店主が最近の話題を色々と報告させていただきます。時折、覗いて下さいね。
茶遊処 銀座「佐人」佐々千尋
今日は、大変重い気持ちでこの日記を書いている。
<天声人語>【朝日新聞】2012年2月21日(火)朝刊
13年前の不幸がなければ、本村洋さん(35)の名が知れ渡ることはなかった。
大手製鉄会社の技術者として、同い年の妻と中学生の娘、もしかしたらその弟や妹と静かに暮らしていただろう。
その人が記者団を見すえて語った。「日本の社会正義が示された」
山□県光市の母子殺害事件で、当時少年だった被告(30)の死刑が固まった。ひと月早ければ極刑を科せぬ若さだった。
その未熟さ、立ち直る可能性をくんでなお、所業のむごさは死をもって償うほかない、との判断である。
妻子を奪われた本村さんは、自殺の願望を振り切り、悲憤を糧に「被害者の権利」を世に問い続けた。
独りで始めた闘いは、同情や共感だけでなく、重罪に厳罰を求める世論を揺り起こす。
犯罪被害者への支援拡充にもつながった。
死刑の宣告は難しい、というよりつらい。国民の生命を守るためにある近代国家が、法の名において一命を奪う。
矛盾といえば矛盾、廃止論の根拠である。
他方、遺族の処罰感情は容易に収まらない。
凶悪犯罪を抑える効果について異論もあろうが、この事件の結末が「より安全な社会」につながらねば、誰ひとり
浮かばれない。
極刑ゆえ、被告の実名が広く知られることになった。裁かれしは生身の人間と実感する。
「反省した状態で、堂々と刑を受け入れてほしい」。最愛の家族のために闘い抜いた人の言葉は重い。
帰らぬものは多すぎるが、本村さんが残したものも多い。後半生で「無名の幸せ」を取り戻してほしい。
《店主は思う》
「被害者の権利」は、深く考えるべきだ時代は来ている。
人間の「性善説」「性悪説」は、永遠の課題なのだ。
私も少年時代から「鉱物」に魅了されていた。
今でも鮮明に記憶してる。それは、確か京都の嵐山の川で見つけた「どくろ」の形の石だ。
<サイエンス>【日経新聞】2012年2月19日(日)朝刊
《市民研究者が相次ぐ成果》
日本で新種の鉱物が相次ぎ見つかっている。
天然ガスを含む「千葉石」、レアアース(希土類)のイットリウムを含む「肥前石」、エメラルドのように緑色に輝く
「愛媛閃石(せんせき)」。2011年だけで国際的に認められた日本生まれの新鉱物は5種類にのぼった。
さらに新鉱物の候補は8種類以上あるとみられ、今後も新鉱物ラッシュに沸きそうだ。
その陰には分析技術の進歩とアマチュア鉱物研究者の活躍かある。
「何だろう」。1998年、千葉県南房総市の採石場でアマチュア研究者の本間干舟さんは、きれいな白い石を見つけた。
千葉県立中央博物館に持ち込み、国立科学博物館で分析したが「何かが変質して石英になった」ということしかわから
なかった。
その後、結晶形態を調べた専門家の高田雅介さんが天然ガス成分のメタンを含む石「メラノフロジャイト」の可能性を指摘。
一方、会社員でアマチュア鉱物研究者の西久保勝己さんは調査を続け、ついに原石とみられる無色透明の鉱物を発見した。
当時、東北大学の大学院生だった国立科学博物館の門馬綱一研究員に分析を頼むと、天然ガスが二酸化ケイ素のカゴ状構造
に入っていることが判明。世界初の新鉱物たった。
門馬研究員は、発見者らの求めに応じ「千葉石」と名付けて2008年に国際鉱物学連合(IMA)に申請。
2009年に新鉱物と認められた。
千葉県は堆積岩が多くて新鉱物が見つかっていないので「石無し県」と呼ばれていた。
アマチュア研究者の強い思いがかない、石無し県の汚名を返上できた。
【新鉱物】国際組織が承認、日本は世界の4分の1
自然界で新たに発見され、1959年に設立された国際鉱物学連合(IMA)の「新鉱物・命名・分類委員会」が
承認した天然鉱物。新鉱物を発見したと思ったら、同委員会に申請する。
化学組成や結晶構造が新しいかどうかを34カ国の代表で構成される同委員会が投票。
得票が3分の2以上に達すれば、新鉱物として承認される。
2011年末までに、世界で知られている鉱物は約4600種類。
日本では世界の鉱物の約4分の1に相当する約1220種類が見つかっている。
新鉱物の名前は、人や地名などに基づき命名されるが、発見者の名前はつけないのが慣例になっている。
《店主は思う》
地球の歴史は、「鉱物」に見つける事が出来る。
つまり、地球の「石」は、また、地球の「意思」なのだ。
私の小学生時代(55年前)は、「切手」と「硬貨(コイン)」の収集が大変盛んだった。
でも、今は、電子マネーの普及でこんなにも硬貨離れになっていたとは気付かなかった。
そして、1円玉「硬貨」が、収集家の世界で「高価」になってしまうのか。
【朝日新聞】2012年2月18日(土)朝刊
普段使う流通用の「1円玉」の製造枚数が2011年は43年ぶりに「ゼロ」だったことがわかった。
電子マネーの普及で小銭を使うことが少なくなっているようだ。
財務省や造幣局によると、2011年は45万6千枚の1円玉を作ったが、すべて記念品として販売する「貨幣セット」
向けだった。
流通用の1円玉を作らなかったのは、1968年以来だという。
貨幣の製造枚数は、財務省が流適量を踏まえて増やしたり減らしたりしている2011年は銀行に十分な量の1円玉が
確保されていることなどから、新たに作らなかった。
1円玉の製造枚数のピークは1990年の27億7千万枚。
1989年に消費税3%が導入され、1円玉が多く必要になった。
最近は「スイカ」などの電子マネーが普及して小銭を使わない人も増え、2007年以降は製造枚数は大幅に減っている。
5円玉と50円玉は2010年から2年続けて流通用には作られていない。
《店主は思う》
時代が変わると経済が変わる。そして、貨幣が変わる。まさに、「硬貨(コイン)」は生き物なのだ。
銀座「佐人」の人気甘味のひとつが「ぜんざい」です。
懐かしい、大阪ミナミの法善寺横丁と言えば名店「夫婦善哉」なのだ。
<春秋>【日経新聞】2012年2月18日(土)朝刊
ぐうたらでふわふわと腰の据わらぬ男にとって、港のような女性がいる。
寅さんのおばちゃんを演じた三崎千恵子さんにはそんな役がぴたりはまった。
13日に90歳で死去した三崎さんに続いて、16日には淡島千景さん87歳の訃報である。
淡島さんの港は荒れ模様だった。
代表作のひとつは森繁久弥さんと共演した昭和30年の「夫婦善哉(めおとぜんざい)」だろう。
映画には、男の尻をたたくはその手に噛みつくは、折檻(せっかん)という古風な言葉が似合う場面がふんだんにあった。
そして泣いたりわめいたり。それでも男は女のもとで憩い、女は男を守り続けてやまない―。
