述は嘘をついています。どこだか分かりますか?太字にした部分です。民衆側が被告を熱狂的に支持するわけはありません。

民衆が熱狂的に支持したのは,自由インド仮政府のインド人でしょ。

どう読んだら,日本軍にすり替わるの?
Posted by Azla at 2006年04月14日 16:38


「千百世の祖霊が吾らを陰で助け」 これは問題がないだろう。「全世界の気運が吾ら
 を外から護っている」 これはちょっと疑問がある。ガンジーなどの活動によって近代帝
 国に対する批判が大きくなるのは20年代に入ってからである。まだ、帝国主義的雰囲
 気が残っているから、帝国主義者たちは、どうやって掠め取ろうか虎視眈々と狙ってい
 る最中である。
  この時代をもう少し掘り下げよう。
  ロシアでは1917年11月にロシア革命が起き、ソビエト連邦が成立する。この時「平
 和に関する布告」を公表する。これには、無併合・無賠償・民族自決などが明言されて
 いる。これに影響を受け、米大統領ウィルソンが「平和原則14ヶ条」(注3)を発表する。
 しかし、国際連盟だけが辛うじて実現したにすぎない。インドにおいてはガンディーが非
 暴力・不服従運動を開始するが、同時にイギリスによる弾圧も強化される。このような
 時代背景をもとに三・一運動は起きる。

  しかし、これは決定的問題ではない。つづく表現に仰天するだろう。

  着手がすなわち成功である。奇妙奇天烈というか、論外というかべきか。目的に向か
 って行動する意思や過程が存在しないのである。独立という夢想が勝手に向こうからや
 って来ると考えない限り、この言葉は出ないだろう。
  恐ろしい話である。これでは、「独立宣言」どころか、空前絶後の「何もしない宣言」に
 等しい。最初は非暴力デモだったが、その後暴動へと発展する。朝鮮総督府は武力弾
 圧し8千人近くが犠牲となった。それだけの民衆のエネルギーを統合させ、独立運動に
 転化させる計画も、目的も、組織化も、存在しないのである。
  もともと混乱をチャンスと捉える傾向があることは既に指摘してあるが、この奇妙な考
 え方と結合して、成り行きで暴動に発展したというのが実状であろう。因果関係の破綻
 としかいいようのない奇妙な思考法である。
  独立運動の主体が存在していないのだ。
  もちろん、ガンディーの非暴力・非服従は何もしないのではなく、抵抗運動の表現方法
 が命令を拒否するという形式であり、独立運動の主体であることは説明不要だろう。
Posted by at 2006年04月15日 00:36
amasakiさま、返信遅れてすいません。コメントありがとうございます。よく分かりましたね。私もamasakiさまの祖父の話を聞きたかったのですが、プライバシーに関わることということなので残念です。

Azlaさまへ、仮に自由インド仮政府の話だとしてもつじつまは合わないですね。自由インド仮政府というのは日本軍によって虐殺されたりひどい目にあった人々にとっては日本軍の手先の政府であり、憎悪の対象になりますからね。

それと糞荒らしども、お前らのIP晒しの刑を執行するぞ。いい加減にしないと。
Posted by 右翼討伐人 at 2006年04月16日 00:12
>ゾウをも殺すことができる残虐非道な心をもつ日本兵と現地民の確執が深刻になるのは当然だろう。
ここまで読んだ。
Posted by at 2006年04月16日 00:58
>それと糞荒らしども、お前らのIP晒しの刑を執行するぞ。いい加減にしないと。

