五月人形(鎧 兜)の選び方が分かる
我が子には「心も体も健やか」にそれが私、親の願いです。
この心、子からまた子へと受け継ぐことを望みます。 |
人形のまち 岩槻 小木人形 |
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目次
- 五月人形の選び方が分かる
- 五月人形(端午の節句)の主役は鎧兜・鯉のぼりです。
- 五月人形(鎧兜)選びはお店選びから。
- 五月人形(室内飾り)を飾り方のスタイルから選ぶ。
- 五月人形(鎧兜飾りを飾る場所を考え、予算を立てます。
- 五月人形・戦国武将とその鎧兜
- 五月人形・鎧兜の種類
- 大鎧・胴丸・腹巻・具足
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● 五月人形の選び方が分かるための知識
知りたい情報を click してください!! (詳細が表示されます。) |
この主役を中心に一つひとつ人形師が魂を吹き込んで製作した五月人形を取り揃えて販売しております。
私どもの五月ために人形は品質・品位とも自信をもっておすすめできる製品です。
愛する息子さまにしっかりとしたものをお選びください。
なにとぞご高覧のうえ是非、お求めくださいますようご案内申し上げます。
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戦国武将のちびっ子が勢ぞろい
壱三作の鎧着の逸品
- 鎧兜を身に纏った僕たちも人気です!
- 顔が左右、前後に動きます。
手首、肩、肘が自由に動きます。
腰も左右、前後に動きます。
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- 人気の鎧兜は?
- カタログで下見、さすがに実際説明を聞くと納得できます。
- 鎧兜の選び方は?は
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カタログ請求に対応できる。家族で五月人形イメージ作りに役立ちます。
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商品を大事に取り扱いしているお店
- 商品を大切にしているお店は五月人形の商品説明が違います。
- 店頭では五月人形・鎧兜・鯉のぼりの説明を聞き実際に確認をする。
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早い時期から大幅に値引を強調するお店は避けたいものです。
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- 商品の適正価格の判断はまず、商品の説明から納得価格です。
- 大きく値引きにびっくり!とりあえずよく考えて見ましょう。
- 二重価格の値をつけ、こんなに勉強した値引き価格です。
- というお店は避けたいものです。
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節句人形お買い求めのお客様へ ⇒ |
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迷わった時に対応できる専門店
- 大きな買い物の鎧兜ですので、ご予算、飾る場所にあわせて提案ができたり、
- 鎧兜、屏風、付属品(弓太刀)など組み換えができる。
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- 実際に組み替え変更の五月人形を見て確認ができる。
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三段飾り
- 一番上に中心になる主役(鎧・兜)を置き、屏風、幟などを添え、二段目、三段目に武具や粽などを飾ります。
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平飾り
- 鎧・兜・大将を中心にした考え方で、人気の飾り方です。
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ケース飾り
- 五月飾りのセットをコンパクトにケースに収めた飾り方。
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収納飾り
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三段毛氈飾り(鎧兜) |
台・屏風飾り(鎧兜) |
ケース飾り(鎧兜・大将) |
収納飾り(兜) |
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五月人形を飾る場所の間口、高さ、奥行きを測っておきます。
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- 専門店なら相談に応じ、五月人形を自宅に似合うようにセットしてもらえます。
- フルセット買いはしない場合は少しづつ増やすことが可能。
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- 実際にご自宅で飾る五月人形はお店で見るより大きく感じます。
五月人形・お気に入りの鎧兜を選び、次はコーディネートも楽しみます。 |
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さすが パパ好みの鎧 兜はすごい!! ママも気に入りました。我が家も端午の節句が楽しみです。
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Q1五月人形 戦国武将とは・またその名将の鎧兜とは
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戦国武将・織田信長 ⇒⇒カタログページ

「天下布武」を夢見た信長公。
従来の戦いにとらわれない新戦法で勝ち抜いた天才。
織田信長は天下統一への思いを託し「永楽通宝」の旗を掲げた、すなわち、
商人たちの協力を得て天下統一への思いのためとも言われている。
◆ゆかりの地◆ 安土城跡――――滋賀県近江八幡市
織田信長の最後の居城。中央に5層7階建て天守閣をもつ壮大な城、その後の近世城郭建築の手本。
◇ 豊臣秀吉―織田信長の軽率として仕え、信長後3年で天下人となる
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戦国武将・豊臣秀吉 ⇒⇒ カタログページ

織田信長に臨機応変の計らいが功をなし、城持ち大名から
天下人まで登りつめる。
豊臣秀吉馬藺の兜は
赤れんが駅舎(JR東京駅)の三階部分の内壁に`太閤秀吉゛の
馬藺の兜を模写した漆喰の装飾があったようです。
◆ゆかりの地◆ 大阪城 ―――― 大阪市
天下統一を果たした豊臣秀吉が完成させた豊臣政権の本城。
◆ゆかりの地◆ 姫路城城 ―――― 兵庫県姫路市
◇ 蒲生氏郷―文武兼備、織田信長、豊臣秀吉に仕える
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戦国武将・蒲生氏郷 ⇒⇒カタログページ