宝塚歌劇団から映画の世界に転じたのが昭和25年。
淡島さんはあのころの空気にふさわしい、奔放で少しばかりバタ臭い明るさ、若々しさを持っていた。
セパレーツの水着姿が話題になり、これももはや古風だが、「アプレ娘」とか「コメディエンヌ」とか、時を形容する言葉
の数々が今に伝わっている。
むろん、半世紀を超えるその後の女優生活では穏やかな港にもなり、それどころかどんな役もこなした。
彼女の原点だろう一言を、評論家の川本三郎さんがインタビューで引き出している。
「あたくしも戦争をくぐっていますから」。
そう、戦争をくぐった2人のなじみ深い女優を、今週私たちは喪(うしな)った。
《店主は思う》
我が家にも、妻(知子)の「港」がある。そう、穏やかな港なのだ。
夫婦人生の嵐を乗り越えられたのも港のお陰です。感謝。
四季折々の風物を映した美しい和菓子。
日本が誇る繊細な食文化の極致には、見事なかたち(意匠)と情感あふれる名称(菓銘)が織り込まれている。
平安のみやびに材をとり、江戸期に花開き、現代に連綿と受け継がれる菓子は、日本人の美意識の源流をさかのぼる、
ちいさく、はかない「タイムマシーン」なのである。
中山圭子(和菓子研究家)【シグネチャー3月号】March 2012 Number 549
『平安王朝の美や活気ある元禄文化など過去と現代を結びつけ、日本人の美意識を追体験させる、
それが和菓子のすばらしさなのです。』
江戸時代から伝わる菓銘の中には、時代の変化とともに、使われなくなったものもあるそうだ。
「菓銘には古典文学にちなんだ名所を表したものも多いのですが、環境の変化で本来の意味が伝わらなくなったものも
あります。菓銘を通して、土地のいわれを知ることもできるのです」
そしてこの菓銘こそが、洋菓子との大きな違いでもあると中山さんは語る。
「洋菓子の場合、マカロンはどこでもマカロンですが、和菓子は似たものであっても、個々に菓銘が違います。
『薄氷』を『うすらい』と読ませるなど、言葉の響きもとても美しい。
新幹線にまで『ひかり』や『のぞみ』と名づけるなど、物に名前をつけて愛着を持つ日本人の特質を感じますね,
そして、かたち、色、銘(音)から景色や季節の移り変わりを連想させるという遊び心が、和菓子にあると思います。
『立田川』の菓銘から、『古今和歌集』の<竜田川紅葉乱れて……>と奈良の紅葉の名所を想像したり。
他にも『源氏物語』など、日本の古典文学にも結びついている。
花鳥風月にちなむ和菓子が広まるのは、砂糖の流通量が増えた江戸時代半ばですが、その根底には平安王朝の美があり、
それを教養として楽しむ人々の存在があるわけです。
そういう意味では、過去と現在を結びつけてくれる。まさしく日本人の美意識を追体験させてくれるものが、和菓子だと
言えるのではないでしょうか」
和洋折衷の菓子が増える中、「本質ともいえる伝統的な和菓子の魅力を伝えていきたい」と中山さん。
美しく、甘くおいしい和菓子。
味わった瞬間はかなく消えていくちいさな世界には、日本人の創意工夫と美意識が息づいている。
《店主は思う》
「和菓子」は、日本人の美意識の極致の姿なのだ。
私が、大好きな「鰻」。嗚呼、庶民の味が遠く行ってしまうのか。
<春秋>【日経新聞】2012年2月16日(木)朝刊
自然に鍛えられた野性味には欠けるが、たくさんとれて何より安い。養残物にまつわるイメージはこんなところだろう。
このイメージ、もちろんウナギも同じだが、ことしは養殖のもとになる稚魚のシラスが不漁で高騰しているという。
養鰻業者向けの価格は1`230万〜240万円で去年の2倍以上。かば焼きなどの値も上がり始めている。
もはや、たくさんでもなく安くもないのか。まだまだ夏は先なのに心配になるのも、養殖といいながらシラスはすべて天然物に頼ると
いう事情からだ。ならば卵から育てれば、などとは簡単に言うなかれ。
ウナギは謎多き魚である。
太古から探し続けた天然ウナギの卵を、グァムに近い太平洋で人類が初めて目にしたのは3年前でしかない。
泳ぐこと数千`、日本のウナギは大海原の中の東京都千代田区ほどの一画でだけ産卵する。
孵化後は海流を乗り継いで列島に戻り着く。その仕組みはまだ分からぬことばかりだ。
養殖した親ウナギの卵を採って育てる研究も進むが、毎年の養鰻に要るシラスは億匹単位だというのに、人エシラスは
千匹ほどしかつくれないそうだ。減り続ける天然シラスとの競走はしばらく勝負になりそうもない。
養殖ウナギとは長旅に鍛えられた半天然物なり。あらためてそう肝に銘じるしかない。
《店主は思う》
天然とは「有限」である事を人間は忘れたのか。
私の大好きな泉 武夫さん。「食べる事は、実は生きる事」をいつも教えられる。
泉 武夫(発酵学者・文筆家)<食あれば楽あり>【日経新聞】2012年2月14日(火)夕刊
我が輩が子供のころには、「貧乏飯」という呼び方の簡単飯があって、終戦直後の淡い思い出として残っている。
飯に醤油を掛けて混ぜたものを「醤油飯」、味噌を塗り付けたものは「味噌飯」、ソースを掛けてかき混ぜたものを
「ソース飯」、味噌汁をぶっ掛けたものは「汁掛け飯」などと言って、大いに食べられていたのである。
この「貧乏飯」の中に、「人造バタ飯」というのがあって、これは微かに西洋風の趣があるというので流行したことが
あった。
バターが無かった時代、人造バターと称されたのがマーガリンで、これを熱い飯の上にのせて溶かし、その上から
醤油を掛けたものであった。
飯の耽美な甘さとマーガリンの濃厚なコクが醤油のうま塩っぱさと一体となり、夢のような味がした。
子供のころの感激が忘れられず、今も貧乏飯をときどき食べているが、とりわけ好きだった「人造バタ飯」に思い出が
深かったので、これをつくって食べることが一番多い。
今はバターが手に入りやすいので「バター飯」にしているが、昔ながらの懐かしい美昧しさが楽しめて、とても嬉しい食事
である。
最もシンプルな「バター飯」は、炊き立ての熱いご飯を茶わんに盛り、そこにサイコロ状に切り分けたバターを幾つか
のせ、少しかき混ぜるとバターはすっかりと溶けるので、その上から醤油を掛け、再びかき混ぜて食べるものである。
これは、いつも飯を食べている日本人なら一度は食べてみたことがあるかも知れないが、いつ食べても心が洗われるほど
美味しいものである。
そして最近我が輩は、このバター飯をどんどんと進化させて、「貧乏飯」どころか「大尽飯」をつくり、賞味している。
つい最近食べたのは「めんたいこと海苔のバター飯」というもので、これは、つくり方があまりにも簡単過ぎる上に、
美味しさこの上ないので、ぜひ食べてみて欲しい。
