月を追いかけての疑問
1)月の満ち欠けに関係なく、三日月も二十六月も三日月というのか。
2)イスラム旗の象徴(?)である「三日月」「星」はなにを意味しているのか。
3)月から派生し、「星神社」の祭神である「大己貴命 (配祀)天香香背男神 牽牛 織姫
」はなにを現しているのか。
その際、伊勢神宮 別宮「月読宮」との関係は
2)の疑問について (研究者のHPより引用構成)
三日月と星はイスラム教の象徴で、発展、光と知識をそれぞれ表わす。
三日月(新月)は: イスラムのシンボルか?
コンスタンチノープルのマークに由来するのか?
イスラム教は元来偶像を認めないので、7世紀にイスラム教を戦い広める際の旗印も源平の戦いのように単色の旗が用いられた。
一方、三日月マークは、自然信仰から容易に導き出されるものだから、イスラムの生じるはるか前からあり、中央アジアの遊牧民の間でも古くから用いられた。
トルコでもこのシャーマニズム時代のシンボルが用いられており、14世紀に軍旗に登場した。
この中央アジアの月と北斗七星の信仰が日本にも伝わり妙見信仰となり、月星紋を生んだ。
月星紋は千葉県の千葉氏の家紋であり、新渡戸稲造の家紋でもある。
コンスタンチノープルの市のシンボルが三日月でこれを占領したトルコが借用したという説がある。
上記のようにコンスタンチノープル奪取の1453年より前からトルコ軍が使用していたようなので、この説は崩れるのだが、コンスタンチノープルの市のシンボルは本当に三日月+星マークだったのだろうか。
ビザンチンのコインに出てくる三日月マークと称する物は不鮮明で良く分からない。
正教の十字架の下側にはイスラムとの抗争の始まる以前から三日月型の横木があり、キリストの聖血の器とか聖母のシンボルの月とされるものは確かにある。
三日月マークのコンスタンチノープル起源説には、何か宗教的敵がい心が裏にあるように感じる。
いずれにせよ、三日月(新月)マークがイスラムのシンボルとして、特に原理主義に近い向きには受け入れられているわけではない。
さりとて国旗などにシンボルが必要となる現実もある。
宗教というのは難しいものだという象徴的な問題に赤十字がある。
世界の赤十字の正確な団体名は、国際赤十字赤新月社連盟(Red Cross and Red Crescent)である。
もともとスイスの旗を裏返してマークを作ったわけで赤十字マークに宗教色は建前的には無かったわけだが、イスラム国のオスマントルコが反対し、1929年ジュネーブ協定を改定し、新月マークと、さらにペルシャの主張で、今は使われていないが赤獅子+太陽マークが加えられた。
この赤新月は一応イスラム国に受け入れられているようだ。
こうなると、戦後に建国されたイスラエルは黙っていない。
独自の「赤ダビデの星」マークに固執し、おかげで今でもイスラエルは国際赤十字赤新月社連盟の正式メンバーになれないでいる。
国際赤十字では、宗教的に関係の無いマークへの転換も考えているようだが、建前は別に、確かに時代背景の差もあり、キリスト教社会の尊大さが出てしまった赤十字マークではある。
トルコの国歌・国旗
http://www.h3.dion.ne.jp/~pekochan/kokkikokka/kokkiasia/kokkiturkey.htm
まだ、疑問が残る国旗に画かれている「三日月」は「二十六月」である。
このことは直接、イスラムの研究者に聞くしかない。
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