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2012年2月22日(水)付

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ギリシャ支援―経済の再建も考えねば

欧州は今度こそ、ギリシャ危機を封じ込められるか――。ユーロ圏の財務相会合で、欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)によるギリシャへの追加支援1300億ユーロ(約13兆[記事全文]

母子殺害事件―この先も考え続けたい

山口県光市の母子殺害事件で、犯行当時18歳1カ月だった被告の死刑が確定する。何とも重い結末である。すんなり導き出された結論ではない。少年法は「罪を[記事全文]

ギリシャ支援―経済の再建も考えねば

 欧州は今度こそ、ギリシャ危機を封じ込められるか――。

 ユーロ圏の財務相会合で、欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)によるギリシャへの追加支援1300億ユーロ(約13兆7千億円)の実施が決まった。民間銀行や欧州中央銀行(ECB)も、返済の減免などで支援する。

 3月に償還期限を迎えるギリシャ国債の債務不履行は回避されそうだ。

 ギリシャは、公務員削減などの緊縮財政を進め、国内総生産(GDP)に対する政府債務の比率を、今の160%から2020年に120%強へ下げる。EUとIMFの代表がアテネに常駐し、監視する。

 しかし、緊縮一辺倒で09年からのマイナス成長がさらに続くのは必至だ。ギリシャ経済は疲弊し、「手術は成功したが、患者は死んだ」となりかねない。しかも、債務と経済が同じペースで縮小し、債務比率が減らない危険性すら指摘される。

 財政面の議論が一区切りついたところで、ギリシャ経済の再生に向けてもユーロ圏が結束して取り組む必要がある。

 観光以外に目立った産業がなく、汚職、地下経済がはびこる社会を改めるのは一筋縄ではいかない。公務員天国は打破すべきだが、壊すばかりで成長への期待がなければ、国民を改革に向けてまとめられない。

 アテネ常駐のEU代表は無駄遣いや不正の監視だけでなく、産業や社会の構造改革にも知恵を出すべきだ。

 ギリシャでは4月に総選挙があり、今の実務者内閣が交代する。これを社会的混乱や財政再建の行き詰まりに暗転させないためにも、早く手を打ちたい。

 心配なのは、支援決定までの曲折で、欧州の南北の溝が深まったことだ。ドイツなど北側諸国には混迷するギリシャ政治への不信が根深く、緊縮を厳しく迫った。これがギリシャの国民感情を逆なでした。

 ドイツなどの強硬姿勢の背景には、ECBの強力な金融緩和で、金融危機への懸念が後退している事情もあるようだ。

 ただ、金融緩和はあくまで時間稼ぎにすぎない。当座の小康に気を緩め、欧州の結束を軽んじるのは考えものだ。

 今週末には、主要20カ国(G20)の財務相・中央銀行総裁会議が開かれ、IMF活用による欧州支援策も協議される。

 しかし、欧州の強い結束と最大限の努力なしでは、協力はありえない。ギリシャ経済の再生にも責任ある行動を取るよう釘を刺さねばならない。

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母子殺害事件―この先も考え続けたい

 山口県光市の母子殺害事件で、犯行当時18歳1カ月だった被告の死刑が確定する。

 何とも重い結末である。

 すんなり導き出された結論ではない。少年法は「罪を犯したときに18歳未満の者には死刑を科さない」と定める。人間として成熟しておらず、だからこそ立ち直りの可能性が大きい少年の特性を考えたものだ。

 一、二審は、この法の趣旨も踏まえて無期懲役を言い渡したが、6年前、最高裁は審理をやり直すよう広島高裁に命じた。

 そのときの「18歳になって間もない少年だったことは、死刑を避ける決定的な事情であるとまではいえない」との判断は大きな論議を呼んだ。

 この事件などを機に人々が目を向けるようになった被害者の思いや、社会の不安にこたえたと評価する声。逆に、死刑の適用基準をゆるめるもので、廃絶にむかう世界の流れに反するとの批判もあった。

 高裁の死刑判決を経た今回、最高裁の4人の裁判官のうち1人は、さらに審理を尽くすべきだと反対意見を述べた。全員一致でないまま極刑が確定するのは異例で、問題の難しさを浮きぼりにしている。

 死刑を前提とする法制度のもと、悩み抜いて出された判決を厳粛に受け止めたい。

 だがこの結果だけをとらえ、凶悪な犯罪者に更生を期待しても限界があると決めつけたり、厳罰主義に走ったりすることには慎重であるべきだろう。国民が刑事裁判に参加する時代にあっては、なおさらだ。

 死刑か無期かにかかわらず、どんな罰を科すのが適当かとの判断は、あくまでもその事件、その被告の事情を突きつめて考えた先にある。被害状況や被告の年齢、育ち方などで画一的な処理ができるものではないし、してはならないからだ。

 裁判はこれで決着となるが、事件が投げかけた多くの問題に、社会全体でこの先も向き合っていく必要がある。

 例えば、こうした事件はいまは裁判員裁判で審理される。長期の審理が困難ななか、更生の可能性を裁判員が見きわめられるよう、専門家にはいっそうの工夫と努力が求められる。

 刑事裁判や少年法の世界だけではない。

 大人と子どもの線をどこに引き、どんな権利や責任を分かち合い、成長の過程にある年代をどうサポートするか。

 それは、教育や福祉をはじめ様々な分野で、考えていかなければならない課題だ。視野を広げて議論を深めたい。

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