13年前の不幸がなければ、本村洋さん(35)の名が知れ渡ることはなかった。大手製鉄会社の技術者として、同い年の妻と中学生の娘、もしかしたらその弟や妹と静かに暮らしていただろう。その人が記者団を見すえて語った。「日本の社会正義が示された」▼山口県光市の母子殺害事件で、当時少年だった被告(30)の死刑が固まった。ひと月早ければ極刑を科せぬ若さだった。その未熟さ、立ち直る可能性をくんでなお、所業のむごさは死をもって償うほかない、との判断である▼妻子を奪われた本村さんは、自殺の願望を振り切り、悲憤を糧に「被害者の権利」を世に問い続けた。独りで始めた闘いは、同情や共感だけでなく、重罪に厳罰を求める世論を揺り起こす。犯罪被害者への支援拡充にもつながった▼死刑の宣告は難しい、というよりつらい。国民の生命を守るためにある近代国家が、法の名において一命を奪う。矛盾といえば矛盾、廃止論の根拠である▼他方、遺族の処罰感情は容易に収まらない。凶悪犯罪を抑える効果については異論もあろうが、この事件の結末が「より安全な社会」につながらねば、誰ひとり浮かばれない▼極刑ゆえ、被告の実名が広く知られることになった。裁かれしは生身の人間と実感する。「反省した状態で、堂々と刑を受け入れてほしい」。最愛の家族のために闘い抜いた人の言葉は重い。帰らぬものは多すぎるが、本村さんが残したものも多い。後半生で「無名の幸せ」を取り戻してほしい。