「利休七哲(りきゅうしちてつ)」の筆頭としての一流の文化人。
燕尾形兜 (えんびなりかぶと)は蒲生氏郷所有の兜燕(ツバメ)のような形をしている
戦国の世、織田信長から豊臣秀吉へ、
続いて徳川家康の時代へとの移り変わりはご承知のとおり
みちのくの武将 蒲生氏郷(屈指の大器)は
奥羽の武将伊達政宗とともに同時代に活躍する。
◆ゆかりの地◆ 鶴ヶ城城跡――――福島県会津若松市
戦国武将・徳川家康 ⇒⇒カタログページ

律儀者で辛抱強いがゆえに、天下を取った家康公。
歯朶(しだ)具足は関が原の合戦で大勝利した縁起の良い鎧。
徳川家の具足の筆頭!
徳川家康公具足模写歯朶(しだ)具足
祖父から孫への最高の贈り物
小牧長久手の戦いの折、これを着用して大勝したため、
縁起の良い、吉祥の具足とされました。
◆ゆかりの地◆ 関ヶ原古戦場 ―――― 岐阜県関ヶ原市
『天下分け目の戦い』と呼ばれる、秀吉の後主導権を争った古戦場。
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戦国武将・上杉謙信 ⇒⇒カタログページ

無駄な戦いは好まなかったが、いざという時は無敵を誇った謙信公。
日輪に三日月の前立てが壮大なロマンを感じる。
謙信公は7歳から14歳まで、名僧天室光育のもと
文武の修行を積みました。
この時期があったらこそ戦国の武将としては教養が高く
信仰心の深いことがわかります。
◆ゆかりの地◆ 春日山城跡――――新潟県上越市
上杉謙信の本拠として知られる山城跡。謙信が出陣前に必勝祈願をされた毘沙門堂(復元)や、直江兼続の屋敷跡を見ることも出来る。
戦国武将・武田信玄 ⇒⇒カタログページ
甲斐の戦国時代の大名。

軍配は風林火山。武田の騎馬軍は戦国最強と評される。
12年間で5回戦い武田信玄,上杉謙信両将の一騎打ちでは川中島の決戦は著名です。
◆ゆかりの地◆ 恵林寺――――山梨県甲州市
臨済宗妙心寺派の寺で武田信玄の菩提寺。
戦国武将・伊達政宗 ⇒⇒カタログページ
弦月のの前立てが、天下統一を目指す政宗公のスケールの大きさとセンスを物語る。
文武両道の戦国武将として良く伊達政宗公があげられますが、
兜の前立てに半月の剣を、旗印には日輪を描いたものが使われました。
そして、伊達政宗公以降、伊達家の家紋の一つに九曜星を使われました。
(伊達家以外にも一般に九曜星は道中祈願のために良く使われていた。)
◆ゆかりの地◆ 仙台城跡――――宮城県仙台市
★仙台市博物館★
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兜の前立てに半月 |
旗印に日輪
仙台市博物館蔵 |
伊達政宗所用家紋・九曜星
仙台市博物館蔵
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戦国武将・片倉小十郎 ⇒⇒カタログページ

十七才の時初陣を果たす。
大阪の陣の際、戦将としての力量を発揮し、天下に【鬼の小十郎】として名を知らしめる。
伊達家誇りの武将として広く名を馳せた。
兜の前立には信仰をした愛宕権現のお守り札と八日月が付いている。
片倉小十郎公 愛宕山大権現守護所前立兜 焼桐板屏風平飾りセット
天体に関係したものが目に留まります!!
私たちは日常、天体はとても気になるものです。、天を見上げれば、
天候を占ったり、心を和ましたりと、月・星の輝きをみては、感嘆することばかり多いのではないでしょうか。
また、太陽に照らせれれば「今日はお天気ね。」とそれが当たり前に感じている時が多いですね。
戦国武将たちは、太陽・月・星と天文に祈りこめ兜・旗印に事様々な思いをかけ、形にしてきました。
太陽・月への思いは密教にる日天・月天の捉え方もあるようです。
また、聖徳太子が仏教に篤く帰依したことはご承知のとおりですが、
多くの武将たちも太陽、月にと心の思いを託してきたとも聞きます。
では、星の考え方は万物は陰と陽の二つの変化でなる陰陽説と
火・水・木・金・土の五つの変化する五行説が統合された古代中国の陰陽五行説を基に、
天文や暦数を占う陰陽道が平安時代、盛んになり北斗七星を妙見菩薩として神格化されたことによるようです。
戦国武将・本多忠勝 ⇒⇒カタログページ

常に黒の鹿の角。勇壮な豪男を誇る戦国武将らしいデザイン。
幼い頃より家康に使え、徳川四天王の一人。
戦場で数々の武功をおさめ、織田信長、豊臣秀吉にも一目を置かれていた。
障害において50回以上の戦いに出陣し、
かすり傷ひとつ負わなかったと伝えられている。
武勇だけでなく知略に優れた武将としても高く評価されている。
戦国武将・黒田長政 ⇒⇒カタログページ