熱いご飯の上にバターをのせ、よく溶けたらかき混ぜ、その上から福岡博多の名物辛しめんたいこを好みの量のせ、
さらにかき混ぜ、その上にもみ海苔をしていただくのである。
それを先ずひと□食べると、瞬時に鼻から西洋っぽいバターの香りと海苔の快香とが抜けてきて、□の中では真っ先に
バターのコクが広がり、次にめんたいこのぬめっとしたうま塩っぱい中から、強いうま味と辛味とがトロトロと出てきて、
それを噛んで行くと今度は、飯から優雅なうま味と耽美な甘みとが湧き出してくる。
それをバターの濃厚でクリーミーなコクがぐっと押し上げてくるものだから堪りませぬ。
ああ、うまいわ、辛いわ、コクがあるわ、もう堪らないわ、ということになって、ご飯茶わんに3杯ものバター飯は、
あっという間に胃袋に素っ飛んで入って行ってしまう。
《店主は思う》
私のお薦めは「マヨネーズ飯」だ。「お米」の文化の日本に生れてよかった。
私自身、「学問」についていつも悩んだ。でも、それが「意思決定」の源と知り、悩みは消えた。
川村 隆(日立製作所会長)<あすへの話題>【日経新聞】2012年2月13日(月)夕刊
映画「男はつらいよ」の中で、印象に残る場面は多いが、その一つは「学問は何のためにするのか?」のところである。
ざっとこんな話だ。渥美清演ずるフーテンの寅さんが、甥の満男に聞く。
「お前は大学に行こうとしている。何をするために大学まで行くのか?」。満男は答えられない。寅さんは諭す。
「あのなあ、道が二股に分かれていて、どちらが正しい道かわからない、そんな時自分の頭で考えて、こちらに行くべき、
と自分で決められるように、大学で学ぶのだ」
寅さんは自分で意思決定ができ、人生の方向付けができる人間になることの大切さを知っていた。
寅さん自身は、二股道に来るとエンピツを倒して行く先を決める「風まかせ人間」であったにもかかわらず、だ。
人は誰も、自分の人生の中で何回も、二股やそれ以上の分かれ道を経由して今日まで来ている。
あの時、あちらの道を選んでいたら、今頃自分の人生は変わっていただろうな、と考えたことのある人は多いはず。
人生はやり直せないし、車の運転用ナビのごときものも無い。
純粋学問の効用については、宇宙物理の村山斉さんの解説に感心している。
学問は人類を豊かにするという豊饒化理論である。
人類は、ガリレオ以降、地動説の方が正しいとも知ったが、自分達の日常生活には何の影響も無いとも思った。
実際は自分達が宇宙の中心ではないとの意識が浸透し出すと、大きなところでの自身の捉え方や人生観が変わってきた。
これは人類にとって豊かさが増えたことであり、人は何のために学問をするかの答えなのだ、というもの。
学者は、自分の好きなことに熱中し、結果として人類を豊かにするという、一番本質的な幸せ人間なのだろう。
《店主は思う》
人間は、自分の好きなことに「熱中」出来るものを探す為に生れて来たのだ。
私の少年時代は、「猫」の寿命は7〜8歳だった思う。
銀座「佐人」のお客さんも猫好きが大変多いです。最近、23歳まで生きた話しを聞いた。
太田光代(プロダクション社長)<オトナになった 女子たちヘ>【朝日新聞】2012年2月12日(日)朝刊
娘が二十歳になった。我が家の玄関先に可哀想に放置されていたのを発見し、以来、我が子として育てている。
まだ目も明いていなかった娘は、20年間を一緒に過ごし、今年立派に成人式を迎えたのだ。母親としては感無量である。
愛娘は猫である。人間ではない。
猫を育てたことが無かった私は、子猫をどうしたらよいのか分からなかった。
体中に蚤が寄生していたので、まず風呂に入れシャンプーし、ピンセットで出来るだけの蚤をつまんで、テープに貼り付け
退治した。おなかをすかせているはずと、鯵の干物を焼いて口に運んであげた。
必死で食べようとしていたが、上手く食べられない様子だった。動物病院に拾った子猫を連れて行くと先生に少々お叱りを
受けた。
猫は本能的に水を嫌うから、小さ過ぎる子猫を風呂に入れてはいけない。目も明いていないほどだから、歯も生えていない。
固形物を食べることは出来ないため、主食は猫用ミルクという説明だった。そしてO歳猫用ミルクと、ママゴトに使うよう
な哺乳瓶を持だされ、回虫駆除の下剤を受け取り、子猫を連れて家に帰った。
さて、どうしたものか。私は昔から鳥好きで、当時もオカメインコを育てていた。
猫が子供のうちは大丈夫かと思ったが、子猫が大人になって、ヨダレを垂らしながら私の愛鳥を見つめる姿を想像したら
ゾッとした。そこで猫をこよなく愛する男の顔が脳裏に浮かんだ。
男は籐龍でスヤスヤ眠る子猫を見るなり顔がゆるんで、「あら、どうちたの?」と語りかけた。
接し方がチョッと怖かったが、猫が大人になったら引きとる約束をしてくれた。その後の子育ては大変だったが楽しかった。
数時間おきにミルクを飲ませ、蚤取り作業をし、イケないと言われた風呂にも一緒に入ったら、風呂好きの猫に育った。
相談したのに悪いと思ったが、猫好きの男の所に行かせるのをやめて娘として育てる決心をした。
そして立派に成人してくれた。親孝行の愛娘である。
《店主は思う》
「猫」の社会も高齢化を迎えたのだ。ペット社会も人間と同じ問題を抱える時代になった。
私がいつも心の指針にしている、「今週の名言」です。
<今週の名言>【日経ビジネス】2012.2.13
●「規模が大きい会社よりも、意思がきちっと伝わる会社の方が強い」
加藤修一(ケーズホールディングス会長兼CEO)
●「正確な情報を得るため、社内の会議や情報交換ではできるだけ『固有名詞』を使って確認する」
佐藤邦彦(リコージャパン社長兼CEO)
●「震災前は、効率化と顧客満足度の向上は両立できないと思っていた。非常事態に取り組んで、両立可能だと知った」
福島範治(鹿沼グループ社長)
●「いくら戦術が優れていても、それを実行できる選手が揃わなければ勝てない」
水野彌一(京都大学アメリカンフットボール部前監督)
●「『メード・イン・ジャパン』の良さを実践で伝えていかないと、日本経済はますますおかしくなってしまう」
向谷 実(ミュージシャン・音楽館社長)
《店主は思う》
「固有名詞」を使って確認する。これは、具体性を持った「情報の要」だ。
今日、2月11日(土)は「建国記念の日」です。そして、「3・11東日本大震災」から11ヵ月が経ちました。
さて、今日は銀座「佐人」をご贔屓にして頂いている小西千鶴さんのエッセイをご紹介したいと思います。
小西千鶴(伝統文化研究家)<日本女性のこころを映す「雛まつり」>【和樂】2012年3月号
(ろう)たけたお内裏さまが華やかに匂い立つ雛まつり[上巳(じょうし)の祓(はらえ)]は、雛の膳を供え、
