福島第一原発(大熊町・双葉町)に2基、広野火発(広野町)に2基を増設する-。平成6年8月、東京電力は、サッカー施設の寄付を県に申し出ると同時に、発電所の増設計画を公表した。
伸び続ける首都圏の電力需要を賄うために、東電にとって発電所の出力増強は欠かせない。増設予定地がある双葉町と広野町の各議会はすでに誘致を決議していた。残るは県の意向だった。
「(増設と寄付は)まったく別々のものと受け止めている」。県企画調整部長渡辺貞雄は当時、サッカー施設の寄付を増設に関する判断に直接、結び付けない考えを強調した。
東電社長の荒木浩も記者会見で「県が、増設に向けた環境影響調査を許可するかどうかにかかわらず、施設は建設する」と約束した。
■念押し
県、東電の公式見解の裏で、県の担当職員は懸念を抱いた。「寄付が発電所増設の見返りになっては絶対にまずい」
県側は水面下で東電に対し、寄付が増設の条件になっていないことを何度も念押しした。東電は寄付と増設は無関係であるとの説明を繰り返した。
だが、県の関係者は東電首脳の発言や発表内容に違和感を持った。記者会見で荒木は寄付を決めた背景について「広域的、恒久的な地域振興が(発電所立地を進める上での)判断基準になるとの県の話もあった」と表現した。地域振興策を名目に、あたかも県側が暗に寄付を促したとも受け取られかねない発言だった。
しかも、東電はサッカー施設の建設費約130億円が、増設計画の総事業費約1兆2500億円のほぼ1%に相当すると、数字をはじいてみせた。寄付と増設を関連付けるような計算式だった。
■県が場所を選定
県は寄付の申し出をすぐには受け入れなかった。「当時、県にスポーツによる地域振興という発想はなかった。まずは、なぜサッカー施設の建設が必要かを整理する必要があった」。当時の県地域振興課長菅野純紘(67)=本宮市=は振り返る。
サッカーの専門家や大学教授らでつくる検討委員会を9月下旬に急きょ設け、建設が地域振興策として有効かどうかを11月まで3回にわたって協議した。
県議会の議論も経て、県は申し入れから半年後の翌7年2月、寄付の受け入れを決定した。県は東電からの依頼で、建設場所を探した。原発、火発が立地する双葉郡内の楢葉、広野の両町にまたがる場所だった。
建設工事完了後の9年6月、東電常務・立地環境本部長の小木曽政助が副知事中川治男に寄付申し込み書を手渡した。施設は「Jヴィレッジ」と名付けられ、7月にオープンした。
その一方で、寄付と同時に公表された増設計画は紆余(うよ)曲折をたどった。広野火発は増設予定の2基のうち、完成したのは1基にとどまっている。原発の増設はJCO臨界事故、東電のトラブル隠しなどがあり、その是非さえ本格的な議論に入れないまま、時間だけが過ぎた。
そして、大震災と原発事故が起きた。県は「脱原発」の県土づくりを打ち出した。Jヴィレッジは復旧工事の拠点に変わり果てた。原発は増設どころか、県が立地そのものに「ノー」を突き付けた。(文中敬称略)