光が洪水と溢れ、アルカンは眩しさに目を瞑った。
緑の香りが鼻先をかすめる。
彼女は知らぬが、ここは名もなき村の跡地であった。
今は、薔薇が生い茂る。
薔薇の咲き誇る庭。
いや、むしろ。
薔薇の海。
初夏を迎えようとする庭園を彩るのは、ふき零れるような薔薇の花だ。
その庭づくりは、執念と妄執の賜物だ。
一年中手入れをかかさずにいてこそこれほどのものが作られる。
光にまだ慣れぬまま、ぱちぱちと瞬きするアルカンの目に止まる薔薇はどれも見事としかいいようがない。
絢爛と咲き誇る古薔薇。
素朴にして華麗。
枝垂れ咲く花。
束ねるようにして花開き。
息をのむようにうつくしい。
苔むした石の小径には、夢見るように頭を垂れる花、可憐に華奢な姿、あるいはいかにも力強く野趣溢れるままに腕を伸ばすものも。
どれもこれも庭師が手塩にかけて育て、慈しんだ結果だろう。
高きに低きに立体的な構成はまず訪問者を圧倒し、同時に自然の姿に近い仕様はリラックスさせもする。とにかく見るものの目を楽しませて退屈させない。
上を見上げれば、ごく薄いサーモンピンクの花弁を中心部から外の花弁に向かってグラデーションさせるつる薔薇が目につく。そのつる枝は優れた庭師によって上手く誘引され、半ば崩れかけた日干し煉瓦の壁面を這い上がり二階の窓枠を花房で覆う。
またアーチにからみつく白薔薇は、純白の雪のようにいくつも花房をつけて零れ落ち、青紫色にアクセントを与えるクレマチスとともに花のトンネルを形作っている。
陰影落ちるそこに、下草に日陰でも育つ聖夜薔薇を植え、ツルニチソウが合間から顔をのぞかせる。
更に枕木のデッキからは、滝のように八重咲きの黄色いモッコウバラが優雅に枝垂れるよう零れ咲き、やはり倒壊しかかった大きな壁面をダイナミックに覆いつくしている。
しかし、アルカンの知識に言わせれば、花の咲き方は異常ともいえるもので、植物の時間の感覚が狂っているとしか思えない。
(まるで、滅びたものを覆い隠すように)
あるいは、何かを包むように。
知らず濃い葡萄染めの巫女装束に、深紅の帯を前に下げ締め、だらりと垂れ下がる腕は、袖口を縁取る黒い絽に隠れた白い指先を覗かせている。
ぼうっと、アルカンは庭を眺めた。
この庭は主人の性格を反映してか、様式に囚われず、自然のままに雑然としている。
よく言えば自然で高低による立体感があり、変化に富む。
また悪く言えば、長方形や円、三角形など幾何学的に整然とレイアウトされたフォーマルさは全くない。その辺りは、西のアシャンティ王国が得意とする構成だ。
平面性ではなく、自然な植物の配置による立体構成と空間の広がりこそがこの庭の魅力なのかもしれない。
奇数の葉先より滴り落ちる緑色。滲み零れる花弁の色。カップ咲き。ロゼット咲き。地を這い、アーチやトレリスやパーゴラに絡みつき、繊細かつ大胆な庭師の手入れで壁一面を覆う。零れ咲き乱れ、剪定された枝を伸ばしてどこまでも貪欲に。
むせ返るようなその香りと、存在感をなお増すそれらは、みっしりと濃密にあらゆる空間を埋め尽くす。
季節を違えた見事な反動としか思えない旺盛さだ。
この庭は、本当に生きている。
『生きもの』のけはいがする。
緑が密度濃く生命のけはいを発しているのである。
手をかけ、愛情を注げば注ぐほどに、ざわりざわりと大きく『それ』は育っていく。
静かに、鳥の声に混じる緑の声に耳を澄ます。
まだぼんやりとして、彼女は夢の続きにいるかのようだった。
白い花弁が一枚、アルカンの肩に、はらり、と落ちた。
アルカンは肩口に視線を落として、仄かな色づきに、ああ、これは桜だな、と思う。
薔薇の中に、一本だけ桜の木とは、まるで異物、この木だけ異界から生えてきたかのようだ。
指先が、花びらをつまもうとして、落ちた影に視線を上げた。
どさり、と重い皮袋を地面に落とす音がして、それから。
それから。
狂気のような熱が、彼女を抱きしめた。
「……っ、ル、カン!」
彼は、そう呼ぶのが精一杯で、彼女もまた名を呼ぶことすらできなかった。
逞しい腕が背中と腰に回り、砕けよとばかり強く抱き寄せられる。
男は肩口に顔を埋め、泣いていた。
アルカンもまた。
その力強さと、胸の熱さ、焼け付くような息を感じた時、アルカンは初めて、
(ああ、もどってきた)
そう思った。
彼の元に、ようやく、ようやく、戻ってきたのだと。
魔剣になった女は理解して、冷たい鉄ならば流すはずのない涙がどっと溢れた。
涙よ流れるな、と女は思う。
視界が涙に見えぬから、彼の顔が見えぬから、どうかこれ以上流れるな、と願う。