女の子が優しく無事に成育することを祈る節日の行事。
人日(じんじつ)、上巳、端午、七夕、重陽(ちょうよう)の「五節句」の中でも、最も典雅な儀式です。
起源は中国周代のころ。
三月、上の巳日(みのひ)に水辺で厄を落とす川禊(かわみそぎ)を行ったことが始まりといわれています。
この川禊が後に日本へ伝わり、平安時代には、貴族が邸庭の水辺に盃を浮かべて詩歌を詠み、宴を楽しんだとか。
『源氏物語』にも、紙の人形[形代(かたしろ)]を川に流す、形代流しの祓の神事を行った、とあります。
この宴と、貴族の姫君が人形の御殿をつくり、紙人形に衣装を着せて調度品を飾った「お人形ごっこ」が混ざり合って、
今日の「雛まつり」に至ったようです。
清少納言の『枕草子』には、「過ぎにし方恋しきもの(中略)雛の調度」と記してあり、雛あそびへの想いが伝わって
きます。
江戸期になると、御所の生活への憧れが加わり、紫宸殿(ししんでん)の左近の桜、右近の橘を写した、豪華な御殿飾り
が見られるように。
雛まつりは古くから、日本人女性の、小さなものを尊び、愛で、美の感性を育む精神に寄り添ってきたのです。
●小西千鶴(こにし ちづる)
随筆家、日本画家。香道、能楽などにも造詣が深い。
著書に「昭和天皇のお食事」「知っておきたい和菓子のはなし」(ともに旭屋出版)など。
《店主は思う》
日本女性のこころを映す「雛まつり」。世界一の「雅」な日本女性。そのことを日本男性は解っていますか。
ギリシャ政府は9日、緊縮策を受け入れることで合意。デフォルト(債務不履行)の回避に向け大きく前進する。
私は、このニュースを聞き安心した。でも、今後「EU」はどうなって行くのか不安だ。
<春秋>【日経新聞】2012年2月10日(金)朝刊
明治初めの西南戦争。国内最後の内戦は、薩摩軍を率いた西郷隆盛の自決で幕を閉じたが、新たな闘いが続いた。
凱旋した政府軍兵士にまん延したコレラだ。猛威をふるう疫病。その闘いの中に、ひとりの若い医師がいた。後藤新平だ。
後に大物政治家として知られる後藤は、若いころに西洋医学を学んだ。西南戦争ではコレラとの闘いで地獄をみた。
その体験から、なにより予防を重んじ、病が起きたら迅速な対処が大切として「健康警察医官」の創設まで提言した。
日清戦争では疫病のまん延を防ごうと、帰還兵への大がかりな検疫に奮闘した。
恐らく、こんな経験が行動を促したのだろう。
関東大震災の直後、内相の後藤は東京大改造構想を唱え、わずか1ヵ月弱で帝都復興院を立ち上げた。自ら総裁になった。
「計画が一日遅れれば、実行は百日遅れる」との焦り。
そして「後世の子孫に再び同一の惨禍に遭遇させる危険」を防ごうという思いがあった。
東日本大震災から11ヵ月。復興庁がきょう発足する。
帝都復興院と比べてあまりに遅かったが、より重要なのは子孫のため、どんな実績を残すかだ。
後藤の壮大な構想は財政不足や内閣総辞職でとんざしたものの、都内には昭和通りなど主要幹線、避難場所となる
隅田公園など、その片りんはいまも残る。
《店主は思う》
後藤新平は、コレラとの闘いで「地獄」をみた。だから、「地獄」をみた政治家の信念は強い。
今こそ、後藤新平の敏速な行動を学ぶべきだ。
雪の結晶、蜂の巣、鉛筆の形や装飾文様。
身の回りの意外な所で六角形のデザインが見つかる。美しいその造形のひとつひとつが神秘性を持つ。
柳下朋子<アートレビュー>【日経新聞】2011年2月9日(木)朝刊
「青い鳥」の作家メーテルリンクは仏ニースで「蜜蜂荘」と名付けた家に暮らし蜜蜂を観察した。
「人の手によるどんな建物にも例えられない幾何学的建築物」とたたえた巣房は、正六角形の小部屋の連なりだ。
女王蜂は六角形の大小によって雌雄を産み分ける。しかし、なぜこの形なのか。
《空間、効率的に埋める》
物理学が専門の牟田淳・東京工芸大学准教授は「自然の形には理由がある」という。
空間を隙間なく埋められる正三角形や正方形と比べて、正六角形は同じ大きさの円の中で最大の面積がとれ、壁を作る
材料が少なくて済む。蜂の巣構造は力を分散しやすく軽量で強度かあり、航空機などにも生かされている。
数千から数万匹の集団が暮らすには理想的な形なのだ。
余白を生まない連続模様として、様々な装飾にも登場する。
「美しく見えるのはシンメトリー(対称性)の効果」と牟田准教授。
「正六角形は左右対称であり、回転すると同じ形に戻るといろ美も兼ね備えている」
日本に伝わる亀甲文は亀の甲羅に見立てた長寿の象徴だ。平安時代には、亀甲つなぎ文が公家階級の調度品に使われた。
古くは霊力を持つ文様とも信じられていたという。
偶像崇拝を禁じるイスラム美術の幾何学文様でも六角形が使われる。
東京ジャーミイ・トルコ文化センター(東京都渋谷区)は伝統的なオスマントルコ様式のイスラム建築。
美しい装飾の中にいくつも六角形が潜む。6つの半ドームに囲まれた礼拝堂の天蓋を仰ぐと、さらに大きな六角形が現れた。
《神の完全なる世界》
桝屋友子・東京大学東洋文化研究所教授は「9世紀以降、数学が発展したイスラム地域では綿密な計算を基に複雑な
抽象文を作った」と話す。六角形は「コンパスから生み出された基本の文様の一つ」。
無限に続く装飾は、神の完全なる世界を暗示しているともとれる。
日本の建築物では東日本大震災の津波により土台を残して流失した五浦六角堂(茨城県北茨城市)が記憶に生々しい。
日本近代美術の発展に寄与した岡倉天心の、私的なめい想の場だった。
海に臨んだ六角の空間で、天心はどんな形の芸術を構想したのだろう。
ひとひらの六花に導かれ、想像は分子構造から天上の世界にまで広がっていく。
《店主は思う》
「六角形」の物を見ると、何故か「安心感」を持つ。これこそ「宇宙の神」が与えた「形」なのだ。
私の人生観を変えた書籍のひとつが遠藤周作の「沈黙」だ。
<春秋>【日経新聞】2011年2月8日(水)朝刊
作家自らタイトルを「日向の匂い」と決め、広告も打った。が、編集者には迫力がないと思われてならない。
考えに考えたのだろう。ぎりぎりになって作家に書名を変えたいと申し入れる。
その結果、遠藤周作の代表作は「沈黙」として世に出ることになった。
なるほど、迫力の差は瞭然だ。裏には作家と編集者、2人の当事者のピリピリした真剣勝負まで垣問見える。
言葉一つを生み落とす厳しさといえばいいか。しかし、世は厳しさとは無縁の言葉があふれている。
そう思い知らされたのが、内開府が作った自殺対策強化月間の標語「あなたもGKB47宣言!」である。
小欄も先日取り上げたこの標語、さすがに使われぬことになった。
3月の月間に向けもうポスターもできている、と渋る声もあったが、国会で与党議員に追及され「過ちて改むるに
