音戸の瀬戸は、広島県呉市の本土側と倉橋島を分ける幅90メートルほどの海峡だ。平清盛が日宋貿易のために開いたといわれ、瀬戸内海の多島美を堪能できる観光地としても名高い。NHK大河ドラマ「平清盛」の放映開始にあやかった展示施設がオープンしてにぎわうが、その周囲を歩くと、趣ある古い街並みから瀬戸内の歴史を感じることができる。
呉市街地から5キロばかり南に下り、特徴的な赤いアーチ橋の「音戸大橋」を渡ると、05年に呉市に合併した旧音戸町の市街地だ。橋北側には、渋滞解消などを目的とした第2音戸大橋(仮称)の建設が進む。
音戸大橋たもとにある「おんど観光文化会館うずしお」に1月、ドラマのロケで使われた和船などを展示する「平清盛 音戸の瀬戸ドラマ館」がオープンした。それに合わせて、地元の「音戸まちなみガイドの会」が、音戸の街を散策するツアーを1年間限定で企画。新迫敞文(しんさこたかのり)会長(77)に案内をお願いした。
ドラマ館から音戸大橋をくぐり、徒歩約5分。木造3階建ての老舗料亭「戸田本店」に到着した。戦前、ほど近い呉や江田島に拠点を置いた海軍の社交場として繁盛した。「山本五十六さんも来たそうです」(新迫会長)。
名物は天然マダイのいけづくり。マダイは東に約25キロ離れた芸予諸島の豊島沖でとる。店の前に浮かべた船上の生けすで1週間ほど泳がせ身を引き締める。店で働いて約50年という杉山尚子さん(74)は「こうするともっとおいしい」と胸を張る。
続いてドラマ館裏手の引地(ひきじ)地区へ。新迫会長によると、清盛が音戸の瀬戸を開いた際の土を引いて地面を盛ったことが、地名の由来という。
大正・昭和期の木造住宅が残る街並みを横目に坂を上ると、「武者返し」の石垣がある法専寺に着く。寺は毛利元就の子・元為が開き、代々の住職は毛利氏の子孫という。屋根瓦には毛利家の家紋「一文字三つ星」が並ぶ。
高台の境内から石畳の坂を下ると、懐かしい赤い丸形ポストや木製電柱が並ぶ「音戸旧道なつかし通り」。その一角にある「城谷木彫刻作業場」で、城谷達郎さん(91)が黙々とノミで木を削っていた。「冬は寒くて彫れないね」という城谷さんは呉市の造船会社を定年退職後、趣味で木彫りの仏像や動物を作り始めた。現在までに数十体を制作し、作品は公民館などに寄贈しているという。
さらに通りを進むと、1899(明治32)年創業の「榎酒造」(榎俊宏社長)があった。地酒の「華鳩(はなはと)」が一番銘柄だが、社長の姉で取締役の榎真理子さんによると、創業当初から「清盛」銘柄もあり、商標も取得していた。全国的には清盛は「悪役」の印象が強く、県外客の評判は今ひとつだったという。
だから、大河ドラマへの期待は大きい。昨春発売した「清盛平安濁酒」は、仕込水の代わりに純米酒を使って仕込む平安時代の醸造法で造った。日本酒が苦手な人にも「甘さと酸味がおいしい」と好評という。
これから音戸の瀬戸は桜の季節を迎えてにぎわう。町の人たちは、音戸の隠れた魅力を大勢に知ってもらいたいと期待している。【石川裕士】
音戸の瀬戸は古くから海上交通の要衝で、現在も本四航路や貨物船の往来が盛ん。清盛が西の海に沈もうとする夕日を金の扇で招き返し、開削作業を1日で終わらせたという伝説がある。地元には、立烏帽子姿の清盛像「日招(ひまねき)像」や、功績をたたえる「清盛塚」がある。
音戸まちなみガイドの会事務局(0823・25・3309)。ガイドは保険料など300円で、来年1月14日まで▽戸田本店(0823・51・2155)。マダイのいけづくりは時価、懐石は昼の1人前4000円~、夜は同5000円~▽榎酒造(0823・52・1234)。4月末~5月上旬、蔵の見学会を予定。20種類以上のきき酒も。
毎日新聞 2012年2月21日 地方版