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2012年2月19日 (日)

「つぶやき」と「いいね!」

 2年前の今頃、『「つぶやき」と訳したのがよかったのかもね。』というエントリを書きました。読み返してみて、あの頃は、私はまだtwitterユーザーではなかったんだなあ、と土曜の深夜にしみじみ。ちょっと前のエントリを引用してみます。ちょっと長いですが。あの頃、twitterの宣伝文句はこんな感じだったんですね。

 サービスがはじまった当初のキャッチフレーズは、こうでした。

What are you doing?

 日本語で言えば、「今、何してる?」という感じですね。Buzz(このBuzzって、蜂のブンブンという羽の音のこと)的な、気軽で前向きなコミュニケーションの指向性を感じますね。これも、相手に語りかけるという意味では「つぶやき」とは違います。

 で、今の英語版のキャッチフレーズは、こうなってます。

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Share and discover what’s happening
right now, anywhere in the world.

See what people are saying about…

 うまく訳せませんが、直訳で言えば「世界中のいろんなところで、たった今何が起っているかを共有しよう、発見しよう。みんなが何を話しているか、見てみる…」という感じでしょうか。それが、日本語版ではこうなります。

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あなたの今を共有して、
ツイッターで世界の出来事を知ろう

みなさんが何をつぶやいているか見てみよう

 英語では、tweetではなくsayが使われ、そのsayが日本語では「つぶやく」と訳され、みたいな関係です。まあ、tweetはsayの比喩表現でもあるから、地の文としてはsayになるでしょうね。それが、日本語では「話す、話しかける」とか「おしゃべりする」とかではなく「つぶやく」となっていて、これは既に「Twitter=つぶやく」という構図が出来上がっているということも多分にあるでしょうけど、この「つぶやき」というキーワードは、とても日本語圏のユーザーに受け入れられやすい言葉のような気がします。

 say、つまり「話す」という行為は、必ず相手が必要な概念です。一方の「つぶやき」は相手がいらない言葉で、そこがよかったんでしょうね。最終的には、「コミュニケーションを楽しむ」という同じベネフィットがあるにしても、その導入では、英語圏と日本語圏ではちょっと切り口が違うんですよね。日本では、まず自分。内省的。これは、日本語圏のユーザーが内省的というわけではなく、導入において「さあ、楽しいコミュニケーションを」といくと、まず入り口でつまずくということ。心理的な敷居が高すぎるんです。

 この「つぶやき」という訳語はほんと絶妙で、もちろん、この「つぶやき」という言葉だけが貢献したわけではありませんが、2年経った今、twitterは日本市場で受け入れられていきました。世界でも、日本はtwitter好きだそうですね。私も、かなり好きになりましたし、それは「つぶやき」という気軽さもあると思います。

 もうひとつ、引用。これは、Facebookが台頭してきた今、twitterというウェブサービスの基本構造を考えるうえではかなり重要な部分ではないかな、と思います。

 日本語版の訳は、英語の元の文とは少し意味が違っていますね。このあたりは、すごく興味深いです。英語の元の文が、shareとdiscoverが同列(Share and discover)なのに対して、日本語ではshareすればdiscoverできる(共有して知ろう)という関係になっています。少し啓蒙的です。shareしなけりゃ、discoverなんてできないんだよ、という感じ。

 これも文化の違いなんでしょうね。日本では、shareという概念は、どうしても身内の中でのshareという概念になりがち。でも、Googleなんかが代表的ですが、いわゆるWeb2.0的な文脈のshareは、コミュニティ内のシェアではなく、もっとソーシャルに広く、言ってしまえば、ウェブのすべてに広がるshareです。ここでは、前者のshareと後者のshareは、じつは対立概念になります。この少しばかり啓蒙的な日本語の言い回しには、もしかすると、そんな日本人スタッフの思いも少し入っているのかもしれませんね。

 twitterは基本的にはオープンなウェブサービスで、少数のフォロー、フォロアーで使用している人も、そのツイートはウェブの世界に開かれています。ブログにおける個別エントリのように、ツイートにはひとつひとつパーマリンクが発行されますし、時間はかかりますがGoogleにもインデックスされます。大通りや大広場であっても、路地裏や小さな公園のベンチであっても、上を見上げると同じ空、みたいな感じです。

 そんなオープンで外向的なウェブサービスであるtwitterは、日本市場では「tweet」を「つぶやき」と、あえて内向的に表現しました。これ、今になって思いますが、日本で受け入れられるために、かなり日本のインターネットユーザーのインサイトを考え抜いたんだろうと思うんですね。オープンなプラットフォームだからこその「つぶやき」。とりあえず、あなたが思ったことをつぶやくだけでいいんですよ、コミュニケーションはあとからついてきますから、というようなお誘いの仕方。公共空間では、あまりコミュニケーションや自己主張を避けがちな日本の人たちにぴったりなアプローチです。

 で、一方のFacebook。

 Facebookは、基本的にはそれぞれのユーザーの情報のやりとりは、Googleにインデックスされませんし、プロフィールはネットにオープンにはなっていますが、基本は、mixiのように、また、古くはメーリングリストのように限られた人たちのコミュニケーションを実現するプラットフォームです。