はばかることなかれだ」と野田佳彦首相は言った。ボツになったのだから、意味を繰り返すのは無用だろう。
それにしても、自殺対策とアイドル集団AKB48という水と油の語呂合わせはなぜ生まれたか。
なぜ役所のトップはゴーサインを出したのか。考えてみる価値はあろう。こんな答えを思いつく。
しょせんひとごと、当事者でもなければ当事者への想像力も持たない人たちだから。反論があれば聞きたい。
《店主は思う》
私は、製薬会社の営業時代を思い出した。それは上司の言葉、「稟議書は『表題』で決まる」です。
私が、尊敬する建築家の安藤忠雄さん。だから、彼の発言には常に注目している。
安藤忠雄(建築家)<「心の鎖国」を解こう>【PHP】2012年3月号 通巻766号
《戦後、日本が歩きだせた理由》
1945年敗戦の後、日本は東京、大阪、名古屋などのほとんどの主要都市が廃墟となった状態から立ち上がり、
1960年代末には世界第2位の経済大国に昇りつめるなど、プラザ合意(1985年)に至るまでは絶好調でした。
狭い国土には資源もなく、エレルギーもなく、食糧もない。
まさに人間の力だけを頼りに歩いてきて成功した国は、ほかに例がありません。
日本人がこれほど力強く前進できたのは、終戦当時、向学心と好奇心と闘争心にあふれる「責任ある自立した個人」が
まだいたからです。
彼らは、国が強い方針を立てられなかった占領下で、国をあてにせず、自分の目標を自分で立て、自らの責任の下に
歩きだします。
大人たちは地域社会で助け合いながらよく働き、子供たちは大人の言うことをよく聞きながら、目標を自分で設定して
勉強をしてきたのです。
ところが、冷戦構造の終結やバブル崩壊以降、日本は長い低迷を続け、いっこうに立ち上がることも、歩きだすことも
できないでいます。
リーマンショック後に私は、中国や韓国、台湾、ベトナムなどアジアヘ戦いの場(仕事の場)を広げていったのですが、
それらの国々の人たちは異口同音に言います。
「日本はどうしたのか。以前の元気が失われている」と。
その理由は、戦後の建て直しをしたような責任ある個人がいなくなったからではないか、と私は思っています。
なぜなら、いざ歩きだすためには、判断力を持った自立した個人がいないと難しいからです。
そして、そういう人間を育てるのに大事なことは、いうまでもなく教育です。
《日本人はもっと誇りを持とう》
フランスの元駐日大使で詩人のポール・クローデルは、同じ詩人で親友のポール・ヴァレリーに、
「世界中でこの民族だけは滅びて欲しくないと願う民族がある。それは日本人だ」と言ったそうです。
彼だけではありません。明治時代に日本へ来た多くの外国人は、
「日本は素晴らしい国だ。貧しいが高貴で、家族を中心に地域社会や自然を大切にして生きている」と賞賛しました。
日本人はもっと自信と誇りを持ってよいでしょう。
《店主は思う》
「滅びて欲しくないと願う民族」と言われる「日本人」は、いったい何処に行ったのか。
私は、「チョコレート」がほろ苦い本当の理由を以前から知っている。
それは、カカオ豆の生産は、過酷な「児童労働」で成り立っている現実です。
築島稔・後藤綾里(取材)【朝日新聞グローブ゙】通巻80号2012年2月5日発行
甘く、ほろ苦いチョコレート。その複雑で奥深い味わいは、カカオ豆が長い道のりをたどることで醸し出される。
最近、新興国でチョコを食べる人が増えつつある一方、先進国は環境や人権に配慮するよう求める声が声が強まっている。
バレンタインデーを前にチョコの「いま」を見た。
《『ガーナ』こどもたちを学校に通わせたい。変わるカカオ農業》
ガーナのカカオ豆の年生産量は約100万トンで、西隣のコートジボワール(約150万トン)に次いで世界2位。
金とならぶ主な輸出品で、輸出総額の約4分の1を占める。日本が輸入するカカオ豆の8割はガーナ産だ。
ガーナのカカオ産業は、政府のカカオ評議委員会が栽培から輸出まで管理する。
英植民地時代に前身ができ、1957年の独立後も、買い付け価格を決め、仲買業者を許可する強い権限をもつ。
評議委の傘下にあるカカオ研究所は70年代からカカオの品種改良を進め、病害虫に強く、より短期間で実をつける
改良種をつくってきた。これが広がれば生産性が上がり、新興国の需要増にも対応できると期待されている。
ガーナのカカオ農園で見たのは、手を使う作業ばかりだった。収穫や発酵、乾燥の機械化は難しい。
いきおい人手が足りなくなり、子どもを学校に通わせずに働かせたり、危険な作業を強制したりする「児童労働」に
つながりやすい。問題をなくそうと、NGOや政府の啓発が広がりつつある。
ガーナ第2の都市クマシから車で3時間。 700人ほどが住むタワベナ・アクワ村を訪ねた。
日本のNGO「ACE」が活動している村だ。
村で出会った少年ゴッドフレッド(16)は、父親の死後、9歳のころから小学校に通わず、祖父(60)の農園で朝から晩まで
働いた。収穫期には20キロのカカオ豆が入ったかごを頭に乗せ、徒歩1時間半の道のりを1日に3往復した。
首や腰がいつも痛かった。
「学校に行けないのは悲しかったが、働かないとお金がないし、お金がなければ学校に行けないと思っていた」
祖父も幼いころから農園で働き、小学校を出ていない。「学校に行くより自分の親を手伝うのが当然だった」という。
だから、孫を小学校にやらず、自分の農園で働かせることに何の疑問も感じていなかった。
幸い、ゴッドフレッドは2009年、13歳の時に学校に戻ることができた。
ACEや地元NGOの説得で祖父が考えを改めたのだ。いま、中学3年生。高校受験に備えて勉強する毎日だ。
ガーナは、政情が不安定なコートジボワールより取り組みが進んでいるといわれる。
ただ、全土で事情がよくなっているわけではない。
クワベナ・アクワ村が属する郡でも、啓発活動ができたのは517地区のうち15だけだ。
政府の担当者は「農村では子どもは働くべきだという考え方が根強い。啓発活動の予算が足りない」と打ち明ける。
取り組みはー朝一夕には進まない。
《店主は思う》
「バレンタインデーのチョコ」に浮かれている日本人。
そのチョコがアフリカの「児童労働」の涙の汗水で成り立っている事を知って欲しい。
私はいつも思っている事のひとつが、季節、季節の行事に「先人の知恵」が詰まっている事だ。
茂山千三郎(狂言師)<あすへの話題>【日経新聞】2012年2月4日(土)夕刊
福は内へ福は内へ。狂言「福の神」の一節である。
毎年福の神の神前で新年を迎える者がこの年も連れを伴い参詣し豆を撒く。
子供の頃にこの曲の稽古をしてもらったが、どうも納得がいかない。なぜ初詣で豆微きなん?