幼少の頃は織田信長のもと人質とし赴き、豊臣秀吉の中国征伐に初陣。
賤ヶ岳の戦いで頭角を現して行く。
豊臣秀吉没後は石田三成と不仲のため、徳川家康に接近、関が原の戦いでは、
小早川秀秋を東軍に応じせしめて、勝利に導く立役者。
両脇に大水牛の脇立。上面に日輪。
黒と金のコントラストは見事。
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戦国武将・直江兼続 ⇒⇒カタログページ
 
上杉家家老として叡智を豊臣秀吉に買われ、関が原敗戦後は
上杉家安泰のため徳川家康の重心本多正信らの間を奔走。
二枚胴具足・兜の前立の【愛】の字は愛染明王の信仰
戦国武将・真田幸村 ⇒⇒カタログページ

家康に迫り来る赤備之の鎧。
赤の六連銭の旗印。
豊臣家のために忠義を尽くす。
真田幸村公のわんぱく大将は 女性に大人気です。
◆ゆかりの地◆ 真田氏本城跡――――長野県上田市
詳細画像が御覧いただけます。⇒⇒
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五月人形は大鎧に決定!!パパもママは勿論おじいちゃまもおばあちゃまも気に入りました。
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Q2五月人形 いつも定着人気の鎧兜は ?
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大鎧
⇒⇒大鎧飾りカタログページ
鎧で装具が整い、兜・袖・草摺が大きくつくられた大きな鎧を大鎧で、平安時代末期に完成、武将の着用、騎馬戦法で源平合戦に活躍された。
 

大鎧は豪壮華麗、大部分を小さな鉄片を鮮やかな、色あわせもカラフルモダンな糸で綴って作られた。
源義経奉納と伝えられる右鎧は義経の【八艘飛び】は知られていますが、その八艘飛びに相応しい、鎧と胴丸を折衷したもの。⇒⇒
国宝模写 鎧兜の色々
◆ 春日大社(奈良県)所蔵の国宝竹雀金物赤糸威大鎧模写
◆ 櫛引八幡宮(青森県)所蔵の国宝菊金物赤糸威大鎧模写
◆ 櫛引八幡宮(青森県)所蔵の国宝白糸威褄取大鎧模写
◆ 菅田天神社所蔵(山梨県)所蔵の国宝小桜黄返皮威大鎧模写
◆ 国宝葱綾威大鎧 (広島)厳島神社所蔵
五月人形の鎧兜飾りには一番は大鎧を模したものが好まれています。
鎧・兜の随所に見られる特徴に興味をもたれた方も多いです。

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覆輪の金具の裁断/兜など覆輪加工 |
金箔の貼り付け(小札に金箔を貼ります) |
大鎧(鎧兜)も金箔の仕様が人気です!
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胴丸
⇒⇒胴丸飾りカタログページ
歩兵用鎧の一つに胴丸がある。脇盾・弦走・逆板はなく、鎌倉時代末期から袖と兜を具して
用いられ、軽装、活発、便利ということで、武将も愛用し、
室町時代には胴丸も腹巻とともに流行し、形式がやがて改良されて当世具足になり着用された。

室町時代末期の胴丸の阿古陀形の兜に密教の法具の金剛杵(三鈷)の柄に剣を中央に立物とする形式が流行しました。
金剛杵(三鈷杵)は、もとは古代インドの武器であった鈷(しょ)が変じて、仏教に取り入れられ、煩悩を打ち払う仏具。
腹巻
⇒⇒腹巻カタログページ
腹巻とは、南北朝と時代が進むと歩兵戦法に変わり、太刀・薙刀・槍を使用するため、
腹巻に袖をつけてものを着用するようになった。
室町時代には大鎧は衰退され、腹巻鎧は武将にも好まれ、
大鎧の略式具として、各所形が整えられた。
具足
⇒⇒具足カタログページ
戦国時代になると、槍・弓に新兵器の鉄砲により多様化し、武具も多数必要となり
簡素化し た甲冑で、防御の点でも勝る甲冑が次々に考案された。
戦場でどれだけ自分をアピールできるかどうかが大事なことで、
兜などには奇抜なテ゜ザインが取り入れられた。
当世具足の基本的形式は、四箇所蝶番をつけた、五枚胴と、
左脇一箇所に蝶番を使った二枚胴に分けられる。
当世具足には目立つために背中に差物をつけたりする受筒、合当理(ガッタり)、待受(マチウケ)などが必要になった。
♪♪ こどもの日の節句料理・レシピ
『お子さまの行事の料理』
オリジナルメニューを色々ご用意してございます。
ママの手料理 きっと!!お子さまも喜びます。
お子さまの大切な記念日の料理に
是非!! ご活用下さい。
手づくり箸袋で素敵にコーディネート♪ ⇒⇒
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