"菅直人リスク"を背負う「原子力規制庁」設立を急ぐ民主党政府の「政治主導」は、実は霞が関の隠れ蓑

2012年02月22日(水) 磯山 友幸
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新たな原子力規制のあり方

 政府案では設置される「原子力規制庁」は環境省の外局。経産省や文科省などに分かれている規制権限を一本化、長官を置いて独立性の高い組織にすると説明している。ただし、長官の上には担当大臣が置かれ、人事権などを握る。国会答弁などでは、平時の運用は長官がトップとして行い、非常時には政治が責任を負う体制だと説明されている。

 ここを塩崎議員は「菅直人リスク」として批判。IAEA(国際原子力機関)のルールでも政治からの独立を定めており、国際的なルールにも反する、と政府を追及した。

 この点について細野大臣は真っ向から反対する。

「あれだけの事故が起こって、事故全体の責任を政治が負わなくてどうするのか」というのだ。大事故の際には政治がリーダーシップを取るべきだ、というのだ。

 これを塩崎議員は、「平時は玄人に任せますが、緊急時は素人に任せますという話だ。船が沈没しそうなときに、船長、おまえどけ、緊急時なんだから俺がやるぞといって、政治家が出てきて、舵をとったけれども、ところでエンジン、バックにどうやって入れるんだい、そんな話」だ、と痛烈に批判している。そのうえで、日本の行政組織の中で独立性が最も高い「三条委員会」方式を提言しているのだ(図「新たな原子力規制のあり方」参照)。この点については本コラムの記事でも既に触れた。

 これだけを聞くと、「政治のリーダーシップ」をどう位置づけるのかという問題のように聞こえる。実際、野田内閣の閣僚でこの「原子力規制庁」を議論した際は、どうやって「政治主導」を効かせるかということが1つの焦点になったようだ。だが、民主党政権の2年半を振り返って、民主党の言う「政治主導」が、官僚や専門家が本来やるべき事を政治家がやるというレベルに陥っていることは多くの国民の目に明らかだろう。原子力規制においても同じ轍を踏む事になる可能性はあるのではないか。

 実際、"菅直人リスク"が繰り返される危険性は十分にある。「私は安全保障の素人だが、それが本当のシビリアンコントロール(文民統制)だ」と発言して参議院で問責決議を食らい、結局は事実上更迭された一川保夫・前防衛相も一例だろう。その後任となった田中直紀防衛相も到底専門家とは思えない答弁を繰り返している。

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