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【振興への駆け引き10】困った時の東電頼み 未来博、世界大会...

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県庁内の現地対策本部を訪れた財務相在任中の野田首相。入居する本庁舎建築の際には東電からの寄付があったとされる=23年4月

 「東北電力さんと同じ額ではない金額で、お願いしたい」
 平成10年、うつくしま未来博の開催を3年後に控え、県は出展企業や協賛を募る作業を本格化させていた。当時、未来博準備の事務局に勤務していた元県職員は東京電力本店に出向き、協力を申し入れた。「同じでない金額」とは、東北電力が予定している寄付を上回る額を意味した。
 東電は、電気を販売していない本県などの「営業エリア外」で多額の寄付などをすれば、その原資となる電気料金を支払っている関東地方の都県で説明が難しい。
 東電は当初、県の申し出に難色を示し、東北電力と同額を希望したといわれる。しかし、東電が県内に建設した原子力、火力、水力の各発電所から関東圏に多くの電力を送っている状況を踏まえ、県は東電に対して協力を求め続けた。
 未来博への東電からの寄付や協賛の金額は公表されていないが、関係者によると、最終的には県の意向に沿った金額に達したといわれている。

■1億5000万円
 平成21年3月に開かれた国際スキー連盟(FIS)フリースタイルスキー世界選手権猪苗代大会は、開催前から運営費の確保が大きな課題だった。
 1年半ほど前の19年夏には運営費が8億円以上も不足する見込みとなった。県は多くの企業に支援を依頼した。東電にとって、「猪苗代」は特別な意味を持つ場所の1つだ。戦後、会社名を東京電力に変える前から、猪苗代湖とその周辺の湖沼・川の水を使って発電を続けていた。
 今でこそ、県内で東電と言えば、原発が象徴的に語られるが、原発は運転開始から約40年だ。もともとは猪苗代湖周辺での発電が東電の「源流」の1つだ。東電関係者が折に触れて口にする「明治以来、福島県には首都圏の電力供給でお世話になっている」との言葉の「明治」は、猪苗代湖周辺などの水力発電の歴史を指す。
 県はフリースタイルスキー世界選手権猪苗代大会の際に、東電が出した寄付の金額を明らかにしていないが、福島民報社は県に対して、情報公開の手続きに沿って昨年暮れ、関係書類の開示を請求した。県は今月に入り、寄付した金額が「1億5000万円」であることを示した。

■切っても切れない
 福島第一原発事故の対応拠点となるオフサイトセンターは今、県庁本庁舎に間借りし政府の現地対策本部が使っている。本来の設置場所である大熊町が警戒区域に指定され、立ち入りが制限されているたためだ。
 本庁舎が新築された半世紀余り前の昭和29年、東電が寄付に応じたといわれる。衆院議員天野光晴(旧本県1区)の自伝によると、県が新しい庁舎を造るに当たって「国から補助金は出ない、起債は認められない状況」で、寄付金に頼ることになった。
 当時、県と東電は只見川の水利権をめぐって難しい関係にあったとされる。
 「電力会社と福島県は切っても切れない関係だ。けんかをしていても仕方あるまい」。県議だった天野が梁川町(現伊達市)出身の東電常務・総務部長(後に社長)の木川田一隆に対して、5000万円の寄付を求めた。
 県総務部の担当部署には、県庁建設に対する寄付の記録は残されていないが、担当者は「外部から寄付を頂いたという話は庁内に言い伝えられている」と説明した。
 ある県幹部は「県の長い歴史の中で、東電に助けてもらったことは、紛れもない事実だ」と認めた。
(文中敬称略)

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このページは、東日本大震災の2012年1月31日の記事です。

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