 このクローズドSNSの中核機能である「Like」をFacebookは日本市場のためにどう表現したのか。ご存知のとおり「いいね!」ですね。これ、twitterとまったく逆のアプローチです。つまり、内向的なウェブサービスに、より外向的にお誘いするというアプローチ。

 英語でいうLikeは、「いいね!」よりもあっさりした意味合いがありますよね。好きという概念に対して、英語はLoveとLikeの2つの語に分かれていて、Likeと!も付けずに放り投げる感覚は、日本語の「いいね!」とはずいぶん違います。これも、twitter同様、かなり日本のインターネットユーザーのインサイトを考え抜いたんだろうなあと思うんです。

 あまりいい言葉ではないですが、旅の恥は書き捨てという言葉もあるように、仲間内どうしだと、かなり濃密なコミュニケーションや行動をするところがあるように思います。安心感がある空間ではのびのびするのも日本の人の特徴。そういう人たちに向けて、クローズドなサービスが「いいね!」とアプローチする。twitter同様、これまたお見事です。

twitter:オープン(外向的) tweet=つぶやき(内向的)
Facebook:クローズド(内向的) Like=いいね!(外向的)

 この「つぶやき」と「いいね!」はもう当たり前の言葉になってしまいましたから、あまりこのアプローチの凄みがわかりにくくなってしまっていますので、参考として、twitterのtweet、FacebookのLikeを、その機能をそのままに、あえて、普通、何も考えずにフラットに訳したらこうなる、というのを示しておきます。これまでのウェブサービスの文脈もふまえるとこんな感じになるのではないでしょうか。

tweet=おしゃべり
Like=お気に入り

 こうなると、やっぱりそれぞれの魅力が半減どころか、ずいぶん普通に思えてきますね。なんだか、インサイトの踏み込みが一皮甘い感じ。特にtwitterには抵抗感がでてきそうです。FacebookのLikeも「いいね!」と表現したからこそ、今、広告業界でゴールドラッシュみたいになっているんでしょうね。もし「Likeをふやす」とか「お気に入り数アップ」と企画書に書かれていても、なんでもかんでもFacebookページという状況にはならなかったと思います。

 この「いいね!」という訳によって、広告欄やコメントなどにつく「いいね!」は、日本ではこんな感じで表現されるんですね。日米の比較です。

○○ like this.
○○さんが「いいね!」と言っています。

0,000 people like this.
0,000人が「いいね!」と言っています。

 これ、ほんと見事です。嫌みなくらい見事。日本では「いいね!」と「言っています」なんですよね。なんだかなあ、すごく読まれてる。憎らしいほど読まれすぎてます。ユーザー推奨はもともと効果がありますが、それを仕組みとしてドライに表現するのではなくて、より同調の負荷がかかるような「あの人も言ってますよ」的な表現にしたのは見事としか言いようがないなあ。情報商材のネット通販なんか、ぜんぶこれですものね。あの「いいね!」はフィクションに近いし、一方通行の「いいね!」ですが、こちらはリアル。強いです。

 個人的には、日本語表現の過剰なまでの見事さは、実態以上に企業の「いいね!」されたい熱を加速させた一方で、企業とユーザーの直接交流的なFacebookの良さはちょっと見えにくくしてしまっているので、やがてFacebookのネックになってくるんじゃないかな、とは思うんですが、でも、そうなればなったでまた対応はしてくるのでしょうし、まあ、Facebookとしてはいいところで落ち着くのではないでしょうか。

 企業側、業界側では、今、人気投票的な部分がクローズアップされて、人気を得ればマスに匹敵するメディアがつくれますよといったとらえられ方がされがちですが、twitterもFacebookもソーシャルメディアではあるので、基本は継続的な情報発信とその情報をもとにした継続的な直接対話。その性質上、原則的には所謂「ハードセリング」には向かないとは思うんですね。本来は、一時的な加熱を狙うのではなく、地味にコツコツやっていくタイプのものではあると思います。

 最後に、同じく2年前の『ソーシャルメディアとの距離の取り方』というエントリから引用します。

 せっかくのソーシャルメディアへの参加です。初期費用はゼロに近くても、継続のもろもろを考えればゼロではありません。短期の成果を急ぐあまり、ソーシャルメディアで嫌がられては本末転倒です。マイナスのブランディングだけは避けたいですよね。そのためにも、どうソーシャルメディアと距離を保ちながら付き合っていくのかを考えることは大切です。めんどくさいけど、そのことをきちんやるのとやらないのとでは、2年後、3年後、ずいぶん違ってくるのだろうな、と思います。

 あれからtwitterもFacebookもずいぶん広まったけれど、今も考えはほとんど変わりません。もっとも、ソーシャルメディアという位置づけが変わらない限り変わりようがないとも言えますが。ちょっと夢や希望を熱く語らない分、もしかするとつまらない印象はあるかもしれませんが、なるべくフラットに冷静にソーシャルメディアを考えていきたいとあらためて思っています。

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