すばらしい言論の自由ですね
まさに、共産主義の鑑です
Posted by at 2006年04月16日 06:36
アンダマンでこういう事があったという事実を初めて知りました。
とても参考になる物で資料としてとても価値を感じます。
Posted by Bird at 2006年04月22日 22:27
 討伐人さん。IP晒しの刑なんて甘いぜ。荒らしは普通に削除だろ?まともにカキコ/閲覧しようとしてる人にとっては"ウザイ"だけなんだから。特にPSPや携帯、PDAでアクセスしてる場合は表示が重く(遅く)なる、スクロールが長く・手間が掛かる。等の弊害が出るので、荒らしは何とかしてもらいたいもんである!ただし、それには"荒らしの定義"を定める事が重要だ。
 続いては、私なりの「荒らし定義」を示したい。
Posted by 懐疑主義者 at 2007年07月13日 19:32
 「私家版荒らし定義」
・記事タイトルに関係無い長文コピペ。ここでなら、アンダマン・ニコバル諸島の〜となっているのに、関係無い竹島問題、日本人拉致問題の記事をカキコして来る。といった事例だな。言いたい事は解るが、関係無いんだからな。
・アスキーアート(文字絵)の大量かつ、連続カキコ。
ここはAA(アスキーアート)板じゃ無いんだよ!それを承知でカキコして来るのなら、立派な荒らし行為と言える。
・ハイパーリンク(以下リンク)の大量集中かつ連続カキコ(コピペ?)。
このリンク先アドレスを読むと、大抵はアダルトサイトへのリンクである様だ。但し、むやみにクリックしないように!ウイルス・ブラウザクラッシャー等の(ねらー言う所の"地雷")罠で有る可能性が高い。気を付けて!
・ハンドルネーム(HN)を名乗らない。
これは厳密には荒らしでは無いが、ここは2ch/したらば系掲示板では無い!ブログだ。折角きちんとした反論を書いて居るのにHN無しじゃフォローするにしろ、反・反論するにしても、やりにくい事この上無い。コピー&ペースト機能を持たないデバイスでアクセスしてる方の事も考えて下さい。相手を思いやる事です。
さらに続き。
Posted by 懐疑主義者 at 2007年07月13日 20:22
どうだろう?取りあえずはこんなもんで。本来はこうした事は管理人で有る討伐人さんが設定し、ここのブログの各エントリーの目立つ所に掲示しとかにゃいかんのだ!
Birdさんは共産主義がどうとか言ってた様だが、これを読んでて思い出したよ。日本の、誰だか名は忘れたが、国会議員が自身のした議事妨害のヤジを正当化するのに吐いた妄言を。確か[ヤジも一つの言語だ]とかな。ここのブログにも荒らしをそれとなく注意すると[チラシの裏代わりに活用してる]等とレスを返して来る奴がたまに居るが、荒らし・煽りは普通、ネット上では「迷惑行為」以外の何物でも無い!2chのルール解説ページにだってそんな事は書いてある。これは「言論弾圧」なんかじゃ無い。「ネチケット」の問題だ!但し、"削除権限"は絶対に悪用してはならない!!!解りますね?討伐人さん?議論には議論で!仮にも討伐を名乗るのだから、反論で反撃して下さいね。なお、これは筋目として言うのだから、彼には解らない。的な事言いつつ、私の論を否定するのは止めてね。
 では、これにて。
Posted by 懐疑主義者 at 2007年07月13日 21:01
おーっと!!!間違えたっ!共産主義云々はBirdさんじゃ無かった!すいません、ごめんなさい!どっかの名無しさんでした!済みませんでした!
こういう事が有るから、ハンドルを名乗って欲しいのです。
 では、これにて。
Posted by 懐疑主義者 at 2007年07月13日 21:18
       ☆ チン            
 ☆ チン  〃 ∧_∧   /癡所の右翼討伐人チャソ
  ヽ ___\(\・∀・)<2チ ヤ ソ ネ ルで他人のメ ア ド晒した謝罪まだー ?
      \_/⊂ ⊂_)_ \____________
    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
   |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:|  |
   | H A N 板人  .|/
数万円もする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようとした癖に自からHAN板でバラして罵倒嘲笑を浴びた。

他人のメ ア ドを本人の許可無くHAN板で晒し、スレ住人にたしなめられたが開き直って削除依頼もせず逃走した。

2TIYANNELUの理系板で日本軍悪口雑言板スレ立てをして沈着冷静、頭脳明晰な住人の罵倒嘲笑を浴びた。

2TIYANNELUの海旅板で日本の加害情報求む等と馬鹿なスレ立てをして総スカンを喰らった挙げ句スレストされた。

HAN板で(さば)を(こい)と読んで無知文盲がばれて祭りになった。

理系大学の学生でありながら本を買ったのがたった二冊だけだと平然とほざいてHAN板でスレ住人にあきれられた。

南京大虐殺問題で妄言ほざいたが博覧強記のHAN板住人に全く歯が立たず泣き言を吐いて逃走した。

HAN板で意気揚々とソースに「半月城通信」を引用して大爆笑になった。

自分の専門分野について質問された時に錬金術の如き化学反応式を並べて文系住人さえ絶句させた。

鬼女板と恐れられる既婚女性板にカキコして百戦錬磨一騎当千の鬼女板住人に粉砕されて逆上、「お前らなんて一生結婚出来ないぞ!!」と
既婚女性板住人が化石するしかない捨て台詞を吐いて逃走した。

