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村全滅は天正地震の津波原因でない 美浜「くるみ浦」伝承、外岡教授

(2012年1月18日午前9時35分)

 福井県美浜町の常神半島東側に過去、大津波が押し寄せて「くるみ浦」という村が全滅した伝承をめぐり、外岡慎一郎敦賀短大教授(日本中世史)が地元に残る17世紀後半の古文書を調べた結果、同村の滅亡は1583年ごろとみられ、86年の天正大地震による津波が原因ではないとの結論をまとめた。

 くるみ浦をめぐっては1955年発行の「三方郡西田村誌」に、「小川の裏の山を越した日本海岸を血の裏といい、そこには以前クルビという村があったが、ある晩村人が出漁中に大津波が押し寄せて、神社と寺と民家1軒だけを残して全滅した」との記述がある。

 一方、戦国時代の日記「兼見卿記(かねみきょうき)」などには天正地震による大津波が若狭湾を襲ったとの記録があると判明し、関西電力など県内の電力事業者は若狭湾周辺で津波の痕跡調査を実施。天正地震による大規模な津波の痕跡はなかったとの結果を国に報告している。

 外岡教授は、くるみ浦周辺の山海の所有権をめぐり、西方にある日向浦と早瀬浦が争ったことを記した寛文年間(1661〜1673年)の複数の古文書を調べた。1673年の作成と考えられる文書では、くるみ浦の「退転」(滅亡)を90年前と明記。唯一生き残ったとみられる「魚見大夫」という人物が早瀬浦に居候したとも書かれている。

 年代は分からないが8月作成の別の文書では、「魚見大夫」が日向浦に移住し、三方郡支配にかかわった木村由信の“紹介状”を持参していたことが分かる。木村氏の支配は1583年4月から85年4月までと分かっているため、くるみ浦の全滅は「83年後半期から84年前半期」と外岡教授は推定した。

 その上で、くるみ浦を襲ったと伝わる津波と、「兼見卿記」などに記述された天正地震による大津波は別と結論づけた。

 外岡教授は「一つの可能性として、くるみ浦の滅亡には別の理由があって、近い年代に起きた天正の大津波が原因と伝えられたとも考えられる」と説明。ただ、別の関係史料に基づき、天正地震と同時期に複数の地震があったとの見方もあるため、「広い範囲で津波の痕跡を調べるボーリング調査し、確かめることができればありがたい」と話している。

 研究内容は3月に刊行する敦賀短大の紀要「敦賀論叢(ろんそう)」に掲載される。(伊豆倉知)


 

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