声にならぬ呻きのような嗚咽しか零れず、もどかしさに余計に涙が零れる。
あの悪夢のような日。
絶望の日。
その日を境に、たくさんの苦しみと悲しみがあった。
でも、幼かった彼は諦めなかった。
彼は決して折れたりはしなかった。
最後まで、生き抜いた。
だから、アルカンも、そうしたのだ。
手も脚も萎えて、なすがままでしかなかったアルカンは、必死に男の首に腕を回した。
花びらが落ちて、二人の頭上に肩に降り積もる。
「あ、……ぃ、ふぇ、い……ッフェイ……!」
(会いたかった)
(会いたかったよ)
(本当に、本当に、お前に会いたかったよ)
言葉にならないそれを、彼はおそらく汲んで、頬を寄せた。
花の下、二人はしばらく、固くその身が分かれがたいように互いを掻き抱き、離れられなかった。
この世に名剣は数多あれど、その唯一の主を二度殺し、再び三度と巡り合った幸福な剣はあるまい。
その剣の銘を、【アルカン】というのであれば、これは喜劇でも悲劇でもない、ただ彼女の物語。
この後、半神となった男が、魔剣であった女に彼の不在の間の話を聞いて、「あいつ生き返らせて三百回殺す」と怒り狂う話はまたその後日談にておめもじすることもありましょう。
これこそ、実は喜劇の顛末でございますが、詳細は後ほどにて。
最後の語り手は、迷宮の魔女ラジュヴァ、現世では本人もあずかり知らぬことで、バヌーと申します。
物語はこれにてしまいですが、またお会いする日を楽しみにしております。
――おお、善き方、観じるかな!
――泥中の蓮華は大なるかな。
あとがき
終わりました。
皆様の『お気に入り』、『評価』、『ご感想』、その上『イメージ画』などまでいただき、ご厚意に支えられて完結までもってくることができました!
匙を投げがちな作者に、完結させるまでお見捨てなさらず応援いただき、誠にありがとうございました!
ここからは少し雑感など、お許しください。
フェイ生首事件で、三十件以上のコメントをいただき、本当にありがとうございました。
お気に入り削除、点数減点など覚悟し、恐る恐る投稿ボタンを押したのをはっきりと覚えています。
しかし、展開が読めなかったのは作者の方でありました。
むしろ真逆の現象に、大変びっくりいたしました。
驚愕の声とともに、登場人物への応援をたくさんいただきました。
読んでくださった方、読み続けてくださった方、本当にありがとうございました。
中には、作者の作風を信じているので、完結まで待ちます、との信頼を寄せたお言葉を複数いただき、申し訳なさとともにひたすらに頭が下がりました。
最初から残酷かつ描写の少ない作風であったため、切って捨てられた方も多いかと思います。
そこをこらえて、最後まで読みきっていただいた方に、言葉にならない感謝でいっぱいです。
最初と最後で、読後感は変わられましたでしょうか?
作者の超展開にいい加減飽きられましたでしょうか?
リュが出てきたことで、色々ご感想いただきました方、つながり方にご納得いただけていればいいのですが、いかがでしたでしょうか?
もしよろしければ、心に思われたこと、作者に聞かせてやってください。
本当に本当にありがとうございました!!
蛇足:
これで本編は完結ですが、引き続き、コメディ色な後日談と、R18な短い余談、もしかしたら設定集を予定しておりますので、しばらくお待ちください。
→ 設定集掲載後下げました。
あまりにも砂糖成分が激しいため、後日談は別所にて限定公開済み、落ち着いたらこちらに公開するかもしれません。→2012/2/6―7 期間限定公開終了
なお、別所へのご案内は当方からお声をおかけしておりますので、ご照会による開示や請求式は一切とっておりません。以前ご照会に対応した際、トラブルがありましたので、お問い合わせ分には、一律に、大変恐縮ですが、公開はお許しくださいと頭を下げさせていただくばかりです。何卒、ご理解、ご寛恕のほどよろしくお願いいたします。
また、コメディだとイメージが崩れるからちょっと……という方は、この最終話をもって完結とさせてやってくださいませ。
リュとエルのその後の話も、外伝か何かでスピンアウト予定です。→公開中『悪役の皇女の物語』http://ncode.syosetu.com/N0437Y/
こちらはかなり恋愛色が強くなるかと思います。
いつかまたお会いできますように!
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