ここ微妙な話ですが、元々は大晦日に宮中で行われていた追儺(ついな)、鬼を追い払うための儀式であったのが、
節分が立春の前日で、旧暦の正月に近いため大晦日の行事と混同され、この狂言でも大晦日の行事として登場する。
ところで各地各家によって豆撒きの風習や習わしは様々だが、茂山家の豆撒きも余り例を見ない珍しい豆撒きであった。
豆を撒く者が番卒を伴い、狂言に使用する肩衣を着ける。
昔はきちんと衣装を着て豆撒きをしていたのだろうが、僕が撒かせてもらった時代には、洋服に肩衣だけを着ける略式に
なっていた。
先に表に出て玄関から家の中に向かい「福は内へ福は内へ」。
続けて扇を半開きに持った番卒が「ごもっとも、ごもっとも」と扇を縦に振る。
続いて家の中から外に向かって「鬼は外!」、間髪入れずに扉を閉め「ごもっとも、ごもっとも」。
早く閉めないと鬼が入るのである。このごもっとも君、一人では鬼に物言えぬ京の男の押しの弱さが見えて実に面白い。
節分の夜に蓬莱の島から鬼がやって来て、美しい人妻に恋をし懸命に謡で□説く「節分」という狂言かおる。
極めて体力のいる曲であり、かわいさも、もののけの様も必要となる。
様々な形で人間の世界に恐怖をもたらす鬼だが、邪気を払うという意味から考えれば、頭痛と関節の痛みに耐えつつ
この原稿を書く僕には、邪気とはインフルエンザのことではないかと思うのだ。
《店主は思う》
流石、狂言師の茂山家です。「ごもっとも、ごもっとも」を我が家でも実行しよう。
今日、2月4日(土)は「立春」です。春はすでに来ているのだ。
さて、一週間の「心の目標」にするが「今週の名言」です。心に刻むぞ。
<今週の名言>【日経ビジネス】2012.2.6
●「企業の社員は先輩の背中を見て仕事を覚えていきます。しかし、これでは『見た背中』を超えることはできません」
冨潭龍一(三菱ケミカルホールディングス会長)
●「異常なことをやらなくては、特長など生まれません」
伊藤雅俊(味の素社長)
●「絶不調の時に築いた人間関係や企業関係がその後を決定づける」
飯塚哲哉(ザインエレクトロニクス社長)
●「改革は祖織の血肉になり、無意識に動くようなところまでいかないとダメです」
湯崎英彦(広島県知事)
●「うちの伝統的な強みが横糸だとすれば、社外から来た役員たちが断行する組織改革や海外戦略は縦糸だ」
黒田章裕(コクヨ社長)
《店主は思う》
「仕事の真理」を得るには、あいつは「気が狂った」のか言われる程の期間を経験することだ。
今日、2月3日(金)は「節分」です。でも、今の外気温は氷点下1.4度です。寒い、寒い。
さて、「節分のお豆」を65粒食べて、「鬼は外、福は内」だ。
和田昭允(東京大学名誉教授)<あすへの話題>【日経新聞】2012年2月2日(木)夕刊
知識と智恵は違う。それぞれ情報と能力だ。
この2つを共演させる妙味を覚えると、勉強、仕事、そして毎日が楽しくなる。
知識は書物の文字面、授業、会話などからの情報で、それをそのまま頭脳に貯め込むだけの人は「能(力)無し」である。
智恵は自分の頭で生むものだ。どんなに素晴らしい智恵も、読んだり聴いたりしたものは単なる知識に過ぎない。
その知識たちを脳の整理棚から選びだし編成して「問題解決のオーケストラ演奏」を指揮するのが智恵だ。
知識は有限だが、智恵は考えを無限に発展させ、新天地を開く。
誰もが知っている知識(言葉)を綴って「古池や……」の句にしたのは、万人が及びもつかない松尾芭蕉の智恵だ。
知識がなければ、湧く智恵は動物本能だけだ。
でも、いくら知識があっても智恵が指揮しないと烏合の衆だから何も生まれない、何も出来ない。
教育は相手を「知識獲得」と「智恵発揮」に夢中にさせれば成功である。
僅かな知識でも智恵を出して纏(まと)めると、自分ダケの知識になって使える。それが面白くて、もっと知識が欲しくなる。
さらに智恵を湧かせたくなる……の循環過程(サイクル)で「智の発展のラセン階段」を楽しく駆け上がらせるのだ。
「智恵のない話」を「ある話」にするには、上手下手はさておき前述の作句がヒントになる。簡単なことである。
まず「知識それぞれの意味・性格」と「知識たちの結び付きの相性」をよく感得する。
後は最良のグループ編成に向けて試行錯誤(苦吟)し全体最適を図る。
ここで、知識を人と読み替えれば、よきリーダーになれる。出来映えは個人の才能による。
でも、習練と努力がものを言うのは俳句と同じだ。
《店主は思う》
人生とは、「知識」と言う団員を、「智恵」を操る指揮者と言う自分が奏でる音楽なのだ。
私も経験しています。それは「訂正」の難しさです。
真実がはっきりせずに、「訂正」を急ぎ要求される状況に苦労した。
<天声人語>【朝日新聞】2012年2月2日(木)朝刊
書いた記事の訂正は記者の痛恨事だが、さらなる不面目もある。掲載した訂正がまた間違っていた。
そんな事態が、極めてまれながら皆無ではない。恥の上塗りの「訂正の訂正」を出すはめになる。
ここから話は国政へ展開する。田中防衛相のことだ。
ダメ印を押された前任者に代わっての就任は、記事で言えば「訂正」だろう。
なのに負けず劣らずのお粗末ぶりは、呆れるよりも痛々しい。
就任時や沖縄での発言で不信を買い、国会答弁では面目をつぶし、前任者の轍を律義に踏む。
防衛の門外漢ながら小沢一郎氏に近く、党内融和の力学と年功で選ばれた面もある。適材適所の四文字が泣いている。
その大臣とともに鬼門と言うべきか、沖縄防衛局長も「訂正の訂正」が必要らしい。
前任者は普天間飛行場の移設手続きを性暴力に例えて更迭された。そして代わった人物が、また不祥事である。
今度は同飛行場のある宜野湾市長選への「介入疑惑」で、より悪質といえる。
詳述する余裕はないが、違法でなくても、投票誘導の企図は透けていよう。
部下の職員らを暗黙のうちに威圧し、モラルにもとる。
