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特集社説2012年02月21日(火)

光市母子殺害判決 多くの課題は法廷外に残る

 山口県光市で1999年に起きた母子殺害事件の司法審理が終わった。未成年者への極刑の適否など、事件をめぐる議論は今も絶えない。現在ならば裁判員裁判の対象事件となるだけに、冷静な受容と検証が求められる。
 きのうの差し戻し上告審で最高裁は、被告の訴えを棄却し、死刑を確定した。一審、二審の無期懲役判決に異を唱え、審理のやり直しを命じた筋書き通りの判決である。
 当時18歳1カ月の未成年者であろうと「死刑を例外とはしない」と踏み込んだのは極めて重い判断だ。犠牲者の数や計画性の有無だけでなく、結果の重大性や遺族の被害感情を重視する姿勢を、司法が示したとも受け取れる。
 長らく犯罪被害者は置き去りにされてきた。捜査情報の提供や公判の優先傍聴、訴訟参加制度の拡充など、この事件をきっかけに進んだ支援があることも見落とせない。
 言葉にできないほど胸が痛む事件だった。愛する家族を理不尽に奪われた遺族が心情を切々と訴え、厳罰を求めたのはごく自然だ。世の誰もが「もしも自分の家族がこんな事件に巻き込まれたら」と想像し、遺族に共感の念を抱いたのも不思議ではない。
 とはいえ、死刑か否か、ただ二者択一を迫るような「量刑判断の殻の中」に、社会全体が閉じこもってはいなかったか。無期懲役判決が出るなり、各界各方面から被告や裁判所に対する激しい異論が飛び交った。最高裁の裁判官がその影響を少なからず受けたことは否定できまい。
 今回の最高裁判決が、しゃくし定規の量刑相場に風穴をあけた意味は決して小さくないはずだ。しかし、これが未成年者に対する極刑適用の機械的な基準となり、法曹界でおざなりな合意を形成するようになってゆくと、再び社会は「殻の中」に押し込められてしまう。
 社会が応報感情だけに傾いた状況が続けば、法廷は集団の圧力がものをいう「人民裁判」になりかねない。教育や更生、隔離がもたらす再犯防止との調和も必要で、まして「罪人に人権なし」といわんばかりの風潮は考えものだ。どんな凶悪事件の被告でも適正な裁きを受ける権利があることを忘れないでほしい。
 異例ずくめの裁判だった。差し戻し控訴審では、市民感覚として納得しにくい弁護活動もあり、現大阪市長の橋下徹弁護士の呼び掛けで弁護団の懲戒請求運動が広まる事態にまで発展した。被告の実名を載せた雑誌や書籍は事件直後からあふれている。
 少年たちに大手を振って身の処し方を説けるほど社会は成熟していようか。未成熟な少年が立ち直る機会を奪う恐れはないか。多くの課題は法廷の外に残されている。

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