(インタビュー中、ティッシュで鼻を豪快にかむ)
‐風邪ですか。
「鼻がつまっちゃってさあ…。このオフ、風邪2・5回ひいた。疲れもあるし。あんま疲れすぎても夜帰って寝られないんだよね。オレもボーッとしているのが好きじゃないモンで。何か仕事をしてないといけない性格で、さみしくなってきちゃうみたいなんだよな」
‐オフのイベント行事も大変だったせいもあるのかもしれません。仙台、名古屋の往復も多かった。ところで愛着のあった仙台ですが、今後も東北でやってきた活動は継続させるのか。
「何かの形ではやりたいとは思っている。シーズン終わったら、仙台に1週間か10日くらいいようとは思っているからね。そこで遊んだり、その間に子供たちの病院に行ったりね」
‐昨季を振り返ります。400号到達、震災から半年後の9月11日、勝負を決める2ランを放ったりという印象的な試合もあった。一方で7月に右手薬指をはく離骨折し約40日間の離脱。今、感じることは。
「そうだなあ。記念のホームランとか、お祝いしてもらったりもしたけど、やっぱり結果的にこうなってしまったから、残念でならないという気持ちで1年が終わっちゃったね。楽天退団ということで(そういう思い出の試合が)もう消えちゃったよね」
‐京セラドームで行われた9月30日のオリックス戦。そこまで39打数1安打と不振に陥っていたことに加え、若手起用を優先して休養を言い渡された。翌日の試合、自身は出場するつもりで準備していたが、出番なし。試合直前まで、コーチ陣から欠場を言われなかった状況にベンチで怒りをあらわにした。
「オレももう1年目のボウズじゃないわけだし、シーズン最後の方で、誰もが絶好調という時期ではない。胃も痛いし、体も限界。でも最高のパフォーマンスで試合に出たかった。準備というものに対して、しっかりやらせてもらいたかった。いくら消化ゲームでもね。でもそれが理解してもらえなかった。まあ(伝えることを)忘れていたんだろうけど。ただ向こうは忘れていたで済むかもしれないけど、こっちは切るか切られるか、クビになるかならないかの勝負をしているわけだから」
‐その後、8試合出番がなく、10月10日のロッテ戦が楽天最後の試合となった。この時期、退団を確信する。
「ああ、もう楽天ではユニホーム着られないんだなとか。あとのことはそこから考えるとしても、とうとう着られなくなるんだなあとそういうことばっかり考えたね。普通なら、来年どうしようとか、考えるんだろうけども、あの時は切り替えができなかった。この仙台から出ていかなきゃいかんのだなあってそればっかり考えていた。そのさみしさだけだったね」
‐その直前の不振というのは、メンタル面も影響していたのか。
「すべてはケガから始まってしまったので。たらればなんてのはプロとしては通用しないけど、ケガの影響だというのはオレにはわかってたし、休んだ40日間というのは、指のケガもあったけど、足が40日休んだことで具合が良くなかった。休んで悪くなった。いずれ、ツケが回ってくるなと自分自身で思ってやっていたから、それが現実のものになって、ああやっぱりなと。甘いもんじゃねえなと思った」
‐楽天での最後の試合は1打席の代打出場で、安打締め。
「打てる気なんて全くしなかったけど、最後の最後だけ打てる気がしたなあ。楽しくやって、気持ちよくバッティング練習をしようと。カッチンカッチン打ってやれって気持ちだった。練習も調子よかったもんなあ」
【3に続く】
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