自らの資質にも疑問符のぶら下がる大臣だが、ここは局長を更迭するほかはない。
「歴史は繰り返す」という。それに「一度目は悲劇として、二度目は笑劇として」と付け加えたのはマルクスだった。
歴史と言うにはちっぽけすぎるが、大臣と部下の入れ子人形のような繰り返しに、笑う気も起きない。
任命責任は、さて誰が取る。
《店主は思う》
「歴史は繰り返す」の言葉の重みを、今こそ、我々は噛みしめるべきだ。
さあ、今日から2月だ。今年の1月の一ヶ月は何故か、早く感じた。
さて、伝統の国「英国」が紅茶からコーヒーに嗜好品が変わる。時代は変化し流れる。
守屋光嗣<世界の話題>【日経新聞】2012年1月31日(火)夕刊
英国でコーヒーの売り上げが急増している。
売上高が2011年に21億㍀(約2500億円)と、2005年の2倍に増えたと食品関連の業界団体が発表した。
英国を象徴する飲み物として真っ先に名前があがるものの一つが紅茶だろうし、実際、紅茶を飲む習慣が廃れる
気配はない。しかし、その一方で英国のコーヒーの消費量も劇的に伸びている。
中でも突出しているのが首都ロンドン。コーヒーが主体のカフェチェーンの店舗数だけで1500店以上。
ロンドンで働き、暮らしている人のうち、3人に1人はほぼ毎日コーヒー専門店に立ち寄るとの統計がある。
ロンドンに限れば、コーヒーを飲むことはすでに日常の一部になっているといっても過言ではないだろう。
コーヒーが日常の暮らしに浸透するに従い、ロンドンでは新しい傾向が出ている。
夕刊紙イブニング・スタンダードによると、ロンドン市内では2011年に大手チェーンが56店を開店し、チェーン
に属さない独立系のコ−ヒー専門店も新たに35店増えた。独立系もチェーン店に対抗しているのだ。
同紙によると、独立系のコーヒー専門店の特色は欧州の人が好む風味を重視しているとのこと。
中には、コーヒーをいれる専門家養成コースを運営し始めたコーヒー専門店もあるそうだ。
伝統だけではない、新しい食文化か英国に根付きつつあることをコーヒー人気が示している。
《店主は思う》
「日本茶」の専門喫茶店の銀座「佐人」としては、大変興味ある話題である。
時代が、その国に合った「飲み物」を選ぶのだ。さて、「日本茶」はどうなるのか。
私は、知らなかった。「鍋料理」が日本人の定番となってから200年程度しかたっていない事を。
【アーバンライフ・メトロ】2月号 2012.2 No.82
ふたを開いたら、ふんわり温かな湯気が立ち上り、食卓に笑顔が広がっていく。
お鍋を囲むとどうしてこんなに幸せな気分になれるのだろう。
大切な人、親しい仲間と囲めば、いつもより話も弾んでしまう。
鍋料理は今や、日本の食文化を代表するメニューだ。下記をご覧いただけば一目瞭然。
地域によってさまざまな素材、個性的な調理法でバラエティ豊かに親しまれている。
だが、その誕生は意外にも最近だ。鍋料理といえば、調理器具である鍋をそのまま食卓に出してしまうのが基本。
これは、ひとつの料理は一皿ごとに盛って出すという日本の伝統的食文化からするとまさにタブーだった。
それが、南蛮由来のしっぽく料理(大皿に数人分を盛る料理)の広がりに端を発し、1700年代から1800年代に
かけて馴染んでいき、様々な鍋料理が登場する一大ブームを作ったという。
できたてのあつあつをみんなで囲むというスタイルは、農村では囲炉裏を使った料理として定番だったものの、町屋で
は新しいものだった。
つまり、多くの人が日本の伝統食だと信じて疑わないこの料理が全国に広がり日本人の定番となってから、意外にも
200年程度しかたっていないのだ。
この頃、つまり江戸時代から親しまれているメニューとしては、どじょう鍋、あんこう鍋、すき焼きの原型である牛鍋
などがある。
鍋文化の発展により、店に行き大きめのものを数人で囲むスタイルから、少人数で小さめのものを囲むスタイル、
家庭の味としての鍋料理、地方ごとに違った味を楽しめる郷土料理としてのお鍋など、食べ方、味もさまざまなものと
なった。
東京に伝わる鍋料理に、小さく浅いデザインで具材が早く煮えやすいものがあるのは、せっかちな江戸っ子気質を反映
したところも十分にあるのではと思うと微笑ましい限りだ。
一方で、支度時間も短くてすみ、調理も簡単という意味で多くの主婦たちを助けてきたであろうこのジャンルが、
家庭料理として大発展を遂げてきたのも当然のこと。
毎年のように、流行の鍋が登場しては定番化し、家庭料理のレパートリーも増やしてくれる。
ここまで美味しさが増幅していくジャンルもそう多くないだろう。
手軽で美味しい食べ物として発展してきた鍋料理だが、今では「絆」を再認識させてくれる食事のひとつとしても注目
を集める。一緒に温かな湯気を囲む場所がある幸せ、ともに鍋をつつくことができる人がいる喜び。
具材とともに、人生の旨みをかみしめれば、心も体も温かになる。
今年、お鍋を囲んであなたが見つけるのは、どんな幸せだろうか。
《日本全国 鍋ものマップ》
【北海道】石狩鍋
【秋田県】きりたんぽ鍋
【岩手県】ぬっぺ汁
【山形県】いも煮鍋
【茨城県】あんこう
【東京都】すきやき・さくら鍋・どじよう鍋
【山梨県】ほうとう
【石川県】たらちり
【福井県】かにちり
【京都府】湯豆腐
【滋賀県】かも鍋
【広島県】かきの土手鍋
【山口県】ふぐちり
【香川県】源平汁
【福岡県】水炊き・もつ鍋
【熊本県】だご汁
《店主は思う》
私の家族は、「鍋料理」大好き人間です。「すきやき」の鍋奉行はもちろん私の役目です。
日本人は、世界からどう見られているのか。
欧米を舞台に活躍する国際弁護士であり、ユダヤ教徒でもある著者が、国際的な常識にはそぐわない、
日本人の特徴を指摘する。
【TOPPOINT】2月号 FEB.2012
「だから損する日本人」石角完爾(著) 阪急コミュニケーションズ 2011年12月7日発行
