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光市母子殺害事件 本村さん「皆、敗者」

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 99年の山口県光市母子殺害事件で殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた、犯行当時18歳1カ月の大月孝行(旧姓福田)被告(30)の上告審判決で、最高裁第1小法廷は20日、被告の上告を棄却した。死刑が確定する。死亡被害者2人の事件で犯行時少年の死刑が確定するのは、83年以降では初めて。妻と長女を奪われた本村洋さん(35)は13年間、訴え続けた死刑判決を実現した。

 本村さんは法廷で、布に包まれた妻弥生さん(23=事件当時)と長女夕夏ちゃん(11カ月=同)の遺影を胸に抱え、最前列で判決を待った。裁判長から「上告を棄却する」という主文を聞いた後、立ち上がり、深々と一礼。周囲から声をかけられ、何度も頭を下げた。閉廷後はしばらく立ち上がらず、判決をかみしめている様子だった。

 会見では「遺族が求める死刑判決が下されたことには、満足していますが、うれしいとか喜びとか、そういう感情はない。厳粛な気持ちで受けとめたい」と複雑な心境を明かした。

 ただ、事件から13年間、元少年に「万死に値する」と厳しい言葉を続け、望む結果につなげたことには、達成感があった。「死刑について考え、悩んだ13年間だった。被告は罪を償わなければならず、判決を受け入れてほしい。妻の母親と自分の父親から『よく頑張ったね』と言ってもらった。妻の父親にも、同じような内容の手紙をもらいました」と振り返った。

 遠距離恋愛で授かった新しい命、親の反対を押し切った学生結婚。しかし最愛の妻と娘との家族3人の生活は、被告の手によって突然奪われた。元少年の更生の可能性を重視した無期懲役の判決を受け、「司法に裏切られた。加害者を社会に早く出してもらいたい。そうすれば私が殺す」と語気を荒らげたこともあった。しかし2人の死を無駄にせず、被害者の権利向上に尽力。「全国犯罪被害者の会」の幹事を務めた。犯罪被害者保護法の制定など、世論を大きく動かし、この日の判決を実現した。

 「少年であっても、身勝手なことで人を殺害すれば、この国は死刑に科すという強い価値規範を社会に示した。妻と娘を守ってあげることができなかった、私の数少ない罪滅ぼしの1つとして、2人に報告したい」。今日21日、2人の墓前で死刑判決を伝えるという。事件から4695日という長い戦いに耐えたが、勝者という見方を否定した。「犯罪が起こった時点で、皆、敗者。自分の人生を絶たれてしまうような被害者がいなくなることを願います」。最高裁が死刑を確定しても、妻と娘との幸せな暮らしは戻らない。心の痛みが変わらないことを訴えていた。

 ◆光市母子殺害事件 99年4月14日午後2時半ごろ、当時18歳だった会社員大月被告が、山口県光市の会社員本村さん宅に排水検査を装って上がり込んだ。妻弥生さんを強姦しようとしたが、抵抗されて絞殺。死後に性的暴行をした。泣き続ける長女夕夏ちゃんを居間の床にたたきつけ、首にひもを巻き付けて殺害。弥生さんの遺体を押し入れに、夕夏ちゃんの遺体を押し入れの天袋に投げ入れて隠した。事件の4日後に逮捕された。

 00年の1審で無期判決が出た後、「かわいい犬と出会って、やっちゃった」と知人に手紙を出し、07年の差し戻し審では「押し入れに入れたのは、ドラえもんに助けてもらうため」「死後の姦淫(かんいん)は復活の儀式」と不可解な弁明を続けるなど、反省の態度がみられなかった。同年には、差し戻し前の上告審から一転して殺意を否認した被告側に、橋下徹弁護士(現大阪市長)がテレビ番組で「一斉に弁護団への懲戒請求を」と呼び掛け、波紋を巻き起こした。

 ◆死刑が確定した少年事件

 ▼連続4人射殺 1968年、19歳だった永山則夫元死刑囚(97年執行)が、東京、京都、函館、名古屋で警備員ら4人を射殺。1審死刑、2審無期懲役。最高裁が審理を差し戻した高裁で再び死刑となり、90年の差し戻し上告審で確定。

 ▼市川一家4人殺害 92年、千葉県市川市で19歳の少年が会社役員宅に押し入り一家4人を殺害。1、2審死刑が最高裁で確定。

 ▼連続リンチ殺人 94年、大阪、愛知、岐阜の3府県で男性4人が18~19歳の少年3人にリンチを受け死亡。3人は強盗殺人罪などに問われ、1審では1人が死刑、2人が無期懲役だったが、2審では3人とも死刑とされ最高裁で確定。

 [2012年2月21日8時33分 紙面から]


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