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“不沈艦”スタン・ハンセン氏 1

テキサス・ロングホーンを決め、にらみつけるスタン・ハンセン氏=東京都内(撮影・園田高夫)
テキサス・ロングホーンを決め、にらみつけるスタン・ハンセン氏=東京都内(撮影・園田高夫)

 必殺ウエスタン・ラリアートで20年以上も日本マット界に君臨した“ブレーキの壊れたダンプカー”“不沈艦”スタン・ハンセン氏(62)が引退して11年になる。新日本プロレス時代(77〜81年)のDVD‐BOX「不沈艦伝説 スタン・ハンセン」(ポニーキャニオン、発売中)のリリースを機に本紙のインタビューに応じ、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、アンドレ・ザ・ジャイアントらの好敵手や非業の死を遂げた親友ブルーザー・ブロディについて率直に語り尽くした。(聞き手=藤澤浩之)

  ◇  ◇

 ‐12月21日に新日本プロレス時代(77〜81年)のDVD‐BOX「不沈艦伝説 スタン・ハンセン」(ポニーキャニオン)が発売されました。四半世紀に及ぶ日本でのキャリアの中で、5年間と短い新日本でのアントニオ猪木との抗争が、なぜ今でもファンに強い印象を残しているのだと思いますか。

 「猪木が今でも健在なのは大きいと思う。亡くなったジャイアント馬場には気の毒だが、猪木は今でもよく露出しているのが有利に働いていると思う。それは私の本意ではない。猪木は確かにすごいが、馬場ももっと評価されてしかるべきだと思う。日本のプロレスが黄金時代だった最後のヒーローが猪木だったのは分かっているが、馬場だってすごかったし、猪木が生きていて馬場が不幸にして亡くなってしまったことで、今のバランスができてしまったんじゃないかな」

 ‐見る側からすれば猪木との間にマジックのようなものが存在したのではないかと思うのですが、実際に戦っているレスラーとしては。

 「猪木は自信に満ちたレスラーだった。カリスマがあり、オーラがあった。ただ、それほど特別な存在だと感じたことは、実は一度もないんだ。リング上での能力には本当にリスペクトを持っていたが、ほかの日本人レスラーにも同様の印象は持っていた」

 ‐あなたが新日本で大ブレークしたのはなぜだと思いますか?

 「全日本プロレスに来た時(75年)は、グリーンボーイだったと思う。新日本に来た時にトップになった、というのはその通りだ。オーバーしたのが新日本だった、という認識は本当にある」

 ‐このDVD‐BOXにはあなたが選んだ名勝負ベストテンも収録されていますが、その中でも一番、といえばどの試合になりますか。

 「アンドレ(ザ・ジャイアント)との試合(81年9月23日、田園コロシアム)が一番だ。猪木に勝った試合(80年2月8日、東京体育館)がきん差で2位だね」

 ‐どちらの試合も見ればわかる名勝負ですが、あえてその理由を説明していただけますか。

 「アンドレと互角に戦える人間は当時、私だけだったと思う。新日本が私をプロモートするにあたっての相手がアンドレだったとも思うが、新日本ではなくアンドレが私をオーバーさせてくれた、といつも思う。アンドレは私が来る前はただのアトラクションとして使われていたと思う。いつもハンディキャップマッチで4人、5人を相手にする存在だったのが、私が台頭したことによって、最初の1対1で互角に戦えるポジションについた。猪木は別として、外国人では私だけだったのは間違いない。タイミングも非常に良くて、新日本に来て2年目か3年目で戦ったのは伸び盛りというか、売り盛りの時にアンドレが適当な相手と認識してプロモートしてくれた。タイミングは最高だったんじゃないか」

 ◆ハンセンとアンドレの初対決は79年5月18日、新潟。両者リングアウトで引き分けた。

 「アンドレがハンディキャップマッチでやっていた時代と違って、アトラクションじゃなく1対1のレスリングとして見せるという意気に燃えていた。アンドレと試合を成立させることじたい、みんなができなかった。試合を成立させるという意気に燃えていた。アンドレも非常に頭のいい人で『このスタン・ハンセンは自分の新しい敵として使えるな』と、きっと思ったんじゃないかな。日本の中でアンドレが自分の価値を落とさないために私という敵を欲したと同時に、私もトップのポジションを落とさないために、アンドレと互角以上に戦うことで自分の地位を保つという相乗効果が得られた。アンドレ自身が名勝負になったことを体感したし、お客さんの声を聞いたことで、ハンセンとやればお客さんをこれだけわかせられると認識してくれたからこそ、田園コロシアム以外の試合も名勝負として残っていると思う。毎日猪木とやっていては飽きるだろうな、というのもあったし、新しい敵ができたという喜びもアンドレは感じていた。新日本もそれに気づいて、我々の試合を本格的に売り出してくれた。新日本のプッシュも大きかった。全体のプロセスの中で、私がオーバーした結果を導いてくれた」

 ‐猪木戦については。

 「私のターニングポイントになった試合だ。これまでいつも猪木が勝っていた。私は勝ったことがなかった。私と戦うまで猪木は格闘技世界一決定戦を何回となくやっていたのは知っていたし、それを通じて猪木という人物の価値が巨大になっていった過程も間近で見ているから、この試合に勝った時はうれしかった。猪木は私も含む外国人に当時、負けていなかった。猪木やアンドレと何回も何回も名勝負をやっていく過程において、猪木も私の力を認めてくれていたんだろうし、その過程でタイトルを奪って終えられたことは非常にうれしかった」

【2へ続く】







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