●ユダヤ人は『ヘブライ聖書』の基本精神に従い、ハウツーに頼らない。
欧米やイスラムでも、聖書、コラーンを基本に据える。だから、大事なところでプレない。
これに対し、日本人にはこの基本精神に当たるものがなく、事に当たる時はハウツー本に頼りがちである。
そのため、想定外の事態に弱い。
●日本人はすぐ諦めるが、欧米人は諦めない。
その根底には「神は私たちに諦めることを許さない」という聖書に基づく考え方がある。
だめかもしれないが、やるしかない。
彼らは、この加点主義の発想を子どもの頃から頭に刷り込まれ、社会に出る。
●ユダヤ人は、「他人と違う人間」になることを徹底的に教えられる。
一方、日本人は「皆がどうしているか」を気にし、「多数に合わせる」傾向がある。
こうした態度は、海外から見ると無責任に映り、国際社会では損をすることになる。
●日本人は、物事の二面性を見る習慣に欠けている。
善の裏側には必ず悪の側面もある、という観念がないため、裏表二面の駆け引きをする国際社会では騙されやすい。
●日本人は、政府に頼りすぎている。
ユダヤでは、暮らしの向上などは自分で何とかするのが基本である。
日本人も「自分たちの力で自分たちを向上させる」という強さを持つべきだ。
●領土問題において、日本が法的に正しいことを主張しても、世界の常識からすると、それは力を持たない。
軍事力が全てを決める国際社会においては、国の領土は、その場所を政府が実効支配しているか否かで決まる。
日本は論を述べるだけでなく、こうした国際的な常識に従って行動すべきである。
《店主は思う》
日本人の心の基本は「神道」です。そして、心の支えは「仏教」です。
さて、私は、世界の常識は「軍事力=経済力」である事は十分解っています。
でも、ユダヤ人の『ヘブライ聖書』がどうして、「世界平和」を解決出来ないのか。
私は、戦後の昭和21年(1946年)生れ。正に、日本の戦後復興と成長ともに生きた。
質素ながら、力強く生きて来た。工夫と努力で「生きる知恵」を学んだのだ。
<天声人語>【朝日新聞】2012年1月29日(日)朝刊
名選手の去り際はそれぞれに味がある。
世界のホームラン王は「王貞治としてのバッティングができなくなった」と目を潤ませた。
その年も30号には届いたが、ファンの落胆は誰より本人が知っていた。看板技の陰りは、選手生命さえ決する。
去年の貿易収支が31年ぶりの赤字と聞いて、一時代の終わりを思った。
原材料を買い、優れた製品にして稼ぐ。技術と品質で戦う輸出立国こそ日本の命脈なのに、お家芸が思うに任せない。
前回の赤字は王さん引退の年、第2次石油危機の後だった。エネルギーは鬼門だ。
去年は原発事故で火力用の燃料輸入が急増した。輸入原油が通過するホルムズ海峡の緊張で、価格の先高感も強い。
輸出はより厳しい。震災による生産減は去年限りでも、円高で工場が外に逃げる。
頼みの中国市場は不安定、韓国の猛追で商品競争力とて絶対ではない。
海外からの利子や配当で赤字が埋まらなければ、外国に借金するほかない。
「真っすぐが通用するうちに、次の変化球を覚えておけよ」。
西武のエースだった東尾修さんは、後輩の工藤公康投手にそう助言したという(『トップアスリート名語録』桑原晃弥著)。
直球とカーブ主体だった工藤さんは球種を増やし、30年近く現役を通した。
さて、輸出に代わるべき日本の「決め球」である。
円高に乗じて外国企業を買うのも一計だが、まずは空胴化を阻み、財政赤字を減らす守備固めを急ぎたい。
幸いにも、いや不幸にしてと言うべきか、国に引退はない。
《店主は思う》
戦後世代が築いた「資産」を、食いつくす現代の状況に危惧する。
汗を流す「生きる知恵」が、日本国を継続させる原点であること認識しなければならない。
私は、小学生時代に「蒸気機関車(SL)」が「電車」に変わる時代の流れを見て来た。
そして、65歳の私が「石油の世紀」から「電池の世紀」へ変わる時代を経験出来そうだ。
山川龍雄<編集長の視点>【日経ビジネス】2012.1.30
《電動化で生まれる商機》
「今は高出力を競う時代ではないでしょう。例えば燃料電地車で同じようなレースがあれば、すぐにでもトヨタ自動車
さんと一緒に参入したい」。今号の編集長インタビューで、ホンダの伊東孝紳社長に、F1レースヘの再参入の可能性を
聞いたところ、こんな答えが返ってきました。
自動車の進化の歴史は、動力性能と環境性能の両立に挑む歴史です。
ただ、このところ、環境性能に対する要求の比重が高まっています。
伊東さんはF1について「チャレンジするテーマとしては古典的な領域」とまで言い切りました。
レースはともかく、ビジネスの世界では、既に次世代エコカーを巡る熾烈な競争が始まっています。
「石油の世紀」から「電池の世紀」へのパラダイムシフトは、従来の業界秩序を崩し、今日の負け組が明日の勝ち組となる
下克上の時代の到来を意味します。
日本の自動車メーカーの中でEV(電気自動車)を先に発売したのは、ハイブリッドカーで出遅れた三菱自動車や日産自動車
でした。今年はトヨタやホンダも参入します。
航続距離や充電インフラの整備状況を踏まえれば、EVが世界中で本格的に普及するのはまだ先でしょう。
しかし、「商売」という点では、EV産業は既に競争の渦中にあります。
商機をうかがうのは、自動車産業だけではありません。
次世代エコカーを巡る電源争いには、化学、石油、鉄鋼、造船、住宅などの異業種から参入が相次いでいます。
EV産業は日本経済の救世主になるのか。
それとも電機業界と同じく、デジタル化で海外勢にシェアを奪われる端緒になるのか。EV戦国時代の幕開けです。
《店主は思う》
「庶民が何を望み、何を提供できるかを考えてきたのがホンダです」伊東孝紳(ホンダ社長)
「稼ぐ力」は国家間の争奪時代に入った。でも、「国内消費」が基本になっている事を忘れては成らない。