就職の面接で担当者が一文字姓だった為、勝手に在日朝鮮人と決めつけ、得意満面でこの自慰ブログの如き電波左翼妄言を吐いて見事に落ちた。

民団の掲示版に日本の悪口を書いて賛同を求めたが逆に門前払いを喰らって唖然とする程の癡所ぶりをオチされて侮蔑と嘲笑を浴びた。
Posted by at 2007年10月17日 14:38
チン  ☆  チン       ☆
       チン    マチクタビレタ〜チン ♪
           ♪
    ♪          ☆チン    .☆  ジャーン!マチクタビレタ〜!
        ☆ チン   〃  ∧_∧  ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ヽ  ___\(・∀・ #) /\_/ <癡處齲の右翼討伐&鷹嘴(不条理日記)ちゃん♪
        チン    \_/⊂    つ    ‖  2 tiィヤんネルやテメーのsenzuriブログで他人サマのメァド サラシシャザイまだー?
           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|     ‖    
        |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |   /|\
        |             |/

数万もする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようと思った癖にテメエから h an 版で暴らして売渡(罵倒) 物笑いを受けた.

h an 版で 他人のめえアドを本人の許可なくサラシしてスレ住人に糾弾されたが開き直ってさあくうじょおお依頼もしないで逃走した.

2 チィヤァんネルの理科版で旧日本軍の悪口雑言をカキコして沈着冷情, 頭脳明細な住人の(売渡(罵倒)) 物笑いを受けた.

2 チィヤァんネルは海外旅行版で日本の加害情報要求するなどあほらしいスレ縦をして総スカンを喰らい速攻でスレストになった.

h an 版で(sあbあ)を(kおい)と読んで余りの鞭悶妄がばれて祭りになった.

理科大学の学生ながら本を買ったことが2冊だけとほざいて h an 版でスレ住人を唖然とさせた

南京大虐殺問題で妄言ほざいたが博覧強記の h an 版住人に全然適う道理がなくて泣き言を残して逃走した.

h an 版で得意気にソースに詐欺師の 「半月城通信」を引用して半月城のインチキさを知悉している住人の大爆笑を誘った.

自分の専門分野に間して質問受けた時に錬金術ーみたいな化学反応式を曝して文科住人さえ絶句させた.

鬼女版と恐ろしがられる既婚女性版におぅなにぃカキコをして百戦練磨、一騎当千の鬼女版住人に粉砕されて狼狽逆上
「お前たちは一生結婚することができない!!」と既婚女性版住人が化石するしかない捨てせりふを吐いて逃走した.

就職の面接で担当者が一文字性だったから在日朝鮮人と決めつけて得意満面でこのsenzuriブログの如き電波左翼妄言を吐いて見事に落ちた.

大学院をでても全く使い物にならず担当教授のお情けで研究室の派尻をやってかろうじて糊口を繋いだ

どこの版でも全く相手にされず遂に民団の掲示板に日本の悪口を書いて賛同を要求したが反対に門前払いを喰らって唖然とするほどの怒唖補さ加減をオチしていたh an 版住人の bubetuと物笑いを受けた.

自分の風呂具でもまんまと縦読みにひっかかって物笑いを受けた.

自分の風呂具の管理も満足にできず毎年12月31日に皆様の投稿をお待ちしています等という,うましかエントリを何時までも削除出来ず莫迦をさーら下.

土地来るって自分の風呂具で自作時絵んを始めたが文体を帰る事も出来ない蜘獲悪苦れの為一発でばれた.

遂に他人の鏝を方って自分まnせえを始めたがそのことを厳しく球団されたとたんぴたりと辞めて失笑をかった.

他人様を糞コテ呼ばわりした癖に自分の意見をいわず他のブログやHPをリンクするだけで相手を論破したと思い込む位のtisyouさ加減を糾弾され何も反論せずオナアアにいエントリを立て続けるtいえオく列振りをまたもya証明した

「類は友を呼ぶ」、「癡處齲と付き合うと癡處齲が伝染る」、という真理を鷹嘴(不条理日記)が癡處齲討伐人と同じく他人のめえアドを本人の許可なくサラシしてをやらかしている事で実証した。

鷹嘴(不条理日記)が癡處齲討伐人を凌ぐちぃえぇおくうぅれなのが「なめてます」コメント及び
「高潔にして偉大なる俺様のsenzuriブログに都合の悪い事をカキコした奴はIPアドレス、サーらしてやんよ!!」コメントで判明した(w
Posted by 他人様を糞コテ呼ばわりした癖に自分の意見をいわず他のブログやHPをリンクするだけで相手を論破したと思い込む位のtisyouさ加減を糾弾され何も反論せずオナアアにいエントリを立て続けるtいえオく列振りをまたもya証明した at 2008年02月24日 10:38
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