2012年2月21日03時00分
「ずっと死刑を科すことについて考え、悩んできた13年間でした」。光市母子殺害事件で妻子を奪われた遺族・本村洋さん(35)は判決後、そう語った。犯行時18歳だった大月孝行被告(30)に対する司法の結論は、極刑だった。
「遺族としては大変、満足しています。ただ決して、うれしさや喜びの感情はありません。厳粛に受け止めなければならない」。本村さんは、判決後の記者会見で、ときおり目を潤ませながら語った。「勝者なんていない。犯罪が起こった時点で、みんな敗者なんだと思う」
被告の裁判は欠かさず傍聴してきた。差し戻し後の控訴審の法廷では、被告に「君の犯した罪は万死に値する。君は自らの命をもって罪を償わなければならない」と直接、訴えた。この日も、風呂敷に包んだ妻子の遺影を胸に抱えて法廷の最前列に座った。
そして、望んできた結論――。「(被告は)眼前に死が迫り、自分の死を通して感じる恐怖から自ら犯した罪の重さを悔い、かみしめる日々がくるんだと思う。そこを乗り越えて、胸を張って死刑という刑罰を受け入れてほしい」
本村さんは事件後、全国犯罪被害者の会(あすの会)幹事として休日に各地を回って講演し、テレビや新聞などで声を上げ、犯罪被害者の権利や地位の向上を訴えてきた。「妻と娘の命を無駄にしたくない。事件が社会の目にさらされることで、司法制度や犯罪被害者の置かれる状況の問題点を見いだしてもらいたい」との思いからだった。
それに応えるように、被害者や遺族の声は、しだいに司法の場に反映されるようになった。2000年には刑事訴訟法などの改正により、被害者・遺族が法廷で意見を述べたり、裁判記録を閲覧・コピーしたりできるようになった。傍聴席も確保されるよう配慮された。
被害者への給付金が拡充され、04年には「被害者の権利」を明文化した犯罪被害者等基本法が成立。08年に導入された被害者参加制度では、殺人など故意に人を死傷させた事件などで、被害者や遺族が被告に対して法廷で質問したり、求刑への意見を述べたりできるようになった。
ただ、事件から10年となる09年ごろから本村さんは講演や取材の対応を控えるようになった。長年の精神的な疲労が蓄積されていたという。「もう一度、人並みの人生を歩みたい」。この年、支えてくれた同僚の女性と再婚した。
「まずは自分と家族が幸せになること。事件のことだけ引きずって生きるのではなく、前を向いて、笑って、自分の生活、人生をしっかり歩いていくことが大事だと思う」。この日の会見で、本村さんはそう話した。
亡くなった2人への思いが変わることはない。「裁判が終わることが事件の区切りではない。いつも毎日、ふとした瞬間に事件を思い出したり、考えたりしながら生きていくんだと思う」。21日には、2人が眠る北九州市内の墓を参るつもりだ。「法制度や裁判への関心の高まりに影響を与えることができたよと、守ってあげられなかった罪滅ぼしの一つとして、報告してあげたい」(斎藤靖史、高田正幸)