ホーム > スポーツ > いま、この人。

“不沈艦”スタン・ハンセン氏 3

 ‐馬場さんはどんな方でしたか。

 「誤解しないでほしいのは、馬場のことを良く言ったからといって、猪木のことを悪く言っているわけではないということ。私は馬場が示した方向性にすべて逸(そ)れることなく従ったし、全力を尽くすことで素晴らしい試合をつくり、馬場が用意してくれたいろんな相手に対して、馬場の期待に応えていったということがすべてではないかと思う。猪木と個人的に私の方向性について1回もしゃべったことはないし、猪木はそういう方向性の話は外国人選手とは話さなかったから。馬場とは話したが、猪木とはしなかった。それは新日本のビジネス(のスタイル)であってね」

 ‐ブロディのことをうかがいます。日本ではブロディが亡くなる前年の87年11月22日、世界最強タッグ決定リーグ戦の公式戦で初めて対戦しました(ハンセン、テリー・ゴーディ組‐ブロディ、ジミー・スヌーカ組。結果は両者リングアウト)。あのままブロディが生きていたら一騎打ちも行われたと思います。実現したらどんな試合になったと思いますか。

 「それまですべての人の想像を超えた試合ができたと思う。今こう言うと悲しすぎるかもしれないが、実現しなくて良かったかもしれないと思う時もある。実現しなかったことによって、夢の試合が実現した時のことをみんなが想像できるんじゃないかな。もちろん名勝負になったという確信はあるけど」

 ‐タッグで当たった時、感じたことは。

 「お互いに付き合いも長いし、ブロディがどうカウンターするか、自分がどうカウンターするか読み合った試合で、その通りの動きができたから、お客さんの反応も本当にすごかったという記憶がある。場外戦の時カウベルで殴ったらブロディの脇腹にものすごいアザができて、ブロディが本気で怒ったシーンもあった。それは悪いな、と思った。(試合後の)ブロディは全然気にはしていなかったけど。プロレス(の試合上のこと)だしね」

 ‐全日本でのベストバウトはどの試合でしょうか。長期間在籍したので、多くの名勝負を残していますが…。

 「1試合というわけにはいかないね。長い間に多くの素晴らしい試合があり、多くの素晴らしい対戦相手がいた。小橋(建太)や川田(利明)との日本武道館での試合や蔵前国技館でのテリー・ファンクとの肉弾戦、天龍と戦った試合もグレートだったし…。ファンに統計を取ってくれれば、彼らの意見を尊重するよ」

 ‐現在の生活(ハンセンは米コロラド州在住)について教えてください。今はお仕事はされていないんですよね。

 「君が雇ってくれるかい?」

 ‐奥様は日本の方ですね。

 「妻が大きな病院の心臓科の看護師として働いていて、妻を送り届けた後は1時間から1時間半の有酸素運動をして体調を整えて、あとは家の手入れ、草を刈ったりなんだかんだが1日のルーティンなんだ。息子は2人とも野球選手なのでインターネットで野球の情報を仕入れたり、見に行ける時は見に行ったり、夕方は野球に関して過ごすことが多い。株の情報もインターネットでチェックしているが、今はもう株はやめて、ただ単に見ているだけだね」

 ‐上のお子さんがマリナーズにドラフトで指名されたことは日本でも大きく報じられましたが、下のお子さんは?

 「大学2年生でピッチャーなんだけど、ケガして手術したばかりで昨シーズンはプレーしなかった。あと2年残ってるから3、4年生では活躍してくれると思っている。91〜92マイルのストレートを投げられるんだ」

 ‐今のプロレスは見ないんですか。

 「2世レスラーはあまり好きじゃないし、子供たちが今のプロレスを見ないのも、実はその方がいい。自分の試合テープを見てくれることはうれしいし見ていると思うけど、今のプロレスを見ないのはむしろいいかと。彼らの夢は、父と同じ仕事につくことじゃないしね」

 ◆かつてハンセンが人間発電所ブルーノ・サンマルチノと抗争したこともある世界最大のプロレス団体である米WWEには、多くの二世、三世レスラーが次の通り在籍している。

 ▽ランディー・オートン(ボブ・オートンの孫。ボブ・オートンJr.の息子)▽レイ・ミステリオ(レイ・ミステリオのおい)▽アルベルト・デル・リオ(ドス・カラスの息子。ミル・マスカラス、エル・シコデリコのおい)▽プリモ(カーロス・コロンの息子。カリートの弟)▽ゴールダスト(ダスティ・ローデスの息子)▽コーディ・ローズ(同)▽テッド・デビアス(マイク・デビアスの孫。テッド・デビアスの息子)。

  ◇  ◇

 スタン・ハンセン(Stan Hansen) 1949年8月29日、米テキサス州出身。アメリカンフットボールを経て73年、エルパソでデビュー。75年、全日本に初来日。76年、WWFでブルーノ・サンマルチノと抗争。77年、新日本初登場。81年、全日本移籍。92〜93年、チャンピオン・カーニバル連覇。00年、全日本で引退。01年、全日本で引退式。獲得タイトルはNWFヘビー級、AWA世界同級、3冠同級など。得意技はウエスタン・ラリアート。身長192センチ、体重135キロ。







Copyright(C) 2011 デイリースポーツ/神戸新聞社 All Rights Reserved.
ホームページに掲載の記事、写真などの無断転載、加工しての使用などは一切禁止します。ご注意下さい。
当サイトは「Microsoft Internet Explorer 4.x」「Netscape Navigator/Communicator 6.x」以上を推奨しています
Email : dsmaster@daily.co.jp