千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。
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最近、通信講座などでの『在家僧侶』などという講座を目にします。実際に僧侶になるかどうかは別として、宗教的知識を自分のものにするための講座として、有効なものかどうかをお教えいただきたくお願いします。
在家僧侶」についてはわたしも時折広告などで眼にすることがあります。まず僧侶とは何でしょう。僧侶とはお釈迦様の時代の僧伽(そうぎゃ)からきています。出家という意味です。出家とは在家に対しての言葉であり、文字通り「家から出た人」のことです。ですから「在家僧侶」という言葉は大変奇異に感じますし、主旨からは矛盾した言葉だと思います。
結論を申し上げますと「在家僧侶」と言う言葉は大変誤解をうけ易い言葉だと私は思います。事実僧侶であれば「僧侶」だけでいいわけですし、なぜあえてその前に「在家」をつけるのでしょうか。在家に在りながら仏道修行をする人を「居士」といいますが、単に仏教を学ぶことでしたら「居士」で十分な訳ですし、あえて「僧侶」を名乗る必要は無いと思いますが如何でしょうか。
居士と出家は全く違います。出家僧侶は正式にお釈迦さまの弟子になって修行する者をいいます。(本ページの「住職ごあいさつ」の中の「坊さんとは」の項を参考にしてください。)確かに現在の僧侶の中には在家の人たちと変わらない生活をしている人も多くいます。むしろ中には在家の人以上に世俗的な生活を送っている僧侶も少なくないと言っても過言ではないかもしれません。
その辺からいろいろ批判はあると思いますが、その良し悪しは別としまして、法律的にも社会的に申せば「資格」の問題なのです。その資格とは、宗教法人格の有る宗派の宗制(宗派の規則)に従ってそれぞれの宗派の必要とされる修行や手続きを経て正式に登録されているということなのです。
それで社会的にも宗教法人的にも「公認された僧侶」として認められるのです。あなたの申される「僧侶資格」がどのようなものであるか私には当然判りませんので、あなたの場合がおかしいと決め付けているのではありません。あくまでも一般論として申し上げていますので誤解のないようにお願い致します。
そしてあなたのお師匠様が宗教法人法に則ったれっきとした僧侶であればまったく問題はありませんのでそのことも申し上げておきます。また、現在住職をしているかどうかは問題ではありません。宗教法人法で必要とされる条件にあっていればいいのです。
ただくどいようですが、「在家僧侶」という言い方がわたしには大変疑問なのです。また法律上認められた「宗派」「法人」または「僧侶」でなければ宗教活動と称される行為はできないと思いますが、どうでしょうか。「正式な僧侶たるにはどのようにしたらいいか」との質問に応えた本Q&Aの項を参考にしてください。
合掌
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